ジュゴンの家・日誌
「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。
「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。
「力になろう!」という皆さま!!
ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします!
会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。
  電話&FAX 0980−54−2948 
   e−mail   dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp
会費・・・月1000円、年10.000円となります
同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで

よろしくお願いいたします

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10月B
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、カヌー隊、座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
夏が過ぎて、海の上はだんだん寒くなってきています。普通の衣服では、濡れて風に当たっているとかなり寒いということです。
カヌー隊、プカプカ隊、ダイバーが着るダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

国会前座り込みホームページヘ!!


10月19日(火)
超大型台風23号接近中!!じゅごんハウスでは・・

台風対策としてベランダの荷物を全て中に入れました! 外に出られないので、一日分の食料を買ってきました。
琉球新報

素潜りで「調査止めて」と住民 辺野古ルポ

 普天間飛行場代替施設建設に向けたボーリング地質調査に反対する座り込みが半年を迎える名護市辺野古。

 9月9日に那覇防衛施設局が海上での作業に着手して以来、住民らは調査を止めようと体を張った阻止行動を続ける。海上での攻防が続き、限界を超える疲労により、身体的危険という不測の事態も懸念される。

 「危ない、どけ」「帰れ。仕事の邪魔をするな」。船やカヌーがひしめき合う海上に怒号が飛ぶ。施設局は3組ほどの船団を作り、リーフ内外で調査をしている。現在行われているリーフ内の海底調査では1組3隻で、1隻の調査船を2隻の警戒船が取り囲む。拡声器で注意をうながし、調査船の周りを固める。

 当初は「離れてください」「近寄らないでください」と丁寧だった言葉遣いも、最近では怒声に変わった。1人は常にビデオカメラを抗議船やカヌーに向けている。

 抗議船は調査船に伴走し「調査を止めて」と訴え、先回りをして調査地点に居座る。カヌーも地点を守ったり、調査船の周りをうろつき作業の邪魔をする。

 だが夏も過ぎたこの時期は、風、波が強まり、目指す地点にカヌーを進め、同じ地点にとどまることも難しい。

 何とか調査を邪魔しようと調査船のへりにしがみつくカヌー。調査船が発進し、カヌーが転覆したこともあった。船のぶつかり合いは日常茶飯事で、施設局が何度も名指しでカヌーの乗り手をしかりつけたこともあったという。海水を浴びた全身に風が吹きつけ、体は冷え切る。激しい運動と恐怖が乗り手の体力を消耗させる。

 海底での作業には船上からでは対処できない。住民も海に潜り、作業地点に横たわったり、腕に油性ペンで訴えを書いて作業中止を「お願い」する。何度も息継ぎを繰り返し、素潜りを繰り返す。そんな1日を終えた顔には苦痛の色が浮かぶ。

 だが住民同士は「敵」ではない。激しい攻防から一転、陸に戻ると、調査船に雇われている漁師と住民が互いに「お疲れさま」と声を掛け合う場面もある。どちらも背中には深い疲労感が漂う。

 「たくさんの人が応援してくれている。途中でやめるわけにはいかない」。超えてしまった限界をさらに超えようと踏ん張る住民ら。海上の1番近いところでその姿を見続ける漁師の1人は「(感想を)聞かないでくれ」とつらそうに顔をそむける。

 この1カ月余で2人が病院で点滴を受け、1人が海水を飲みおぼれかけた。気温はどんどん下がっていく。生命の危険さえ懸念される状況だ。「早く調査をやめてほしい」。現場の誰もが悲鳴を上げている。

(北部報道部・黒田華)

晋くん日誌
10月19日(火)
・台風23号直撃。なんもかんも完全にマヒ!しちゃいました。

台風が本当を直撃しました。ものすごい雨、風。とてもじゃないけれど外には出られない。恐い恐い。
私は暴風域に入る前、昨日の内に家路に着き、翌朝は早くから非常食の買出しにいきました。
沖縄の台風は「ヤギが飛ぶ」とおばぁに言われたことがあります。しばらく外にいたら本当にヤギが飛んできそうなのでちゃっちゃっと家に帰りました。私が住んでいる所は海辺のマンションですが、海風がまともに当たる場所です。
驚くのは沖縄の家は全て台風対策ように作られています。私のマンションも窓が割れないように雨が入らない程度に小さな穴が開いています。風を通すためです。
午後になると外はなんもかんもがマヒし、色々飛んでいました。ので家に完全に引きこもりです。
ということで一日が終わりました。台風のが来たお陰で施設局による調査がなかった反面。沖縄では4人がけがを負っています。この台風が大和に行ったら死者が出るのだろうか、心配です。良いんだか、悪いんだか。



10月18日(月)

座りこみ183日目
キャンプ・シュワブ第2ゲート前に立った。
台風がまた近づいてきているので、今日の作業はないだろう
と思われたが、念のために立った。

7時過ぎ、警備の人が黄色い線の向こうに立つ。
こちらを伺い歩き、中に入る車には敬礼をする。

朝8時、いつも座りこみテントで聞かされていた、アメリカ国歌と「君が代が」キャンプ・シュワブから流れてくる。
警備員は基地内に向けて立ち、曲が流れているあいだ、敬礼をする。
基地内に入る車もそのあいだは中に入らず、ストップして待つ。
こんなことが毎朝行われているようだ。

今日は施設局、業者、ダイバーの車も、中に入って行かなかったようだった。
8時30分まで監視をしてから、座り込みに向かった。
台風対策でテントはすでに畳んでいる。「命を守る会」の事務所前で座りこみ。 カヌー隊はロープの結び方を練習! 差し入れのリンゴ
ロープの練習を中断して
貝殻で遊ぶ。

いろんな遊び方を考える。

将棋くずしのように
貝殻を順番に取っていき、
貝がちょっとでも動いたら負け!!
・・・というゲームをした。

単純なんだけどみんな熱中→
植物博士の水泳教室↑
そのあとはまたロープの練習をしたりゆんたくをしたりして・・・。

午後3時半頃、小雨になったところで、
ゴザや事務所前の雨よけのシートも畳んで、解散しました。
晋くん日誌
10月18日(月)
・台風23号が近づいているため阻止行動は行なわれていません。

台風23号の接近で辺野古もすごく荒れています。海は波の高さが5〜6mにも達します。漁港が波によって飲み込まれていくようです。
風が強いため座り込みテントは解体し、命を守る会事務所前での座り込みとなりました。防衛施設局にによる調査もなかったため座り込みはにぎやかです。
午前から来訪者が多く、民主商工会の方々や日本山妙法寺の方々、沖縄の大学生も数人来ていました。
妙法寺の人達は「平和行脚」のために沖縄を歩いていてそのあいまに座り込みに立ち寄ってくれました。妙法寺の人達の中のNさんはこの8年間、毎日キャンプシュワブの前で基地の撤去と基地建設反対を訴えて座り続けてきました。
座り込みに座り、妙法寺の方から「砂川闘争」についての話がありました。

・(砂川闘争の説明。他のページから抜粋)
[米軍占領期から続いた旧日本軍基地の米軍継続使用は講和条約の発効以後に住民による反対闘争を巻き起こした。
 その契機となったのは、無期限継続使用を断念させるに至った1952-53年の内灘闘争であるが、その後、反対闘争は53年浅間山基地化反対闘争、55年妙義山接収計画反対闘争(いづれも計画断念)へと続いた。
 その中でも激烈を極めたのが、1955年から1957年にわたって繰り広げられた「砂川闘争」である。
事の起こりは、米軍が1954(昭和29)年に立川飛行場の拡張を要請し鳩山内閣が了承し測量を開始したことにある。
 当時の東京都北多摩郡砂川町(後に立川市と合併)議会が反対決議を行い、測量反対闘争が開始された。1956年10月には警官隊と住民との全面対決により1000名を越す負傷者を出し、砂川の地は住民の血で染まった。世論も砂川住民を支持したため、中央政府は測量を中断。
 57年7月に測量を再開した直後、基地に侵入したとして7名を刑事特別法違反で起訴した。
 東京地裁は米軍駐留を違憲とし7名に無罪判決を下したが、検察側が跳躍上告を行い最高裁判所は憲法判断を回避し原判決を破棄差戻しとし、63年には被告全員に有罪判決を下した。
 しかし、結局は米軍は基地拡張を断念し、その後基地自体も返還。]

妙法寺の人達はその当時、砂川に参加して太鼓をたたいていたそうです。
「鉄カブトをかぶった機動隊の中に響く太鼓の音。坊主頭が突き進む。機動隊のケンボウで頭を割られ、額に血がにじんでもても進んだ。辺野古の現在のように多くの人々が集い闘った。その不屈の抵抗は勝利へと繋がり基地建設を阻みました。」と妙法寺の方。
「砂川の歴史の記録」の一文にこんなことが書かれていました。
「8月24日には、五日市街道で測量隊の車と阻止のピケットが激しく揉みあい、警視庁予備隊(現・機動隊)が出動。二名が検束され、十数名の負傷者を出した。初めての衝突である。
その日、妙義山で基地反対闘争をしていた日本山妙法寺の僧侶が藤井日達上人を先頭に支援に駆けつけ、以来、僧侶たちの団扇太鼓が拡張予定地内に鳴り響くようになった。」

砂川の話しを聞き、砂川闘争のことを調べていると、とても印象に残る言葉が出てきました。
[8月中を予定していた予備測量を行うことができなかった調達局は、9月13日から10月30日に測量を行うと通達。
13日の早朝からはじまった警官隊との攻防は数十人の負傷者と検束者三名を出しながら、夕方5時過ぎまで一進一退を繰り返した。この日、五日市街道は反対同盟と警官隊の双方合わせて五千人の人並みで埋まった。
翌14日、この日の警官隊は全員鉄カブトで武装し、人員も1800人と大幅に増員してなだれ込んできた。あらかじめ五日市街道の東西両側を遮断して、支援の労組員の道をふさぎ、反対同盟のリーダーを集中的に逮捕するという作戦をとった。この結果、測量隊は午前中のうちに予定の予備測量を完了した。
この二日間の衝突は、砂川住民に深刻なダメージを与えた。約30人の逮捕者を出したうえに予備測量が強行され、基地拡張予定地の区域が具体的に決定したのだ。これによって土地収用法が適用可能になり、手続きが完了すれば土地は取り上げられる事になる。
闘争からの離脱者が続出した。条件派と呼ばれる住民の動きも活発になり、町議会も分裂した。砂川闘争の初めての危機であった。
だが、この混乱は反対同盟の結束をより強固なものにした。行動隊長・青木市五郎氏は、強行測量直後に声を張り上げて言った。
「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」と。
 ――この言葉が、砂川闘争の合言葉になった。]

・「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」
この言葉は辺野古でも同時に生きているものです。祐治さん(命を守る会代表)は「貧乏人には貧乏人なりの闘い方がある。」と私達に語りました。
この二つの言葉はこの闘いを象徴するような言葉と感じます。

座り込みは午後になり、「環境アセスメント学会」の方々が来訪され座り込みに参加していきました。マキシさんやアシトミさんが説明をし、現在の調査がいかに環境アセスメントを無視した違法な調査であるかを訴えていました。
どうか、この思い繋がってほしいと思います。
沖縄の新聞より

アセス手法疑問視 沖縄大で学会開催


普天間代替施設予定海域の様子などを聞く環境アセス学会のメンバーら=18日、名護市辺野古

 環境アセスメント学会(浅野直人学会長)は16日から2日間の日程で那覇市の沖縄大学で開かれた。また、メンバーら13人は18日、普天間代替基地建設でボーリング調査が行われている名護市の辺野古漁港を視察した。

 「命を守る会」事務所でヘリ基地反対協議会の安次富浩代表委員などから、普天間飛行場代替施設の建設予定海域の様子など説明を受けた。

 初日は「沖縄の開発と環境アセスメント(影響評価)」をテーマにした公開シンポジウムがあった。米軍普天間飛行場の代替施設の環境影響評価について、調査手法の在り方を疑問視する意見などが上がった。

 有志が署名する形を取った緊急アピールでは、現時点の海底ボーリング調査中止と環境アセスメント対象への組み込み―など4項目を提言した。

 シンポジウムには県外の約100人を含む210人余りが参加した。

 島津康男名古屋大学名誉教授は、普天間代替施設の環境影響評価について「予想の前提となる運用計画や施設の内容がないのに、予想のしようがない。ボーリング調査もアセスの設計書である方法書に出ていない」と述べ、不十分との考えを示した。

 日本自然保護協会の吉田正人理事も、代替施設で埋め立てるリーフの切れ目はジュゴンの通り道と指摘。同影響評価は「さんご礁の生態系が相互関係を持った一体のものであるという認識が欠けている」と批判した。

 桜井国俊沖大学長が司会し、開発コンサルタント(技術相談)会社アイ・シー・ネットのコンサルタント浦郷昭子さん、宮城康博名護市議、世界自然保護基金(WWF)ジャパン自然保護室の花輪伸一主任がパネリストとして発言した。

沖縄、韓国の「基地」訴え NYで合同写真展

 【ニューヨーク17日、黒田華】沖縄と韓国の写真家による米軍基地を題材にしたグループ展「永続する瞬間―沖縄と韓国、内なる風景」が17日、米国ニューヨークの美術館「PS1コンテンポラリーアートセンター」で始まった。沖縄の石川真生さん、比嘉豊光さんと韓国の四写真家が参加して、60年以上も米軍基地の周辺で生きる人々の表情などを描き出している。

 PS1は米国最古で最大の現代芸術の美術館。同館の専門家が展示を担当し、美しい配置で作品の重い叫びを静かに表現。基地周辺で働く人々や普天間の移設問題に揺れる名護市の人々(石川さん)、沖縄戦の傷跡を見せるお年寄り(比嘉さん)や、2002年に米軍車両に轢殺(れきさつ)された韓国の中学生2人の遺体(イ・ヨンナムさん)など合計75点で、米軍基地がもたらす生々しい現実をあぶり出している。






10月17日(日)

ジュゴンの家4周年!!
まよなかしんやライブ!!!
今年の10月15日で「ジュゴンの家」は4周年を迎えました!!午後7時から始まるライブに、今までお世話になった人たちが20名近く集まってくださいました・・・!!!
差し入れもたくさんいただきました。セツ子さんからシブイとソーキの煮物をお鍋いっぱい!!千鶴子さんからは手作りのお餅、しんやさんからは伊江島土産のじーまみ黒糖!!ほかの方からお酒やカンパもいただきました・・・!!!
辺野古から小禄さんも来てくれました・・・!! 歌うまよなかしんやさん 最後に、「ジュゴンの家」からあいさつ。ジュゴンの家はみなさんに支えられて、こうして4周年を迎えることができました。本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします!!
晋くん日誌
10月17日(日)
・防衛施設局による違法な強行調査は行われませんでした。

町村外務大臣が普天間および沖縄国際大学そして辺野古を視察していきました。町村外相の言葉を聞いて怒りを感じる方が多くいたと思います。
町村外相は沖縄国際大学のヘリ墜落事件に対して「操縦士の操縦は被害を最小限にした見事なものだ」と賞賛しています。その後、沖縄からの怒りの言葉に「失言」と言葉をにごしています。
この発言は沖縄への差別そのものです。町村外相は政府の考えを明らかにしました。
辺野古に関しても「早期の着工、工期の短縮が望ましい」としています。

沖縄を視察するにあたり外相は防衛施設局の説明を聞き、沖縄の人々の言葉を一つも聞かずに帰っていきました。
座り込みではこの新聞報道を見て、外相の理不尽で差別的な態度に怒りで声を震わし、「本当にどうしようもない政府だ」と呆れる声もありました。

町村外相の発言の中で辺野古視察時に「工期短縮をしても大変だろう」などと言う発言がありましたが、基地建設に何の確信も待てていない政府の意向そのものです。阻止行動について現場の記者からつっこまれると言葉を濁らすだけで終わったとか。

座り込みはだんだんと台風23号の影響で風が強まり、テントがきしむ音が聞こえます。
名護市民の方がコーヒーをポットに作って持ってきてくれ「名護市民が座り込まないでどうする」と言って駆けつけてくれたりもしました。
炊事場の人達から天ぷらが振舞われ、にぎわっていました。

今日は座り込みが終わった後、名護のリサイクルショップ「ジュゴンの家」(ホームページアドレス:http://dugong2003.fc2web.com/)の4周年記念ライブに参加しました。

ジュゴンの家は私が4年前に沖縄の土を初めて踏んだ時に立ち上がり、私が1年間店長をした場所です。今は現店長のうららちゃんに引き継がれ4周年を迎えるまでになりました。座り込みの人達は「えっ!四周年。七周年じゃなかったかな。」と言われたりもしました。
私も4年前が昨日のようにも思え、10年も前にも感じます。それだけこの4年間が私にとって濃密な時間だったことを感じさせます。
私は4年前16歳で高校生をしていました。学校の先生と折り合いがつかなく、学校を辞め、これからをどうしようか考えていた時でした。
母親が運営している東京のリサイクルショップ「オープンスペース街」(http://www1.plala.or.jp/akahane/machi-index.html)は私にとってかけがえない場所です。「街」の人達が「ジュゴンの家」を立ち上げると聞き、私はすがる思いで沖縄に行ったのを覚えています。
その時の自分は今思い出しても恥じるほど沖縄のことを知らずにいました。初めて沖縄を見た時の衝撃は今も続いています。広大な米軍基地、爆音が鳴り響く校庭、沖縄戦。米、日の世界戦略の中に位置づけられた沖縄は「キーストーン」として沖縄戦が終わっていないことをその差別と共に私に突きつけました。
それから多くの出会いがありました。「ジュゴンの家」の店長という役割を通して名護の人々に出会い、沖縄の世界の平和を願う人たちと出会いました。私の中で大きく変わっていった物、それは「生き方」です。誇りを持ち、人として生きる意味を沖縄の人々は語りました。私はそれを学んできました。

半年が立った頃。
東恩納琢磨さんに連れられ、ジュゴンの目視調査に関わりました。必然なのか偶然なのか私はそこでジュゴンを見ることとなります。今でも忘れない、ジュゴンが3頭で海を泳ぐ姿。
それを自分の中だけにとどめてはいけない。一念発起して「ジュゴンの海の家」を立ち上げました。「海の家」と言っても浜辺にジュゴンに見立てたテントを張り、「ジュゴンの海の家」という旗を立てて毎日浜掃除をしていたというものです。
またそこで多くの出会いがありました。名護の八年間(基地建設問題が立ち上がったのが8年前)の中で苦しみ、「賛成」せざるを得なくなった人々や「反対」を誇り高く続けてきた人達と出会いました。現実を知り、辺野古へと走りました。
「命を守る会」と出会ったのは私が沖縄に来て1年と半年が過ぎた頃です。
毎日通いました。朝は瀬嵩で「海の家」をし、午後は辺野古へと行くという生活が続きました。
そんな生活が2週間が立った頃、命を守る会のおばぁがこんな話しを私にしました。
「晋、"森"って何か知っているか。」おばぁ。「"森"?緑があって木が生えていて、沖縄には西表山猫とかヤンバルクイナが住んでいますよね。」私。「そぉねぇ。"木"って言うのは根を張って生きているでしょう。人間もおんなし。自分の好きな場所、好きな人がいる所に根を張って生きていこうとする。"木"っていうのは人の手本みたいなもんさね。でも人間は愚かしいよ、そんな木をバッサバッサ切り倒していくでしょう。でもねぇ晋。木は負けないでしっかり根を張ろうとする。そこに木一本でも種一つでも残せたら森に還る可能性を持っている。そうやって闘っている。わったーもおんなしさぁ。この辺野古にガジュマルのきぃのように根を張っている。もう、70、80歳になるから。そこに種一つでも木一本でも残せたら基地建設はわったーたーの勝ちさぁ。」おばぁは語りました。
私は基地を沖縄に押し付けてきた人間として「基地建設」をとめようと考えました。そのことによって戦争や差別はなくなっていく。いつかキャンプシュワブのフェンスの向こう側で出会ってきた多くの差別された人達と共に差別のなくなった地で泡盛を酌み交わして三線を弾いて語り合いたい。
でも、何が出来るだろうか。
仕事もしたことがない。生活の知恵だってない。何が出来るだろうか。おばぁの話しを聞いて自分の出来ることが見えました。「この体を張る」ことだと。
「種」や「木一本」が自分だとしたら、そこから始めよう、何かが変わるはずだと。私は沖縄と共に生きることを決めました。向き合っていくことを決めました。

その日から2年。
この国と立ち向かうために自分と向き合い生きてきました。
今から1年前の四月八日(現在の調査が始まる一年前)、国は「基地建設のためのボーリング調査、それに伴う事前調査」を行うために辺野古へと乗り込んできました。午前6時30分辺野古漁港に突然電話で呼び出された私は原付ですっ飛ばして辺野古へと向かいました。そには防衛施設局員と業者、警察が大勢いました。
一人で立っていたのは命を守る会代表の金城祐治さんでした。現場にその時間にいたのはたったの六名。祐治さんと共に防衛施設局の前に立ちはだかります。
「何をしにきたのか」祐治さん。
「調査だ」防衛施設局田納広報部長。
「私は辺野古区の人間である。あなた方は私たち辺野古区民に対し説明をする義務がある。今すぐ資料を提示し私に説明をしなさい。」祐治さん。
防衛施設局員数名が私たちの前に立ちはだかりました。この八年間一度も説明は行われなかった。そしてその時も。
現場に6名しかいなかった現実。資材が船に積まれ、調査のために出て行く。何も出来ない。何も出来なかった。
今年の4月19日は1年前の4月8日たった6人からの出発でした。
その日からそれぞれが必死になって状況を変えるために動き出しました。「土曜日浜集会」が出来たのもその時です。土曜日に沖縄各地から人が集まり、辺野古について話し合われました。そしてそこで「カヌー隊」が出来ます。毎週カヌーを練習し、鍛錬をつんできました。私は船の免許を取りました。平良夏芽さんは船を買いました。
4月19日、私と祐治さんは3日前から泊まりこみをしていましたが、その日の午前4時30分命を守る会事務所のドアを開けるとすでに50名が集まり、しばらくして200名にまでなりました。沖縄の怒りはたった一年間で全てを覆したのです。
午前5時、防衛施設局が漁港へと入り資材を下ろしはじめました。それを体を張って止めます。一年前の答えがそこにありました。
「今日はやめる」と約束した防衛施設局は卑怯にもまた乗り込んできました。しかし、それをまたも止めました。
その日から座り込みが続けられています。
県民世論は八割が基地建設に反対するという結果を持ち、基地反対を掲げて糸数恵子さんが衆議院議員へと当選しました。
おばぁが言ったことば。「たった一人でもそこに立っていたら基地建設はわったー達の勝ちさぁ」
それは現実のものとなりました。

それからもう180日間が過ぎました。
私は負けない。今、ここにこの国が変わる大きな力が生まれた。そのことに何の不安、不満があるでしょうか。私達の前に希望だけが横たわっています。
イラクに爆弾を落とさせない現実を、パレスチナに侵略のない日を、アフガニスタンに平和を、インドネシア、フィリィピンに虐殺のない日を、沖縄に基地がなくなる日を、どんな差別もなくなる日を。戦争を終わらせるためにこの国を変える。そのために生まれた大きな力。それが私達にはある。
魂の声は歴史を繋ぎ、殺された名もない多くの抵抗してきた人々の怒りが私達に希望を与えました。
もう負けない。私達の代で差別はなくしてみせる。海に船を出して止める。カヌーを出して止める。ゲートに立って止める。それが真実です。
一本の木から始まった闘いは大きな森になっていきます。一本一本が心に大きな炎を燃やして立っています。それが歴史を作る力、時代を変える力。基地建設はさせない。



10月16日(土)

ジュゴンの家日誌
LOVE HENOKOステッカー5枚売れました!! うららちゃんのお昼ごはん 西山監督が今夜の「韓国・沖縄・日出生台 ぬちどぅ 魂の声」上映会のお知らせに来てくれました!!
夜・・・5:30から命を守る会事務所での、西山監督の作品の上映会に行きました!
 
 韓国 沖縄 日出生台
            ぬちどぅ 魂の声

                                     ドキュメンタリー・98分

                        遊花ゆい工房 2004年作品
                        制作/ 西山正啓・松村真知子・浦田龍次
                        撮影・構成・編集/ 西山正啓・浦田龍次
                        音楽/ ウォン・ウインツァン「セブン」より
                        協力/ 草の根通信 草の根の会
                        ローカルネット大分・日出生台

その後・・
上映会の帰りに「やんばる物産展」に(偶然)行きました!! お肉の屋台 瑞慶覧のエイサー隊!
晋くん日誌
10月16日(土)
・土日のため防衛施設局による違法な強行調査はありませんでした。

私は朝から辺野古に出るつもりで目覚ましをかけていたのですが、なんと朝起きたのが午前10時。驚いてしまいました。慌てて守る会に電話すると「今日はなんともない。休んでも良い」とのこと。
土日ということで気が抜けていたのでしょうか。ご迷惑をかけた皆さますみません。
結局、一日休養をもらうことにして家で静かにしておりました。

辺野古に帰ったのが午後7時。西山監督の映画「ぬちどぅ魂の声」の試写会が行なわれていました。事務所の中から拍手が聞こえてきたので、あっちゃ、終わりの時にきてしまったと思いつつ中へ。だいぶ、皆さん感動された顔をしていた。
「米軍や政府と闘っているのは辺野古だけではないということが実感出来る映画でした。」と感想を言っている人もいました。

辺野古の夜も深け、明日に備え全員帰って行きました。



10月15日(金)
8時半ころ、カヌー隊が出発。 キャンプシュワブ前で待機 長島の方向に調査船が何隻かいるの
が見える
9時半頃、3隻の調査船が西へ向かって行った。
その後、4隻の調査船が東側の調査
ポイントにやってきた。ダイバーも乗っ
ている。
阻止船とカヌー隊も調査ポイントへ向
かうが、警戒船に阻まれる。
警戒船に向かってこちらが説得を続け
ると、離れていった。
カヌー隊は阻止船から離れて
調査ポイントの海上で阻止行動を
行った。波がけっこうあって、
漕ぐのをやめるとすぐに流されてしま
う・・。
今日の海の透明度はとっても高くて、
ダイバーが調査を行っている
ところが上からよく見えた。
1時間後、ダイバーたちが片付け
始めたので、こちらも様子を見ながら
待機。→→
ハリセンボンを発見!
カヌー隊はお昼に一旦浜に戻る。
午後は東のポイントでの作業はなかったので、海でのんびりして3時半ころ浜に戻った。
ヒサ坊さんからの差し入れの
魚のフライ。
さくっとして、おいしい!


事務所前のプランターですくすく
育っているスイカ→→

晋くん日誌
10月15日(金)
・防衛施設局による違法な強行調査に対して阻止行動を行ないました。

午前8時、辺野古漁港より調査船(大型船4隻、小型船7隻)が出港。続いてカヌー隊、阻止船が出港しました。
台風23号が発生して沖縄に向かってゆっくり進んでいるので波はじょじょに高くなっているようでした。夏芽さんがダイバー用の気圧計を持っていたので時間ごとに気圧が変化して波の高さも呼応するように変化していることがわかりました。

リーフ内で白波が立つという状況は白波が立たないのとでは波の質が変わります。白波はカヌーにかぶさるように海をうねってきます。
この間は一日中白波が立っていることが多くなっています。

8時に出港した調査船はキャンプシュワブ(大浦湾側の海域)で資材を積むために航行し、私達が東側のポイントで待機していた午前9時ごろから動きがありました。
午前9時に外洋に出る大型船舶がシュワブ海域から離れ外洋へと動き出す。私達もアンカーを上げて待機。午前9時30分リーフ内で作業すると思われる調査船が3隻こちらに向かって走ってくる。かなりのスピードでした。
3隻の船の上には4人のダイバーが乗り込んでいました。まだ4隻がシュワブ側にいる。待機を続けました。
40分ごろに4隻が調査海域に侵入。すぐさまカヌー隊を曳航して向かう。
ダイバー一人を乗せた調査船1隻がアンカーを海底に打ち、ダイバーをすぐさま飛び込ませた。辺野古の海底には昔のもずく養殖用の鉄筋がいまだに残っていて突然飛び込むのはかなり危険を伴う。
阻止行動に入ろうとする私達の進路を警戒船が阻もうとする。阻止船はカヌー隊を曳航しているため小回りが利かずかなり危険である。「進路妨害を止めなさい!」と何度か警戒船に声をかける。警戒船はかなり近づいてきた所で離れた。
風上に船を配置し、カヌー隊の曳航を解く、そしてこちらのダイバーを降ろす。海上での阻止行動が始まる。波が高いため私はかなり緊張していた。
20分で終わるはずの調査は1時間に渡って続けられた。昼になり調査船は長島の付近で高波を避けて待機し始めました。
私達も午前は波も高くなってきていたためこれで引き上げて、漁港に戻りました。

座り込みに戻ってお昼ごはんを食べました。カヌー隊は波の高い中で過酷な運動をさせられている。しばしのお休みです。
座り込みには全体で50人余りが座り込んでいました。

午後1時30分、カヌー隊及び阻止船が出港。長島の付近で待機していた調査船が動き出し、午前と同じポイントでアンカーを降ろしていた。しかし、船上には防衛施設局もダイバーも乗っていない。完全なダミーでした。
マナヌ岩付近で3隻の調査船が潜水をしているため、そちらから突き放すための撹乱だったと思われます。
調査船は午後3時過ぎには引き上げ始めました。

これまで確認されているだけで防衛施設局側は9月24日までに60ポイントの潜水作業を終わらせなければならない中でこれまでに40ポイントの潜水作業しか終わらせられていない。今日、分かったことで防衛施設局は昨日の時点までこの調査、作業になんと840億円もの税金を使っている。作業の遅れに伴い莫大なお金が使われ、焦っていることが伺える。作業は完全に追い込まれている。
阻止行動は日々一歩一歩前に進んでいる。この違いがこの国を追い込んでいる。「辺野古を岩国に」という話しまでもが持ち上がるほどに。

(私、個人の考えしとして。)
米軍の再編、トランスフォーメーションに伴い全国的に大きなうねりが起き始めています。
韓国の方が言われたように、トランスフォーメーションによって「自衛隊と米軍の組織的な統合」と「韓国軍と米軍の統合」それに伴って「東京首都圏の統合本部の設置」が考えられています。座間や横須賀、呉、日出生台、北富士、長崎といった米軍と自衛隊の強化がその動きを表しています。韓国の人達は現在の状況の中でアジアで戦争が迫っていることを切実に訴えています。
私はだからといって、現在の状況が私達を追い込んでいるのかといったらそうではないと考えます。危機的な状況は国が危機的な状況に追い込まれていることを意味しています。この国は経済的にも壊れそうです。借金は600兆円とも言われています。普通に考えてもう国が潰れているはずです。韓国の方の訴えに耳を傾けるなら、「この借金を戦争によってチャラにしよう」と考えていてもおかしくはない状況です。この国の変わり目が辺野古の阻止行動によってかいま見えるようです。
戦争によってチャラにするのではなく、私達が私達の手によってこの国を変えていかなければなりません。その大きなうねりが辺野古から始まり、沖縄から始まっています。
辺野古の行動は全国的なものになりつつあります。そこに大きな希望があります。
「辺野古で着々と調査、基地建設は進められている」といった新聞紙面の書き方はおかしなものです。辺野古の行動が全国的になりつつあることによって焦って調査を強行した国ですが、そのことによってさらに自分達を追い込んでいます。
全国の方々にいっそうの協力をお願いします。辺野古の行動に伴い生まれた全国の行動が個々バラバラに動くのではなく一つの大きな行動として、「全国ぐるみ」となるために繋がりあうことを強く望みます。
この国を逆に包囲する状況を全国からも作っていきましょう。
差別をなくすために、戦争をとめるために。



10月14日(木)

7時前、キャンプシュワブのゲート前に到着。金網の向こうに見えるのは防衛施設局員。常にこちらを監視している。 向かいの弾薬庫基地のゲート。昨日はここから入っていった。 8時25分。今日も弾薬庫側のゲートから2台の車が入っていった・・。ウィンカーも出さず、すごい勢いで駆け抜けていく。この後に続いて、もう1台がキャンプシュワブのゲートから入っていった。
座り込み179日目が始まりました! てんぷら 差し入れのりんごとパパイヤ。
県環境影響評価審査会の人たちがやってきた。写真を使って説明する当山さんと琢磨さん。 会長の津嘉山教授。
のあいさつ。
船に一緒に乗って説明をした牧志さん。
人が近づくとすぐに姿を隠してしまうコメツキガ二。そっと近づいて接写に成功!
元名護市長の渡具知さん。 「基地建設を進めた比嘉市長の頃から名護市の人口増加率は減っている。基地があるからといって街づくりは成功しない。」
船を掃除!!どんなに疲れていても、この作業は欠かさない。
                            晋くん日誌
10月14日(木)
・防衛施設局による違法な強行調査に対して阻止行動を行ないました。

今日も朝早くから緊迫した雰囲気が辺野古の漁港を包んでいました。午前7時30分、海人達が調査船の出港準備を開始します。「ドドドドド」という船の独特のエンジン音が響きます。海人達は何も言わず下を向いて淡々と作業をしている。
カヌー隊がカヌーを浜へ運び、阻止船の船長達が台車に乗った船を漁港内へと降ろしていく。毎日の朝の労働となっている。この一ヶ月でその作業が生活の一部となっている。決してそのことが良いとは思いません。しかし、誇りを持ってカヌー、阻止船は阻止行動をするために出る準備をしています。
そのことが私達が今出来る、この世界の差別をなくす最大の行動だと知っているからです。

キャンプシュワブ・第一ゲート前では座り込みのメンバーが監視行動を行なっている。連日、朝の暗いうちからゲート前に立っている。皆、仕事前に座り込みに出勤してくるように来ています。
防衛施設局及び、ダイバーはその監視行動を意識してか、第一ゲートからは入らずに向かいの弾薬庫側のゲートからシュワブ内に入っているようです。シュワブ内にある地下通路を使って入るなどは本当に腹が煮えくり返る思いがします。ゲート前に立っている人達は毎日、その状況を変えるためにそこに立っています。

今日の海は熱帯低気圧が沖縄に停滞し、かなり波が強く、風速は17メートルにも達する、さらに大潮で波は時間がたつほどに高くなる状況でした。
午前8時、その波にも関わらず調査船が出港。私達もカヌー隊及び阻止船が出港。
シュワブ沖においてカヌー隊と阻止船は待機。調査船の行動を伺う。
午前9時、波は3メートルに達する。調査船が大浦湾(キャンプシュワブの東側)海域を出て、こちらに向かってくる。
カヌーを曳航している阻止船も急いで調査ポイントへと向かう。
しかし、どんどん潮が引き、代わりに波はどんどん高くなる。カヌー隊の航行はこれ以上は危険です。船長の判断でカヌーを浜へと戻しました。
カヌーの航行が困難になるほどの波にも関わらず防衛施設局はダイバーを海に落とす。防衛施設局は非常に焦っている。危険な海域にダイバーを降ろすというのはどんな神経をしているのか。人を物としか扱わないこの国のあり方そのものです。
私は船で監視行動、阻止行動を続けていましたが、波は昼頃には4メートルに達する。カヌーだけではなく、船の航行も大潮で恐ろしく潮が引くということもあり非常に危険になりました。
全隻が漁港に戻り、座り込みで待機することとなりました。海から戻らざるを得ない状況はものすごく歯がゆく感じました。

台風23号がまたもや近づいています。これからの航行は非常に危険な状況があります。だからといって阻止行動の手を緩めるわけには絶対に行きません。もちろん、生命を守るのが第一です。

午後、県の県環境影響評価審査会(環境アセスメントに乗っ取った調査に関しては県の意見を主張していく機関。ボーリング調査は環境アセスメント外とされている。)が引き続き訪れ船をチャーターし辺野古の海を視察していきました。審査会は県知事の考案の下で作られたものです。
辺野古海域の調査にお墨付きを与えるものではなく、しっかりと調査し、この調査がいかに自然に対して害するかを訴える審査会であることを強く望みます。
審査会は帰り際に座り込みに寄り、丁寧なあいさつがありました。県知事の下で動いている機関ということもあり、信憑性にかけるものですが、県知事に対してしっかりとしたものを言って行ける人達だと信じたいものです。

座り込みには埼玉から高校生が平和学習に訪れ、話しを聞いていってくれました。
「渋谷でピースウォークをやってました」という学生もいました。これからの時代、おばぁ達の言うとおり「自分達で青春を勝ち取っていかなければ、知らず知らずの内に戦争に巻き込まれてしまう。」ということだと思います。
「もう、おばぁ達にやらせないでくれ」ということを含め、高校生達や学生が動くことで状況もまた変化すると訴えました。

一日の最後に船の掃除もひと段落し、事務所前でゆんたくをしていると、普段裏方として炊事場でがんばっているせっちゃんが「こんな静かな海を見ていると闘いがあるなんて信じられないねぇ。」と一言言っていました。
早く、こんな状況を終わらせたい。私は必死に焦らず訴えていかなければいけないことを改めて感じました。

ジュゴンの家日誌
「水上・水中阻止行動でも使えるデジカメにしよう!!」と
「アクアパック」を買いました!!
水に濡れても、水の中でも
大丈夫!!このまま撮影できます

←写真は水が入らないか実験しているところ!
琉球新報
住民再び「墜落の恐怖」 耳ふさぐ子どもたち
普天間基地閉鎖を求めて拳を振り上げる集会参加者=北中城村のキャンプ瑞慶覧ゲート前

 沖縄国際大学で墜落した米軍のCH53Dヘリコプターと同型のヘリが飛行した13日。周辺住民からは「子どもから大人まで、県民全体が飛行反対で結束しているはずだ」「これ以上不安を与えないで」などの抗議の声が相次いだ。同日は市民団体の緊急抗議集会も開かれ、飛行再開に対する地域を超えた反発の動きが再び強まっている。沖国大は「基地がある限り今回よりも悲惨な事故が起こり得る」として、あらためて普天間飛行場の閉鎖を求めた。

 宜野湾市野嵩1区の田場典信会長(53)は、「わじわじーしている(怒っている)としか言いようがない。事故後、軍用地を持っている人も、また大人も子どもも住民の感情は、飛行禁止で結束している」と憤りを表した。

 同区公民館内には幼稚園があり、この日は園児の登園時に普天間飛行場を離陸した同飛行場所属のCH46Eヘリが上空を飛んだ。「うるさい」と耳をふさぎ、叫んだ子どもたちについて、田場さんは「幼い子どもたちの不安そうな顔は、見ていて苦しかった」と話した。

 地域周辺の子どもたちには動揺があり、9月の宜野湾市民大会に友人同士で参加した同市立志真志小学校の慶田城開君(6年)と島袋洋奨君(同)は「民間地を飛んで、みんなに不安を与えないでほしい」「また落ちそうで怖い」と話した。同小の知念大輔君(4年)も「ヘリが落ちると、だれかが亡くなってしまう」と不安を口にした。

 中部市町村会会長の知念恒男具志川市長は、「墜落現場周辺の住民は、ヘリの音を聞いただけで相当な恐怖感を抱くはずだ。県民の気持ちを大事にしてほしい」と訴えた。

 普天間基地の地主の1人、玉那覇昇さん(68)=宜野湾市宜野湾=は「非常に腹立たしい。事故原因の説明も全く納得いくものではなかった。政府はなぜ飛行再開を認めたのか」と怒った。玉那覇さんは9月の宜野湾市民大会にも参加。「政府は県民の立場に立って米軍に強く抗議してほしい」と不満を表した。

全米軍機飛行中止求め集会 北中城、百人が抗議

 【北中城】在沖米海兵隊が、沖国大墜落事故を起こした事故機と同型のCH53D型ヘリの飛行を再開した十三日、北中城村のキャンプ瑞慶覧ゲート前で「すべての米軍機の飛行中止を求める緊急抗議集会」(主催・平和運動センター、中部地区労)が開かれた。

 労組員ら約百人が集まり、平和運動センターの喜納昌春副議長は「普天間基地の危険性は改善されていないのに飛行が再開された。米軍と日本政府は、これほどに県民と市民を愚弄(ぐろう)するのか。普天間を返してもらうまで徹底的に闘おう」と怒りの声を上げ、基地の閉鎖を訴えた。




10月13日(水)


防衛施設局がキャンプシュワブに入るのを監視するため、第一ゲート前に7時過ぎに到着。最初の2台はすでに6時過ぎに通過してしまっていた・・。その後も粘り強くあと1台を待つ。 大きな横断幕が掲げられていました! 8時、キャンプシュワブから操業開始の合図としてアメリカ国歌と君が代が流れる。
←「毎日、8時20分頃に来る。」と最後の車を待ち受ける。


8時31分、ダイバーが乗った車が
現れた!!→→
車は、キャンプシュワブゲート前の監視行動を避けて、向かいの弾薬庫基地に入っていった。少人数の監視にも関わらず、かなり意識していることがわかる。
弾薬庫に入った車は、シュワブまで遠回りをしなくてはいけない。
広島の方が新婚旅行で座り込み
を訪れました!

LOVE HENOKOチームと記念撮影!
ステッカー買ってねー!!
11時、お弁当屋さんカー登場。
座り込み参加者はここでお昼を買います。
種類沢山!
ミニ沖縄そばもつきます。
サオリはお昼ご飯後、カヌーで阻止行動に出発しました!初ウェットスーツ!腕とかが締め付けられる感じで、けっこう苦しかったです・・。これで何時間も漕いじゃう必死さってやっぱすごい・・。
晋くん日誌
10月13日(水)
・防衛施設局による違法な強行調査に対し阻止行動を行ないました。

午前8時、辺野古漁港から調査船が出港、続いてカヌー隊及び阻止船が出港しました。
調査船がキャンプシュワブへ資材、ダイバー、防衛施設局員を乗せに移動していきます。カヌー隊、阻止船が追いかける。
長島とキャンプシュワブの間でカヌー隊を曳航した阻止船による阻止の線を張る。午前9時、シュワブから調査船が出港。阻止線の前で調査船7隻が止まり、1時間に渡って阻止。
1時間、調査船は右往左往していましたが、何隻かの船が阻止線を強行的に突破してきました。カヌーが足りなかった点で阻止の長い線を作りだせず、少し、開いた場所を利用しての突破を許してしまいました。しかし、完全にとめることが出来る確信が持てました。
調査ポイントに侵入しようとする調査船を追う。

調査船7隻は2グループに別れ、急にスピードを上げる。こちらがカヌーを曳航していてスピードが出せないことを知ってのやり方です。
調査ポイントを絞って、3隻が行なおうとしていた場所にカヌー隊及び阻止船が集中し、完全にそのポイントの調査を阻止。
3隻は移動し、状況が覆ったことでシュワブ方面に帰っていく。
カヌー隊、阻止船は航路近くで調査を開始した調査船を止めに入る。こちらはすでにダイバーが海の中におり、作業を長引かせたものの作業は続けられた。

午後、一度漁港に戻り、昼飯を詰め込む。
那覇行動(北谷でやりました。)をしていた人達が座り込みに来てくれていました。土、月とやったそうなのですが、20人ほどが集まり、辺野古の阻止行動にカンパするために作った「LOVE HENOKO」シールが150枚以上売れたとか。
北谷の中心街の真ん中でござを敷き、お茶会をしながら行動の趣旨を道行く人達に話し、ビラも渡す。通る人達がフリーマーケットの感覚でステッカーを買っていく。太鼓をポンポコする人がいたりオーボエを吹く人がいたりビラを巻く人がいたり、皆思い思いの行動をし、北谷の人達に訴えたそうです。
新しい出会いがたくさんあり、その中で辺野古に行くという人がビラを受け取ってくれたりしたそうです。
那覇行動が起こったことはとても大きなことです。

那覇行動の問い合わせは
lovehenoko@yahoo.co.jp
皆、一度行って見よう!!

昼飯が一段落して、カヌー隊、阻止船は再出発。
調査船は平島、長島の間に6隻待機しているのが見える。カヌー隊を配置につけ、待機。しばらくすると調査船3隻が猛スピードでこちらに向かって走り出す。
「来たか。」と思って見ていると、「ダイバー」が乗っていない。まだ、平島(東)の海域に3隻が待機している。ダミーの可能性が強い。しばらくすると3隻が到着した西のポイントに宜野座(西)の海域から1隻が近づいているのが見える。
あらかじめ作業船を宜野座の海域に潜ませ、折を見て出てこさせたのです。卑怯なやり方です。7隻をフル活用して撹乱の作戦に出たのです。
一気に調査ポイントに向かう。
ポイントに着いてこちらのダイバーを海に降ろす。ダイバーは「調査をやめて下さい」と書いたプラカードを持って潜ってダイバー達に訴える。
潜水の阻止行動によって調査は出来なかった。このポイントでは潜られたが、阻止しました!!

今日、防衛施設局は3ポイントの内の2ポイントを阻止されるという状況に追い込まれた。基地建設を完全に止めるまで阻止する!

ヘリ基地反対協(座り込みの責任を持っている会)からの阻止行動のためのカンパ要請、人を集めて欲しい訴えを行ないます。小額でももちろん構いません、阻止行動には阻止船のガソリン代だけでも一日1万円以上の経費が掛かっています。継続するために多くのカンパが必要です。
カヌー隊及び阻止船の船長、潜水するダイバー達は連日阻止行動に参加し、かなり厳しい状況があります。座り込みに人が必要です。辺野古に集まって下さい。
阻止線を作り上げれば調査は完全に阻止出来ます!!
反対協の郵便振替
01700−7−66142
問い合わせ
0980−53−6992



10月12日(火)
←←座り込み現場で大評判の
LOVE HENOKOステッカー


9時ころ、カヌー隊出発!
海上から、削られて赤土が見える久志岳が見えた。→→
午前中、環境影響評価審査会が視察に来るにも関わらず、防衛施設局が登場。 座り込みのメンバーが潜って、
ダイバーの動きを監視する。
カヌー隊、阻止船も、懸命にダイバーが潜っている場所を探す。
「邪魔をしないで、向こうに行け!」とカヌー隊に連呼する防衛施設局。 午前中は調査阻止行動が大成功!
調査船はポイントから一旦引き上げました。
カヌー隊も一旦引き上げる 座り込みに、イラク現地に行かれて文化交流を進めている相澤恭行さんがきました! 国会前でお馴染みの芦沢さん!
相澤さんがイラクの画家の方から託された絵画の展覧会が行われます!

LAN TO IRAQ 混沌からの光
会期:10月19日(火)〜24日(日)12:00〜20:00

★10月22日(金)19:00〜相澤恭行トーク(予定)
(別料金500円)


前島アートセンターの住所
〒900-0016
沖縄県那覇市前島3-16-2
TAKASAGOビル 1F
TEL/FAX 098-863-0244
http://mac.gosenkobo.net/index.php

午後、カヌー出発! 
カヌーに乗るため、避けて通れない
転覆練習をする。
えいっ!
うまい人は自分で立ち直ります。
東ポイントで11艇が阻止行動 海の波に流されながらも調査船に立ち向かうカヌー隊。 ダイバーのいる船に3隻が接近して説得行動。
「終わり、終わり」と防衛施設局。
しかし、すぐさまダイバーが飛び込んだ。カヌー隊が止めに入る。
逃げる作業船。 今日は午前のポイントを阻止した!!
帰ってくるとおばぁ達が「生姜湯」を用意してくれていました。あったまる〜♪グワッチーサビタン。 カヌー隊に「カメ!カメ!」と勧めるおじぃ。 あるふぁさんがお店に遊びに来てくれました。
夕ご飯はうららちゃんの特製カレー。
琉球新報

辺野古沖を初視察/県環境影響評価審査会
方法書審議に反映

 米軍普天間飛行場代替施設の建設に伴う環境影響評価(アセスメント)方法書を審議している県環境影響評価審査会(会長・津嘉山正光琉大教授)は十二日、代替施設建設予定地の名護市辺野古で初の現地視察を行った。

 副会長の宮城邦治沖国大教授ら委員六人が同日午前、辺野古漁港から出港、船上から建設予定海域を視察。宮城副会長は「予定地の場所。サンゴの分布、藻場の状況などを見たい。環境負荷を考える上で(代替施設が)リーフにかかる場所なども見たい」と話した。

 事業者の那覇防衛施設局の建設部と施設部からも職員六人が同行した。

 同審査会は九月に県の諮問を受け、これまで二回審議を行った。しかし、委員から「詳細なデータが示されていない」「内容がぼやけ、審議できない」などの声が上がり、国や方法書の内容に不信感が高まっていた。

 審査会は十一月までに審議内容を県に答申、その後、県知事は九十日以内に意見を那覇防衛施設局に提出する。



10月11日(月)
Mさんの娘さんがデザインした絵がTシャツになりました! 早速試着!!
那覇で開催している写真展のポストカードを見ました!久志の海です。
ジュゴンの家日誌
ジュゴンの家を訪ねてきた
永沼さんとお昼を食べました!
LOVE HENOKOステッカーお買い
上げ!
今日の夕ご飯は、タコライス屋さんから
のお持ち帰り!
タコライス! チキンライス いただきまーす!
うまい!うまい!

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