ジュゴンの家・日誌
「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。
「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。
「力になろう!」という皆さま!!
ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします!
会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。
  電話&FAX 0980−54−2948 
   e−mail   dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp
会費・・・月1000円、年10.000円となります
同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで

よろしくお願いいたします

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11月B
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、カヌー隊、座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
夏が過ぎて、海の上はだんだん寒くなってきています。普通の衣服では、濡れて風に当たっているとかなり寒いということです。
カヌー隊、プカプカ隊、ダイバーが着るダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

国会前座り込みホームページヘ!!



辺野古に集まってください・・・!!!!

琉球新報

施設局、15日にも掘削着手 辺野古沖、再び緊迫

 普天間飛行場の代替施設建設に向けて、那覇防衛施設局は15日にも海底を掘削するボーリング作業に着手する。1999年に名護市辺野古沖への移設が閣議決定された後、現場でボーリング作業が実施されるのは初めて。建設反対派はボーリング作業自体がジュゴンなどの環境に影響を及ぼすとして中止を求めている。現場は、9月の事前調査開始から海上阻止行動を展開している反対派との衝突など、再び緊迫した情勢を迎えそうだ。

 施設局は9月9日から11月10日までの約2カ月の事前調査で、63カ所の掘削予定地点のうち、59カ所で位置確認、54カ所で潜水による海底状況確認、27カ所で不発弾の有無を確認する磁気探査を終えた。同時並行でジュゴンの食(は)み跡調査も実施している。

 こうした事前調査で施設局は、磁気探査まで完了した複数地点で海底を掘削する環境が整ったとして、15日から作業に着手する方針を決めた。海象調査も順次実施する。来年3月までにすべての掘削を完了する意向だが、調査着手が大幅に遅れたことから、来年度までずれ込む可能性もある。

 掘削作業には、水深に応じて単管足場(水深4メートル未満)、スパット台船(同4メートル以上25メートル未満)、固定ブイやぐら(同25メートル以上)の3種類を使用する。これらの資機材は中城湾港地区に保管されており、一部の資機材は1日、クレーン船に積み込まれた。



11月16日(火)
座り込み212日目 台船襲来・・・!!!!
「ボーリングのやぐらを乗せた台船が、ホワイトビーチから動き出した」と報告があった。
早朝から集まった座り込み参加者が、海を心配げに見つめる
カヌーに乗る準備をする若者たち
座りこみテントで集会を行う
参加者に向けて話をする大西さん テントにはたくさんの人が集まった
夏芽さん「私たちは抗議行動をするつもりはありません。監視行動をするつもりもありません。阻止するために出て行きます・・・!!!」夏芽さんからカヌー隊・ダイバー・船長が紹介される。
←当山さん


→「命を守る会」・金城祐治さん
「ボーリング調査を、新基地建設を、許さない!!!ぜったいに止めるぞ!!陸と海で闘い抜くぞーー!!!」
カヌー隊・船隊はいつでも出航できる準備をして待機。
うららちゃんとカメラを向けあう森住さん 浜にはカヌー隊が集合している 太極拳で精神統一を試みる若者達
おばぁ、おじぃが、ボーリング台船に立ち向かい海に出て行く、カヌー隊と船隊の無事をお祈りしてくれました・・・・・
海に向かって祈る・・・・・・。
「おばぁ、おじぃ、ありがとう。行ってきます!!!」 「無事に帰ってきてね!!行ってらっしゃい・・・!!!」
新しく張られたキャンプ・シュワブの境の鉄条網には、座り込み参加者が書いた平和のメッセージがいっぱい・・・ 高里鈴代さんも来ている
←←小禄さんと北中城村議・宮城盛光さん
辺野古沖に巨大な台船の影が見え始めた・・・!!!テント前の浜でシュプレヒコールをあげる。
平和運動センター・山城さん 台船はこのままリーフの外を回り、大浦湾に向かうという。
陸で座り込むみんなでシュプレヒコーール!!!!
調査船は帰れーー!!!!辺野古の海から立ち去れーー!!!!
「ボーリング調査を許さない!!基地建設を撤回させるまで頑張るぞーー!!辺野古の海を守るぞーー!!!」
台船まで船で近づき阻止しようとした船隊が、帰ってきて報告。
夏芽さん「近づいても相手は全然止まろうとしない。ひき殺す気か」
安次富さん 晋くん
台船が大浦湾のほうまで進んできた・・・
巨大な台船が辺野古の海の沖を通り、キャンプ・シュワブの向こう側へ進んでいく。抗議船が周りを走っている。
←←漁港の堤防から見守る人。
「なんて大きさなの・・・!!!怪物みたい・・・!!抗議船があんなに揺れて小さく見える・・・」

←こちらの必死の攻防にも関わらず、基地を作らせようとしている
張本人のアメリカ軍は、我関せずと
私たちの目の前で平然とヘリを飛ばし、兵士達が訓練をしている。
←←
RIMPEACE「追跡!在日米軍」
のかたが、
大きく撮った写真を
送ってきてくださいました!!

ありがとうございます!
大浦湾へ進もうとする台船が一旦後退していった。阻止船によって進行を阻まれたようだ。しかし、しばらくするとまた動き出し、長島・平島の向こう側(大浦湾)へ進んでいった。
リーフ外はすごい波だ。カヌー隊はキャンプ・シュワブ近くのリーフ内にとどまる。
午後3時30分、作業台船は大浦湾で停泊。警戒船も引き上げていったので、阻止船・カヌー隊も引き上げた。
みんな無事に阻止行動から帰ってきました・・・・!!!お帰りなさい!!拍手で迎えます!!!
カヌー隊からの報告
←「海が怖い」と言っていたAちゃんも
練習してカヌー隊として海に出ました。
「寒かった!!台船はでかかった!!」とジュゴンの家の若者たち。
お疲れ様!!!!

→カヌーを洗う
今日のまとめの報告集会
船長・晋くんからの報告。
「ボーリングの台船にぎりぎりまで近づきましたが、相手は止まろうとしませんでした。夏芽さんと僕の船が、台船の波に飲まれ接触し、僕の船は横転しそうになりました。今日の行動のなかで2度ほど死ぬかと思いましたが、そのたびに、朝、おばぁ、おじぃが祈ってくれたことを思い出しました。必ず生きて帰らなければと。おばぁたちの思い、海に出られない人たちの思いを引き受けて、闘い抜くんだと。頑張りましょう!!僕たちは絶対に勝ちます・・・!!」
堪えきれずに、涙を流しながらの報告でした。
晋くん日誌
11月16日(火)
・作業台船が辺野古に侵入!!作業を阻止!!

辺野古は昨日に引き続き作業台船が中城湾から離れ、中城湾から2キロほど行った所のホワイトビーチ沖合い500メートル沖合いに停泊してから緊張が高まっていました。
「午前6時30分に作業台船がホワイトビーチ近海より出航した!!」との連絡が入り午前5時には集まっていた座りこみ参加者に再度緊張が走る。今日は午前7時にはテントが立っていました。泊り込みをする人を含め午前7時にはすでに50人が集まっていました。
午前9時30分作業台船が辺野古近海まで迫っているとの連絡。阻止船4隻、カヌー隊22隻が準備を整えます。
出航前に命を守る会のおばぁ、おじぃが「必勝祈願、安全祈願」のために浜辺に集まり「うがみ」をしてくれました。
92歳のヨシおばぁが海の神への捧げものをござの上に置きゆっくりとおじきをして一言二言何かしゃべっています。マスコミとカヌー隊でいっぱいの浜辺にひっそりとした静かな時間が流れます。
ヨシおばぁの後ろ姿がまぶしく、その真剣な眼差しに胸を打たれました。感極まって涙を流す人も少なくありませんでした。私もその一人です。
カヨウのおじぃが「天の神様、どうか基地を作らせんで下さい。命を張って闘う人達にどうかその力の限りお恵みをお与えください。おねがいします。」涙を流しながら声を張り上げて言いました。
「うがみ」を終えると海の神様が"食べた"捧げものが一人一人に振舞われます。おばぁが私に「生き抜きなさい、どんなことがあろうとも。」とバナナを手渡してくれます。おじぃも寄ってきて、目に涙をためながら「晋!ありがとう。ありがとう。生き抜いてくれ、生き抜いてくれ!必ず生きておじぃに顔を見せてくれ!」と、泡盛を一杯注ぎ私に手渡しました。そのおじぃを見て私の目には自然と涙が溢れていました。震える手を押さえておじぃからの杯を受け取り、一口なめる程度いただきました。「がんばります。」

私と夏芽さんの船は作業船へ一足早く向かいます。
海は台風の影響もあり荒れていて4〜5メートルありました。高波、荒波を超えて作業船のところまで。
スーパー固定ブイを積んだ作業台船は曳航するためのタグボート1隻と警戒船1隻をつけていました。私は作業台船の船長に見えるように合図を送り、「これからあなたの船の前に入る」と大声で叫び夏芽さんと2隻で山か島のように巨大な作業台船の前に立ちはだかりました。
夏芽さんの船が入った時はまだ船長が気づいていなかったのか進んできます。ぎりぎりのところで避ける。次に私が入ります。今度は気づいた様子で作業台船はバックしました。
「このまま止め続ければ」と考えたのですが、余りにも波が高く、私達の船はどちらも限界を超えたので後ろ髪をひかれながらもその場から撤退。
帰りは行きの倍近くの時間がかかりながらもまた高波、荒波を超えて帰ってきました。
座りこみとカヌー隊に現状を報告して昼食をとります。
陸で見えることは限られていて、海でのすさまじい攻防戦は見えていない。質問があれば必死に答えました。

午後11時には作業台船が沖合いに見えてきました。午後12時半には長島、平島のあたりに停泊していました。「停泊した」ということもあり再度、私と夏芽さんは2隻の船で作業台船に近づきます。辺野古漁港より出航した警戒船が6隻も作業台船の周りを取り囲み私達の行動を阻もうとしてくる。
私の船が近づくと作業台船が動き出しました。どうやら大浦湾に向かっている。そこで停泊するつもりなのか。2隻の阻止船は大浦湾に入れさせまいと決死の阻止線を張る。
長島の沖合いで阻止線が成功し、一時作業台船が止まります。
焦った警戒船が私達の排除をしようとしてきます。警戒船と阻止船は追い抜きあい、阻まれ、突破し台船を止めに入りました。

しばらくすると本格的に作業台船が動き出す。
また、阻止船2隻で立ちはだかる。
しかし、今度は止まろうとしない。阻止船と作業台船の距離がすごい勢いで縮まっていく。十メートルが一メートルに、一メートルが50cmに。「危ない!!」阻止船はぎりぎりの判断の中で立ちはだかったりということの攻防戦が続きました。
そんな時に一度私と夏芽さんの船が作業台船の波に飲み込まれそうになり接触しました。台船との距離はありません。「ガーーーン!!」私の船が横転しそうになる。殺人未遂だ。海の上では「強いものが弱いものを虐げてはならない」というルールがある。絶対にこんなことはあってはならない。私はその時に初めて「死」を覚悟しました。
死を覚悟した時に「生き抜いて帰って来い」おじぃ、おばぁたちの声が聞こえました。生き抜かなければいけない!!死ねない!!無理やり、何とか体制を取り戻し、作業台船に飲み込まれそうになる船をそこから離しました。
作業台船が向かってくるのは確かに怖い、しかし、それ以上に怖かったのは私達を上から見ている作業員達の顔でした。彼らは踏み潰されそうになる私達を笑顔で見ていました。基地建設は人間性を破壊していく。「人一人死なないとわからないのか!!」作業員に訴えるがにやにやしている。
じりじりと大浦湾に侵入してきます。

動力船では止まらない。夏芽さんともう一人の男性は作業台船の前に身一つで飛び込みました。まさに決死の覚悟で。私はその光景に顔面を蒼白にしながらも救助兼阻止行動に入りました。
夏芽さんは作業台船に飲み込まれそうになる数センチ手前で救助されました。もう一人が見当たらない。「まさか!!」不安が頭をよぎる。作業台船を一周するが見当たらない。「まずい!!」と頭が真っ白になる。するとすぐ近くで指笛が鳴る。警戒船をしていた海人が飛び込んだ男性を救助してくれていました。
作業台船はその場で停泊せざるを得なくなっていて、アンカーをおろしました。

午後3時30分、作業台船はそこで止まり、停泊しました。大浦湾の入ったところです。そこから動かなくなり、周りにいた警戒船も引き上げていったので私達も引き上げることにしました。
その間、カヌー隊は2隻の阻止船と共にリーフ内を守ってくれていました。
座りこみに帰ってくるとおばぁ達が駆け寄ってきて私に「よく帰ってきた」と声をかけてくださいました。最後の報告集会を終えてやっとこさ、今日が終わりました。

私達は今日、作業台船によるボーリングやぐらの建設を止めました。結果的にスーパー固定ブイを積んだ作業台船は大浦湾に停泊しています。明日はスパット台船を乗せた作業台船が来ると思われています。そしてリーフ内用のやぐらを立てるための台船も。明日はさらに緊迫した朝を迎えると考えられます。辺野古に集まってください!!

私達は生き抜いた。今日はそのことが何よりも勝利です。

不当逮捕されていたA君が無事釈放されました!
こんにちは、沖縄で逮捕されたAです。

多くのみなさんのご支援のもと、先日12日、完全無罪の釈放を勝ちとることができました。第一報が遅れましたが、厚くお礼を申し上げます。

 今回の弾圧は、国家権力による計画的襲撃事件でした。活動家であることを申告せずにアパートを借りたことが「詐欺罪」などというのはあまりにもむちゃくちゃです。思想信条によるあからさまな差別です。実際にもそんなことが入居条件になっているという事実はありませんでした。だから、警察はいったん事実無根の令状をでっち上げて、逮捕したあとで裁判所に逮捕理由から削除させるとい
うやり方をとりました。つまり、はじめから何の法的根拠もないことを百も承知で、とにかくぶち込んでしまえとぼくを拉致・投獄したのです。しかも警察は、そのでっち上げを口実に、ぼくの逮捕とほぼ同時刻に都内3カ所に家宅捜索に入り、さらに2人を逮捕しました。そして以降も、ぼくのアパートと全く関係ないところに次々と不当ガサを拡大し、パソコンやビラを片っ端から押収していったのです。絶対に許せない! これが戦争です。戦時下の大弾圧です。

 取り調べでも警察は、はじめから開き直って思想転向を強要してきました。「詐欺罪のことはでっち上げと思ってもらってもかまわない」「本件のことを言って、活動をやめてほしい。そのために逮捕したんだから」「まずは弁護士を解任しろ」。そして、ぼくが姿勢を変えないとみると、大声を上げ、机をドンドンたたき、「なにがおまえをそうさせているんだ。金か!女か!」と叫び立てました。

 ぼくはこんな腐りきったやつらには絶対に負けないぞ(!)と思い、外の仲間を信じてたたかいました。隔離された留置場のなかで、弁護士さんをとおして寄せられた多くの檄文が、ほんとに支えになりました。警察も日がたつにつれて肩を落としていくのが、目に見えてわかりました。

 辺野古の仲間、東京の反戦活動の仲間、大学の友人、先生、地域の友人、ネットではじめて知ったという人、11・7集会に来ていたアメリカや韓国の労働者など、ほんとうに多くの方が声を上げ、動いてくれたことがこの大弾圧を10日間という短期間ではねかえすことができた力です。こんなやり方は絶対にとおしちゃならない! 弾圧の不正義と激しさは、彼らの追いつめられた姿です。弾圧は鉄鎖を鍛えるのみ! この反撃の力をさらに10倍100倍にして政府・権力にたたきつけていきましょう!  


11月15日(月)

朝6時まだ暗い中、続々とカヌー隊が集まる。

午前10時まで緊張状態が続く。
座り込み参加者が作った素敵なTシャツ!! 高里すずよさんが座り込み現場に来ました。
「がんばりましょう!」と声をかける。
午後1時、反対協の記者会見が始まりました。
しんやさんのライブ!
ママチャリで沖縄を回っている方が辺野古を訪れました。 今日は、カヌーは出ませんでした。
新しい阻止船の進水式を行いました!出発と同時に拍手が起こる!
琉球朝日放送  

緊迫 辺野古調査を徹底阻止の構え
http://www.qab.co.jp/01nw/index3.html
←クリックすると映像が見られます。

辺野古の港に座りこみ、海上でも抗議船を出して国の行動を監視してきた基地建設反対派。しかし、海底に穴を開ける国の調査はもはや時間の問題となり、200日を越えて行動してきた住民や市民団体のいる辺野古はきょう、緊迫した空気に包まれました。謝花記者のリポートです。

国は、辺野古の海底の地質を調べるボーリング調査用のやぐらや機材を、きのうまでに中城湾港で2隻の台船に積みこみ、辺野古の海に向う準備を終えました。

こうした動きに、反対派は、早朝から船やカヌー14艇とともに待機し、「台船を辺野古の海に入れない」と警戒しました。

カヌーで抗議する女性「命を張るなんて言いますけれども、命なんて落としちゃいけない。ああいう若い子たちがいっぱい来てくれますけれども何とか早く止めてほしい。ここのこんな美しい海をつぶすということがそもそも間違っていることだと思っておりますので」

反対派は、9月に、国が海底調査のため辺野古の海に入ってから、連日海上で抗議行動を展開、時には船が接触する、危険な状況もありました。しかし国は着々と、ボーリングを予定している63ヵ所のうち、28ヵ所の事前調査を終え、きょうにもやぐらを設置すると見られました。しかし国は、反対派との衝突を避けたのか、やぐらを載せた台船は、まだ辺野古に向う動きを見せていません。

(国の動きに緊急会見を行う反対派)平和市民連絡会・平良夏芽さん「さらに大きな力で私たちに迫ってくると思いますが、私たちの命を守っていく、その思いはどんな巨大な機材にも負けないつもりです」

国は、衝突を避けて、夜間にボーリング機材を辺野古に移し、あす朝にもボーリングに着手すると見られますが、反対派は何としても阻止する構えで、海上での激しい衝突が懸念されます。

辺野古沖調査 掘削控え反対派らが警戒
http://www.qab.co.jp/01nw/04-11-15/index2.html
←クリックすると映像が見られます。

名護市辺野古沖へのヘリ基地建設計画で国はきょうにもボーリング調査のためのやぐらを辺野古沖に設置すると見られ、反対派の市民団体や住民らが警戒を強めています。

国は、辺野古沖の海底の地質を調べるボーリング用のやぐらや機材を2隻の台船に積みこみ中城湾内に停泊させていて、きょう午後にも辺野古の海に向うと見られます。この動きに、辺野古ではボーリング調査に反対する市民団体や住民らが警戒を強め、抗議船とカヌー14艇を待機させています。そしてやぐらを載せた台船が辺野古の海に入るのを阻止する構えです。

施設局ではボーリングを予定している63ヵ所のうち28ヵ所で海底調査や磁気探査を終えていてこの地点にやぐらを設置すると見られ、反対派との激しい衝突も予想されます。

辺野古沖調査 掘削控え反対派らが警戒

名護市辺野古沖へのヘリ基地建設計画で国はきょうにもボーリング調査のためのやぐらを辺野古沖に設置すると見られ、反対派の市民団体や住民らが警戒を強めています。

国は、辺野古沖の海底の地質を調べるボーリング用のやぐらや機材を2隻の台船に積みこみ中城湾内に停泊させていて、きょう午後にも辺野古の海に向うと見られます。この動きに、辺野古ではボーリング調査に反対する市民団体や住民らが警戒を強め、抗議船とカヌー14艇を待機させています。そしてやぐらを載せた台船が辺野古の海に入るのを阻止する構えです。

施設局ではボーリングを予定している63ヵ所のうち28ヵ所で海底調査や磁気探査を終えていてこの地点にやぐらを設置すると見られ、反対派との激しい衝突も予想されます。

沖縄タイムス

掘削開始を警戒/辺野古沖調査

 米軍普天間飛行場代替施設建設に伴う、ボーリング調査の掘削作業開始を警戒し、反対派住民らは十五日も辺野古漁港付近で座り込み、監視した。

 那覇防衛施設局は十六日にもボーリング資材をつんだ台船を中城湾港から辺野古沖合に移動させ、掘削調査を開始する。

 反対派四人は前日から辺野古漁港そばの座り込みテントで泊まり込みの警戒にあたり、同日午前も朝早くから約七十人が同テントや命を守る会事務所に集まった。那覇市長選で敗れた高里鈴代さんも激励に訪れ、「辺野古は沖縄の基地問題の中心地。那覇でも抗議に参加するよう呼びかけたい」と話した。

 台船を海上から視察した平和市民連絡会の平良夏芽共同代表は「小さな船と台船ではゾウとネズミの闘いになるが、立ちはだかるしかない」と力を込めた。ヘリ基地反対協は午後にも掘削作業開始の抗議と抗議行動への参加支援を呼びかける声明を発表する。

掘削用資材を載せた台船に警戒を強める座り込み行動の反対派メンバー=15日午前9時30分ごろ、名護市・辺野古漁港近く (写真説明)掘削用資材を載せた台船に警戒を強める座り込み行動の反対派メンバー=15日午前9時30分ごろ、名護市・辺野古漁港近く

勝因・政策中心に手堅く  組織力で保守票まとめ

 翁長氏は一期目の実績をアピールし自公路線を生かして保守票を手堅くまとめた上、県内主要企業など経済界の強力なバックアップを受け、再選を果たした。

 現職の知名度を生かし、ごみ問題や行政改革などの実績を前面に、街づくりなど政策中心に訴える正攻法の戦術を徹底。陣営も、高里氏が主張した基地問題は「那覇市では切実ではない」とし、序盤から政策重視の選挙と位置付けた。

 三位一体改革に伴う行財政改革や市民の市政参加など、シンプルに訴え続けた翁長氏の「風格ある県都づくり」ビジョンを浸透させたことが、有権者の共感を得た。

 運動面では、自民党県連から除名された前衆院議員の下地幹郎氏ら一部保守が高里氏支持に回ったことで、陣営では序盤から保守票の切り崩しを警戒。組織の引き締めを図りつつ、市内全域から集票を重ねた。組織力を生かした豊富な運動量と勢いに加え、終盤まで「上滑り」への警戒を怠らなかった。

 企業や各種団体、郷友会など組織への浸透を図るため、電話作戦や懇談会を実施したほか、大票田の真和志、首里地区など地域をまんべんなく回るローラー作戦も奏功した。

 また、陣営では序盤から「自公」の政党色を薄めるため、各種団体で構成する選挙母体の「風格ある県都那覇市をつくる市民の会」を前面にした運動を展開した。

 一方で、自民党の安倍晋三幹事長代理や野中広務元幹事長、公明党の神崎武法代表など中央からの応援も相次ぎ、中央の流れをくんだ自公連携を強調。反自公を標ぼうする下地氏の影響を最小限に抑えた。

 課題だった無党派層の取り込みも、政策を幅広く浸透させたことで信任を得た。(政経部・赤嶺由紀子)

敗因・運動の出遅れ響く  無党派層に「風」起こせず

 「一部に偏った市政から、市民本位の開かれた市政へ」と、従来の支持基盤だった革新支持層だけでなく、広く無党派の市民に向かって市政転換を訴えてきた高里氏。しかし、「風」を起こすことはできなかった。

 野党側の人選が難航し、運動の出遅れが響いた。九月に立候補を表明してから、課題の一つが「知名度不足」だった。

 これまで女性の人権や基地問題などで精力的に活動。さらに那覇市議として十五年間の実績と経験があるものの、「顔」の浸透は一部の市民に限られていた。

 知名度不足を補うのは、組織力のはずだった。

 高里陣営は革新政党や労働団体、女性団体の共闘態勢を取り、さらに自公体制に反発し、自民県連から除名処分を受けた前衆院議員の下地幹郎氏と支持グループも加わった。しかし、各団体はそれぞれが独自に動き、つながりを持った選挙活動を展開できなかった。下地氏も「保革の枠組みにとらわれず、よりよい那覇市をつくるため」と説明したが、支持を得られなかった。

 また高里氏は、八月の沖国大での米軍ヘリ墜落事故が「立候補へ背中を押した」と話し、当初から平和・基地問題を主な政策として前面に押し出してきた。

 しかし、陣営内部からも「基地被害が切実ではない那覇市で、共感を得られるのか」との声も漏れていた。告示前後からは、子育て支援や教育、福祉の充実、地元企業の支援などと市民生活に直結した政策を強くアピールし続けたものの、「経済より平和」のイメージは残った。(社会部・福島慎吾)

復帰後3番目の低さ  投票率低下56・39%

 第十八回那覇市長選の投票率は56・39%となり、前回二〇〇〇年の63・52%よりも7・13ポイント減少した。本土復帰以降の市長選では、一九九二年の無投票を除き、三番目に低い投票率となった。

 今市長選では、三位一体に伴う行財政改革の手法や基地問題などが主な争点となったが、有権者の関心は広がらなかった。

 近年の主要選挙での那覇市区の投票率を見ると、昨年十一月の衆院選が65・34%、今年六月の県議選は51・62%、七月の参院選が55・08%と低い傾向が続いていた。

 投票率の推移を見ると十四日午後四時現在で30・82%(前回は41・81%)、同六時現在で39・09%(同51・24%)、同七時半現在で45・85%(同57・77%)だった。

 今市長選の期日前投票と不在者投票の合計は、一万五千四百二十二人だった。



11月14日(日)

沖縄タイムス

辺野古沖掘削、16日着手/反対派「阻止行動に全力」

 那覇防衛施設局は米軍普天間飛行場代替施設建設に向けて十六日にも、名護市辺野古沖の海底を掘削する作業に着手する。潜水による海底状況確認などの準備作業段階から海底に直接手を加える掘削作業に移行することで、国の天然記念物ジュゴンなどの生態や自然環境への悪影響が懸念される。反対派は最大動員態勢で阻止活動に全力を挙げる構えで、海上での衝突など不測の事態も予想される。

 ボーリング調査は、リーフ周辺を埋め立てて建設する代替施設の護岸構造を検討するのが目的とされ、環境影響評価の基礎資料にも活用される。

 施設局は数日間かけて作業用足場を設置した後、掘削作業に着手する。

 掘削される穴の直径は十一―十四センチ、地表から平均して二十五メートルの深さを掘る。施設局は来年三月末までに、予定している六十三カ所での掘削作業を、すべて終了させたい考えだ。

 施設局は十六日に着手することを決めているが、天候などを見極めた上で最終的に判断する。

 一方、辺野古で座り込みを続けている反対派は全力で阻止する構えを見せている。反対派は十五日から最大動員を呼び掛け、海上での阻止行動用の船を増やすなどしている。ヘリ基地反対協の大西照雄代表委員は「陸と海、両方から粘り強く行動していく。止めるために全力を尽くす」と話している。

   ジュゴンの家日誌
夕ご飯は、お店の近くの中華屋さんに食べに行きました!
←←名物ジャンボ餃子


11月13日(土)

←←カヌー練習をしました。



今日の昼ごはんは、せつこさんが作ってくれたぼろぼろじゅーしぃ!→→
平和学習で辺野古を訪れた方にいただきました。思いが沢山縫ってあります。
晋くん日誌
11月13日(土)
・土日に入り、台風の前の静けさのような辺野古があります。

今日は土日ということもありとても静かな辺野古でした。久しぶりに事務所から出て外で数人の人達と土木作業をしました。
私は外で働くのが性にあっています。
つるはしで土を掘り返し、なめして駐車場所を大きくしました。それから漁港の台車を走らせる場所をデッキブラシでごしごしと掃除をしました。人は働くと元気が出ます。海でも陸でも働く度にまめが増えますがその度に道具の使い方、工夫の仕方を毎日学んでいます。

明日は那覇市長選です。「基地建設に賛成の翁長現市長」と「基地建設に反対の高里鈴代さん」の一騎打ち。夜に最後の集会が待たれるはずです。高里鈴代さんに勝ってもらいたいです。これまで何度かお見かけして、この状況にストップをかける本当に怒りを持った人だと感じています。
防衛施設局は那覇にあります。彼らの行動を抑えるためにも那覇での大きな行動が必要です。市長選はその力があります。
読谷村の村議である知花昌一さんが言っていました。「私達は譲り合って生きている。しかし、絶対に譲れないものがあります。それは生命に関すること。絶対に譲れません。」と。その当たり前にも思えるとても大事なことがこの選挙でも生きることを願っています。

午後はカヌー隊の練習。
転覆してカヌーを建て直し「せいっのっ!」で乗り込む練習を繰り返していました。海を知らずに育った人も、海に育った人も仕事や生活を抱えながら一緒に「せいっのっ!」で練習をして、学んでいます。
この間まで「海が恐い」と言っていたカヌー隊のメンバーが一生懸命に先生になって教えている姿がかっこよかったです。一人一人が先生になっています。そこにはそれぞれ目に見えない努力があったと思います。とても頼もしく感じています。ここにいる人達を見る度、私はそれを誇りに感じています。
多くの人に参加して欲しいです。カヌーの練習は土日に行なわれます。今後の状況によってはそういった練習の日程が変更せざるを得なくなるかもしれませんが、辺野古でカヌーに乗るのはとても楽しいですよ。ぜひそちらにも参加してくださいませ。

明日からは泊まり込みも含め、多くの人達が集まれるような体制をとります。テントは泊まり込みの人達のために解放される予定です。来週に備えて多くの人達が集まってくださることを願います。
沖縄タイムス

ボーリング調査憂慮/普天間代替アセス
審査会答申案、前文に異例の文言

 県環境影響評価審査会(会長・津嘉山正光琉大教授)は十二日、米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた環境影響評価方法書(アセスメント)について県庁で審議し、答申案をまとめた。委員らは、方法書に記載のない現地ボーリング調査がすでに進められていることを憂慮。環境への影響を検討した上で実施するよう求める異例の文言を、前文に盛り込むことを決めた。

 審査会は、ボーリング調査について「方法書に書いていないことを審査する権限がない」(津嘉山会長)立場だが、少なからず環境への影響が生じる―と判断。答申であえて言及し、那覇防衛施設局に慎重な対応を求めることを決めた。近く県に答申する。県はそれを踏まえ、今月二十九日までに知事意見を那覇防衛施設局に提出する。

 約五十人が傍聴に詰め掛け、方法書の差し戻しやボーリング調査の中止勧告などを求めた。

「基地を建てないで」/高校生ら知事に手紙240通
普天間移設反対訴え

 県内の高校生十人が十二日、県庁を訪れ、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設に反対する稲嶺恵一知事あての手紙二百四十通を届けた。対応した府本禮司知事公室長は移設推進の立場を変えず、高校生は涙をこぼし、「あの海に基地を建てないで」と訴えた。

 高校生は先月開かれた移設反対のイベント「夕なんぎーの道ジュネー」で手紙を募集していることを知り、友人らに呼び掛けて独自に百五十通を集め、道ジュネーを企画した主催者らと共同で提出した。

 高校生は「どうして人殺しの基地を造るのか分からない」と泣きだしたが、府本公室長は「知事の公約でもあり、国同士が決めたこと」と答えるにとどまった。

 一方、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落から三カ月となる十二日、同大で学生らによる集会「MOVE! OKIKOKU REMOVE! BASE」が開かれた。

 サークルや学生自治会などを中心に実行委員会を結成。四十人近い学生が普天間飛行場の飛行停止、事故現場保存、名護市辺野古沖への基地建設反対などを訴えた。

 文芸部の譜久村良太さんは「事故から三カ月が過ぎ、事件そのものが風化しようとしている。基地のない沖縄をつくるため頑張ろう」と決意表明。ロッククラブの城間寛之部長は「沖縄の基地をイラクのファルージャ攻撃に使わせてはいけない」と呼び掛けた。

 また、「沖縄、日本から米軍基地撤去を求める」緊急アピール文を採択し、大学周辺をデモ行進した。

県に移設反対を訴えた高校生ら=県庁 (写真説明)県に移設反対を訴えた高校生ら=県庁

琉球新報

高校生ら4500人の署名提出 辺野古反対で

辺野古への基地移設反対、普天間基地の即時閉鎖を訴える手紙と署名を届けた高校生と市民ら=12日午後、県庁内の知事公室長室

 普天間基地の辺野古移設反対を訴える高校生や市民ら20人余が12日午後、県庁を訪ね、稲嶺恵一知事にあてた移設計画の断念を求める手紙240通と、辺野古への招待状、さらに普天間基地の即時閉鎖などを求める4515人分の県民の署名を、府本禮司知事公室長に届けた。

 手紙は、米軍ヘリ沖国大墜落事故から2カ月後の10月13日夜、本永貴子さん=那覇市、主婦=ら3人の女性が呼び掛け、県民広場で開かれた集会「夕なんぎーの道ジュネー」で募った。署名は宜野湾市内の女性らでつくる「カマドゥ小たちの集い」(呼び掛け・国政美恵さん)がヘリ墜落事故の直後から集めた。

 同日、府本公室長と面談した高校生らは、数回の辺野古訪問を踏まえ「きれいな海に人殺しのための基地を造らないで」と涙ながらに訴えた。同公室長は「痛いほど分かる」と共感を示したが、「SACOで国同士で決めたこと」と、県の方針を説明。これに対し市民らは「県民の声を伝えるのが知事の役割。これでは地方自治を子どもに教えられない」と猛反発。高校生も「どうして日本政府に主張できないの。沖縄は戦争で痛みを受けたのに」と涙声で訴えた。「署名の受け取りは日程に入っていない」として、一時、府本公室長が受け取りを拒否する場面もあった。

学生ら反基地訴え ヘリ事故で抗議集会 沖国大

墜落現場を横に見ながら、基地撤去のデモ行進を行った「全沖国集会」の参加者ら=12日午後5時すぎ、宜野湾市の沖国大近く

 米軍ヘリ沖国大墜落事故に抗議する「全沖国集会」(同実行委員会主催)が12日、宜野湾市の沖縄国際大学で開かれ、学生ら約40人が県内からの米軍基地撤去を強く訴えた。集会後は同大周辺の地域をデモ行進し、「学生、教諭が一体となり基地反対の思いを全国に発信しよう」と呼び掛けた。

 呼び掛け人としてさまざまなサークルの代表者らが加わった。ニューミュージック部部長の上原朋真さん(英米言語学科3年)は「事故の話題が全国から消え去ろうとしているが、恐怖と隣り合わせの暮らしが終わるように頑張ろう」と述べた。

方法書の不備批判 普天間代替環境評価審

 米軍普天間飛行場代替施設建設に伴う環境影響評価(アセスメント)方法書を審議する7回目の県環境影響評価審査会(津嘉山正光会長)が12日夜、県庁で開かれ、方法書の知事意見に反映させる答申を取りまとめた。答申では方法書について、「環境影響評価の項目や手法が適切か否かを判断するに足る内容が示されているとは言い難い」と基礎データの欠落を厳しく指摘し、準備書段階で埋め立て地の詳細な形状、使用する航空機の機種と数、作業ヤードの設置場所と規模などを決定して、記載するよう強く要望した。名護市辺野古沖のボーリング調査との関連では、前文に「環境への影響を検討した上で実施するよう求める」という趣旨の文言を盛り込んだ。

 早ければ週明けにも稲嶺知事に答申する。審査会は十分な審議期間も確保されておらず「的確な意見を述べるのは困難である」としたが、事業者(那覇防衛施設局)への知事意見の提出期限が今月29日と迫っていることから、答申をまとめた。

 答申は41項目、約180の意見を列挙した。ジュゴンの保護は、事業者による保全措置のみでは困難として、国や県に対してジュゴンの保護・保全対策を早急に講じるよう要求した。環境影響評価は、作業ヤードなど本体工事だけでなく関連事業に伴う影響も併せて行うことを求めた。

東京新聞

戦死した息子は米軍に志願した

 ヤシの実が茂り、エメラルドグリーンの海が広がる太平洋の島々。楽園の印象が強いこうした島国で今、多くの人々が米軍に入り、イラクの戦闘で死傷する事態が起きている。突然の悲劇に嘆き悲しむ家族と、事情がのみ込めない周囲の村人たち。ミクロネシアを取り巻く光と影を追った。 (ポンペイ島、蒲敏哉)

 「あの子はイラクなんてどこにある国かも知らなかった。もっと強く止めていればこんな悲しい目に遭わなかったでしょう」。ミクロネシア連邦の首都があるポンペイ島西部のマタニタテニューム村で、故スキッパー・ソーラム軍曹=死亡当時(23)=の母、パーペチュアさん(43)は顔をくしゃくしゃにして泣いた。

 ソーラム軍曹は米陸軍砲兵部隊に属し、バグダッドで警戒中の九月二十二日、イラク警察の事務所に集まった就職希望者を狙った自動車による自爆テロに巻き込まれ死亡した。

 実家は旧首都コロニアから車で三十分。熱帯植物が生い茂り、マングローブが入り組んだ海岸沿いの小道を行くと、トタン屋根の三十平方メートルほどの家に家族十五人が住む。

 ソーラム軍曹の墓は、米政府が四千三百ドルを拠出して家の前に作られた。コンクリート製で周りのどの家よりも立派だ。

 兄弟十四人のうちの長男。双子の弟のスキプソンさん(23)が父親とタロイモの栽培や漁業で家計を支える。「遠い昔、海を渡ってやってきた双子の昔話から名付けた。皆珍しがってお祝いしてくれたよ」とパーペチュアさんは懐かしがる。

 スキプソンさんは「兄貴は走るのも速く、頭も良かった。医者になりたいと言っていたけど、母親から『兄弟の子守が先』と言われしょげていた。短大に入った二〇〇〇年、米軍の入隊試験を受けて合格し、どうしても行きたいと、この年十二月には、訓練のため米国オクラホマに行った」と振り返り、こう続ける。

 「兄貴は韓国に駐留していた今年二月、基地近くのクラブで歌っていたフィリピン女性と結婚した。けど誰も式に呼んでくれなかった。兄貴はここの生活を抜け出し、アメリカに行ってしまいたかったんだろう」

 それでもソーラム軍曹は家族に月三百ドルを仕送りしていた。パーペチュアさんは「野菜や魚じゃ月百ドルくらいしかいかない。そりゃ助かったよ。もともと優しい子だったからね」と言いながらこう口ずさんだ。

 「モモタロサン、モモタロサン、オコシニツケタキビダンゴ、ヒトツワタシニクダサイナ…。あの子はおばあさんが昔歌っていた子守歌が好きで、いつも歌っていた。おばあさんは戦争前に日本人から勉強したからね。私らにとって戦争は太平洋戦争のことでしかないのよ」

■負傷して帰国 市民権の約束

 ソーラム軍曹と同様、ミクロネシア連邦出身のハラリオ・バルマン陸軍特科兵は昨年七月、イラクでロケット弾の攻撃を受け、重傷を負い、地元紙は一面トップで報道した。

 左手と両足を失ったハラリオさんが入院したワシントンの病院には同九月、ブッシュ大統領夫妻が訪問。大統領は「彼こそミクロネシア連邦から米軍に入り、民主主義と自由のため戦う人たちの象徴だ」と称賛し、即時に米国市民権を与えることを約束した。

 先月、ハラリオさんは帰国し、コロニアの実家で家族の介護を受けながら生活している。自宅を訪れると、父親は「息子はもう表に出たくないと言ってる。彼がそう望んでいる以上、私にできるのはそれを尊重してやることだけだ」と言葉少なに答えるだけだった。

 ミクロネシア連邦は独立国だが、別の国の軍隊になぜ入隊できるのか。コロニア内にある米国大使館を訪ねた。スーザン・ヘール大使は「現在、連邦から米軍へ約千人が入隊している。イラクには米軍十三万五千人が展開しているが、常時、兵隊が入れ替わっており、何人がイラクにいるか把握していない」と明かしながら、「わが国と連邦には自由連合協定があり、お互いの国での就労、就学などは自由だ。市民権以外は米国人と同じ権利を持っており、入隊の際も、米国人と同じ採用試験で可否を決めている」と説明。「採用された人たちは米国本土の人と同じ条件、待遇で、正規軍として配属や昇進での差別もない」と強調する。

■政府予算の8割 米国からの援助 

 ヘール大使は十月七日に行われたソーラム軍曹の葬儀あいさつで「彼のように勇敢な若い男女を米国は切望している」と訴えた。

 イラクでの戦闘激化で、米政府は入隊を嫌う本土の若者の採用から、同盟国の入隊に力を入れているともいわれる。が、大使は「こちらが熱心に呼び込むまでもなく、彼らは強い希望で入隊してくる」と話す。

 あるミクロネシア連邦の政府関係者は、こう内情を話す。「政府予算の八割は米国からの援助。連邦の人口は約十一万人で、三分の一は十三歳から二十代の若者だ。最近、入隊者が増えているのは米国本土の大学に行ける特典があるから。向こうの大学は学費が高い。過去、米軍に入り、帰国後、国会議員にまで上り詰めた人もいる。退役しても病気になれば米軍がグアムの病院まで搬送してくれたり、手厚い待遇は魅力だ」

 さらに、「ここではイラク情勢のニュースは少ない。レンタルビデオが盛んで、特に『ランボー』など米映画の戦争物が人気。映画の雰囲気で入隊する若者も多い」と嘆きながら、米政府には注文を付ける。

 「入隊したミクロネシア人は、市民権を持っていないとの理由で特殊な任務には就けず、一番危険な前線に送られることが多い。昇進面でも壁があるといわれている。亡くなった人はもちろんだが、けがをした人の補償問題なども大きい」

 米陸軍や海兵隊で計十四年間勤務し、湾岸戦争からソマリア紛争など激戦地を渡り歩いた米大使館付き警備員、トニー・ミックスさん(35)は以前、米軍のリクルーター(徴兵役)を務めた経験から、待遇事情をこう明かす。「採用後、半年の訓練で配属されるが、通常四年間勤務すれば、後は希望する期間、奨学金を受けて大学に行ける。勤務状態にもよるが、ソーラム軍曹は月二千ドル以上もらっていただろう。最近米国では都市部を中心に入隊を嫌う人たちが増え、連邦やパラオ、マーシャル諸島など太平洋諸国の若者への期待は、ますます高まっている」

 ミクロネシア政府は自国民の犠牲に急きょ、今月十一日を「退役軍人の日」と定め、米軍で戦った人たちに全国民が敬意を払うための休日とした。

 ソーラム軍曹の弟スキプソンさんは記者と別れる際、兄の墓を見ながらこう言った。

 「イラクで何が起きているかなんてこの墓を見れば分かる。けどおれは生活を変えたい。変えるために一番の近道は米軍に入ること。先月、入隊試験を受けた。今、その返事を待っているんだ」



11月12日(金)

今日は、警備員の制止にも関わらずしんやさんがゲート前で力強く歌う!今日のゲート前参加者は12人。
ラブヘノコのチラシを読んだ北谷の専門学校生が、11人も座り込みに参加しました! A君奪還おめでとう!!
「かんぱーい!!」
今日の夕ご飯は沖縄そば炒め
←ゆしどーふ。





座り込みに来ていた方が、ジュゴンの家に来てくれました!お茶とアクエリアスの差し入れ!→→
ベランダでなにやら作り始めるましゅぽくん 辺野古の浜で拾ったさんごとコーヒー缶で、風鈴の出来上がり!!
音色がすてき!!
晋くん日誌
11月12日(金)
・作業台船によるボーリングのくい打ちが始まろうとしています。辺野古に集まってください!

11日、昨日作業台船を見に行った時の出来事です。
私の船が岩にスクリューを引っ掛け、緊急で勝連半島の平敷屋漁港に立ち寄る時に船から乗組員がジュゴンを間近で見ました!!
スクリューの関係でゆっくりと平敷屋漁港に向かっている途中、漁船のが私達の後ろを通過しました。沖縄のずっと使われているサバニ(木のくり舟)にエンジンをつけた漁船がゆっくりと私達の船を横切っていきます。その時!!サバニの船長が何かに気づいて私達に合図を送っているのが見えました。
私は船を動かすのに必死で何を意味しているのかに気を取られている場合ではなかったので見ていませんでした。
私の船に乗っていた方が「あっーー!!」と声を上げていました。その後、声を出した本人から様子を伺うと「ジュゴンを見た」とのこと。勝連半島から東に2キロの海上で、目撃したジュゴンは1メートルちょいと言ったところ。どうやら子供だったようです。
波はほとんどなく、静かな海の海上にぷっくりと顔を出し、また潜っていったそうです。その間約10秒。彼一人しか見ていなかった、写真をとれなかったことは残念ですが、ジュゴンは沖縄の海で何か大きなことが起ころうとしていることを知らせに来てくれていたのでしょう。遊泳していただけなのでしょうか。
その昔、島人に津波が来るのをジュゴンが教えたという伝説は本当だったのかもしれません。感動的な出会いがありました。

12日。
私達は毎日、限られた力の中で何が出来るのかを模索し討議してきました。この海を守りたい。私達は絶対に基地建設を止めます。それが来週の大決戦であり、第一歩となります。これまでの闘いで学び取って勝ち取ってきたものを確認して、来週を迎えます。沖縄の生死にかかわる大きな出来事を一人一人が受止めていました。
命を守る会の前の広場で海を見つめながらたくさんの言葉を絡めながら生き抜くためにお互いが確認をしあいました。
208日間に渡る闘いの中で沖縄の怒りを受止めて、勝ち取ってきたものがあります。座り込みによって機動隊を入れさせないという大きな世論を作り出し、防衛施設局(国)の間違いを訴え、漁港から船を出す、浜辺からカヌーを出すという日々の闘いを生み出してきました。
海上でのこれだけ継続された闘いは歴史上でも前代未聞の闘いです。その厳しさを辺野古のおじぃやおばぁがその姿勢、後姿で支えてくださり、辛さを希望に変えてきました。その集大成が来週にあります。そこから始まる大きなうねりがあります。

「木、種1つでも残せたら基地建設はわったーたーの勝ちさ!!」その種は確実に芽吹き、根を張って生きています。今日は那覇で行動してくれていた人達のビラを受け取った学生達がそのしわくちゃなビラを持って11人で来てくれていました。
一枚のビラが人から人へ。学生達は読みまわしたのでしょうか。友達をつたって辺野古に戻ってきました。とても涙が出るほどうれしいことでした。

沖縄の中で、全国の中で多くの人達が行動を続けてくださっています。そのことを辺野古で肌で感じています。広がっていく大きな大きな輪は世界を巻き込み始めています。
一日でも早く終わって欲しい闘いですが、答えはこの先にあると考えます。
「焦らず、潮の満ち引きのように。人は集まり、散り、そして大きな波となり集まる。私達は訴えて闘いそれを待っていれば良い。この辺野古で。」おじぃの言葉です。
辺野古に集まってください。多くの違いを超えて、その力をお貸し下さい。

街日誌より
沖縄で逮捕された学生A君、奪還される!
東京地裁の前で勝利の記念撮影をする、
ワールドアクション&「ヨッシーとジュゴンの家」
 田代まさしの取材に来ている報道陣
 国会前を通って、座り込み現場に行く

 国会前、座り込みをしている人たちの所にA君が挨拶に来ました。釈放されたB君・C君も一緒に来ました。

11月11日(木)

座り込み207日目
朝のゲート前行動。今日は12人集まりました!!
しんやさんも登場!!

歌います!!
 閉まっていた実弾演習場側のゲートを米兵が開けに来て、その直後に業者の車が来て入っていこうとした。止めに入ったが、車はずるずると中に入ってしまう。
今日は基地の中に入っていったのは業者の車だけだった。ダイバーを乗せた車は入っていかなかった。
座り込みテントへ移動
高校生が平和学習に来た 平和のリボンにメッセージを書く
船に乗って中城湾まで、ボーリングのやぐらを積んだ台船を見に行ってきた みんなで写真を見て、阻止する方法を考える
晋くん日誌
11月11日(木)
・防衛施設局による違法な強行調査が行なわれています。

キャンプシュワブのゲート前には12名の人達が集まり調査の阻止のために行動しました。それを意識してか防衛施設局の車は入ったもののダイバーや業者の車は午前8時になっても入らず、はいたのが午前の11時頃だったようです。

私達は2隻の船を出して、中城湾に作業台船を海から見に行きました。中城湾までは約1時間30分、私の運転する船は48リットルのガソリンをスッカラカンにしていました。海から見る辺野古から中城まではとてもきれいで素敵でした。
途中、金武町の石油備蓄基地も見えました。30年も前に屋嘉県知事が「平和のための開発」と名づけて強行した建設でした。
石油備蓄基地を建設するということは他国から石油を奪う拠点沖縄に作るということであり、それに気づき反対する人達によって大きな反対の闘いとなりました。石油備蓄基地が作られた場所は海の潮が引くと人が通る道が出来る場所でそこでたくさんの人達が生活をしていました。「生命の海を奪わせない」と多くの人達が止めに入り激しい闘いがあった場所です。石油備蓄基地は建てられてしまいましたが、そこで生まれた闘いはその後多くの自然保護や基地に反対する闘いへと繋がっていきました。沖縄の歴史に刻んだ闘いでした。
石油備蓄基地を横目に海を切って進んでいくと離島がたくさん見えてきて中城が近いことを感じさせました。
中城の手前には勝連半島があり、「ホワイトビーチ」が見えました。「ホワイトビーチ」は米軍の原子力潜水艦や空母が寄航する軍事港です。この港から世界中の人達を殺すために何度も出航していきました。今日も何隻かの巡視船が停泊していました。
中城に到着。
中城湾港の接岸許可は切れたということでしたが、中城湾港の中に作業台船は浮いており、その隣に台船がもう一台置かれていました。1隻の作業台船の上にはボーリングのための大きな機材がつまれており、シートに隠された機材なども見えました。こんなものを使って辺野古の人々の生活を脅かし、生命の海にくいを打ち込むことは絶対に許されません。
私達は台船を見て絶対に止めることを決意新たに戻りました。
戻る途中に私が船を岩に引っ掛け、プロペラが曲がってしまいました。中城湾は深い場所と浅い場所が極度に違うためそれに気づかずに航行してしまった結果です。
このままだと辺野古までたどり着けないので平敷屋の漁港に立ち寄り、船を台車に乗せて辺野古に帰ることにしました。ご迷惑をおかけしました。
途中に船屋に寄りプロペラを直していただきました。その船屋さんは私達に「辺野古でがんばってくれよー。プロペラ曲げてる場合じゃないよー」と激を飛ばしてくださいました。
車だと台車を引いている性もあり、2時間以上かかりました。うーーん陸路からだと中城から辺野古は遠いなぁ。
作業台船は辺野古までたどり着くのに5時間かかると言われています。なんとしても止めたい。

以下は辺野古座り込みより呼びかけの文章です。


辺野古へ集まってください!!

9月9日以降、防衛施設局は違法なボーリングの予備調査を強行しました。
国が基地建設のためのボーリング調査を4月19日に強行と、良心ある人々による阻止。さらに「違法なボーリング調査の中止」「基地建設の白紙撤回」「住民説明会」を求めて144日間に渡る座り込みによってボーリング調査を止め続けていたにも関わらずです!!
「住民説明会」は「誰もが聞けるものにして欲しい」と要求していましたが、防衛施設局は入場を200名に限定し、一部の行政委員会だけへの説明会を企画しました。その説明会には150人しか集まらず、会場の外では200名以上の住民が「ボーリング調査のための既成事実作りだ」と抗議をしていました。
「基地建設の白紙撤回」は辺野古の住民によって作られた“命を守る会”が8年間に渡って訴えてきました。7年前に名護市民は「大事なことはみんなで決めよう」と基地建設に対して市民投票を行なって過半数が「基地はいらない」と答えを出したのです。それを国は8年間無視してきました。

9月9日、防衛施設局は卑怯にも辺野古から直接出ることはせずに米軍海兵隊基地キャンプシュワブに資材を積み込み、さらに作業船「未来」「ゆいまーる」の2隻を那覇よりも南部の佐敷町馬天港から出港させました。そういう理不尽な国に対して辺野古に住む人々や沖縄全体から集まった人々、県外から集まった人々が座り込みを400人で埋め尽くし、陸上からの資材の搬入を止めました。現在にいたるまで陸上では漁港入り口での座り込みをし、キャンプシュワブゲート前(資材を基地内から積み出しています)で座り込みをし、海上では船を出し、カヌーを出し、海中にダイバーを出して止めに入ってきました。
9月から11月まで防衛施設局によってダイバーが潜り海底を確認する「潜水調査」、潜ったダイバーによる不発弾の調査「磁気探査」が行なわれています。
土日、祝日以外は毎日のように調査船がきます。70代のおばぁもカヌーで阻止行動をしています。
9月28日の防衛施設局は定期記者懇談会で「阻止行動によって調査が阻まれている」ことを認め、10月28日の定期記者懇談会では「磁器探査を30ポイント終わらせた」と発表しました。
前期分のボーリング36箇所の磁器探査を終わらせたという発表は11月12日になってからです。
今、ボーリング調査のくい打ちが始まろうとしています。中城湾では一基のボーリング機材が作業船に積み込まれ、あと一基が中城湾港のヤードにあります。
日米政府は「米軍再編」と言って、建設、使用まで16年もかかる基地を辺野古に作ろうとしています。海外へ沖縄から派兵した米兵達はイラクで、フィリピンで、アフガンで、人々を殺戮しています。
私達は人殺しの基地はいらない、未来の子供達に豊かな沖縄を残したいのです。
私達は腰が痛くとも、足が痛くとも「子や孫小達のために・・」「人柱になってでも・・」と言って基地建設を阻んできたおじぃ、おばぁ達の思いを受け継いで基地建設を止めます。
そのために多くの人の力が必要です。海上で止めに入る行動に参加して下さい。座り込みに参加して下さい。座り込みに行けないという状況がある方は周りに自分の代わりに動いてくれる人達へ呼びかけてください。

 来週からボーリング調査くい打ちが始まろうとしています。今、辺野古にはこの文章を読んだあなたの力が必要です。この調査は一人一人の力が阻むものとなっています。宜野湾市民大会では「辺野古移設では解決しない」と3万人が集まり、決議されています。県民の8割が私達の行動を支持しています。自信を持って辺野古の阻止行動に参加して下さい。絶対に止められます。辺野古に集まってください。

2004年11月11日。

昨日の夜・・・
←←日焼けした顔をアロエで癒す・・・・



←カヌー隊のゆっくんの腕!!



11月10日(水)
今日のゲート前行動は、8人が参加!
7:30にダイバーの車が現れ、実弾演習場の側から入ろうとしたので止めに入った。
結局、実弾演習場からも第1ゲート前からも入れず、監視行動をしているポイントからは入れなかった。
去っていくダイバーの車。
ゲート前で監視している方がテントに寄って、行動を報告。 お昼ごはん。
当山さんが世界情勢について語る。
夏芽さんから柿の差し入れ!!
甘くてやわらかくておいしーい!!
今日もフェンスにリボンを結ぶ。これと同じフェンスがイラクでも使われているそうです。
70人以上の高校生がきました!
今日の夕ご飯はうららちゃんが作ったゴーヤーチャンプルー!
                             晋くん日誌
11月9日(火)
・防衛施設局による潜水調査及び磁器探査は行なわれていない。那覇市長選挙とも重なり、自粛しているもようです。ただ、漁港からダイバーを乗せた大型船2隻に小型船2隻が出港しています。作業台船が中城湾から沖合い500メートルに停泊しています。悪魔で憶測ですが、沖合いに作業台船を泊めるためのアンカーを降ろす位置を確認するためなのかもしれません。

私用で東京に行き、5日間ほど現場を離れていました。日誌が更新されていなかったことをお詫びします。
これまでの9月9日以降の状況をまとめて書きたいと考えます。

防衛施設局は144日間に渡って座り込みが行なわれボーリング調査を阻止されている現実に追い込まれ9月9日、ついに強行的に調査を開始しました。しかし、この調査強行はアリバイ的なものでした。那覇より南部に位置する「佐敷町」の馬天港から調査船2隻を出港させ、辺野古まで3時間以上もかけて到着し、ポイントブイを5つ逃げ回りながら落としただけです。
漁港内において防衛施設局は「資材置き場」を建設する予定でした。私達は陸上でそれを阻止するために座り込みを県内外の600人の人々で埋め尽くし機動隊の導入に備えていました。しかし、防衛施設局は600名もの人達による阻止線と80%の県民の基地建設反対の意思によって陸上に機動隊を入れることさえ出来ず、防衛施設局による陸上での資材置き場建設は阻止されました。
9月9日から私達は海上に阻止船とカヌー隊を出して調査への阻止行動を開始。
那覇から来た「未来」「ゆいまーる」という名前の作業船2隻がポイントブイを落とすという作業をし、他の大型船4隻は「ダミー」として阻止船を撹乱しました。さらに海上保安庁も作業船から目を離させるために警備を他の船につけて撹乱。5つのポイントブイを投げ込んで那覇へと帰って行きました。前文で述べたとおりアリバイ的な調査といわざるを得ない調査でした。
それから毎日阻止行動は続けられてきました。
[阻止行動の展開。]
・9月9日から調査船は2週間に渡りポイントブイを落とす作業に入り、阻止船とカヌー隊がリーフ内外で止めに入る。この結果、防衛施設局は63ポイントの内の50ポイントでのポイントブイを落とす作業にとどまりました。
・9月の末から防衛施設局は調査船にダイバーを乗り込ませ潜水調査に入る。
9月24日までに終わらせるはずだった潜水調査は11月に入っても続けられていました。このことについて那覇防衛施設西局長は「阻止行動によって作業が遅れている」ことを9月28日の定期記者懇談会で認めました。実質、防衛施設局の敗北宣言と受け取っていい内容であり、防衛施設局のボーリング調査が私達の阻止行動によって追い込まれている現実を露呈しました。
・防衛施設局は10月の半ば「潜水調査」が終わらないため、後に続く「磁器探査」を潜水調査と同時並行という形をとるようになります。
10月の半ばから外洋で「磁器探査」に入っていることを確認しています。
私達の阻止行動はダイバーが入るようになってから海中での闘いも伴うようになります。海上で調査船へ阻止船とカヌー隊が阻止の線を作り出しとめに入り、阻止線を突破された場合は海中での阻止行動となります。
陸上での座り込み、シュワブゲート前での阻止線、監視行動、海上での阻止線、海底での座り込み。闘いは継続され展開され前進し続けられてきました。
10月28日の防衛施設局による定期記者懇談会では「36ポイントでの潜水調査が終了」と発表。しかし、海底で行なわれている調査は見ても分かるぐらいにずさんなものです。「調査を終わらせた」という既成事実のためだけの調査が横行していました。ダイバー達は仕事をしていましたが、防衛施設局の調査が阻止行動によって阻止され、そのようなでたらめのものになっているということは認めない発表でした。
・11月1日からリーフの中でも「磁器探査」に入るようになります。
磁器探査は潜水夫が潜り1m50cmほどの筒状の機器を海底に降ろし、その機器を持って360度回転しながら調査を行ない、最後に写真を撮って終了というもの。
毎日多くのダイバー達の手を借り止めに入りました。リーフ内は少なくとも10ポイント以上を私達が阻止し続けています。
・11月8日には中城湾港に接岸しているボーリング調査のための作業台船が接岸許可の期間を終えています。
つぎはぎ調査になっているにも関わらず、防衛施設局は明日にでも作業台船を動かしボーリング調査にはいろうとしています。私達はそれを絶対に止めます。

・・この間に二人の官僚が辺野古の視察に訪れています。
一人は環境大臣、沖縄担当大臣小池大臣が10月の初旬、キャンプシュワブ内から辺野古の海の視察に訪れていました。小泉首相は海を守る仕事と海を埋め立てる仕事を一人の人間に委ねたのです。小池大臣は沖国大のヘリ墜落現場も普天間基地も泡瀬干潟埋め立て工事も辺野古の新基地建設視察も全てたったの「15分」ほどで切り上げました。
沖縄国際大学のへり墜落現場で「普天間基地を返還して」「辺野古に移設しても何の解決にもなりません」といったプラカードを持つ学生達に何のリアクションもありませんでした。
泡瀬干潟においても埋め立て工事をしている業者から説明を受けました。たったの「15分」で。泡瀬に住む人達の声さえも聞かずに。
辺野古においてもキャンプシュワブの中から防衛施設局員の説明を聞き、私達が海上から阻止船とカヌー隊で「お願いです。基地を作らないで」「この美しい海を見てください」「ジュゴンがすんでいます。」と訴えても耳を傾けませんでした。
国民の代表者という決定力があり、国民の声を一番に聞かなければいけない人が海上まで来て訴えた人の声を無視しました。

もう一人は町村外務大臣。10月16日。
外務大臣は沖縄国際大学のヘリ墜落事件に対して「操縦士はいい働きをした。被害は最小限にとどまった。」というような発言をしてとても批判を浴びました。
辺野古での視察もしたとのことですが、言語道断。沖縄の差別を知らず、何も知らないような人間が外務大臣をやっているのを思うとこの国の現実を見る思いでした。

その他にも10月12日に県環境影響審査会が辺野古を海上から視察しました。
県環境影響審査会は環境アセスメント法に基づいて作られた県の機関で、今回の基地建設計画の方法書に対して苦言を言っています。「データが欠落している。」「評価項目や手法が適切か否かを判断する十分な内容が示されているとは言い難い」と話しています。

この2ヶ月間、私達は船を出してカヌー隊が海上に出て、ダイバーが海中で阻止してきました。海での阻止行動という前代未聞のものすごい闘いをやり通してきました。とても厳しい闘いでしたが、日々一歩一歩阻止行動の闘いを前進させてきました。そのことによって大きな大きなうねりが県内外だけでなく世界へと広がり始めています。
アメリカの労働組合の人達と会う機会があり、そこでアメリカの労働組合の人達は「辺野古の闘いは戦争を止めるための最重要な課題のひとつです。私達は沖縄の米軍基地をなくすために、私達の最重要課題のひとつとして取り組んでいくことを約束します。」と言ってくれました。ILWUというとてもすごいアメリカでは闘う労働組合の方々でした。
日本の多くの労働組合の人達も私達の闘いに共感を示してくれています。韓国の民主労総という労働組合の人達も韓国で行なわれている米軍再編の問題と共に辺野古と闘っていかなければならないと話してくれています。
205日間、200日を越えた長期的な闘いの中で切り開かれていくものはこの世界を変えていくような力を持ち始めています。
おばぁ達の8年間(2639日)に渡る闘いが1年前たったの6人からの出発を今年の4月19日には200人に変え、今年の9月9日には600人へと変えました。数ではなく、そこに集まった人達一人一人の力、思いは多くの違いを超えて作り上げられています。テントはたった一張りから五張りになりました。
辺野古のおじぃ、おばぁは私達ニセーターがつらい時や厳しい時にいつもその姿勢で、後姿で励ましてくれました。静かに力強く、誇りを持ち、愚直に座り続けてくださっていました。船から帰り着き、疲れ果てた体をその後姿が押してくださいました。
でも、もうおばぁ達にそんな思いをさせてはいけない。私達の力で私達の手でこの国を変えていかなければなりません。この辺野古に20代の人達、若い世代の人達が集まっていること自体がこの国の変わり目を語っているようです。
命をはる覚悟、しかし、生き抜くという覚悟。おばぁが私に植えた大きな種は闘いの中で力強く根付いています。

今日もまだ作業台船は中城湾沖合い500メートルの地点から動いてはいません。闘いはこれからです。これからです。希望を持って絶対にあきらめない。こんな、こんな理不尽なことは許さない。

ジュゴンの家日誌
近所のクリニックの人たちが買い物に来ました!!
賑やかだったぁ〜・・・
沖縄の新聞より

ジュゴン指定に前向き 国内希少種で小池環境相

 【東京】小池百合子環境相は9日の衆院環境委員会で、ジュゴンの種の保存法に基づく国内希少動植物の指定について「生態などの保護対策に必要な情報を収集した上で関係者の理解を得ることが重要だ。国内希少野生動物種の指定に向け必要な検討を進めていきたい」と述べ、環境省として実施している生態調査を踏まえ、希少種への指定に前向きな考えを示した。東門美津子氏(社民)への答弁。

 ことし9月に環境省が選定したラムサール条約登録湿地の候補地に泡瀬干潟が選ばれなかったことについて小池氏は、登録に必要な条件として(1)ラムサール条約で示された国際的な基準を満たす(2)国指定鳥獣保護区特別保護地区など自然環境保全を目的とした保護区に指定されること(3)地元自治体からの賛意―の3点を挙げ、泡瀬干潟については保護区の指定がないことが候補地とされていない理由と説明した。

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