ジュゴンの家・日誌
沖縄関連のニュースは、下をクリック↓ 「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
月1000円、年10.000円

沖縄タイムス http//www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報  http//www.ryukyushimpo.co.jp/

同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子
オープンスペース街へ TOPへ

5月Aへ 日誌indexに戻る 5月Cへ

5月B

  緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための泊り込みの監視が行なわれています。この行動に必要となるお金(食事代等)のカンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!
カンパを振り込まれる際は、必ず「座り込みカンパ」と明記し、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!


那覇防衛施設局が出した環境アセス方法書・
「市民アセスなご」が 出した市民からの方法書が読めます!!
みなさん読んで、施設局に意見書を出そう!!
「市民アセスなご」のホームページはこちら↓↓

http://www.nagoshimin.com/index.html




5月16日(日)〜24日(月)まで・写真を送れなかった間の日誌です。
見てくださいね〜〜!!!

5月24日(月)

座り込み36日目
←朝のミーティング
森山さんが、小学校6年生の時の写真を持ってきた。 若き日の宮城清子先生が写っている。 嬉しそうに写真を見せる森山さん
小学生の森山さんも写っています。今のように、温和な感じ おばあからニラの差し入れ みんなで下準備
←清子さんが、戦争のときの話をしてくれた。
戦争を経験してきたおばあたち。

一人一人に歴史があるのだ・・・
お年寄りは、敬わなければならないなと思った。

ジュゴンの家日誌
楠本さん、あるふぁーさんが来ました。
パソコンの話で盛り上がる2人。
私には何を話してるのかさっぱりわからん・・・

                                           (うらら)


5月23日(日)

ジュゴンの家日誌
座り込みからお店に来たお客さんが、“黄色いリボン”にメッセージを書いていってくれました。
5月23日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

土、日と防衛施設局の動きはなく、静かな二日間を送っています。
明日、24日は沖縄県民会議が防衛施設局に対して行っていた要請書への回答の日です。要請書の内容は「住民説明会を行うのか否か」です。
この8年間、国は名護市民に一切の説明会を行っていません。どんな公共事業も説明会こそあったはずです。
私達は説明会を行えば作業をしていいといっているのではなく、当然の権利として要求しています。
国は国民に判断する権利さえ与えずに基地建設を強行しようとしているのです。なおさらに怒りを感じるものです。

今日は座り込み現場から一日三線の音が響いていました。三線は沖縄の底辺で生き抜いてきた人達が生み出した音楽です。座り込みから響く三線の音はとてもとても心地よく聞こえてきます。大地の音とでも言うのでしょうか。

下記は・・・
前日の日誌に載せた韓国のメッセージに答えて、5月29日に韓国で行われる「平和のフェスティバル」に命を守る会よりメッセージを送りました。その文章の全文です。

生命と平和を守るために共に闘う韓国の仲間の皆様。皆様の行動に敬意を表し、連帯のごあいさつを申し上げます。

韓国の皆様、私達は全ての生命を守るために日米政府による米軍の海上基地建設に反対して8年間阻止し続けている「命を守る会」という、平均年齢80代のお年寄りを中心とする市民団体です。
辺野古では4月19日より日本政府が基地建設で必要とされているボーリング調査(地質調査)を強行しようとしています。
現在、私達はボーリング調査の資材搬入を阻止するために道路に座り込みをしています。座り込みを始めた4月19日から現在までで座り込み参加者は3000名を突破し、一ヶ月に渡る座り込みを継続し、ボーリング調査を阻止し続けています。

 梅香里(メヒャンニ)の爆撃場が来年8月までに閉鎖されると聞いて私達の闘いにいっそうの活力を与えています。
皆様の長期にわたる闘いは「人の真実の勝利」を世界中の全ての闘う人々に確信させています。
また爆撃場の移転に対して「許さない」との意思を貫いている皆様の行動を支持いたします。そして韓国で反米軍基地の闘いをしている全ての人々を支持いたします。

私達の闘いは差別されている全ての人々の手に歴史の真実を取り戻し、過去、現在の侵略戦争によって奪われた人々の文化、人々の生命を取り戻す闘いとなることでしょう。
二度と朝鮮半島に侵略を行ってはならない、私達は謝罪の意を込め、朝鮮半島の平和を願い闘っています。
韓国の闘っている皆様、また皆様と闘いの場で出会い、分かち合い、そして闘いがない平和の場でまた出会うことを切に願います。

暗い闇はいつまでも続くことなく、私達を朝日が照らし、必ずや勝利を勝ち取ることを誓います。 

2004年5月29日
ヘリポート建設阻止協議会(命を守る会)
代表  金城 祐治(きんじょう ゆうじ)



5月22日(土)

座り込み34日目
小学生達が基地・ジュゴンの学習に来ました。「ジュゴンの家」のホームページを学習に活用してくれているようです ジュゴンのお話が描かれている絵本 おどける繁師匠
←以前広島から来ていた女性が再び辺野古に来てました!!再会
←修さんが沖縄と日本の関係を話す。

「アメリカは、日本が沖縄を切り離しても平気だということを知っていた。
日本と沖縄が、“離れたら引き裂かれるほどに痛くてたまらない”、という関係に・・・、ほんとうに一体になるには、
もっともっと上辺でない本音のぶつかり合い、そして葛藤がありながらも一緒にいることが必要だと思います。日本が沖縄を実感できるようになるまでには、まだまだ時間がかかると思います・・・」

・・・・若者たちも真剣な顔で聞き入る。
←小山くん、石動くんが愛知に帰ります。

「地元の人にここで見たことを伝えたいと思っています」
一ヵ月後にまた来ると言っていました。

夏芽さんと握手!!!
晋くん日誌
5月22日(土)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日は何もなく、一日が過ぎました。
私はこの間の疲れをとるために一日事務所で休んでいました。
休んでいると、外が騒がしい。おばぁ達が「晋は倒れたのか」と騒いでいる。
「違うよーただ、休んでいるだけー」とことわりにいく。私は休んでいるほうが騒がれてしまう。あちゃと思い。表に出ておばぁ達とゆんたく。
すると新潟から来た内科の先生が見に来てくれる。「19でこんなんでは、鍛え方が足りん!!」と怒鳴られました。おばぁ達が大笑い。

休んでいたものだから書くことがあまりないのですが、今日も無事に座り込みを終え私達の一日も終えました。

それぞれがお互いを助け合いここで闘っている。私達は助け合いの中で闘っている。
この間に多くの人達から激励のメール、ファックス、書き込みをいただいています。痛みを共有し、助け合おうとしてくれる人がこんなにもたくさんいると心強く感じています。
激励のメッセージが届くたびにおばぁ、おじぃに読んでいます。そのときのおばぁ達の笑顔を皆様に伝えられなくて残念ですが、本当に感謝しています。おばぁ、おじぃにかわり私から皆様へ申し上げます。繰り返し、本当に感謝しています。

この間ドイツ、イギリス、アメリカ、フィリピン、ハワイ、ベルギー、ニュージーランド、ビエケスからもメッセージが来ています。できる限りホームページ上でも伝えていきます。韓国からのメッセージの全文を紹介いたします。

辺野古の海上基地反対のために闘っている沖縄の住民にささげる連帯の辞生命と平和を守るために闘っている皆様に連帯のあいさつを申し上げます。

私どもは韓国で駐韓米軍の犯罪と被害に対して人権を守ろうと一生懸命活動している市民団体です。
生命と平和を守るために沖縄の住民の繰り広げている闘いは、韓国の反米軍基地運動に大きな影響を与えています。特に人間のみならず自然を初めとする普遍的な生命と環境を守り、平和を続けていく沖縄の精神は、韓国の人々に大きな教訓を与えています。

今、米軍は沖縄のみならず、韓国でも基地を拡張しようとしています。ですら、農民達が立ち上がり、基地拡張に反対する闘争を展開しています。
辺野古の前の海に建てられようとしている海上基地に反対する闘いは、必ず勝利するはずです。
生命と平和を守ることは、軍事力、物理力はなくても、真理であり、真実であるがゆえに勝利するのです。
米国がイラク戦争で没落しているように、暴力と軍隊を全面に立てて、生命と平和を破壊する行為は必ず敗北するのです。
海を越え、地域も違い、言葉も違いますが、米軍基地から生命と平和を守る闘いをともに行っている勧告の民衆達が、沖縄のみなさんを支持している事実を記憶していてくださるよう望みます。
同時に、私どもも皆さんが韓国の反米軍基地の闘いを支持していただけると信じて、力をいただいています。
たとえいまのこの場ではつらく疲れ果てても、後代に平和を残し、そして共に生きることが美しいのだという真理を確認するために、ゆるぎなく立ち向かって行きましょう。

      2004年5月7日
      駐韓米軍犯罪根絶運動本部
      常任代表 ムン・テゴル


5月21日(金)

座り込み33日目
大西さん 「市民アセスなご」浦島さん。
ボーリング調査の延期を求める署名8804人分を那覇防衛施設局に提出する。前回の提出と合わせ、これまでに集まった署名は計1万2156筆。
夏芽さん
「私たちがここに座っているからこそ防衛施設局は来ないのです。継続して頑張りましょうね」
スクラム練習
ヨシタミさんが、初めての参加者に説明 愛知県から来た小山くんと、友達の石動くん(彼女募集中)。
この日「ジュゴンの家」にも遊びに来てくれました。
平和運動センターのお二人。
大西さんに座り込みカンパを贈呈。
午前10時55分、防衛施設局現る
施設局「台風対策で片付けていた資材ヤードの復旧をさせてもらいたい」

こちらは資材ヤードの写真を隅々まで撮ってある。

「それ以上は絶対にさせないが、前にできていた部分の回復まではさせましょう」ということで、
午後1時30分、
厳重なチェックのもと現場の回復がなされることになる。

交渉の後、施設局は一旦退散。
「北限のジュゴンを見守る会」鈴木さん。「今の辺野古の状況を東京の多くの人に伝えたい。世界85ヶ国の人が署名をしてくれている」 浦島さんから
今朝、署名を那覇防衛施設局に持っていった報告。
「局長が出て来ず、職員が廊下で受け取った」
小山さんからカンパが!!
受け取る具志堅さん
午後1時30分、施設局が台風前の状態に戻すための作業に来る
4月19日の朝の強行が蘇るような施設局職員・応用地質の現場作業員。
フェンスの囲いがまた、できてしまった・・・・。 前の状態と変わりがないか、厳重にチェックする
晋くん日誌
5月21日(金)
・防衛施設局が作業現場の再建のために来ました。

台風のための熱気とそれを押しのけるようなけーし風が吹いている日でした。
午後には晴れ晴れとしていました。

キャンプシュワブはいつものように不穏な静けさを守っており、演習などはこの一ヶ月間ほとんどみかけられません。
イラクに行った米兵達がファルージャの人々を虐殺している。彼らの静けさは虐殺の静けさだろうか。
演習のない静かな海はただ、生き抜く強さを教えてくれています。

午後1時30分、防衛施設局が辺野古漁港に来る。いっきに静かな漁港は緊張し、修羅場と化す。防衛施設局は私達の平穏を壊し続けている。
防衛施設局の用件は「台風対策のために撤去した作業ヤードを再建させて欲しい」というもの。
釘一本、ねじのまいた回数まで確認する。2時ごろに作業を終え、防衛施設局は引き上げていきました。

私達の望むことは1つ、静かな海と生活を取り戻したい。そのために多くの人たちが今、何をすのかが問われています。
防衛施設局が来るたびに壊されるそれへの苦悩を多くの人達に理解して欲しい。
生きることの豊かさ、厳しさ、この海と人々と共に学んで生きたい。



5月20日(木)

座り込み32日目
←差し入れの葛餅を食べる
中城港にボーリング機材(やぐら)が搬入されたとの情報を受け、大城ヨシタミさんが現地に調べに行ってきました。
撮ってきた写真をみんなに見せる
こんなに大きなものを海の中に沈めて海底をけずって調査をするっていうんです・・・・・
→ヨシタミさんが説明してみんなで勉強。
マッサージ三連発。悦美さん 山口さん うららちゃんも。
5月20日(木)
・防衛施設局は来ませんでした。

 台風のため、少し人が少ない中で今日も座り込み行動は続けられています。
どうやら台風がそれるようです。天候も私達の味方をしているように感じます。
 ユタ(沖縄でいう神人)の人が「ニライカナイの神様はあなたたちを守っている。
体に気をつけて続ければ必ず勝利するでしょう。」と言っていました。
自分達の足元を見失わず、続けていくことの大事さを言っているように聞こえました。

 今日の団結弁当はゴーヤーの和え物、てんぷら、チキンの和風和え、白ご飯でした。
差し入れで農家の人達が新鮮野菜を持ってきてくれ、炊事場の人達が朝早くからしこみをしてくれているのでどんどん豪華になっています。
 おばぁ達が「たまには休んでよー」と炊事場に声をかけると「いいーいいー。わったー達はおばぁに負けないためにやっているんだよー。」と必ずかえす。助け合いの中で お弁当は作られているので愛情がたっぷり入っています。
クワッチーサビタン。

 午後、団結弁当を食べようと箸をとると、キャンプシュワブ内から「ウーー−ーー」と5分あまりサイレンが鳴り響きました。方角は弾薬庫。「まさか」と思いましたが、もしも、弾薬庫から生物化学兵器が漏れ出していたら大変なこと。
 夏芽さんが防衛施設局に問い合わせ、私は基地の方角へとバイクを走らせました。
弾薬庫には消防車が来ていて、赤いヘルメットをかぶった米兵達が集まっていました。何かあるのかと見ていると上官からレクチャーを受けていました。
 帰ってくると夏芽さんから「防災訓練と確認がとれた」と話を聞きました。
 良かった、辺野古は過去、実際に毒ガスが漏れ、大きな被害をうけたことがある。
それを思うとぞっとする。

 ひと段落して事務所でお昼寝をしようとするとおばぁ達が集まってきました。
5分と立たないうちにおばぁ達の声にたたき起こされます。
半分寝ながらおばぁの声に耳を傾けていると、92歳のヨシおばぁがこんな話をしていました。
「あのねー、酒をあびる人いるでしょう。タバコを浴びる人もいるでしょう。皆ねぇ魂に傷を負っているんだよ。わったーも一本ぐらい吸うけれどね。やっぱり魂に傷を持っているわけさ。それが人間だよぉ。」という。
 おばぁ達はポロッとすごい話をします。
 帰り際、ゆんたくをしながら相撲を見ていると朝青龍が負けた話になりました。
たえさんが「あんたたち!!相撲とりなさい!今のうちに練習しとけばあの人達がきたときにはねかえせるさ。」と話す。
 「確かに腹だけ相撲とりはいるけれどねぇ。」と一同。
腹だけって・・・どんなよぉ。

ジュゴンの家日誌
玉城さんが子猫を連れてきました。
暴れん坊で、だっこした私の手を噛みまくってました・・・・
かわいかったけど。

                     (うらら)


5月19日(水)

座り込み31日目
雨が降りそうなので「命を守る会」前で座り込みをする めずらしい鳩。(名前を忘れてしまった)クチバシが水色をしている 座り込み開始
大西さん ボーリングのやぐらが中城港に搬入された。
仲村善幸さんがボーリング調査について説明をする
テレビ局のインタビューを受ける大西さん タイからの参加者。
事務所内で晋くんが話をする
で・・、でっかいヤドカリがいたぁぁ!!!サザエの殻に入ってる・・・
動き出したらほんとに大きくてちょっと怖かったです・・・
真喜志さんが来ました レクチャー 出張の報告をする夏芽さん
出張先の学校から差し入れにいただいた葛餅。おいしかったです!!! 「命を守る会」で辺野古特集のニュースのビデオを見る
5月19日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

台風のため、場所を命を守る会の前に移して座り込みをしています。
台風のこもった空気がとても熱く、扇風機を外に出して、うちわをあおいでの座り込みでした。
参加者人数はいつもより少し少なかったものの「今日はやるの?」という電話が10数件もかかってきました。
台風の中、自分の予定を押してでも座り込みは続けられます。

今日はタイからも参加者があり、「ここの状況のレクチャーをして欲しい」と申し出があったので私があいてをしました。
レクチャーをしていく中で私が最初にすることは立場をはっきりさせるということですが、タイの方だったので「沖縄を押さえつけてきた人間として、侵略されてきた人々に申し訳ない」と話をしました。
タイの方は「やっと話が出来ますね」と返してくれました。
私達は決して対等ではない。イラクの人と私とは立場が違う、同じように沖縄と日本も。タイの人の言葉はとても重く感じました。
最後にタイの方が「私達もタイでここの署名を集めたいと思う。協力したい。」と申し出てくれました。「もちろん」と言って握手で返しました。
世界中で訴えが広がり始めている。国が辺野古に押し付けてきた差別に対する抗議の座り込みに国境線はない。

座り込みには新たな情報が入りました。
「中城湾港の広場にボーリング調査のためのやぐらが搬入されている」とのことです。
写真を見ると25メートル以上の深さで使うスーパー固定ブイで作業員が一生懸命足場作りをしていました。私達が座り込みをしている間に粛々と調査のための用意を進めている。
「キャンプ・シュワブからの調査開始も検討している」との報道もなされた。彼らの卑怯さに腹が煮えくりからる思いです。
たとえ、そうなったとしても私達は命を懸けてこの海を守る。

生きるために闘ましょう。それが私達の真実です。


5月18日(火)

座り込み30日目
雨・・・・・・
大西さん 海もにごる
体操!!
5月18日(火)
・防衛施設局の3度の訪問がありました。
今日で座り込みは一ヶ月を過ぎました。一日も早く基地建設がとまることを願います。

午前6時、どしゃぶりの雨の中、今日も午前中から60人あまりが駆けつけ座り込みが始まります。

午後、団結弁当を食べ少しゆっくりしていると「防衛施設局が来た」との連絡が入った。
急いで駆けつけるとすでに防衛施設局員は帰っていた。
事情を聞くと、「防衛施設局は作業ヤードの台風対策をしたいと言ってきた。とりあえずこちらも話し合いがしたいのでということで帰ってもらった。13時30分にまたくるといっていた」とのこと。
その前に警察隊が別件で辺野古漁港に来ていたため全員に緊張が走る。

13時30分、防衛施設局がまた訪問。
「台風対策のため、作業ヤードの補強をさせて欲しい」とすでにトラックまで用意してきていた。
こちらの代表が「私達は撤去を望んでいる。台風対策なら補強でなくとも撤去できるのではないか。」と答える。
「一度戻って検討する」と防衛施設局。米兵に守られ、現場監督所がある基地内に帰っていく。

15時再度、防衛施設局が来る。
「検討した結果、撤去した物資は作業ヤード建設敷地内に置かしていただく。台風が過ぎた後、また再建する。」と防衛施設局員。
物資の撤去作業には防衛施設局員3名。応用地質の作業員が3名。地元の請負いをしている作業員が10名で作業。
5名いれば出来る仕事をなんだか、たくさんでやっていた。よっぽど早く引き上げたいのだろうか。
再建する場合は先に応用地質が命を守る会事務所に電話するとのこと。
再建しないでそのままほっとけばよかろうに。
応用地質にとって不況の中で5億4千万円(ボーリング調査の受注額)の仕事は大きいのだろうか。金が執着している理由なのだろうか。

人が建物を建設したり、物を作生産していくのは世の中を良くする為であって、壊していくことではなかったはず。応用地質株式会社はいつから住民を殺す側になったのだろうか。

座り込みには命を守る会のおばぁ達が12名も来ていました。防衛施設局が作業ヤードを撤去して帰って行くのを見て大喜び。「ここはわったーたーのうみどぉー」と92歳のヨシおばぁがどなっていた。
それにしてもおばぁ達が現場で座っていると雰囲気と安心感がずいぶん違う。事務所のほうが安心感がなかったのはそのためか・・おばぁはすごし。

私は事務所のほうで今日一日、RBC(沖縄の放送局)の取材を受けていました。横にカメラがずっとあるのって結構緊張します。多くの人たちに訴える材料としていただければいいなと思います。
5月18日の阻止行動日誌(ホームページ)に関して。
ホームページ上の「シンサン日記」の「一言メッセージ」で「企業名を出すべきではないのでは」との助言があり、そういう思いを抱いた方もいたかもしれませんので、私からご理解いただきたく、日誌のつけたしを送ります。
後の文章は日誌の責任者である平良夏芽さんの文章です。


地質調査4 応用地質(株)   5億4075万円  
         工期H150401〜H160331
地質調査1 サンコーコンサルタント(株)    9765万円  
         工期H150401〜H160331  
地質調査2 パシフィックコンサルタンツ(株)  4798万円  
         工期H150401〜H160331
地質調査3 パシフィックコンサルタンツ(株)  9345万円  
          工期H150401〜H160331
一言メッセージの「企業名を出すべきではない」との助言がありました。その気持ちは分かります。
「一企業の中で生活している人もいる。企業を批判するのは少し違うのではないか。」ということに関しては私も同意いたします。しかし、今回の場合、応用地質およびそれに関係する4つの企業は「軍需産業」になろうとしているのです。それを認めないという立場から具体的な企業名を前面に出して訴えます。ご理解下さい。

平良夏芽(日誌責任者) 「企業の名前を出すべきでない」という意見に一言。米兵も自衛官も、防衛施設局の職員も生活を持っています。個人的に攻撃の対象にしてはならない人たちです。大切な人達です。だからこそ、この人達に人殺しの手伝いをさせてはならないのです。「生活の為ならば、仕方がない」ではなく、「すべての人が生きていける道」を模索する人間でいて欲しいのです。告発は、そのためのものです。目の前にいる企業の人間が血便を出しながら悩み苦しんでいるのを知っています。でも、基地ができたら血便ではすまないのです。人が殺されているし、殺され続けるのです。企業名を明らかにした理由をご理解いただけるでしょうか

ジュゴンの家日誌
いつもお店に韓国のりを売りに来る横井さん。
宜野湾から、キムチと韓国のりを車で売るために来ています。

「おいしい韓国のりはいかがですか〜!?」




5月17日(月)

座り込み29日目
修さんが貸してくれた本。
1992年、ブラジルで開かれた
国連の「地球環境サミット」で、12歳の少女が大人たちに問いかけたスピーチ。
長崎から来た今村さん(左)。
ジュゴンの家の賛助会員になってくれています
今村さんから差し入れの長崎カステラ!!! 人数が多いのでちょっとずつ切ります 伊江島から謝花さんも駆けつける
「命を守る会」事務所ではセツ子さんがご飯の支度をしています。 ニラの下準備中。
「何にしようかな、ニラ玉かな・・・」
漁港内のマナーが守られるよう、テントの外で注意をする役をやる篠原さん
平和運動センター・山城さん だんだん雲行きが怪しくなってきました・・・・ 急いで雨除けのシートを下ろします
晋くん日誌
5月17日(月)
・防衛施設局は来ませんでした。

午前中から200名ほどの人達が辺野古に集まっていました。普天間包囲行動を16日に終え、辺野古に来られた方が多いようでした。
神奈川、東京、北海道、四国、神戸、九州、とにかく色々なところからです。今日だけで少なく考えても400名は座り込みに参加していきました。全国の関心度はどんどん「拉致被害者」から辺野古へと動き出しています。
私達はもっと訴えを広げていかなければなりません。
辺野古の闘いは継続して人を全国から送り出し、継続して支援をしていただけるようにしなければならないと感じています。長丁場になるかどうかは相手の出方次第なのですが、状況は常に緊迫しています。

日々の闘いに求められることは自分達が常に緊張感を持って現場とかかわり、訴え続けることに誇りを持って実行することです。だからこそ、全国、世界中から私達に支援が必要です。共にそれを共有して闘い続ける事をやっていかなければなりません。

今日は午後からどしゃぶりとなりました。台風も近いせいもあってちょっと大変。座り込みをしていた人達は全員ずぶぬれ。風邪をひく人が出なければいいけれど。
炊事場のせっちゃんはかやぶきの屋根のうちに住んでいるため「台風が来たら屋根が飛ぶー」と気が気じゃない。沖縄の台風は本当にすごい。プレハブ小屋さえもふっ飛ばす。なんとか、台風で守る会が飛びませんように。
防衛施設局の建物が飛ぶように。念力を送っとこう・・・・・うーーん。

辺野古の情報を毎日ホームページで更新させ、発信しています。周りにこのホームページを活用し、伝えていただければ幸いです。
ジュゴンの家(写真つきで発信しています)
http://www47.tok2.com/home/dugong/index.html 
沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団(文章だけですが、とても早いです。)
http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/  
の二つです。

ヘリポート建設阻止協議会 (命を守る会) / 〒905−2171 沖縄県 名護市字辺野古 243
пEFAX 0980−55−3131 / E-mail henoko@f5.dion.ne.jp
郵便振替口座 01710-8-53407 / 加入者名 命を守る会

ジュゴンの家日誌
長崎から座り込みに来ている今村さんが、「ジュゴンの家」初来店!!
今村さんは「ジュゴンの家」賛助会員になってくれています
辺野古で買ったサザエを「夕ご飯に食べよう!!」と持ってきてくれました!! 今村さんが作ってくれた長崎のお土産、皿うどん。すごくおいしかったです!! 「いただきます!!」


5月16日(日)

座り込み28日目・普天間包囲集会当日
大西さんが、誕生日会のご馳走を持ってきてくれました!!! お魚が入ってるサラダ!!!
「おいしそう、いただきまーす!!」
悦美さんもパクッ!!
みんな大喜び!!! うららちゃんもいただきました。
お魚がとってもおいしかったです!!
肩たたきをするヒサ坊さん 白いTシャツにペンキでメッセージを書きます 「We are prepared to die」・・・
「私たちは死ぬほどの覚悟でやっている」という意味だそうです
みんなが書いたTシャツでいっぱい
団体の方たちが来る。安次富さんが説明をする 議員も来る
人でいっぱい!!! WWFジャパンの花輪さん
東京から帰ってきて、朝市のおばあたちにまだあいさつに行っていなかったうららちゃん。辺野古から瀬嵩へ行く。

久しぶりに会ったおばあたち。
「何ヶ月ぶりね〜、いつ帰ってきたの、」とおまけをたくさんくれて歓迎してくれました。


→瀬嵩から見たキャンプ・シュワブ
夜。楠本さんから誘われて夕ご飯をごちそうになる。
名護の一軒家でパソコン教室&カフェをしている楠本さん 素敵な庭。井戸水が出るそうです。暑さ対策で、水をシャワーで撒いていました パソコンのコーナー
庭にある畑。 娘さんのすぴかちゃん
←小鳥の巣箱

→夕ご飯。
楠本さんの奥さんが作ってくれた
パパイヤチャンプルー、じゅーしー、
トマト、にんにくの焼いたもの。

おいしかったです!!ごちそうさまでした!!!
5月16日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

本当に久しぶりにゆっくとした日でした。普天間包囲行動でたくさんの人々けが南部に出ていたせいもあり、おばぁ達が辺野古区の運動会ということもあり、静かな日でした。

お昼に座り込みの参加者からも代表で包囲行動に出ます。皆で送り出す。「基地建設反対を訴えてこいよーー」と檄が飛ぶ。

普天間を返すといってから「約束の7年」はすでに過ぎた。橋本元首相は約束を守っていない。あのラムズフェルドが「返還してもいいんじゃないか」と言っているのにもかかわらず。
政府は普天間に住む人達の苦しみ、痛み、その声さえ封殺してきた。
座り込みをしている辺野古では防衛施設局が来たときに「あんたたちは普天間飛行場の滑走路の真下に住んでみなさい。私達の気持ちが少しは感じられるはずだ。私達はここから逃げられないんだ。」と訴えた、けれど彼らは答えなかった。
この国は間違っているぜ。
だからこそ今回の包囲行動は多くの人々が参加した。人々の怒りが普天間基地の返還を呼びかけている。もっと多くの人々が一緒になって訴えない限り普天間基地の返還はない。訴え、もっと広げましょう。
宜野湾市では5月15日に「異常事態宣言」をしている。伊波洋一宜野湾市長が先頭になって普天間返還を訴えている。国はこの国にとっての異常事態をどう受止めるのか!
普天間基地をなくせーー!!

午後、座り込みに普天間に行っていた人々が帰ってきた。伊江島の「わびあいの里」の謝花さんが来られ、本部P3C自衛隊基地に反対しているおじぃ、おばぁが座り込みに合流した。まさに沖縄の闘いの歴史が辺野古で合流しているようです。
闘い抜いてきた人達の独特の雰囲気はその場の空気を変えていた。辺野古の現在の闘いのものすごさを人との出会いが教えてくれる。

歴史が動いていく。私達の闘いと共に。

5月Aへ 日誌indexに戻る 5月Cへ
inserted by FC2 system