ジュゴンの家・日誌
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沖縄タイムス http//www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報  http//www.ryukyushimpo.co.jp/

同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子
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5月C

  緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための泊り込みの監視が行なわれています。この行動に必要となるお金(食事代等)のカンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!
カンパを振り込まれる際は、必ず「座り込みカンパ」と明記し、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!


那覇防衛施設局が出した環境アセス方法書・
「市民アセスなご」が 出した市民からの方法書が読めます!!
みなさん読んで、施設局に意見書を出そう!!
「市民アセスなご」のホームページはこちら↓↓

http://www.nagoshimin.com/index.html




5月31日(月)

座り込み43日目
きょうはよく晴れて暑いーー。 大阪から来ている「花は土に咲く・キャラバン隊」の方たち。
「日の出を見ようと思って辺野古まで来て、見える場所まで案内してもらったが、日の出は米軍基地からだった。悔しくてカメラのシャッターを押さなかった」
2000年、初めて辺野古の海に来た時に作った、という「あつい風さむい風」を歌ってくれた。
3曲目。
「基地はいらんかね」、
「基地はいらんよね」を女性、男性に分かれて歌う。
はいっ
「基地は〜〜いらんかね〜」
はいっ
「基地は〜〜いらんよね〜」
歌の後は、大城ヨシタミ名護市議が基地や東海岸の海のことを説明 上空をヘリコプターが飛んでいます。
どうやらマスコミの取材のようです。
「お〜い!!」と手を振る。
最後にもう一曲。「島の思い出」。
ボーカルの女の人は初めて沖縄に来た時基地のことを知って、「海が泣いている」と感じたそう。
歌いながら涙ぐんでいた
カメラマン・アサミさんがアメリカがイラクに打ち込んだ劣化ウラン弾のことを話す。
「放射能の半減期は45億年。人類が存在する間は無くならないと考えていい。イラクでは白血病、奇形児の出産、癌が増え続けている。イラクの人達を根絶やしにするつもりか・・・。沖縄では鳥島で劣化ウラン弾が使われた。どう影響するか心配だ・・・・」
大西さんが育てた“名護ラン”を持ってきた。「いい匂いがしてなごむでしょう。このテーブルでみんなで意見書を書きましょうね」 なんだか不思議だ。
流木(?)に蘭が植えてある。というか紐で縛ってある。
蘭は水があまりいらないんだそうだ
ちっちゃいけどちゃんと花が咲いている。匂いをかいでみたらすごーくいい匂いでした
金城祐治さん 昨日の舞台やテントの片付け・ゴミ拾い。たくさんではありませんがやはりゴミが落ちていました。自分が散らかしたままということは誰かが片づけているということなのです。自分で出したゴミは自分で片付けましょう。お互いに気をつけましょうね・・・!!(うらら)
晋くん日誌
5月30日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

 今日はハーリーと満月まつり。朝からたくさんの人が集まり、漁港内にも車が溢れていました。
 午後1時からハーリー大会が始まり、太鼓の音が響き渡る。「カーン!カーン!カーン!」えっさほいさ!と漕いでいく。見た人の話では「米兵は海兵隊のくせに運転が下手でどうしてもキャンプシュワブの方に向かってしまう。
”帰るのカー”と皆で大笑いしていた。」とのこと。
 キャンプ・シュワブは現在イラクのファルージャへ1500名以上を送り込んでいるため今回の参加者はいつもの半分というところでした。
 基地建設を失くし、基地をなくさなければ次に送られるのは今日、きさくに笑っていた米兵達です。なくさなければ。

 昔の琉球の海人はこのさばにを使って大海を渡っていたというからすごい。帆をつけたとしても横波にも弱いし、すぐに沈む。けれど軽くて小回りが聞く。帆をつければ速さも出そうです。そういう意味でとても効率よく作られています。
 名護でさばにをつくる風景を見たことがありますが、大木を束ねてそれをくりぬいていくというものでとても大変。
でも一度つくって乗ってみたい気はします。

 午後4時座り込みの後ろにある埋立地で「満月まつりIN沖縄」を開催!!
300名ほどの人達が集まっていました。選挙期間中でこれほどの人が集まるのはすごいことです。

 韓国でも昨日、今日と2日間続けての「反米軍基地」と「イラク派兵反対」を掲げたイベントが行われています。
今回、満月祭りは全国、全世界合わせて70箇所で開催。世界的な広がりを見せています。
満月の下、全ての共に生きる生命を守るために満月まつりは大きなうねりとなっています。

 ライブ、一言メッセージがかわるがわる行われ、次第に会場の熱気は上がっていきます。
 一言アピールでは”泡瀬干潟、靖国問題、住其ネット反対、ジュゴン保護、浦添軍港反対、辺野古基地建設反対”と沖縄における多種多様な訴えが行われていました。
 ライブでは新しく”PANIC8・29”という沖縄のバンドも加わり、前回からの参加で”ハズキッシュ・アイズ”や”知花竜海””スバップ&サンゴ”など若い世代からのミュージシャンが増えています。PANICはとっても盛り上げ上手です。
 フィナーレで歌った趙・博さんや海瀬頭 豊さんはやはりすごい。沖縄の歴史、怒り、在日朝鮮人としての歴史、怒り。その訴えは心の奥深くに突き刺さるものがありました。

 最後は空に満点の星と月が輝き、その中で海瀬頭豊さんの「月桃」を全員で歌いました。
感動的な一夜となり、無事に満月まつりを終えました。
やっとホっとした。よかったぁー。

 明日もまた座り込み行動は続けられます。まだまだ緊張は続きます。

5月31日(月)
・防衛施設局は来ませんでした。

 今日は防衛施設局も来なかったので、とても静かな一日でした。
 県民会議は今日の午後2時から那覇の防衛施設局で前回の「公開質問状」に対する回答を防衛施設局に求めましたが、「2週間先に答える」との双方の了解の上でまたも先延ばしになりました。
 公開質問状は「住民説明会を行うのか答えなさい」というものですが、5月24日に回答を求めた所、防衛施設局は「口答」での回答をしようとしたため県民会議が抗議し、「7日間後」の回答となっていました。
 防衛施設局のずさんな対応に座り込み参加者も激怒しています。

 沖縄の未来を決める状況を彼らは「口答」で答えようとする。絶対に許せるものではありません。

 昨日の満月祭りを無事に終え、今日は片付けに追われていました。
 午前6時30分ごろ「作業用の台船」が来たため一時緊迫しましたが、辺野古では停泊しなかったのでとりあえず落ち着きました。
 毎日が闘いである状況を継続し、長期的な闘いにも備え、一人ひとりが思いを新たにして座り込みを継続しています。

 命を守る会の裏側にはドラム缶風呂を造りました。今日は泊り込みの皆で始めての風呂たきをして汗を流しました。
ドラム缶の鉄分がなんともいえない「温泉」のようなお風呂にしています。うーん、ポイントは鉄分か!
 そのうち、「命を守る会温泉」で有名になりそうです。


5月30日(日)

2004年満月祭り・in沖縄!!!
夜から参加したうららちゃん。
会場は座り込み現場の隣の埋立地。すでに盛り上がってました!!!
「ハズキッシュ・アイズ」の舞台。
『みんな、一緒に!!モーレ、モーレ!!(踊れ、踊れ)』
「モ〜レ、モ〜レ!!!」
宮城盛光さん
知念良吉さん 渋〜い声が響く!! ノリノリの真喜志さん
沖韓民衆連帯より報告 カキ氷を食べる篠原さんと うららちゃん
島田みちささんと、海勢頭豊さんの娘さん 渡具知さん一家 東恩納家+阿部さん
受付を手伝う2人 玉城さん(左) 赤嶺さんも来ています
スバップ&サンゴ 座り込みテントから見る人、 埋立地の会場で見る人。
会場では泡瀬干潟の写真も展示されていました
月が出ています 連帯メッセージを読み上げる晋くん 趙博さんが歌う
(曲名がわからないけど)厄払いの歌、そして「ヨイトマケの歌」「ソウルから平壌まで」・・・
海勢頭豊さんたち。歌は「喜瀬武原」「月桃」「ザンの海」・・・
みんな踊る踊る!!!読谷の彫刻家・金城実さんも踊る、パギさんも踊る
辺野古のおばあたちも楽しんでいます 最後に出演者全員でフィナーレ まよなかしんやさん。
「僕たちがボーリング調査を42日間とめている!!!基地はいらない!!戦争はいらない!!!これからもがんばるぞーー!!!!」



5月28日(金)


ジュゴンの家日誌
女の子たちが遊びに来ました。
黄色いリボンにメッセージを書いてくれました!!

マナティーが好きでいつもマナティーの絵を書いているんだって。
ジュゴンも上手だね!!


ボーリング調査阻止・座り込み40日目
カメラマンのアサミさんが撮った写真を見る かわいいジュゴン・Tシャツ
←体操の時間。





→当山さんも
昨日作っていた看板ができました。
立派!!
アサミさんが写真を撮ってくれた
篠原さんの沖縄タイムスへの投稿記事
基地の建設を中止させよう
篠原孝子


 豊かで美しい辺野古の海を埋め立てられたくないという思いで座り込みを続けていますが、造られようとしているのが「基地」だということも反対する大きな理由です。
 浜の米軍フェンスの前に立つと目の前の浜で訓練した米兵たちはイラクのファルージャに行って何人死に何人殺したのか嫌でも考えさせられ、心が痛みます。
 去る二十日、金武町のキャンプ・ハンセン内に着工されようとしている都市型訓練施設の建設中止を求める町民大会が開かれ、その中で町婦人連合会長さんがそれを「至近距離から人を殺す訓練をする施設」と適切な表現をされました。
 新しい施設、基地の建設はその身近な住民の安全を脅かし、自然環境を破壊するばかりではなく、戦場では罪のない人々が殺され、建物や自然が破壊されることになります。基地での訓練は人としての感情をも奪います。兵士もまた被害者です。基地によってこれ以上、不幸な人を生み出さないために都市型訓練施設も辺野古の海上基地も建設を絶対に中止させましょう。
晋くん日誌
5月27日(木)
・防衛施設局は午後4時ごろに来ました。

今日も防衛施設局が来ました。
午後4時10分、車2台と8名をつれて。

座り込みにちょうどカヨウのおじぃが来ていました。
「あなたたちは子ども達を戦場に連れてゆくためにきたのか!!」と熱のこもったカヨウのおじぃの声が響き渡る。
「今、私が調子を悪くするとたくさんの人達がお見舞いに来てくださる。色々と助けていただいている。しかし、あなた方に問いたい、戦時のときに誰か見舞いに来てくれると思いますか?」おじぃが聞く。
「えー・・・ど、どうでしょうか。ちょっと分かりませんが。」と施設局職員。誰もが答えに詰まる。
「見舞いは来るよ。」おじぃ。
「・・・・・??」職員。
「銀バエがね。」おじぃ。
全員が声を詰まらせていた。沖縄戦を軍人として強制的に参加させられ、そしてけがしたおじぃからすると当然の答えであったのかもしれない。
「それが戦争なんだ。」銀バエの嫌なあの音をおじぃは今でも夢で見るという。
「うじのときは毒を吸い出してくれるからとても気持ちが良いものだ。ただ、穴という穴に入ってくるからよ、目の中に入られるととる時にものすごい痛いんだ。」よく私にそういって戦争のときに受けた傷を見せた。

沖縄戦を経験したおばぁ、おじぃからすればこの闘いは当然であり、自分たちの尊厳を取り戻す闘いなのかもしれない。もちろん私はそれを当然としてはいけないと考えていますが、堂々として誇り高く座っている、何事にも臆せず向かっていくおばぁ達を見るとその歴史の重みを感じます。
沖縄の背負ってきたこの数百年、そして名護市民のこの8年はそれほどまでに厳しく、重く、誇り高いものだと感じています。

防衛施設局は4時30分には引き上げていきました。

金武町では監視活動が続けられており、資材搬入に警戒を強めています。


5月28日(金)
・防衛施設局は来ませんでした。

梅雨なのか?と思うほど快晴で沖縄は連日30度ぐらいです。暑い!
防衛施設局が来なかったため今日はゆっくりとした一日でした。
防衛施設局が来ない理由として現在が「県議会選挙」だと言うこと。30日は辺野古で「ハーリー」があること、そして「満月まつり」があることが大きくあるようです。
いつもながらにとても政治的な判断をするなぁと感じています。

名護の基地反対の県議、玉城義和さんは今回無投票で当選しました。夕方には結果が出て、お祝いに座り込み参加者が出かけていきました。これからが勝負なのでがんばってもらわなくちゃいけません。

辺野古はそのハーリーの準備でわさわさと忙しく動いています。
ハーリーは毎年行われていますが辺野古集落でも一番の行事であり、この日ばかりは集落がお祭り気分一色です。
去年ハーリーを見ましたが自衛隊も米軍も参加するという変わった行事です。
恩納空軍自衛隊は「ブルー・サンダーズ」なんていう名前をつけてこのハーリーの行事のために日々練習をしているのだそうです。案の定、去年はぶっちぎりで優勝をしていました。「集落とのコミュニケーション」なんて考えているのだろうけれど、ぶっちぎりで優勝する自衛隊を見てもうれしがる人は少ない。
逆にキャンプ・シュワブの米兵達がハーリーで船ごと沈んでいくのをみて「あきさみよぉー」と拍手喝采。沈む米兵を見るのは色々な意味で楽しいです。
個々人はいいかもしれないけれど「よき隣人政策」にもとずいてやっていることを思うと腹が立って素直に楽しめるものでは決してありません。
その内、防衛施設局も出るのかな?

「満月まつりIN沖縄」がその日と重なって、こちらも大忙し。準備やら打ち合わせやらでてんてこ舞いです。
でも良い舞台を作るってそういうことなのかもしれない。

さてそろそろ、沖縄は台風の季節です。台風にたくさん来てもらってボーリング調査を阻止してくれたら良いです。
でも台風が来ると農作物が多大なダメージを受けるのでボーリング設置場所だけ降ってくれぇーーー。

5月27日(木)

晋くんからの緊急メール
辺野古から。
現在、防衛施設局が辺野古漁港入り口に来ています。
車2台で8名です。
今のところ業者や警察による介入はありませんが、緊張しています。
辺野古より、午後4時30分。
カヨウのおじぃが説教をし、防衛施設局は引き上げていきました。
たったの10分間の訪問だった。
5時に仕事を終えたいから、早く帰ったのだろうか?
とりあえず緊張は解けています。


座り込み39日目
命を守る会前にあった、まだちっちゃいパイナップル。甘い匂いがしておいしそう!!誰かの差し入れかな 「命を守る会」代表・金城祐治さんがあいさつ。 雰囲気を変えて朝からヨガ教室です
「いたたた!!これ以上伸びないわよ〜」と山口洋子さん みんなでストレッチ!!硬くなった体をほぐしましょう!
息を吸いながら、水平線を両手でなぞるようにして・・・・・ 胸の前へ手を持ってきて・・・・息を吐きながら手をゆっくり降ろします ・・・海のエネルギーをもらいましょう
大西さんから昨日の報告。
「昨日は施設局職員にゴザの上に座ってもらい、8年間辺野古で座り続けてきたおばあたちと話をしてもらいました。職員は、聞いた事を上司に伝える、と言っていました。・・・」
「命を守る会」事務所前では、
座り込み日数をしるすボードを製作中。
これを板で作ります。 辺野古ではこの時期毎年、ハーリー大会が行われます。30日は大会当日。集まる人の邪魔にならないよう、事務所周辺は駐車厳禁です!!! 「一番かっこいい写真を撮って!!」と修さん。持っていたサングラスにマスクで・・・
浜で琢磨さんが、三重から来た中学生たちに辺野古の基地の現状、新基地計画のことを話す。 ジュゴンのことを説明する
座り込み場に来て、生徒達が一人ずつ今日の感想を話す。「ジュゴンが絶滅しそうなのに、ここに基地を作るなんて。」「日本が無責任な態度をとっている」「知らなかったことがいっぱいあってびっくりした。」「帰ったら周りの人に見たことを伝えたい」など、緊張しながらもひとりひとり話しました。
新聞社に取材をされる生徒たち
晋くん日誌
5月27日(木)
・午後、防衛施設局が来ました。

金武町伊芸区・・・・・
今日、金武町では伊芸区の住民がキャンプハンセンのゲート前で資材搬入の状況をチェック。一台一台どんなものが搬入されているのかチェックしているとのこと。
伊芸区民は
「狭い沖縄になぜ新たな実弾射撃訓練施設が必要なのか。レンジ4は民間地からわずかに300メートルしか離れていない。いつ実弾が飛んでくるのか不安だ。」
とこの国の理不尽なあり方に怒りをあらわにしています。

繁木敏充沖縄担当相の「基地機能強化でない」との発言には唖然としてしまいます。
知事は形だけの「反対」を繰り返している。
海上基地建設もレンジ4訓練施設建設も県民の総意として反対されているにもかかわらず・・・この国は間違っている。

伊芸区は監視台のほかに新たに闘争小屋を建設することを決めた。闘いはこれからだ。

辺野古・・・
午後2時30分防衛施設局が車2台で10人を引き連れて辺野古に来ました。
こちらの代表が対応し、今日は辺野古のおばぁ、おじぃが直接訴えることとなった。

「県知事も防衛施設局もしっかりとこの海を見たことがないじゃないか。基地を作る時代ではない。
未来に、後世に何を残すのか考えれば、この海を埋め立てて何の利益があるのか。
この8年の間に6人の方が思いを残し、天に召された。その方たちの思いと共に私達は人柱になってでも止める覚悟が出来ている。」と金城祐治さんが訴える。

「わったーは90年間この海と共に生きてきた。戦争が終わって、何もなかった時、この海があったから生きられた。
子どもたちが無事に成長したのもこの海のおかげさ。基地建設をするというのなら、わったーを殺してから行け!!」
92歳になるおばぁが語る。

日本政府はこの海で生き、生活してきた人々の根底からの叫びを聞け。
今すぐ基地建設から手を引くんだ!おばぁやおじぃに手を出すというのなら絶対に許さない!
この海を殺すということは、おばぁ、おじぃを殺すということだ。

午後3時、防衛施設局は引き上げていった。
おばぁ達はいつものゆんたくをして5時ごろ帰っていきました。
誇りを持って堂々と。


ジュゴンの家日誌
周ちゃんが来ました。


「羽やんによろしく伝えてください」と周ちゃん


5月26日(水)


座り込み38日目
←朝。今日も新聞を配る大城ヨシタミさん。昨日のタイムス投稿欄の、ちか子さんの記事が載っています


→那覇市議・高里鈴代さん
都市型訓練施設の着工が始められた
金武町に行ってきた夏芽さん。
現場の様子を報告

「作業員の詰め所を作るため、
資材が搬入されていました。見張りの人が監視をしています。
こちらの座り込みに各地から応援が来て勇気づけられるように、あちらを通る方はぜひ顔を出してください。
連帯してやっていきたいと思います」
晋くん日誌
5月25日(火)
・防衛施設局が来ました。

金武町伊芸区のキャンプハンセン内における「都市型訓練施設の建設」が強行されました。
なんてことを。中東を、アジアを想定した米軍の演習場施設を作るということはさらに人々が殺されるということです。そんなことを許せるわけがない!!

伊芸区、金武町を上げて施設建設の反対を訴えたのにもかかわらず、そこで生活する人々の心からの訴えをこの国は踏みつけて押しつぶした。怒りは収まりません。

強行されたということですが、現在どのような状況なのか報告をします。
「25日午前8時には、資材を積んだトラック数台と乗用車が次々と現れ、測量作業などが始まった。」と琉球新報の夕刊には載っています。
在日米軍は作業開始したことを認めています。

今日、金武町にいった方の話を聞くと、現在の測量作業は「ヘリパッド」を作るためとのこと。
資材搬入を空からヘリにより行い、地元の人々の怒りの声、阻止線を突破するつもりなのだろうか。
辺野古でいうと海から全ての搬入を行い作業をするということなのだろうか。

それでも私達は命がけで止めるのです。

都市型訓練施設の建設は完全に「住民無視」をしています。これが「アメリカ」です。
防衛施設局は「着工するかどうか米軍の連絡の義務はない」としている。これがこの国なのです。

私達はそのあり方を否定して座り込んでいる。
私達の座り込みが金武町の人々と共にあることを願い、そしてその正しい行動が成功することを願っています。


午後2時、辺野古座り込みの場所に防衛施設局が来ました。
用件は「退去を求める。私達の基地建設の着工の方針に何も変わりはない。」ということ。
こちらの代表の大西さんや具志堅さんが相手をしました。
座り込みをしている人々に聞こえるように実況中継マイクをとりつける。座り込み現場から時には拍手がおこる。
30分ほどして、午後2時30分。防衛施設局は引き上げていきました。

私達は大きなうねりの中で生きている。それを変えるのも誰かが一石を投じるからなのかもしれない。

今日の午後は辺戸で最終処分場建設に反対して木に身を鎖で縛り付けたおばぁ達がバスでやってきた。
辺野古にはありとあらゆる人間の尊厳を待った人々がやってくる。
その度に生きる力をもらっています。


5月25日(火)

パソコン直りました!!みなさんおまたせしましたぁぁ!!!復活した写真つき・ジュゴンの家日誌をどうぞご覧ください!!!


晋くんからの緊急メール
現場より。
現在、14時。防衛施設局がわナンバーのワンボックスカー2台で8名の施設局員を引き連れて漁港入り口に来ました。こちらの代表者大西さん、具志堅さんが相手をしています。
座り込み現場にも実況放送用マイクを取り付け、時には拍手がおこっています。
今のところ、業者、警察を入れるという動きはありませんが、緊張が続いています。
現場より。
現在、午後2時30分。防衛施設局は引き上げていきました。
要求は「退去していただきたい。私達は基地建設を進めるだけだ。」とのこと。毎日でも来るということもいっていたようです。
現場は防衛施設局が去ったということで少し緊張がほぐれています。


座り込み37日目!!朝
←浜でみつけたキノコ

→今日の海はとても静かで、空気は冷たく澄んでいました。
キャンプ・シュワブの上から朝の陽が降りてきて、
オレンジ色の光が基地に降りそそいでいました。
朝のミーティング。
大西さん
「きのう、沖縄県民会議が防衛施設局に対して行っていた『住民説明会をしてほしい』という要請書への回答が、口頭でありました。(正式な書類できちんと回答しなさいということを話し)施設局の回答は来週の月曜になりました。
私たちの座り込みは1ヶ月になりました。この蓄積に自信を持ちましょう。
見張りをする人、ご飯を作る人、座り込む人・・・それぞれの分野・役割があります。自分たちを信じてやりましょう」
山城さん
昨日の報告「相手も厳しい状況になっています。自信を持ってやっていきましょう。頑張れば必ず道は開ける!!」
大城ヨシタミさんが新しい資料を持ってきました。
スクラム練習


 只今、「ジュゴンの家」のパソコンが壊れていて写真が送れません。
現在、パソコン不調のため文章のみ、東京の「街」から送信しています。
新しいパソコンを注文したので現地写真はしばらくお待ち下さい
辺野古の現在
10時55分
現在、辺野古漁港に防衛施設局があらわれました。
ワンボックスカー2台です。数は10名ほどでまだ未確認。機動隊は来ておらず、警察は公安が2人だけです。
辺野古の人数が少なすぎます。集まれる方は至急、辺野古へ!!!!

11時と思ったら、今、帰りました。用件は「13時30分に作業場の復旧を行う」とのこと。
13時30分、現在。防衛施設局が来ました。
今、確認中ですが、防衛施設局員が5名ほど、応用地質の作業員が5,6名のようです。車は3台ほど。作業場をなおしにきただけだとは思いますが、注意が必要です。こちらは前回の作業場の柵の数などを正確に把握しているのでそのつどの対処をしていこうと考えています。

確認が取れました。
防衛施設局が5人。応用地質の作業員が3名。請負作業員が6名です。車は全部で4台。車種などは未確認。
1台が作業場の敷地内に入っています。

5月21日(金) 「ジュゴンの家」日誌
今日、新しいパソコンが到着する予定です。
阻止行動32日目
5月20日(木)
・防衛施設局は来ませんでした。

 台風のため、少し人が少ない中で今日も座り込み行動は続けられています。どうやら台風がそれるようです。天候も私達の味方をしているように感じます。 ユタ(沖縄でいう神人)の人が「ニライカナイの神様はあなたたちを守っている。体に気をつけて続ければ必ず勝利するでしょう。」と言っていました。自分達の足元を見失わず、続けていくことの大事さを言っているように聞こえました。

 今日の団結弁当はゴーヤーの和え物、てんぷら、チキンの和風和え、白ご飯でした。差し入れで農家の人達が新鮮野菜を持ってきてくれ、炊事場の人達が朝早くからしこみをしてくれているのでどんどん豪華になっています。
 おばぁ達が「たまには休んでよー」と炊事場に声をかけると「いいーいいー。わったー達はおばぁに負けないためにやっているんだよー。」と必ずかえす。助け合いの中で お弁当は作られているので愛情がたっぷり入っています。クワッチーサビタン。

 午後、団結弁当を食べようと箸をとると、キャンプシュワブ内から「ウーー−ーー」と5分あまりサイレンが鳴り響きました。方角は弾薬庫。「まさか」と
思いましたが、もしも、弾薬庫から生物化学兵器が漏れ出していたら大変なこと。夏芽さんが防衛施設局に問い合わせ、私は基地の方角へとバイクを走らせました。弾薬庫には消防車が来ていて、赤いヘルメットをかぶった米兵達が集まっていました。何かあるのかと見ていると上官からレクチャーを受けていました。

 帰ってくると夏芽さんから「防災訓練と確認がとれた」と話を聞きました。良かった、辺野古は過去、実際に毒ガスが漏れ、大きな被害をうけたことがあ
る。それを思うとぞっとする。

 ひと段落して事務所でお昼寝をしようとするとおばぁ達が集まってきました。5分と立たないうちにおばぁ達の声にたたき起こされます。半分寝ながらおばぁの声に耳を傾けていると、92歳のヨシおばぁがこんな話をしていました。
「あのねー、酒をあびる人いるでしょう。タバコを浴びる人もいるでしょう。皆ねぇ魂に傷を負っているんだよ。わったーも一本ぐらい吸うけれどね。やっぱり魂に傷を持っているわけさ。それが人間だよぉ。」という。
 おばぁ達はポロッとすごい話をします。
 帰り際、ゆんたくをしながら相撲を見ていると朝青龍が負けた話になりました。たえさんが「あんたたち!!相撲とりなさい!今のうちに練習しとけばあの人達がきたときにはねかえせるさ。」と話す。
 「確かに腹だけ相撲とりはいるけれどねぇ。」と一同。腹だけって・・・どんなよぉ。




5月20日(木)その2 「ジュゴンの家」日誌
阻止行動31日目
5月19日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

 台風のため、場所を命を守る会の前に移して座り込みをしています。台風のこもった空気がとても熱く、扇風機を外に出して、うちわをあおいでの座り込みでした。参加者人数はいつもより少し少なかったものの「今日はやるの?」という電話が10数件もかかってきました。台風の中、自分の予定を押してでも座り込みは続けられます。

 今日はタイからも参加者があり、「ここの状況のレクチャーをして欲しい」と申し出があったので私があいてをしました。レクチャーをしていく中で私が最初にすることは立場をはっきりさせるということですが、タイの方だったので「沖縄を押さえつけてきた人間として、侵略されてきた人々に申し訳ない」と話をしました。

 タイの方は「やっと話が出来ますね」と返してくれました。私達は決して対等ではない。イラクの人と私とは立場が違う、同じように沖縄と日本も。タイの人の言葉はとても重く感じました。最後にタイの方が「私達もタイでここの署名を集めたいと思う。協力したい。」と申し出てくれました。「もちろん」と言って握手で返しました。世界中で訴えが広がり始めている。国が辺野古に押し付けてきた差別に対する抗議の座り込みに国境線はない。

 座り込みには新たな情報が入りました。
「中城湾港の広場にボーリング調査のためのやぐらが搬入されている」とのことです。写真を見ると25メートル以上の深さで使うスーパー固定ブイで作業員が一生懸命足場作りをしていました。私達が座り込みをしている間に粛々と調査のための用意を進めている。

 「キャンプ・シュワブからの調査開始も検討している」との報道もなされた。彼らの卑怯さに腹が煮えくりからる思いです。
たとえ、そうなったとしても私達は命を懸けてこの海を守る。

 生きるために闘ましょう。それが私達の真実です。
<普天間代替>ボーリング機材が中城湾港に搬入   琉球新報
名護市辺野古でのボーリング調査に使う機材などが置かれている現場=19日、中城湾港新港地区

 【中部】名護市辺野古沖での米軍普天間飛行場代替施設建設に伴うボーリング調査に使われるボーリング機材などが、沖縄市や具志川市、勝連町にまたがる中城湾港新港地区に置かれていることが19日、分かった。

 機材は那覇防衛施設局から同調査を請け負った業者が所有している。同業者は以前から機材の管理を別の県内業者へ委託しており、その県内業者が県中城湾港建設事務所へ、ことし2月末に同地区へ機材を置くことを申請して許可を受けていた。

 同地区への機材の搬入は2月25日に行われ、県の許可は1カ月ごとに更新されている。

 ボーリング機材は、海上での作業場となる手すりがついた部分や、金属製のパイプなどがまとめて置かれており、まだ組み立てられていない。

◇追加方法書作成求める/市民アセスなご建議書

 【名護】普天間代替飛行場建設計画で、住民の立場から環境影響評価(アセスメント)にかかわる活動をしている市民グループ「市民アセスなご」の森山憲一共同代表らは19日「同建設事業の環境影響評価方法書に対する建議書」を発表し、関係機関に送付した。先月から縦覧が始まっている同施設建設の環境アセス方法書について「設置される基地の内容がまるで分からない」として、施設の内容や運用にかかわる概要を追加方法書として作成することを求めている。

 あて先は首相、防衛庁長官、県知事、名護市長ら代替施設建設協議会の構成員など11者。

沖縄タイムス

中城湾港に野ざらし/辺野古ボーリング調査資材
座り込み影響

 米軍普天間飛行場の代替施設建設に伴い、那覇防衛施設局が名護市辺野古沖のボーリング調査に使用予定の「やぐら」状の構造物や鉄骨類などの資材数十点が、反対住民による座り込みのため沖縄市の中城湾港内で約三カ月間、放置されていることが十九日、分かった。

 同湾港内に資材を借り置きしている海上土木の工事会社によると、資材は今年二月下旬から一時的に借り置きしている状態が続いているという。六月分の申請もすでに終えているといい、調査延期の長期化にも備えている。

 那覇防衛施設局は「一時的に資材を保管している。中城湾港から作業船などが出て行く計画はない」と説明している。

     ◇     ◇     ◇     

漁業者補償で早期対応要請/施設局へ名護漁協

 米軍普天間飛行場の代替施設建設に向けたボーリング調査の中断で、名護漁協の神山正樹組合長と豊島貞仁辺野古支部長ら代表四人が十九日、那覇防衛施設局に岡〓匠局長を訪ね、調査船借り上げで待機する漁業者の生活が追い詰められているとして、調査の早期実施か損失への対応を求めた。

 岡〓局長は早期の調査実施について、「相手(反対派)もあることなので、円満な形で引き続き努力したい」と述べるにとどまり、具体的な時期については言及しなかった。一方で、漁業者への損失補償については「基本的には契約業者と漁民の問題だが、局として適切に対処していきたい」と要請を前向きに検討する姿勢を示した。

 また、米軍キャンプ・シュワブからの作業船出港を検討しているとする一部報道について「現在、具体的な計画や考えはない」と明確に否定した。

 神山組合長らは、調査延期に伴い一カ月間、待機料やキャンセル料が支払われていない現状を踏まえ「全く先が見えない現状で長期にわたり収入がなく生活が厳しくなっている」などと訴えた。

 名護市の末松文信助役にも、早期の問題解決への協力を要請。神山組合長は「座り込み住民などの排除を求めるものではない」とも話した。

※(注=〓はへんが「山」でつくりが「竒」)

<普天間代替>小泉首相「代替なし」要求否定  琉球新報

 【東京】小泉純一郎首相は19日の衆院武力攻撃事態特別委員会で、「訪米して米軍普天間飛行場の代替なし返還を求めるべきだ」と問われたのに対し、「地方公共団体とも十分協議せねばならない。米政府には常々、日本の立場を伝えている。早期解決にこれからも努力したい」と述べ、代替なしの返還要求に否定的見解を示した。東門美津子氏(社民)への答弁。

 有事の際に県民が島外避難する場合の航空機や船の確保について、東門氏が「全島避難となれば、県だけで輸送手段を確保するのは難しい」とただしたのに対し、井上喜一有事法制担当相は「避難は国が指示するので、当然、国の方で所要の支援をしなくてはいけない」と述べた。

 有事関連法案で港湾の米軍優先利用を定めていることに関連し、赤嶺政賢氏(共産)は「在沖基地から出撃した米軍はイラクで老人、子供を虐殺しているが、日本はコメントする立場にないという。では、有事に日本が支援する米軍に対し、行動を限定する仕組みはあるか」とただした。井上担当相は「支援は武力攻撃事態に限定しており、他の目的に使われることはない」と答えた。赤嶺氏は「支援後の米軍を日本が律することはできない。憲法違反だ」と訴えた。

◇ジュゴン保護署名1万人/守る会が首相あて提出

 【東京】普天間飛行場代替施設建設に反対している市民団体「北限のジュゴンを守る会」(鈴木雅子代表)は19日、計画の撤回とジュゴンの保護を求める85カ国、1万104人分の署名を小泉純一郎首相あてに提出した。同会は2002年11月から署名運動を開始。国際会議の場などで賛同を募った。1万104人のうち海外からの署名は764。

 対応した内閣府の武藤義哉参事官は「政府としてもジュゴン保護は認識している」と述べるにとどまった。


5月20日(木) 「ジュゴンの家」日誌
14:00 辺野古より
防衛施設局が近くまで来ているとの情報がありました。
瀬嵩で機動隊がいたとの声もあり現場は緊張しています。
どういうことで来ているのかまったく分かりませんが、来られる方は至急辺野古へ!!
15時の辺野古
辺野古を心配しておられる皆様へ。
さきほどの連絡からしばらまくがたちましたが、今のところ動きがなく緊張態勢を解
除しました。
物音1つ、身動き1つで反応すねのが座り込みです。ご理解ください。
16:06
辺野古からの情報。
中城湾港に25メートル以上のボーリング調査に使うスーパー固定ブイを確認しました。
その他、ボーリング調査に必要な関連機材の手入れを作業員がしています。
いよいよという感じです。

ボーリング実施働き掛けを要請/名護漁協、市に<2004年5月19日 沖縄タイムス夕刊 5面>

 名護漁協の神山正樹組合長と豊島貞仁辺野古支部長らは十九日、末松文信名護市助役に対し、普天間飛行場の代替施設建設に向けたボーリング調査中断で、待機している漁業者の生活が追い詰められている―として、早期実施を那覇防衛施設局に働き掛けるよう要請した。ただ、神山組合長は「座り込み住民などの排除を求めるものではない」とも話した。

 ボーリング調査では同漁協の漁船が作業船に使われるが、作業中断で漁業者は待機を強いられ、本格的な漁に出ることができない。待機料やキャンセル料もない。神山組合長は「長期にわたり収入がなく、生活が厳しくなっている」と述べた。

 辺野古漁港付近では同日、三十一日目となる座り込みが行われている。

<ノグチゲラ>「絶滅危ぐ種」指定を再検討へ    琉球新報

 【ワシントン17日=本紙駐在・森暢平】沖縄本島北部にしか生息しないノグチゲラについて、米環境保護団体「生物多様性センター」(CBD)が内務長官など米政府高官を相手どり米国の種の保存法上の「絶滅危ぐ種」に指定すべきだとワシントン連邦地裁に訴えた裁判で17日、和解が成立した。

 米魚類・野生生物保護局(FWS)は24年前、ノグチゲラを絶滅危ぐ種に指定するよう求める申請書を受け付けていた。米高官側は申請をたなざらしにしていたことを認め、今月末までに申請の手続きを開始し、指定するかどうかの再検討を開始することに同意した。

 CBDの太平洋地区の責任者・ピーター・ガルビンさんは「和解によって米当局がノグチゲラを絶滅危ぐ種に指定する方向で動くことを期待する」とコメントした。

 ノグチゲラの多くは米海兵隊北部訓練場に生息し、新しいヘリパッドの建設計画で成育環境への影響が懸念されている。ガルビンさんは「裁判でノグチゲラが再び注目を浴びた。絶滅につながるような日米政府の自然破壊がなくなればと思う」と話した。

 FWSは1980年、ノグチゲラについての申請を受理。法律では指定の可否を1年以内に決めることが義務付けられている。しかし、FWSは5回にわたって決定を先延ばしにした後、91年以降は申請を一度も見直していなかった。


有事法制7法案の衆議院審議打ち切り・採決強行を許すな!緊急の国会行動へ!5/18
 「ヨッシーとジュゴンの家」のホームページから
天下に挑戦状を叩きつける!」と
言って国会前を歩き回っていたおじさん。
妙法寺の方も沢山いました!
「ジュゴンの家のHP、写真がなくて残念だね・・」と、
いろんな人が見ていることを知ったのでした。

5月19日(水) 「ジュゴンの家」日誌
防衛施設局の台風対策。阻止行動30日目
5月18日(火)
・防衛施設局の3度の訪問がありました。
今日で座り込みは一ヶ月を過ぎました。一日も早く基地建設がとまることを願います。

午前6時、どしゃぶりの雨の中、今日も午前中から60人あまりが駆けつけ座り込みが始まります。

午後、団結弁当を食べ少しゆっくりしていると「防衛施設局が来た」との連絡が入った。急いで駆けつけるとすでに防衛施設局員は帰っていた。事情を聞くと、「防衛施設局は作業ヤードの台風対策をしたいと言ってきた。とりあえずこちらも話し合いがしたいのでということで帰ってもらった。13時30分にまたくるといっていた」とのこと。
その前に警察隊が別件で辺野古漁港に来ていたため全員に緊張が走る。

13時30分、防衛施設局がまた訪問。
「台風対策のため、作業ヤードの補強をさせて欲しい」とすでにトラックまで用意してきていた。こちらの代表が「私達は撤去を望んでいる。台風対策なら補強でなくとも撤去できる
のではないか。」と答える。「一度戻って検討する」と防衛施設局。米兵に守られ、現場監督所がある基地内に帰っていく。

15時再度、防衛施設局が来る。
「検討した結果、撤去した物資は作業ヤード建設敷地内に置かしていただく。台風が過ぎた後、また再建する。」と防衛施設局員。物資の撤去作業には防衛施設局員3名。応用地質の作業員が3名。地元の請負いをしている作業員が10名で作業。
5名いれば出来る仕事をなんだか、たくさんでやっていた。よっぽど早く引き上げたいのだろうか。
再建する場合は先に応用地質が命を守る会事務所に電話するとのこと。再建しないでそのままほっとけばよかろうに。
応用地質にとって不況の中で5億4千万円(ボーリング調査の受注額)の仕事は大きいのだろうか。金が執着している理由なのだろうか。

人が建物を建設したり、物を作生産していくのは世の中を良くする為であって、壊していくことではなかったはず。応用地質株式会社はいつから住民を殺す側になったのだろうか。

座り込みには命を守る会のおばぁ達が12名も来ていました。防衛施設局が作業ヤードを撤去して帰って行くのを見て大喜び。「ここはわったーたーのうみどぉー」と92歳のヨシおばぁがどなっていた。それにしてもおばぁ達が現場で座っていると雰囲気と安心感がずいぶん違う。事務所のほうが安心感がなかったのはそのためか・・おばぁはすごし。

私は事務所のほうで今日一日、RBC(沖縄の放送局)の取材を受けていました。横にカメラがずっとあるのって結構緊張します。多くの人たちに訴える材料としていただければいいなと思います。
5月18日阻止行動日誌のつけたし
5月18日の阻止行動日誌(ホームページ)に関して。
ホームページ上の「シンサン日記」の「一言メッセージ」で「企業名を出すべきではないのでは」との助言があり、そういう思いを抱いた方もいたかもしれませんので、私からご理解いただきたく、日誌のつけたしを送ります。後の文章は日誌の責任者である平良夏芽さんの文章です。


地質調査4 応用地質(株)   5億4075万円  
         工期H150401〜H160331
地質調査1 サンコーコンサルタント(株)    9765万円  
         工期H150401〜H160331  
地質調査2 パシフィックコンサルタンツ(株)  4798万円  
         工期H150401〜H160331
地質調査3 パシフィックコンサルタンツ(株)  9345万円  
          工期H150401〜H160331
一言メッセージの「企業名を出すべきではない」との助言がありました。その気持ちは分かります。「一企業の中で生活している人もいる。企業を批判するのは少し違うのではないか。」ということに関しては私も同意いたします。しかし、今回の場合、応用地質およびそれに関係する4つの企業は「軍需産業」になろうとしているのです。それを認めないという立場から具体的な企業名を前面に出して訴えます。ご理解下さい。

平良夏芽(日誌責任者) > 「企業の名前を出すべきでない」という意見に一言。米兵も自衛官も、防衛施設局の職員も生活を持っています。個人的に攻撃の対象にしてはならない人たちです。大切な人達です。だからこそ、この人達に人殺しの手伝いをさせてはならないのです。「生活の為ならば、仕方がない」ではなく、「すべての人が生きていける道」を模索する人間でいて欲しいのです。告発は、そのためのものです。目の前にいる企業の人間が血便を出しながら悩み苦しんでいるのを知っています。でも、基地ができたら血便ではすまないのです。人が殺されているし、殺され続けるのです。企業名を明らかにした理由をご理解いただけるでしょうか

『海守れ』に支援続々/辺野古座り込み1カ月 琉球新報

1カ月を迎えた座り込み。規模を維持して行動を続ける=17日、名護市の辺野古漁港前
 【名護】普天間飛行場代替施設建設に伴うボーリング調査に反対する住民らによる名護市辺野古漁港前での座り込みは18日で丸1カ月を迎えた。参加者は、記録された25日間で2483人を数えた。那覇防衛施設局は17日も現場に姿を見せず、衰えることなく続く行動が調査を阻止している形だ。参加者は、仕事などの都合をつけて午前7時から午後7時までに入れ代わり立ち代わり漁港前に集まる。常連メンバーのほか、新聞やインターネットを見て新たに加わる人もおり、市民団体が記録を取り始めた4月23日以降1日平均約100人を維持。県外のほか韓国や米国など外国からも訪れている。

 港内での行動を「出漁しにくい」と主張していた漁民も、双方の話し合いで座り込み場所を港外に移動した後は表情も穏やかに。リーフ内など沿岸での漁も行われている。しかし作業の日程が明らかにされないため、施設局に雇われて調査に船を出す漁民は予定を立てられず、マグロ漁などの長期出漁ができない状態だ。委託業者も待機が続いている。

 ヘリ基地反対協議会の大西照雄代表委員は「基地建設に反対する地元のおじい、おばあに励まされてここまできた。よく頑張っていると思う。(伊江島で米軍の強制土地接収に反対した)故阿波根昌鴻さんの“無抵抗の抵抗”を方針として貫いてきた」とし、話し合いによる解決を求めた。

 仕事の合間を縫って連日足を運んでいる篠原孝子さん(40)=名護市=は「このきれいな海を本当に大切に思っている。問題を知った限り知らないふりはできないし、座り込みを続けないのは考えられない」と力を込めた。

 80歳を超えたお年寄りも毎日交代で足を運ぶ。高齢にもかかわらず、気丈に現場を守り続けるお年寄りたちの存在は、行動を支える大きな柱だ。「命を守る会」に詰める1人は「8年間、座り続けて工事をさせなかった。おばあたちが頑張ってるから大丈夫。勉強もたくさんしたし怖くないよ」と強い意志をのぞかせた。

◇<透視鏡2004>機動隊動員念頭も首相答弁足かせに/那覇防衛施設局

 普天間飛行場代替施設建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング地質調査について、那覇防衛施設局が4月19日に作業を開始してから1カ月が経過した。中止を求める住民や市民団体の座り込みによる強い反対運動に直面し、施設局は結局、初日に辺野古漁港で資材置き場を設置する短時間の作業をしただけで、その後は海上調査を含めて一切の作業を中断したままだ。反対派との直接衝突を避けるため、作業船の出港場所を辺野古漁港から米軍キャンプ・シュワブへの変更を検討しているが、さまざまな要因でボーリング作業全体の見通しは立っていないのが現状だ。(東京報道部・普久原均、政経部・松永勝利)

◇強行はできない

 4月26日、国会の衆院武力攻撃事態特別委で小泉純一郎首相が答弁に立った。ボーリング地質調査についてたずねられると「住民の気持ちを政府として受け止め、できるだけ円滑な形で必要な事業はしていかなければならない」と答弁した。

 防衛施設庁は首相答弁の「円滑な形で」とする部分に敏感に反応した。反対派と直接衝突しての強行実施をすべきでないと受け止めたのだ。

 「官邸から具体的な指示があるわけではないがうちの幹部は少なくとも(強行実施はできないと)受け止めている」と施設庁幹部は打ち明ける。

 当初は座り込みの反対派に対して立ち退き要求を何度か繰り返した後、立て看板を設置してさらに立ち退きを何度か求め、それでも座り込みが続く場合は作業実施に踏み切り、不測の事態に備えて機動隊の動員要請も検討していたようだ。しかし首相の答弁ですべてが流れた。

 別の幹部は「確かに首相からああ言われてはできないだろう」と話し、座り込みが続く間は辺野古漁港での作業は絶望的だとの認識を示す。

◇政治状況も見極め

 施設局は座り込みだけでなく、さまざまな社会、政治状況も考慮して作業開始の時期を見極めてきた。旧暦3月3日の浜下りに当たる4月21日は多くの住民が海に集まるため中止を決め、22日も辺野古での反対集会開催で見送った。5月の黄金週間明けも平和行進と普天間包囲が実施された14日から16日まで、金武町で都市型戦闘訓練施設の建設に反対する町民大会が開催される20日は作業を行わない方針をすでに決めている。

 さらに県議選が28日に告示、6月6日に投開票され、7月には参院選も予定されており、調査の影響で一方の候補が有利になるなどの事態は避けたいとの思惑もあり、シュワブからの出港を選択しなければ、作業実施は7月以降にずれ込む事態は避けられそうもない。施設局はさらに厳しい局面に立たされそうだ。

<普天間代替> シュワブ内から作業船

 米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング調査で、那覇防衛施設局が、作業船の出港場所を当初の辺野古漁港から米軍キャンプ・シュワブへ変更して実施するよう検討していることが17日、分かった。辺野古漁港近くで1カ月座り込みを続けている反対派住民や市民団体との直接の衝突を避けるためで、座り込みを迂(う)回する形での調査着手は、あくまで調査中止を求めている反対派の反発を招きそうだ。

 調査で契約している船はシュワブ基地内と水域に出入りできる許可証を既に取得しており、出港はいつでも可能な状態だが、実施時期は未定だ。

 施設局は調査着手を表明した4月19日から現在までの約1カ月、海上での作業が1度も実施できていない。辺野古漁港に設置予定の資材置き場も完成しておらず、作業は中断されたままだ。

 座り込みを続けている反対派に対し、施設局の担当者が断続的に訪れ、立ち退きを求めているが、住民説明会を求める反対派の理解を得られず、作業再開のめどは立っていない。

 このまま同漁港で作業を再開すれば反対派との衝突が避けられないため、作業を円滑に進めるためにシュワブからの出港案が急浮上した形だ。

 シュワブからの出港で始める調査はボーリングのための事前調査で、最初にボーリングを実施する2カ所の地点で潜水を実施し、海底の状況が昨年6月の潜水調査結果と同様なのかを確認した上で、不発弾の有無を確認する磁気探査を行う。

 シュワブには本格的な港がなく、大型資材の出し入れが難しいため、実際に海底に穴を掘るボーリングまでシュワブで継続するかは不透明だ。

 1997年に政府は、浮体式の海上ヘリポートの建設に向けて辺野古沖のボーリング調査を実施したことがあり、その際もキャンプ・シュワブ内から調査船を出した経緯がある。

<普天間代替>シュワブ利用検討を非難 琉球新報へ
台風の安全対策のために訪れた那覇防衛施設局の職員らと話し合いをする座り込みの住民ら=18日午前、名護市の辺野古漁港

 米軍普天間飛行場の移設が予定されている名護市辺野古で、那覇防衛施設局が計画しているボーリング調査に対する辺野古漁港での市民グループらの座り込みが18日で1カ月を迎えた。反対派メンバーは施設局が米軍キャンプ・シュワブから作業船を出港させることを検討しているとの本紙報道に、テント内では、「(シュワブからの出港は)政府はずるがしこい。問題を避けて通っている」と非難する意見が上がり、「絶対に座り込みを途絶えさせない」との意思を確認し合った。

 梅雨前線の影響で断続的に降る大雨がテントを打ちつける中、座り込みのメンバーは「頑張ろう」と互いを励まし合いながら約40人が早朝から座り込みを続けた。

 座り込みを続ける住民との衝突を避け、施設局が米軍キャンプ・シュワブから作業船の出港を検討しているという本紙報道のコピーがテント内で配布され、「アメリカの保護下に入ろうとしている」と施設局の動きをけん制する声が上がった。

 午前10時50分ごろ、施設局の職員ら八人がテントを訪れ、「台風のため午後から(漁港内の資材置き場の)安全対策をしたい」と申し入れがあった。監視団は「柵補強なら許せないが、安全対策ならわれわれも節度を持って接したい」と応じた。

 命を守る会の金城祐治代表は「姑息(こそく)なやり方はまかり通らない」と座り込みを無視した動きを嘆いた。30日に及ぶ座り込みに「私たちは整然と座り込みを続ける。このような矛盾がまかり通ってはならないと全国に伝えたい」と運動の広がりに期待した。ヘリ基地反対協議会の大西照雄代表委員は「県民の反対に遭って基地に逃げ込んだ。日本は米国の51番目の州だ」と厳しく批判。「シュワブからの出港は当初から予想しており、驚きはない。海上でも絶対に調査をさせない戦術を組んでいる」と穏やかに話した。

 基地軍隊を許さない行動する女たちの会の桑江テル子さんは「基地に逃げ込むのは政府の体質。沖縄返還の時も、佐藤総理は嘉手納基地から帰った。県民として許せない」と憤った。

 大宜味村の儀保昇さん(49)は「漁港からの正面突破はできず、基地から出れば裏切りになる。話し合いに応じるのが一番いい」と求めた。名護市の石橋麗さん(26)は「胸を張れることをしていないから私たちから逃げて基地から出すのだと思う」と力を込めた。


5月18日(水) 「ジュゴンの家」日誌
現場より。
防衛施設局がさきほど辺野古の漁港に来ました。
13時30分にもう一度来るということで緊張が高まっています。
防衛施設局側から言ってきたことは「作業場の台風対策をさせてほしい」とのこと。「対策のために補強をするということであれば認められない」としてこちらも代表が言葉を発した。

こちらに向かえる方は至急来てください。
現場より。
防衛施設局がさきほど辺野古の漁港に来ました。
13時30分にもう一度来るということで緊張が高まっています。
防衛施設局側から言ってきたことは「作業場の台風対策をさせてほしい」とのこと。「対策のために補強をするということであれば認められない」としてこちらも代表が言葉を発した。

こちらに向かえる方は至急来てください。
13:41
現在、防衛施設局が漁港に来ています。
今のところこちらの代表が相手をしています。

動ける方は辺野古へ。
14:00
13時50分。防衛施設局が帰りました。
「作業ヤードの補強をしたい」との申し出が防衛施設局からあったので「それは認め
られない。作業ヤードの危険な部分の撤去または現場に置いておくということが出来
るはずだ。」とこちらの代表者も申し出をしました。
「検討してまた来る」と防衛施設局。キャンプ・シュワブ内に帰っていきました。

また来ます。辺野古に来られる方は辺野古へ。
15:35
現場より。防衛施設局の3度目の訪問です。
台風対策ということで「補強する」という防衛施設局としばらくもめましたが、「台
風の間だけ緑色の柵の撤去」ということで同意にいたったようです。
防衛施設局、業者あわせて6名が漁港内に入り作業をしています。
こちらの代表者が作業しているそばから監視を行っています。
 <普天間代替> シュワブ内から作業船 琉球新報

 米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング調査で、那覇防衛施設局が、作業船の出港場所を当初の辺野古漁港から米軍キャンプ・シュワブへ変更して実施するよう検討していることが17日、分かった。辺野古漁港近くで1カ月座り込みを続けている反対派住民や市民団体との直接の衝突を避けるためで、座り込みを迂(う)回する形での調査着手は、あくまで調査中止を求めている反対派の反発を招きそうだ。

 調査で契約している船はシュワブ基地内と水域に出入りできる許可証を既に取得しており、出港はいつでも可能な状態だが、実施時期は未定だ。

 施設局は調査着手を表明した4月19日から現在までの約1カ月、海上での作業が1度も実施できていない。辺野古漁港に設置予定の資材置き場も完成しておらず、作業は中断されたままだ。

 座り込みを続けている反対派に対し、施設局の担当者が断続的に訪れ、立ち退きを求めているが、住民説明会を求める反対派の理解を得られず、作業再開のめどは立っていない。

 このまま同漁港で作業を再開すれば反対派との衝突が避けられないため、作業を円滑に進めるためにシュワブからの出港案が急浮上した形だ。

 シュワブからの出港で始める調査はボーリングのための事前調査で、最初にボーリングを実施する2カ所の地点で潜水を実施し、海底の状況が昨年6月の潜水調査結果と同様なのかを確認した上で、不発弾の有無を確認する磁気探査を行う。

 シュワブには本格的な港がなく、大型資材の出し入れが難しいため、実際に海底に穴を掘るボーリングまでシュワブで継続するかは不透明だ。

 1997年に政府は、浮体式の海上ヘリポートの建設に向けて辺野古沖のボーリング調査を実施したことがあり、その際もキャンプ・シュワブ内から調査船を出した経緯がある。

『海守れ』に支援続々/辺野古座り込み1カ月
1カ月を迎えた座り込み。規模を維持して行動を続ける=17日、名護市の辺野古漁港前
 【名護】普天間飛行場代替施設建設に伴うボーリング調査に反対する住民らによる名護市辺野古漁港前での座り込みは18日で丸1カ月を迎えた。参加者は、記録された25日間で2483人を数えた。那覇防衛施設局は17日も現場に姿を見せず、衰えることなく続く行動が調査を阻止している形だ。参加者は、仕事などの都合をつけて午前7時から午後7時までに入れ代わり立ち代わり漁港前に集まる。常連メンバーのほか、新聞やインターネットを見て新たに加わる人もおり、市民団体が記録を取り始めた4月23日以降1日平均約100人を維持。県外のほか韓国や米国など外国からも訪れている。

 港内での行動を「出漁しにくい」と主張していた漁民も、双方の話し合いで座り込み場所を港外に移動した後は表情も穏やかに。リーフ内など沿岸での漁も行われている。しかし作業の日程が明らかにされないため、施設局に雇われて調査に船を出す漁民は予定を立てられず、マグロ漁などの長期出漁ができない状態だ。委託業者も待機が続いている。

 ヘリ基地反対協議会の大西照雄代表委員は「基地建設に反対する地元のおじい、おばあに励まされてここまできた。よく頑張っていると思う。(伊江島で米軍の強制土地接収に反対した)故阿波根昌鴻さんの“無抵抗の抵抗”を方針として貫いてきた」とし、話し合いによる解決を求めた。

 仕事の合間を縫って連日足を運んでいる篠原孝子さん(40)=名護市=は「このきれいな海を本当に大切に思っている。問題を知った限り知らないふりはできないし、座り込みを続けないのは考えられない」と力を込めた。

 80歳を超えたお年寄りも毎日交代で足を運ぶ。高齢にもかかわらず、気丈に現場を守り続けるお年寄りたちの存在は、行動を支える大きな柱だ。「命を守る会」に詰める1人は「8年間、座り続けて工事をさせなかった。おばあたちが頑張ってるから大丈夫。勉強もたくさんしたし怖くないよ」と強い意志をのぞかせた。

◇<透視鏡2004>機動隊動員念頭も首相答弁足かせに/那覇防衛施設局

 普天間飛行場代替施設建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング地質調査について、那覇防衛施設局が4月19日に作業を開始してから1カ月が経過した。中止を求める住民や市民団体の座り込みによる強い反対運動に直面し、施設局は結局、初日に辺野古漁港で資材置き場を設置する短時間の作業をしただけで、その後は海上調査を含めて一切の作業を中断したままだ。反対派との直接衝突を避けるため、作業船の出港場所を辺野古漁港から米軍キャンプ・シュワブへの変更を検討しているが、さまざまな要因でボーリング作業全体の見通しは立っていないのが現状だ。(東京報道部・普久原均、政経部・松永勝利)

◇強行はできない

 4月26日、国会の衆院武力攻撃事態特別委で小泉純一郎首相が答弁に立った。ボーリング地質調査についてたずねられると「住民の気持ちを政府として受け止め、できるだけ円滑な形で必要な事業はしていかなければならない」と答弁した。

 防衛施設庁は首相答弁の「円滑な形で」とする部分に敏感に反応した。反対派と直接衝突しての強行実施をすべきでないと受け止めたのだ。

 「官邸から具体的な指示があるわけではないがうちの幹部は少なくとも(強行実施はできないと)受け止めている」と施設庁幹部は打ち明ける。

 当初は座り込みの反対派に対して立ち退き要求を何度か繰り返した後、立て看板を設置してさらに立ち退きを何度か求め、それでも座り込みが続く場合は作業実施に踏み切り、不測の事態に備えて機動隊の動員要請も検討していたようだ。しかし首相の答弁ですべてが流れた。

 別の幹部は「確かに首相からああ言われてはできないだろう」と話し、座り込みが続く間は辺野古漁港での作業は絶望的だとの認識を示す。

◇政治状況も見極め

 施設局は座り込みだけでなく、さまざまな社会、政治状況も考慮して作業開始の時期を見極めてきた。旧暦3月3日の浜下りに当たる4月21日は多くの住民が海に集まるため中止を決め、22日も辺野古での反対集会開催で見送った。5月の黄金週間明けも平和行進と普天間包囲が実施された14日から16日まで、金武町で都市型戦闘訓練施設の建設に反対する町民大会が開催される20日は作業を行わない方針をすでに決めている。

 さらに県議選が28日に告示、6月6日に投開票され、7月には参院選も予定されており、調査の影響で一方の候補が有利になるなどの事態は避けたいとの思惑もあり、シュワブからの出港を選択しなければ、作業実施は7月以降にずれ込む事態は避けられそうもない。施設局はさらに厳しい局面に立たされそうだ。

<普天間代替>防衛施設庁 住民説明会も検討

 【東京】沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団の土田武信副団長らは17日、防衛施設庁や環境省、文化庁を訪れ、普天間飛行場代替施設建設に伴うボーリング調査の中止を申し入れた。土田氏によると、防衛施設庁側は「名護市当局とも相談し、住民への説明会の開催も検討している」と明らかにした。

 ボーリング調査については、現地で座り込みを続ける反対派住民らが一貫して地元での説明会を求めているが、防衛庁や那覇防衛施設局は従来、開催に否定的な考えを示していた。

 要請したのは同監視団とジュゴンネットワーク沖縄、北限のジュゴンを見守る会の3団体。

 土田氏らは「(環境影響評価)方法書に、建設しないことを含めた代替案を記載しないのはおかしい。ボーリング調査も必要というなら方法書に記載して説明すべきだ」と求めた。これに対し、施設庁側は説明会開催の検討に言及した。ボーリング調査の着手時期については「那覇防衛施設局が判断する」と述べるにとどめた。

◇ボーリング地質調査で県に要請/社民、社大、共産
ボーリング地質調査の中止を求めた社民、共産、社大の3党代表=17日午後、県庁
 社民、共産、社大の3党代表は17日午後、県庁に府本禮司知事公室長を訪ね、普天間飛行場代替施設の建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング地質調査について抗議し中止を申し入れた。

 友寄信助社民党県連委員長ら各代表は同調査について、「県としての主体的な取り組みはみじんも感じられず、防衛施設庁の言いなりの対応しかしていない」と抗議し「施設局が早急に作業を中止することと県民との話し合いのテーブルにつくよう仲介してほしい」と要請した。

 府本公室長は「同問題については地元名護市とも連携を密にしており、今後も市や事業者の那覇防衛施設局と十分連携しながら取り組みたい」と答えた。

 また代表からボーリング地質調査を環境影響評価(アセス)作業に盛り込んでいないことに「アセス法違反だ」と指摘されたことについて府本公室長は「護岸構造を検討するボーリング調査とアセスの作業は別だ。アセス法違反には当たらない」と反論した。


5月17日(火) 「ジュゴンの家」日誌
阻止行動29日目。広く広く辺野古の状 況を訴えましょう
5月17日(月)
・防衛施設局は来ませんでした。

午前中から200名ほどの人達が辺野古に集まっていました。普天間包囲行動を16日に終え、辺野古に来られた方が多いようでした。神奈川、東京、北海道、四国、神戸、九州、とにかく色々なところからです。今日だけで少なく考えても400名は座り込みに参加していきました。全国の関心度はどん
どん「拉致被害者」から辺野古へと動き出しています。
私達はもっと訴えを広げていかなければなりません。
辺野古の闘いは継続して人を全国から送り出し、継続して支援をしていただけるようにしなければならないと感じています。長丁場になるかどうかは相手の出方次第なのですが、状況は常に緊迫しています。

日々の闘いに求められることは自分達が常に緊張感を持って現場とかかわり、訴え続けることに誇りを持って実行することです。だからこそ、全国、世界中から私達に支援が必要です。共にそれを共有して闘い続ける事をやっていかなければなりません。

今日は午後からどしゃぶりとなりました。台風も近いせいもあってちょっと大変。座り込みをしていた人達は全員ずぶぬれ。風邪をひく人が出なければいいけれど。炊事場のせっちゃんはかやぶきの屋根のうちに住んでいるため「台風が来たら屋根が飛ぶー」と気が気じゃない。沖縄の台風は本当にすごい。プレハブ小屋さえもふっ飛ばす。なんとか、台風で守る会が飛びませんように。
防衛施設局の建物が飛ぶように。念力を送っとこう・・・・・うーーん。

辺野古の情報を毎日ホームページで更新させ、発信しています。周りにこのホームページを活用し、伝えていただければ幸いです。

ジュゴンの家(写真つきで発信しています)http://www47.tok2.com/home/dugong/index.html 
 
沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団(文章だけですが、とても早いです。)http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/  
の二つです。

ヘリポート建設阻止協議会 (命を守る会) / 〒905−2171 沖縄県 名護市字辺野古 243
пEFAX 0980−55−3131 / E-mail henoko@f5.dion.ne.jp
郵便振替口座 01710-8-53407 / 加入者名 命を守る会
<普天間代替>調査反対で座り込み29日目  琉球新報 17日

 【名護】普天間基地代替施設移設のためのボーリング調査に反対するため、名護市辺野古漁港内でヘリ基地反対協議会などが続けている座り込み行動は17日午前、29日目に入った。地元の辺野古区民のほか、県内外から多くの人々が参加。座り込み開始から約1時間後の午前8時ごろには、計約100人が座り込み行動に参加した。

 座り込みの合間、ヘリ基地反対協議会のメンバーらは、事業主の那覇防衛施設局がボーリング調査のため訪れないか警戒し、周辺の監視を行っている。

 伊江島における戦後の米軍強制土地接収に非暴力で抵抗した反戦運動家の故・阿波根昌鴻さんとともに活動した謝花悦子さん(65)も、同島から駆けつけた。

 謝花さんは「この闘いは世界を守る闘い。(座り込みの)長期化も予想されるが、伊江島の闘いでは、阿波根も身体を壊したら相手の思うつぼだと健康に気を使った。みなさんも体調に気をつけ、勝利しよう」と参加者に呼びかけた。

<5・15県民大会>新基地建設許さず  琉球新報 17日
米英軍と自衛隊の即時撤退や米軍基地の県内移設反対などを訴え、ガンバロー三唱で気勢を上げた大会参加者ら=16日午後5時すぎ、宜野湾市海浜公園

 5・15平和行進最終日の16日夕、宜野湾市海浜公園屋外劇場では「5・15平和とくらしを守る県民総決起大会」(主催・同平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター)が開かれ、約3000人(主催者発表)が参加した。3日間の行進を終えた3コースの一行が結集し、米英軍と自衛隊のイラク即時撤退を求め、基地の県内移設反対などを訴える「復帰32年5・15県民大会宣言」を採択した。

 大会で、崎山嗣幸実行委員長は「復帰32年、県民の願いはことごとく踏みにじられ、米兵による事件・事故は絶え間なく続いている。今回の平和行進や普天間包囲が、基地返還の原動力になる」と総括。全国参加者を代表し平和フォーラムの江橋崇代表が「全国に散って平和のために行動したい」と強調し、佐久川政一・普天間基地包囲行動実行委員長は「辺野古移設による新基地建設は絶対に許してはならない」と訴えた。

 激励に駆け付けた伊波洋一宜野湾市長は「返還合意から8年、墜落の危険性と爆音被害に耐え忍んだが、むしろ訓練は増加している。これ以上放置は許されない」と批判した。基地の県内移設に反対する県民会議の山内徳信代表は、普天間の早期全面返還の実現や辺野古移設反対を訴え、「全国で発信してほしい」と呼び掛けた。

 会場は「軍事基地撤去」「基地のない沖縄を」など、それぞれの訴えを鉢巻きやゼッケンに託した人々で埋め尽くされた。県外参加者からは「戦争の流れをつくらせてはいけない」との声が聞こえた。

◇基地への不満強く

【解説】 普天間飛行場の早期全面返還を目指す3度目の基地包囲が成功した。日米の返還合意から8年を経ても、宜野湾市民は年々増加する騒音被害や危険と隣り合わせの生活を強いられている。包囲への大勢の人々の参集は、同基地が存在し続けることへの不満の強さを示した形だ。

 政府はSACO(日米特別行動委員会)最終報告に基づく名護市辺野古沖への代替施設建設が、返還に向けた最も近道だと主張している。ところが合意時の「5年ないし7年」との返還期限は1年前に過ぎ、3、4年かかる環境影響評価(アセスメント)と9年半の工期を合わせると今後12、3年後にしか完成せず、合意から20年以上を経なければ返還が実現しない計算だ。

 環境影響評価作業の方法書の公告縦覧も約10カ月遅れ、ボーリング地質調査も大幅に遅れて実施できないままとなっており、今後さらに計画が遅れる可能性も否めない。

 移設作業の遅れに米側から不満が出ている。県民の間では県内移設自体への反対も根強く、SACO合意に基づき移設作業を進めることが最も返還への近道だとする政府の主張は次第に説得力を失いつつある。

 日米合同委員会で合意した夜間飛行や住宅地域での飛行を制限する「航空機騒音規制措置」も順守されていないのが実態だ。「十数年以上も現状を放置するわけにはいかない」(伊波洋一宜野湾市長)との声は強まっており、日米両政府は新たな打開策の検討を迫られているともいえる。

(政経部・松永勝利)

◇大会宣言(要旨)

 戦後59年、復帰から32年。復帰に託した県民の願いはことごとく踏みにじられ、「基地の島・沖縄」の現実はいささかも変わらない。巨大な軍事基地は居座り続け、米軍人・軍属の凶悪事件は後を絶たない。

 日本政府は、沖縄から発せられる基地の撤去・整理縮小、地位協定の見直しに一切耳を傾けないどころか、普天間基地の辺野古移設や那覇軍港の浦添移設をはじめ、米軍の新基地建設を強要し、あらたな対立と緊張を持ち込んでいる。だからこそ私たちは行動を起こさなければならない。憲法改悪を許さず、戦争の惨禍が国民の頭上に振り下ろされないために。

 27回目を数える今年の平和行進は、各コースで反戦・平和、憲法改悪反対、自衛隊のイラク派兵反対・即時撤去要求、基地の県内移設反対、普天間飛行場の即時撤去などを訴えた。最終日には普天間包囲行動に合流し、普天間飛行場の即時無条件全面返還を訴えた。

 私たちは、米英によるイラクへの軍事侵攻を糾弾し、米英軍そして自衛隊の即時撤退を求め、日米両政府・小泉内閣によって進められる戦争策動を食い止め、また、沖縄の米軍基地の縮小・撤去とあわせて、基地の県内移設を決して許さないために、今後とも奮闘し闘い抜くことを宣言する。

<平和行進>普天間基地撤去で誓い  琉球新報 17日

 基地のない平和な沖縄を目指し、3日間にわたり県内を平和行進した県内外の参加者は16日夕、宜野湾市海浜公園で開かれた「平和とくらしを守る県民大会」に結集。体や足の疲れをものともせず、改憲阻止などを訴え、新たな“闘い”を誓い合った。

 3コースの参加者らが一堂に集まった会場は、それぞれが3日間で深め合った“平和の思い”があふれ出たような盛り上がりに。各コースの代表が次々にあいさつし、「多くの県民に見守られ、行進できたと実感した。基地撤去を夢で終わらせてはいけない。みんなで行動すれば必ず実現する」と訴えた。

 初めて参加した山口朋子さん(30)=東京都=は「民家のすぐそばにフェンスがあるのを見て、日米両政府はなんてひどいことをしているんだと痛感した」と怒りを込めた。真っ黒に日焼けした天野雄之さん(32)=大阪府=は「沖縄の基地被害の実態を目の当たりにしショックを受けた。自分に何ができるか考えていきたい」と述べた。

<普天間包囲行動>「人間の鎖」に1万6000人
普天間飛行場包囲行動に約16000人が参加、“人間の鎖”で早期返還への決意を示した=16日午後2時32分ごろ、宜野湾市真栄原の同飛行場周辺

 普天間飛行場の早期全面返還などを求めた「普天間基地包囲行動」(同実行委員会主催)が16日午後、宜野湾市の普天間飛行場周辺で行われた。平和運動団体や労働団体の関係者、一般市民ら約1万6000人(主催者発表)が参加し、飛行場の周囲約11・5キロを手でつなぐ“人間の鎖”で包囲した。名護市辺野古沖への代替施設建設に向け作業が進む一方で、日米合意の「5年から7年」との返還期限から1年を過ぎても変わらぬ現状に、参加者全員が早期返還の強い意志を示した。その後、宜野湾市海浜公園で「5・15平和とくらしを守る県民大会」が開かれた。

 普天間飛行場の包囲は1995年と98年に次いで3回目。嘉手納飛行場の3回と合わせると六回目の基地包囲となった。参加人数は前回とほぼ同じ規模となった。

 運動方針に(1)普天間基地の早期全面返還(2)日米地位協定の抜本的改定(3)返還後の環境浄化など跡利用整備(4)地主への補償、基地従業員への雇用対策―を掲げ、連合沖縄の加盟労組が初参加し、前回は自主参加だった全駐労も今回は組織として正式参加した。

 基地包囲は午後2時、2時半、2時50分の3回行われ、1回目は3カ所で輪が途切れたが、2回と3回は基地包囲に成功した。強い日差しの中、労組員、家族連れや若者、本土からの平和行進団参加者らが汗をぬぐいながら、金網沿いに両手を広げて手をつないだ。

 包囲終了後、佐久川政一実行委員長が包囲完結宣言を行い「目標が達成できたのは炎天下参加したみなさまの熱意と汗のたまものだ。普天間基地の早期全面返還を勝ち取ろう」と訴えた。

 地元宜野湾市の伊波洋一市長は「大成功の成果を7月の要請行動で日米両政府に伝え、1日も早い全面返還を実現できるよう行動を展開していく」と決意を述べた。

◇「基地要らない」声一つ
「基地をなくして公園を造れ!」と叫ぶ子ども=16日午後2時53分、宜野湾市真栄原

 「街なかの危険な基地はいらない」。普天間基地包囲行動が行われた16日、1万6000人(主催者発表)が11・5キロの金網を取り囲んだ。家族、友人、職場仲間、若者グループ、祖父母から孫までの3世代も。参加者は県内にとどまらず、本土や海外からも駆けつけた。握り合った手と手に、それぞれが基地撤去と平和への願いを込め、人間の鎖をつくった。普天間基地返還の日米合意から8年。なかなか動かぬ”巨体”に、ウエーブで、音楽で、風船で、リボンで、笑顔とともに立ち向かった。

 包囲は3回。午後2時半の2回目と2時50分の3回目がつながると、大きな拍手に包まれた。

 今回の行動はビデオや写真に収めて米政府に届ける予定。横断幕やゼッケンには、英語と日本語の併記が目立った。「静かな夜を返せ」「リターン・トゥー・アス・サイレント・ナイト」。シュプレヒコールにも英語が交じる。

 フェンスのすぐそばに住む女性(75)は、子供と孫の3世代で包囲した。「近所との関係もあり、普段は声高に『基地反対』とは言えないが、孫たちのためにも1日も早く返還してほしい。本当にうるさいんです」と静かに語る。「普天間の代わりに辺野古に基地が造られるのも反対。どうしてあんなに反対しているのに、国は造ろうとするのか」と首をかしげた。

 平和と福祉を語り合う場「土の宿」主宰の木村浩子さんは伊江島から車いすで参加。「基地包囲と日本国家が対極にある。どっちを選ぶのか、一人ひとりの選択が迫られている」と語った。

 韓国で米軍基地の被害実態を訴えている市民団体・駐韓米軍犯罪根絶運動本部事務次長の高維京さんは辺野古の座り込みも視察した。「基地被害に直面している人もそうでない人も連帯して意思表示する行動は、大変参考になった」と沖縄で見た市民活動に刺激を受けた様子だった。

 浦添市の港川学童クラブは、子供たちや父母らがリヤカーを引いてフェンスに沿って歩いた。「自分一人でも行動を起こそうと思っていたが、20人近く集まった」と指導員の森川武さん(44)。子どもたちと包囲の輪に加わった。

◇過去2回と同規模/95年1回、98年2回成功

 3度目となった今回の普天間飛行場包囲行動の参加者は、過去2回とほぼ同規模の1万6000人(主催者発表)だった。

 1995年に初めて行われた包囲行動には、主催者発表で1万7000人が参加。包囲は3回行われ、最初の2回は出足が悪く包囲できなかったが、3回目でつながった。

 2回目の普天間包囲となった98年には、主催者発表で1万6000人が参加した。1回目は輪が途切れ包囲できなかったが、その後の2回は包囲に成功した。


<2004年5月17日 沖縄タイムス朝刊 23・22面>
結んだ平和の心伝えた基地NO/5・16普天間飛行場包囲

 「つながりました」。16日午後2時半、30度を超す暑さのなか、普天間飛行場の「完全包囲」が伝わると、拍手が起き、フェンス沿いでウエーブが揺れた。県内外から集まった親子、夫婦、友人たち、3日間かけて歩いてきた平和行進の参加者の願いが1本の「人間の鎖」を結実させた。「名護のジュゴンと一緒に泳ぎたいので海を埋めないで」「基地は米国に持って帰って」。沖縄の声を米国に発信しようと設置したメッセージボードとメールコーナーには、平和への思いがつづられた。

「県内移設反対堅持を」/ヘリ基地反対協議会

 ヘリ基地反対協議会は約六十人が名護市から駆けつけた。「普天間基地撤去。辺野古移設反対」のシュプレヒコールを繰り返し、多くの参加者が声を合わせた。

 安次富浩代表委員は、包囲行動のスローガンから「普天間県内移設反対」がなくなったことに、「県内移設反対を降ろした一部の動きは、本当に悲しい」と嘆いた。その上で「普天間返還と県内移設反対は不離一体、分けられないんだ」と強調した。

 名護市の辺野古漁港では、四月十九日以来、米軍普天間飛行場の移設に伴う那覇防衛施設局のボーリング調査を阻止しようと、同反対協や「命を守る会」、環境団体などが座り込みを続けている。

 代表委員の宮城幸さんは「これ以上の基地は許さない。子や孫にその重圧を押し付けさせるわけにはいかない。命をくれる海を守りたい。負けるわけにはいかない」とつないだ手を振った。

「静かな夜を返せ」/爆音訴訟原告

 「普天間飛行場」と「嘉手納基地」の爆音訴訟に参加した原告住民らは、「静かな夜を返せ」との願いを込め、ウエーブを繰り返した。

 宜野湾市役所前で手をつないだ普天間爆音訴訟の訴訟団。島田善次団長は「県民は基地を受け入れないという意思を表せたと思う。沈黙は基地を認めること。声を上げ続けることが大事だ」と力を込めた。

 新嘉手納爆音訴訟原告団は同市野嵩の第三ゲート前に百五十人が集まった。仲宗根洋子さん(48)=石川市=は「宜野湾の人が基地から受ける苦しみは、私たちもよく分かる。お互いの夜が静かになるまで一緒に頑張りたい」と汗をぬぐった。

亡き父母のため、子のため大謝名/地区住民

 「もうすぐフェンスがなくなるからね」

 普天間飛行場の南西、米軍機による爆音が最も激しい宜野湾市大謝名地区に住む比嘉博さん(58)と和子さん(55)は、メッセージカードにそう書いた。飛行場を囲むフェンスを隔てて、数メートル向こうにある墓に眠る父母にあてた言葉だった。

 戦後、博さんの父母が野菜を作っていた畑と親族の墓があった土地は、同飛行場の一部として米軍に接収された。現在、墓から三十メートルほどの場所に誘導灯が立っている。年に一度の清明(シーミー)祭か、親族が亡くなったときにしか、墓に近づくことは許されない。

 小銃を持った米兵に見張られながら、おびえる子どもたちを連れて墓参りをしたこともある。夫婦は時折、墓の様子を見に来ては、眠る父母たちとの間にたちはだかる近くて遠い距離を思う。

 いつか、自分たちもこの墓に入ることになる。「子どもたちがいつも会いに来られるお墓に入りたい。包囲行動は、これで終わりになってほしい」と和子さん。夫婦でつないだ手には、一日も早い返還への期待が込められている。

 大謝名地区は、飛行場への着陸コースの真下にある。同地区に二十数年住んでいるという国仲昌寛さん(73)は「爆音で会話はできないし、胸に響く。孫が小さいときは、寝付けないので昼間に遊びに来たことがない」と話す。

 近くのガソリンスタンドのサブマネジャーの男性(44)は「石を投げたら当たりそうな高度で飛んでくる。墜落したらと考えると恐ろしい」。

 「早く飛行場がなくなってほしい」との願いを込めて、同地区の宮里勉さん(55)と悦子さん(55)は夫婦で包囲行動に加わった。連なる人の列を見ながら、悦子さんは「県外からたくさんの人が集まってくれたことはうれしいし、ありがたい」と語った。

子どもたち、手に力込め/笑ばあ会

 本島中部の小中高校生らでつくる「笑ばあ会」。十四人が平和への願いを込めて小さな手を握り合った。

 ほかの大人たちから「どこから来たの?」「がんばれよ」と声をかけられ、少し照れた表情だったが、「基地はいらない!」と力強く反戦平和への願いを訴えた。

 初めて包囲行動に参加した名嘉山舞子さん(14)=具志川市=は「ニュースでしか知らなかったが実際の基地は大きくて驚いた。基地問題などあまり関心がなかったがこれからも平和への取り組みを続けていきたい」と話した。

 包囲行動の前に宜野湾市の伊波洋一市長から普天間飛行場について説明を受けたメンバーたち。「基地がなくなったらどうなるんですか?」と質問。「みんなが憩えるような沖縄の中心的な地区にしたいですね」という伊波市長の答えを真剣な表情で聞き入っていた。

 「笑ばあ会」は環境問題や社会問題などの課題を自分たちの立場から考えている。包囲行動を前に、普天間飛行場について事前勉強したという。

基地いらないが失業したくない/全駐労、複雑な思い

 全駐労(六千五百人)は、約百五十人がフェンスの外から基地を見つめ、手をつないだ。

 一九九八年の包囲行動では「雇用対策に展望が見いだせない」として、組合員の意見がまとまらなかった。今回はスローガンに「基地従業員の雇用対策」が掲げられ、九五年以来の組織参加となった。

 兼次徳助委員長(61)は「前回とは状況が違う。連合沖縄も参加しており、組合員の理解は得られた」と強調。「基地の整理・縮小は多くの県民が望んでいる。『基地で働くわれわれには関係ありません』では、労組として孤立してしまう」と話した。

 空軍支部の男性(42)は「基地が必要とは言わないが、失業はしたくない」と複雑。ただ「基地従業員の立場を表明するためにも、今回の参加は意義がある」と力を込めた。

 嘉手納基地で働く真喜志康成さん(40)は三人の子どもがいる。「子どもたちが平和な沖縄で暮らすために、基地はいらない。でも、仕事がなくなるのは困る。雇用確保に責任を持って、早期返還を実現してほしい」と期待した。

基地ゲート3カ所閉鎖

 三カ所ある基地ゲートは閉め切られた。米海兵隊は平和行進参加者らが集まるエリアを避けるよう事前に勧告していたため、米兵らの出入りはなく、憲兵の姿も見られなかった。

 大山の第一ゲートでは前回と違い米兵の姿が見られず、直接アピールするつもりだった参加者はいささか拍子抜け。包囲が終わるごとに「普天間基地を撤去せよ」「米軍のイラク侵略を許さんぞ」とシュプレヒコールを繰り返した。

 佐真下の第二ゲート。シートを広げ弁当を食べる家族連れも。時折、MPが車で見回った。

 野嵩の第三ゲートは午後一時に閉門。日本人警備員の姿が見えるだけ。参加者は「NO MORE NOISE」と書かれた小さなカードをフェンスにくくりつけた。

<宜野湾市>メールで米に“直訴”琉球新報 17日

 宜野湾市役所ではブッシュ米大統領に電子メールを送るコーナーが設けられ、訪れた家族連れや学生らが平和への願いを思い思いに書いていた。メッセージは翻訳ボランティアが英訳し、ホワイトハウスを通じて同大統領やチェイニー副大統領あてに送られた。64通のメッセージが集まった。

 基地包囲を終えやって来た宜野湾市の比嘉朋子さん(37)と子どもたちは、全員で意見を書いた。娘のみのりちゃん(8つ)は「飛行機の音がうるさいです。基地はいりません。戦争はやめてください」と、末っ子の資(たすく)くん(7つ)も「基地がなくなるとうれしいです」と一生懸命考えながら書いていた。

 基地包囲を終えやって来た宜野湾市の比嘉朋子さん(37)と子どもたちは、全員で意見を書いた。娘のみのりちゃん(8つ)は「飛行機の音がうるさいです。基地はいりません。戦争はやめてください」と、末っ子の資(たすく)くん(7つ)も「基地がなくなるとうれしいです」と一生懸命考えながら書いていた。

 メッセージはワシントンポストとニューヨークタイムズの2米紙にも送る。

 同市はこのほか、普天間飛行場を描いた大きな板を市役所前などに設置。包囲行動の参加者が意見を張り付けていた。

「早く返還を」などと思い思いのメッセージを書き、ボードに張り付ける参加者たち=16日午後1時31分、宜野湾市
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