ジュゴンの家・日誌
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同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子
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6月A

  緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための泊り込みの監視が行なわれています。この行動に必要となるお金(食事代等)のカンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!
カンパを振り込まれる際は、必ず「座り込みカンパ」と明記し、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!


那覇防衛施設局が出した環境アセス方法書・
「市民アセスなご」が 出した市民からの方法書が読めます!!
(意見書の提出は16日に締め切られました)
「市民アセスなご」のホームページはこちら↓↓

http://www.nagoshimin.com/index.html




6月21日(月)

座り込み64日目
台風対策のため畳んだテントを張りなおす。 夏芽さんもゴザに座り込み、ジュゴン監視団の話などをする
基地建設予定地とされる場所の全体が見られる写真。 監視をする具志堅トオルさん。 はじめての顔がたくさん
平和を訴え自転車で全国を走る「ピースサイクル」の方。子供達と一緒に。 タイムスの取材を受けるピースサイクル団長 去年、平島で「ジュゴン・ポスト」に、小泉首相への手紙を投函した時に会った、嘉陽のおじいと再会
記念撮影 琢磨さんが紹介する 「命を守る会」代表・金城祐治さんからあいさつ
平和への願いが書かれたメッセージを渡す 辺野古から読谷に向けて出発!!! 行ってらっしゃい!!気をつけてね〜〜!!

6月20日(日)

晋くん日誌
6月18日(金)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日は台風6号が沖縄に近くなってきたため、漁港入り口の座り込みテントはたたみ命を守る会の前で座り込み「61日目」を行いました。
台風でこれない方が多いのではと思っていたですが、労働組合の人達がたくさん駆けつけてくださり合計50名ほどの人が座り込みを行いました。
漁港には警察の出入りや「現場視察」と称してくる第11管区海上保安庁の出入りがあったため緊張が走ることが何回かありました。
防衛施設局のキャンプシュワブ内の建物もブラインドが開いていました。平和の塔(漁港のすぐ近くに見える小高い丘)には白いバンが止まってこちらを伺っていたりということがあり、防衛施設局は一応現場の様子を伺ってから帰っていったと思います。

今日、うれしかったのが労働組合の人達からカンパをいただいた時に組合の方が
「これは個人個人に訴えかけてカンパを募りました。組合のものということではありません。」と言ってくれたことです。
一人一人が主体性を持ってかかわっていくことはとても大切なことだと思います。

防衛施設局が来るかもしれないという緊張があったものの今日は三線を弾いたりと少しゆっくりした日でした。
しかし、台風が余りに大きいため、用心して徹底的に台風対策を行ったので皆お疲れだったと思います。沖縄の台風は侮ってはいけません。皆様、お疲れ様でした。
台風と共に基地も全部吹き飛ばしてくれたらなぁと思ったりします。

今日の団結弁当は大西さんが釣ってきた大量の魚でお汁を作りました。もんのすごくおいしかった。グワッチ−サビタン。
無事に61日目の座り込みは終了しました。
明日の座り込みは台風のため大きくは行いませんが、名護からだけでも少数で集まり命を守る会事務所で行うことになっています。遠くから来る方は無理はしないようにしてくださいますように。



6月18日(金)そのA

 I さんが6月11日〜13日までの訪韓の写真を送ってくれました
 I さんからのメッセージ・・・・・
「6/12にソウル光化門で女子中学生2周忌追慕祭が開催されました。そこに参加するために3名が訪韓しました。
平澤と梅香里にも足を伸ばしたようです」
ピョンテク テッチュ里を訪問、基地拡張問題について
ペンソン対策委委員長の説明を聞いている。
米軍装甲車 犠牲者 故シン・ヒョスン、シン・ミソン2周忌
追慕祭参加


6月18日(金)

座り込み61日目
台風対策でテントをたたんでいるため
「命を守る会」前で座り込む
大西さんが釣ったアバサー(ハリセンボン)と、お魚いろいろ。冷凍してあるのを解凍する。
ヒサ坊さんがアバサーをさばいてくれました 篠原さんもお手伝い 皮をむかれていくアバサー。トゲトゲがいっぱいなので、むくのも大変・・・!!
大西さんは、ほかのお魚をさばく。
今日はこれでお汁を作るそうです
魚のおなかに卵が入っていました!!「うまいぞー」と大西さん 激励とカンパ
那覇で看板を持って辺野古のことを訴えているカンキチさんのことを話す。 あるふぁさんのお友達、杉山さんが来ました。杉山さんは、イラク攻撃が始まった時、アメリカ大使館の前に毎日抗議に行ったそうです 三線を弾く晋くん
ヒサ坊さんも弾きます 帰り際、夏芽さんが監視をしている第一関門のところで、杉山さんが写真を撮ってくれました(右)・・・・はっ、はずかしい・・・!!光を当ててくれる夏芽さん(左) これは、ジュゴンの家のデジカメで、あるふぁさんが撮ってくれた写真
杉山さんが寄付してくれたレンズ。
これで前よりも大きく施設局の様子が見える
覗き込む篠原さん タイムスの記者さん
晋くん日誌
6月17日(木)
・防衛施設局が午後3時40分頃にきました。

今朝は午前6時ごろから30人余りが集まり、緊張した面持ちでいましたが午前中は何事もなく座り込みは今日も100名以上の参加者とともに行われました。

防衛施設局は「台風対策の現場確認」として午後3時40分ごろから訪れ、資材置き場の中で柵を外して置いてある場所のまわりを、鉄筋を立ててひもで縛り上げました。午後5時ごろには引き上げていきました。
台風6号は非常に強く、風速50メートルになっています。祐治さんのマンゴー園はあと2週間で収穫期に入るので、マンゴーを落とされないことを願うばかりです。

座り込みに行くと、平良夏芽さんがイラクに行ったときの写真を広げながら、その時のことを話してくれていました。
「病院に薬を届けに言った時の写真です。」夏芽さん。「喜ばれたのではないですか?」アメリカから座り込みに参加しているケリーさん。
「いえ。薬を受け取っていただいた医師は終止表情を暗くしたままでした。
私が砂漠で砂嵐によって車が大破した時に散乱した薬を拾い集め、その時の小瓶を手にして状況を説明し
"この薬も受け取っていただけるか"と聞いたら、医師は
"私達は割れて錠剤が散らばったとしてもそれを拾って使う"とおっしゃった。私がその薬を渡すと医師は初めて笑顔を見せてくださいました。初めてそこで少しのつながりあいを見たのだと感じています。」
と夏芽さん。
その話でいかにイラクの人々が医薬品が困窮していて、そこで必死に理不尽な戦争に抵抗し生き抜こうとしているのかを感じました。
「自衛隊がイラクに持っていった放射能計測機は"ガンマ線"しか計れない。
私達は"ガンマ、ベータ、アルファ"の三つを探知できる測定機を持っていきました。劣化ウラン弾のことを少しでも学んだ人間にとって劣化ウランが"アルファ線"に反応することを知っているのは当然のことです。
日本政府は劣化ウラン弾が人体に影響がないとして断言していますが、自衛隊は必ず被爆します。
私が計測した地域で最高は平常値(沖縄の放射線を基本としています。)の5000倍でした。そこは子ども達もたくさん住んでいる村です。彼らがそこに住み続けることは2〜3年後に死ぬことを意味しています。」と夏芽さん。
私は噴出しそうな怒りを止めることで精一杯でした。2,3年後に死ぬ・・・なんてことだ。彼らはただイラクに生まれただけで殺され続けています。
私達が行う行動の全ては罪の償いと今のこの国のあり方を変えるためにあります。
イラクの子ども達の笑顔を取り戻すための闘いは今、始まったばかりです。

かんきちさんは・・・
県庁前で「座り込み・・・日目。座り込み参加者募集」の立て看板を持って、道行く人にアピールしているかんきちさんからメールが届きました。

「今朝タクシーに乗ったら辺野古出身の運転手だった。
立て看見て"辺野古を埋めてはいけない。昔から豊かな海だ。
小さいころは平島、長島ではウニや貝をたくさん取った。
守る会のオバーたちは偉い。保守の土地で反対言うのは大変。がんばってほしい。
今度選挙は女の議員に入れよう。がんばろう" 言われました。」

とても感動的なことです。今日は座り込みからあきちゃんと阿部さんも参加し、RBCからの取材も受け、まよなかしんやさんが歌いアピールしたとのことです。
誰かが引き受け変わるからこそ、人は動いていく。目に見える形でそれが動いています。色々な出会いがあるそこから変わるものを大切にしていきましょう。


6月17日(木)

座り込み60日目
座り込みは60日目を迎えた 昨日、アキちゃんと阿部さんは、カンキチさんが看板を持って辺野古アピール行動をしている那覇に行ってきた。辺野古から持っていった看板 「ヘリ基地反対協」の新しいチラシ。座り込みの写真も載っている
「施設局が増員か」昨日の辺野古からの連絡を受けて、朝早くから人が集まった 朝のミーティング
大西さん
大城ヨシタミ名護市議
「座り込みの影響が各方面に出始めている。がんばりましょう!!」
安部さんが差し入れのスイカを切ってくれた おいしそう。 写真好きのあるふぁさんが写真集を持ってきた
当山さんからカンキチさんの那覇行動のことが話される。
「那覇で訴えることが重要だと思う。辺野古に行けばみんながいるけど、僕は那覇でやります」
と、行動を始めたカンキチさん。カンパをくれた男性など、もう反響が出ています
夏芽さんから台風情報が。
非常ーに強い台風がさらに勢力を増して、沖縄に直進しているそうです。
資材ヤードの柵などをどうするのか、夏芽さんが10時40分頃施設局に電話。
座り込みの一人が、沖を行く船を発見。
当山さん、夏芽さんが確認する。
普段通っている、漁礁を積んだ船でした
那覇のカンキチさんから来たメールを読み上げるアキちゃん。「辺野古出身の男性と会った。『昔は海でいろんな海産物を採ったものだ、現地で反対するのは大変だが頑張ってほしい』という話だった。」 恩納村から長嶺さんが来ている
お昼です!!事務所から団結弁当が届きましたーー!!! 団結弁当一食200円!!
↓↓座り込みに参加しているアキちゃんが日誌を書き始めました
アキちゃん日誌
6月16日(水)
この日記を書くことは、とても意味のあることだと思う。
自分のためにも、私を見守っていてくれている家族のためにも、大阪という地で、沖縄と連帯するために闘っている人達のためにも。
でも私は、なかなかその一歩が踏み出せなかった。
私には、この日記を書く資格がない。
もっともっと考えなければならないことがある。
でも、そういう私の視点で書くことに意味があるという励ましと、それを信じたいと思う自分を大切にしたい。
だから、つたない言葉ではあるけれども、少しずつ辺野古の日記を書いていきたいと思う。
今日はその一歩だ。

今回、辺野古に来て、26日が過ぎた。
今日は、台風4号の影響で朝から激しい雨が降る中、みんなで台風対策を行った。
こんなときでも、絶対に駆けつけてくる人達。
そして、もくもくと仕事をこなす人達。
かっこよすぎる。
それぞれの役割があって、みんなで仕事をする。
その姿にはいつも感心させられる。
終わった後は、ほっと一息せつこさんとともこさんの料理をいただく。
施設局とのやり取りは本当にいろいろあるけれど、みんなはぎゅっと固まっていくようだ。
明日の原状回復(作業ヤード以外)も精を出して頑張るぞ。
晋くん日誌
6月16日(水)
今日は防衛施設局は来ませんでした。

意見書の提出・・・
沖縄環境アセスメント監視団、市民アセス名護などが防衛施設局の作成した環境アセスメントに基ずいて作成したとされる「方法書」に対する意見書の提出を行いました。
昨日までで280通が届き、監視団が391通、沖縄を自然遺産にする会が78通、市民アセス名護が133通、その他が2通でした。

現在、884通。

16日付けで出されれば良いということで、これからもっと増えると思います。1000件は超えるのではないかと考えています。
これだけの人達が方法書という基地建設にお墨付きを与えるだけとなっている文書に怒りを感じ、それをぶつけている。これに対して防衛施設局はなんと答えるのか。
意見書の提出の後、防衛施設局はこれに対し「考慮した」部分を見せなければなりません。無視は出来ません。

かんきちさんは・・・
今日も県庁前スクランブル交差点で「座り込み・・・日目。座り込み参加者募集」の看板を立てて訴えたそうです。
「気のよさそうな兄さんが"がんばれよ、俺も座り込みに行くからな"とカンパを渡してくれた」ということでした。
確実に広がっている。一人から状況は変わっていく。

キャンプ・シュワブに不穏な動き・・・・・
キャンプ・シュワブに「日本人」15人余りが乗ったマイクロバスが入りました。その日本人達の多数がカメラを持っており、基地のゲートをうろうろと探索したあとに入っていったということです。
防衛施設局はこの間「あなた達が作業ヤードを元通りに直さないのであれば私達がそれを行う。」ということを言い続けています。
かなり憶測なのですが、防衛施設局が増員をして基地内に人を配置したということは十分に考えられます。
明日は緊張した朝を迎えます。多くの人達に集っていただけるように呼びかけます。


6月16日(水)

晋くん日誌
6月14日(月)
・防衛施設局が15時30分に来ました。

沖縄はすごい快晴です。台風の後というのは「けーし風」が吹くものですが、今回の台風ではそれもなく、とてもさわやかに風が吹いています。
とにかくてぃーだサンサンしていて日差しに滅入りそうな一日でした。テントの中は100名ほどの人達が座り込みをしていましたが、風が吹くので「寒いくらいだ」と言っていました。この気温差で沖縄では風邪を引きます。

防衛施設局は午後3時30分に来ました。
内容は「4月19日の状況に作業ヤードを戻せ」というもの。
こちらの代表者の平良さん、具志堅さんが
「私達は4月19日以前の状況に漁港を戻しなさいと要求している。」と答えました。
余りに要求が一方的だ。今までも「基地建設を進めていくだけだ」と言い、今回も「19日の作業ヤードの状況に戻せ」という。彼らの態度、もの言いは暴力的で排他的だ。
19日に防衛施設局は何をしましたか?住民を無視し、反対している心ある人々の声を踏みにじり闇打ちに騙し打ちを行ったのです。
しかし、完全に阻止されました。生きようとする人達の力が国の力を上回ったのです。

大儀がない人達が正義をかさにして「基地建設を進める」なんて言うのは完全に間違っています。
防衛施設局は今すぐに基地建設をやめるべきです。継続して座り込みを続けましょう。
阻止行動は今日で56日目を迎えました。

間違っていました。今日で阻止行動は58日目です。

6月15日(火)
・防衛施設局は昨日と同じく午後3時30分に来ました。

昨日と同じ時間に防衛施設局が来ました。
大西さんと具志堅さん、金城祐治さん、渡久地祐徳さんが対応をしました。
言っていることに変わりはありませんが、「19日ように作業ヤードをもとに戻さないのであれば私達が自分で戻すしかない。」ということを言っています。辺野古の状況はまた変わっています。彼らは強行手段を含めて現場復旧を目指すはずです。
警戒を強めていく必要があります。

防衛施設局に対して責任者が言葉をぶつける時、それは防衛施設局が発する言葉とは違います。防衛施設局局員はただ単に「仕事」で心のない言葉を運んでいますが、私達は全ての存在をかけて防衛施設局に訴えています。
生きるためにしゃべれなかった人が語らなければいけない辺野古。沖縄は主張しなければ基地から土地を取り戻すことは出来なかった。
「人が何かを生み出すとき」言葉が必要です。いえないのではなく、言わなければ何も生み出されません。私達は何をこの時代に語らなければならないのだろうか。真実とは何なのか問い続けなければならない。

今日からかんきちさんは県庁の前のスクランブル交差点で一人で訴えを始めました。
「座り込み行動・・・日目。座り込み参加者募集」という看板を持って。彼もまた言葉を発し、いや無言で看板を掲げ人々に訴えかけています。
「何をしたらいいのか」という問いに答えるとしたら彼の行動を目標として欲しい。
人は訴えることが出来る。その一歩を踏み出すまで人は時間がかかる。しかし踏み出せば状況は変わるのです。
かんきちさんは今日「知らないおじさんが"がんばれよ"と声をかけてくれた」と言っていました。人は動く、人を信じればこそ、私達の行動は存在します。

15日の夜、みんなで夕ごはんを食べに行きました!
海の見える席でいただきまーす!! テーブルに並ぶごちそう!!
食事のあと、名護のビーチで花火
晋くんが買ってきた花火で沖縄の夏を楽しみました。



6月15日(火)

晋くんからの緊急メール!!
現場より、午後4時10分。
防衛施設局が退散しました。今日はおばぁ達も10名とぼ座り込みに参加していたので心強かったと思います。
警察車両2台も漁港内から引き上げていったようです。
とりあえず落ち着きました。

報告まで。
現場より、午後3時45分。
防衛施設局が来ました。
いつもの通り、車2台で9名を引き連れてきています。
現在、こちらの代表者の大西さんと具志堅さんが相手をしています。
突っ込んでくる様子ではありませんが、警戒が必要です。
詳しいことは後で報告します。
現場より、午後3時25分。
防衛施設局が来るようです。キャンプ・シュワブから出ました。
警察車両が2台漁港内に止まっています。
座り込みは警戒態勢に入りました。
現地に来られる方は現地へ急行してください!!!

座り込み58日目
今日は天気が良いが、さわやかな風が吹いているので暑くない。 大城ヨシタミさんが新しい資料を作ってきた。今までヨシタミさんがパネルで紙芝居のように使っていた写真や記事、地図などを一冊の冊子にまとめたもの。知らない人に基地のこと、辺野古のことを説明するのにバッチリ・・・!!
←アラビア風な悦美さんと阿部さん
←←朝のミーティング。大西さん



←仲村善幸さんから施設局との話の報告

←与那覇さんから次々と質問が出る

→答える当山さん
阿部さんが逆立ちを始めました お見事!! 施設局の環境アセス方法書に対する市民からの意見書の提出は明日で締め切り。今日は「明日までにもう一枚!!」と、意見書を書いている人が多かったです。

きのうの夜、ジュゴン・ハウスでは・・・
辺野古で買った、とれたてのサザエで乾杯!!! ベランダで貝のフタを取るアキちゃん 阿部さん「アツアツをいただきます!!!」
「おいしーー!!!最高!!」


6月14日(月)

晋くんからの緊急メール!!
現場より。辺野古午後4時。
防衛施設局は帰りました。詳細は後で報告いたします。
前回と同じで「19日の作業ヤードの状況に直しなさい」というもの。「それは出来ない」ということでこちらも対応しました。
現地より。午後3時30分。
防衛施設局が現れました。現在こちら側の代表者である平良夏芽さんと具志堅徹さんが相手をしています。
防衛施設局は車2台、人数は9名+運転手2名です。
警察車両は公安警察が一台を出しているだけです。警戒が必要ですが、突っ込んでくる体制できているわけではないようです。

座り込み57日目
←「藍染」と「鮎」の話で盛り上がる
←「肩をもんでやる」と、篠原さんのそばに寄ってきたヒサ坊。
「凝ってないからいい!!!」と逃げる篠原さん。
結局、山口さんがマッサージしてもらいました。
お礼にマッサージで返す山口さん。
「ほんとはヒサ坊がしてほしかったんでしょ」
あるふぁさんが持ってきてた
年代物のカメラ。
水筒みたいな皮の入れ物に入っている。
おじいちゃんのものだったそうです
晋くん日誌
6月13日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

午前中には6・23に向けた「平和行進」の出発式が行われ、300名余りが参加。
命を守る会代表の金城祐治さんの発言やヘリ基地反対協の安次富さんの訴えがありました。
この8年に渡る闘いにおける怒りや葛藤を祐治さんは切々と訴えます。「私達はそれでも座り込みを継続している。
皆様の力が必要です。」と訴える。
多くの人々に答えて欲しい。この思いに。
平和行進団は出発。座り込みは静けさを取り戻し三線の音色が響いていました。

今日の団結弁当はゴーヤーチャンプルーに手作りいなりづし、きゅうりの漬物。全て野菜は畑の人達からいただいています。本当に豊かな食事をさせてもらっている。本当に炊事場で苦労をしている人達には感謝しています。

今日の座り込みは無事に終了をしました。明日は緊迫した朝を迎えると思います。出来るだけ多くの人達が来て頂けるようにお願いします。

この日誌を見ている方にお願いいたします。この日誌を自分の知人に送る、知っているMLに送る、印刷して配る。あらゆる手段を使って広げて欲しいと思っています。
辺野古の情報を毎日ホームページで更新させ、発信しています。周りにこのホームページを活用し、伝えていただければ幸いです。
ジュゴンの家
http://www47.tok2.com/home/dugong/index.html 
沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団
http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/  
の二つです。

この間に東京では有事法制に反対する集会が開かれています。その集会に寄せて命を守る会より連帯のメッセージを送りました。その文章です。


「有事関連法を廃案へ!6・4緊急大集会」への連帯のメッセージ。
生命と平和を守るためにともに闘う仲間の皆様の行動に敬意を表し、辺野古「命を守る会」より連帯のメッセージを送らせていただきます。

私達は平均年齢80代のお年寄りを中心とする「命を守る会」という市民団体です。
母なる地球に生きる、人間のみならず、全ての生命を守るために日米政府による米軍の海上基地建設に反対して8年間阻止し続けています。
辺野古では4月19日より日本政府が基地建設の実質着工であるボーリング調査(地質調査)を強行しようとしています。
現在、私達はボーリング調査の資材搬入を阻止するために道路に座り込みをしています。座り込みを始めた4月19日から現在までで座り込み参加者は延べ3000人を突破し、一ヶ月以上に渡る座り込みを継続し、ボーリング調査を阻止し続けています。

 有事法案の成立は、沖縄の米軍基地内における沖縄の土地の接収を容易に出来るようにするものであり、今まで反戦地主として土地の不法接収に対して抵抗してきた人々の生き方を奪おうとするものです。そして私達が守ろうとしている生命の海を奪い、戦争への道を開くものです。その法案成立を絶対に許すわけにはいきません。
 皆様の誇りある行動は私達、そして世界中で共に闘っている人々に勇気を与え、活力を与えるものです。
 大和(やまと)と沖縄(うちなー)が真の意味でつながりあうには、沖縄が大和から受けてきた全国の75%におよぶ米軍基地の押し付けを初めとする様々な差別を、大和で生き、闘う人々が謝罪の意を込め、沖縄の歴史の痛みを共有し、私達と共に生き、共に闘い、共に勝利しなければなりません。
 
私達の闘いは差別されている全ての人々の手に歴史の真実を取り戻し、過去、現在の侵略戦争によって奪われた人々の文化、人々の生命を取り戻す闘いとなることでしょう。
二度と朝鮮半島に侵略を行ってはならない、イラク、中東地域での侵略を止めなければならない、そして二度と沖縄から、侵略を行うための出撃をさせてはならない。
私達は謝罪の意を込め、朝鮮半島と中東の平和を願い闘っています。

 全ての労働をする人々、全ての学生、市民、生きとし生きる全ての人々にお願いします。足や腰が悪いおばぁ、おじぃに代わって、私達と基地建設を止めるために、戦争を止めるために共に座ってください。辺野古で私たちは待っています。
現在の私達、そしてイラクの人々の侵略という歴史の暗闇への抵抗は未来を開くバネとなる。たとえ、今は疲れ果てたとしても私達は負けることなく、揺るぎなく立ち向かわなければなりません。子や孫たちの未来のために。

2004年6月4日
ヘリポート建設阻止協議会「命を守る会」


6月13日(日)

瀬嵩の朝市に行きました
今日はミサコおばあとツルおばあの2人だけ。
うららちゃんは持っていったお弁当を朝市のテントで食べました。
途中で繁師匠も現れました。
少し話した後、
篠原さんに頼まれていた
ミサコおばあの作っているおいしい卵と、ツルおばあの赤ウリを買って帰りました。



6月12日(土)

ジュゴンの家日誌
商店街の店に配られるお花。
今回は「ジニア」
篠原さんと一緒に花壇に植えました。 植えきれない分は鉢に。カタツムリに食べられないで大きくなってね・・・・!!

晋くん日誌
6月12日(土)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日、私はお休みをもらい名護に出ていました。防衛施設局が来ていないと聞き、少し安心して辺野古へと帰ってきました。

この間の作業ヤード(4月19日に施設局が強行手段で作り上げた作業場)台風対策問題で状況は変わりつつあります。
私達は強行手段で作り上げたボーリング調査のための作業ヤードの再建を認めない。
人の生命にかかわる問題を、戦争にかかわる問題を「作業ヤードぐらいは・・・」と防衛施設局は片付ける。
そのあり方は絶対に許せません。
作業ヤード建設イコールイラクの侵略を進めることに他なりません。

防衛施設局はこちらの代表者に対して
「台風のときにあなた方が台風対策をしようとした私達を阻止し、私達は帰らざるをえなかった」などと言っている。
平良夏芽さんの報告を見ての通り私達は
「漁港や住民生活の支障になるのであの作業ヤードの台風対策、撤去はおおいにやってくれ」と言ったはずです。
「台風対策を妨害された」ことを口実にして強行手段を考えていることが見え見えです。私達はそれを絶対に阻止する。

辺野古で行われ続けている座り込みは辺野古の問題だけではなく戦争をも止めている。米軍の演習がこの間にまったく無かったのもそのためだった。
辺野古の基地建設と金武町伊芸区の都市型訓練施設建設、そして中東、朝鮮半島の戦争は直結した問題です。
私達が基地建設を阻むことは沖縄への差別をなくすことであり、戦争をとめることです。
座り込み行動をもっともっと広く訴えましょう。私達は負けない、繋がりあい共に行動する人々と生きるため、未来をつくるために。
来週は正念場となり、緊迫することが予想されます。多くの人々に集ってくれるようにお願いいたします。


6月11日(金)そのA

晋くん日誌
6月11日(金)阻止行動54日目

平良夏芽報告>
6月11日(金)午後1時頃から辺野古があわただしくなってきました。
名護署の車両が6台も入り、いつもの仲村警備課長が「そちらが勝手に撤去したのだから、法的な手段がとられるかもしれない。そうなれば動かざるを得ない」といやらしく語りかけてくるのです。
弁護士と連絡を取りつつ、多くの仲間に緊急招集がかかりました。

みんなが集まりつつある中、2時前に2台の車に乗った防衛施設局がやってきました。激しく衝突するといけないので、今日も座って話し合うことにしました。こちらが座るように促すと、和泉課長は「いや、今日は立ったままで」と言ったのですが、こちらが座るといやいや歩道上に座り込みましたが、後ろにいる若い人達は立ったままでした。

開口一番、和泉課長は
「昨日、みなさんは防衛施設局の許可なく、勝手に作業ヤードの柵を撤去しました。台風も過ぎ去りましたので、速やかに元に戻すよう要求します」と、硬い表情で言ってきました。
計画や思惑はともかくとして事実だけ確認しましょうということで、
台風の風が強くなる中、色々あったがそのままでは飛んでしまうかもしれない柵をそのままにして帰ったという事実は認めるか?
という問いに彼らは、その事実を認めました。
さらに、そのままでは風で柵が飛び、人的、物的被害が生じかねないので、人道的緊急措置として、こちらが片付けたということを理解できないか?これは違法行為か?
と問いますと、そちらが人道的緊急措置として片付けたことは認めます。でも台風が過ぎ去ったのですから元に戻してくださいということになりました。
穏やかな具志堅さんが
「そもそも順序がおかしい。あなたたちがやらなければならないことを私達がやってあげたのだから、『ありがとう』というのが最初だろう。話はそれからです」と説得すると、
「あなた達がやったことはみとめます。お礼を言えというなら言います。ありがとうございました」と和泉課長は認めました。その上で、元に戻せと言うので
「和泉さん、あなたが留守のときに台風がきて、あなたの家の戸がバタバタいってたのをロープでとめてあげたら、台風が過ぎ去った後に、元に戻せと言うのですか?」と問うと、沈黙・・・。
しばらくして他の施設局員が「いや、私達は片付けにきたのにあなた達がじゃまをしたのだから、もとに戻せというのは当然」・・・。
とにかく話が平行線なので、「とにもかくにも、台風が近づく中、あなたたちは人的・物的被害が予想される状況をそのままにして帰ったのですから、もうヤードについて発言する権利を認めません」と宣言して、話し合いを打ち切りました。

かなりの緊張がありましたが、今日は無事に終わりました。と思ったら、米軍が浜で大演習を始めました。上陸演習です。水陸両用車が10数台走り回っています。<平良報告ここまで

米軍演習について富田晋報告>
防衛施設局がキャンプ・シュワブ内の施設に帰ったのもつかのま次は米軍が午後2時から辺野古の海で演習を始めました。
沖合いには米海兵隊ドック型揚陸艦「ハーバァーズフェリー」が現れ、次々と水陸両用戦車を降ろしていきます。
その数15台。辺野古の浜辺に上陸しようとしていました。座り込み参加者が浜辺に出て「GO HOME」と抗議の意思表示。
米兵は1台につき4人、5人乗っているだけでフル装備ではない。水陸両用戦車は装甲板をつけ重重しい。
ただ、その装甲板に外傷はなく、戦闘を行った形跡は見当たりませんでした。
はっきりしたことはわかりませんが、アジア地域の国々との合同演習を行って帰ってきたと思われます。
辺野古の浜に上陸する時に水陸両用戦車の1台が故障し、1台に牽引され上陸してきました。上陸する際に牽引ロープが切れ一時が万事に・・・座り込み参加者は抗議の意味で喜びました。

2時30分には15台全てが上陸し、キャンプシュワブ内の戦車道へと入り消えていきました。
防衛施設局に警察その次は米軍。辺野古は楽じゃない。

イラクに出て行く米兵を、自衛隊を。フィリピン、世界中に出て行く米兵を、自衛隊を止めなければいけない。
晋くんからの緊急メール!!
辺野古午後2時7分現在。
防衛施設局は退散しました。詳しいことは分かりませんので後ほど伝えます。
現在の辺野古、午後1時47分。
警察車両が5台に増えました。最初からいた公安警察の車両が2台、ジープ型のボンゴ(ナンバー39−88)と白の乗用車(セダンか?)。その後白色の乗用車が2台、白のジープ型が1台で辺野古漁港に乗りつけ待機しています。

防衛施設局がきました。現在こちらの代表者が対応にあたっています。
防衛施設局員は9名、車2台で来ています。
「台風対策後の作業ヤード再建」についてかなり大きな声でやりあっているようです。
午後12時51分
緊急事態!!
警察車両が6台に増えるという連絡が入りました。
至急、辺野古へ集まってください。緊急事態です!!自分が来られない場合は周りの人々を動かしてください!!
機動隊の導入かどうかは未確認ですが、状況は緊迫しています。
辺野古10時50分現在。
防衛施設局キャンプシュワブ内施設の窓が開きました。
昨日の状況があり、かなり緊張が高まっています。こられる方は辺野古へいらっしゃって下さい。
防衛施設局は作業ヤード建設のためにあらゆる判断をしてくるはずです。機動隊の導入もあるということを頭において辺野古に緊張感を持っていただけたらと思います。
緊張感が高まっている=危ないではなく、だからこそ阻止できる状況が来ているのだと感じていただけたらと思います。



6月11日(金)

座り込み54日目
10日に柵が撤去された資材ヤード 片付けられて、すっきりきれいに。 やっぱり柵なんて無い方がいい!!
晋くん日誌
6月10日(木)
・防衛施設局が台風対策に来ました。

防衛施設局が台風対策ということで辺野古漁港へときました。今日、対応に出ていた平良夏芽さんの文章です。 

平良報告>防衛施設局は、和泉課長を先頭に業者も含めて20名ほどでやってきました。
私たちが台風対策のためにテント等を撤収し終えて1時間ほど経ってからのことです。座り込みに来ていた仲間たちは、命を守る会の小屋の前で待機していたので、私が車で一人で見張りをしていたので無線で仲間を呼びました。
以下、私と具志堅さんでの対応です。

施設局「台風対策のためにきました」
平良「お疲れさまです。風が強くなる前に片付けてください」
施設局「はい。台風が過ぎ去ったら、この前みたいに現状回復させてください」
平良「それは、約束できません」
※顔が急にこわばって
施設局「それでは、台風で柵が飛んだら責任をとってくれるのですか」
具志堅「それはできません。だから撤去してください」
施設局「再設置の約束が取れないと、撤去はできません。再設置できないのであれば、補強させてください。」
平良「それはできません」

※そんなやり取りがしばらく続いたのですが、施設局の中の若い人が「補強するぞ!」と後ろに声をかけて、こちらにすごんだので無線で全員をヤード前に待機してもらいました。場が緊張したのですが、

和泉課長(再び穏やかに)「平良さん、お願いします」
平良「施設局はこちらの要求は一切聞かないで、お願いだけして本当にきかれると思っているのですか?人殺しにつながるヤードを撤去して、再設置を許すということは、人殺しを認めてしまうことになるのです。」
和泉課長「いや、平良さんはすぐに人殺しにつながるって言うけど、これはこの後に行われる工事の前の調査で、直接、基地を建設するというものではないのです」
平良「何を言っているのですか?基地を作るためのボーリング調査だということは、和泉課長も分かっているじゃないですか。今、静岡にイラクの少年が来ているのを知っているでしょ。あのような少年たちとたくさん出会ってきたんです。再びイラクに行ったときに、どう言い訳できると思うのですか。人殺しのためのヤードの再設置を認めたという言い訳ができないじゃないですか。どんな理屈をいってもだめです。
人殺しにつながることには、一切協力できないんです。だめです」

※そこまで言うと、和泉課長は上と相談しますと車の中に戻っていった。

※再び戻ってきたときには、態度も口調も変わって
和泉課長「私たちが台風対策をしようとしているのをあなたたちが阻止しているのですから、今後に起きる問題についてはあなたたちに責任があります・・・・」
平良「何を言っているのですか、台風対策をして下さい。なんだったら手伝いますよ」
和泉課長「再設置もさせない、補強もさせないということであれば、あなたたちで管理してください。」
具志堅「何を無責任なことを言っているのですか。あなたたちの物なのだから責任をもって対策し撤去しなさい。責任放棄は許さない」
※めずらしく具志堅さんが怒鳴る。
平良「えっ、私たちで管理していいのですか?分かりました。」
※私は、ヤードの前の仲間たちに柵の片付けを支持。防衛施設局が責任を放棄し、後の責任を私達に押し付けて帰っていったのだから、柵を片付けるしかない。台風対策・緊急避難としての判断・対応であった。
※施設局は、あわてて写真を撮りに来ようとしたが「あなたたちは責任を放棄したのだから、もう帰りなさい」と帰っていただきました。暴風が強くなる中、中間たちが柵を撤去し、風で飛ばないように固定しました。
※とにかく、柵は撤去されました。そして、ヤードに関する管理責任と管理権を施設局が放棄したことを確認したいと思います。彼らの安全意識などこんなもんです。

以上。


6月10日(木)

ジュゴンの家日誌
先週知り合った、ケニヤ出身のアリスさん。

リサイクルショップ好きということで、「ジュゴンの家」を訪ねてくれました!!

晋くん日誌
6月9日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

県議選も終え、労働組合の人々が辺野古へと帰ってきました。
連日の座り込み参加者人数は100名を越しています。
沖縄は梅雨に入りこの間は雨ばかりが降っています。台風4号も近づいてきているので、昨日の夜はテントを急いで片付ける状況で大変です。
沖縄の台風はプレハブをも吹っ飛ばすので恐い・・・・台風4号は最大風速35メートル・・・・うーん。

座り込みには豊見城村の96歳のおじぃがきていました。「50日目と聞いて、いてもたってもいられなくなった」とのこと。
「今まで遠くで見ていることしか出来なかったが、今日は思い切ってきてみた」という人や「一度来たら次も気安くなった」という人もいる。
「コザ暴動で出会った人と再開した」という人もいました。
「歴史は作るもの」という人がいた。「歴史が動くときはとてもストレスが溜まるもの」とえつみさんは言っていた。ここに集う人達こそ一人一人が歴史的な人物となっていくのを感じます。「歴史は作るもの」歴史は人が歴史を引き受けるからこそ作っていけるものなのだろうと思います。

名護に休みに帰った時に名護に住む多くの人々から「がんばろう」と声をかけられた。本屋のおっちゃんやそばやのおばぁ、花屋のおねえさん。今、名護の人々は立ち上がろうとしているのです。
今、たとえばこの日誌を多くの人々に毎日知らせることや基地反対の思いを街頭で訴える、友達に辺野古のことを話す、新聞に投書する、署名を集める、カンパを募る、激励の文書を守る会に送る、それだけで全ての戦争に向かう流れを変えることが出来る。イラクに爆弾を落とす状況をとめることが出来る。沖縄から基地をなくすことができる。しかし、何もしなければ何も起こらない。
まず、座り込みが行われ、50日間以上も基地建設をとめ続けていることで「戦争への道を、基地建設に向かう道を変えられる状況が来ている」と確信を持つことが大事だと感じます。そこから何かが変わっていく。
沖縄の人々が、日本中、世界中の人々が立ち上がれば基地建設は阻止できる!

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