ジュゴンの家・日誌
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●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子
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7月A

  緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための泊り込みの監視が行なわれています。この行動に必要となるお金(食事代等)のカンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!
カンパを振り込まれる際は、必ず「座り込みカンパ」と明記し、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!


被 爆 59 周 年   

http://hw001.gate01.com/hiroshima8-6/

  被爆58周年8.6ヒロシマ大行動実行委員会:
  連絡先:〒730ー0016 広島市中区幟町 14ー3 田戸康ビル 303
  Tel & Fax : 082(221)7631
   e-mail : http://hw001.gate01.com/hiroshima8-6/mail.htm  (メールフォームへ)



7月31日(土)

夏芽さんからのメールより
平良夏芽です。辺野古の座り込みも102日を越えました。
本来は、辺野古ではなく東京の国会前で座り込みがなされるはずだとずっと思っていたのですがそのような動きはなかなか伝わってきません。
私たちの声を届けるべく選出された糸数慶子議員の初国会の時に、辺野古の想いを携えて国会前に座り込むことが必要だとテントの下で話し合いました。しかし、那覇防衛施設局長が変わったばかりで辺野古は予測不能な緊張の中にあり、多くの者が長期間留守をすることは許されない状況があります。そこで、私(平良)が一人で国会前に座り込むことにしました。
辺野古座り込みの有志として東京に行ってきます。
8月2日(月)〜3日(火)の午前8時から夕刻まで座り込みます。関東地方の仲間のいる方はご連絡下さい。
共に座り込む仲間を募集中です。
晋くん日誌

7月29日(木)
・防衛施設局が午後3時30分にきました。

午後3時30分、防衛施設局長が代わってからの初めての訪問でした。車2台、施設局員8名、業者が2名、運転手2名。公安警察車両1台。こちらは平良夏芽さん、大西照雄さんが代表者として対応しました。その時間座り込み参加者は50人以上いました。

防衛施設局は前回はいつもどおり、「基地建設を進める」「今すぐ立ち退いてほしい」という。
それに対して平良夏芽さんは今まで基地によって受けてきた被害、そして現在の基地はイラクの人々を殺し、朝鮮半島へも行こうとしているということを話しました。
印象に残ったのは「この間までわらバーだった、この間まで僕達と一緒になって海で遊んでいた米兵達は一旦外に出たらあんなに残虐なことをしてしまう。彼らはこの基地の中で人格を破壊されていくんだ。あなたたちは国民を防衛するといいながら米兵達の人格破壊に手を貸しているのですよ。そしてその米兵達はイラクへと飛び立った。本当に防衛するということは彼らをイラクに行かせない、そして人格を破壊する基地を造らせないことじゃないのか。」という夏芽さんの話。
「・・・・・」施設局職員は答えられませんでした。
仕事上答えられないのは分かります。だから、心に刻んでほしい。
人として私達が本当に必要なものが「基地」なのか「防衛」と名を借りた侵略行為なのかを考えてほしい。
午後4時30分に防衛施設局員は引き上げていきました。
仕事で来ている彼らの「チム」の部分に訴えていかなければならないと思います。人はそんな簡単には変われない、けれどそれは私達が自分を引き受け、訴え続けることで人の心を揺り動かせるのだと思います。
「このことをチムに染めてほしい」と夏芽さんは最後に職員達に話していました。

※その夏芽さんは8月2日〜3日まで国会前の座り込みを行います。以下その文章


平良夏芽です。辺野古の座り込みも102日を越えました。本来は、辺野古ではなく東京の国会前で座り込みがなされるはずだとずっと思っていたのですがそのような動きはなかなか伝わってきません。私たちの声を届けるべく選出された糸数慶子議員の初国会の時に、辺野古の想いを携えて国会前に座り込むことが必要だとテントの下で話し合いました。しかし、那覇防衛施設局長が変わったばかりで辺野古は予測不能な緊張の中にあり、多くの者が長期間留守をすることは許されない状況があります。そこで、私(平良)が一人で国会前に座り込むことにしました。平和市民連絡会の共同代表の一人として、そして辺野古座り込みの有志として東京に行ってきます。8月2日(月)〜3日(火)の午前8時から夕刻まで座り込みます。関東地方の仲間のいる方はご連絡下さい。共に座り込む仲間を募集中です。


以下、「辺野古100日集会」で配られた「100日集会アピール」。


                    新基地建設阻止座り込み100日集会アピール

去る4月19日早朝に那覇防衛施設局によるボーリング調査を阻止し、座り込みを行ってから本日で100日目を数えました。
 この100日間、私たちは基地建設は絶対に許さないとの思いを込めて、猛暑の日も雨の日も、台風襲来の日も1日とも欠かさず座り込みを続けて来ました。この先頭に立って頑張ったのが辺野古のおじーおばーたちでした。
 おじーおばーたちは、工事を強行しようとする那覇防衛施設局職員に対しときには「どうしても工事をするというなら私を殺してから行きなさい」と立ちはだかり、ある時は「戦前戦後、何もないときも海のものを食べ子や孫を育ててきた。この豊かな海に基地は絶対につくらせません」と詰め寄り、辺野古の海に一歩たりとも踏み込ませませんでした。
 おりしも、座り込みの最中に行われた参議院選挙では、新基地建設反対と普天間基地の無条件返還を掲げた糸数慶子さんが基地建設推進の候補者に大差をつけて圧勝しました。その直後に、宜野湾市の伊波市長が訪米し普天間基地の早期返還と辺野古移設反対を訴えアメリカ政府をゆり動かしました。又、世界中から1500人が参加して開かれた「第10回国際サンゴ礁シンポジューム」でも、サンゴ礁を破壊に追い込む新基地建設問題が大きくクローズアップされました。
 いま、おじーおばーを先頭にした私たちの行動は、全県民、全国民、いや全世界の人々に大きな共感の輪として広がり続けています。
 先日のマスコミによる世論調査でも普天間基地の県内移設反対が6割を超え、辺野古移設賛成はわずか7%に過ぎない結果が判明しました。1997年の名護市民投票で示した「名護移設反対」の民意は沖縄県民の確固たる民意として輝き続けているのです。もはやいかなる理由を持ってしても県民の意志を無視したり抑えつけたりすることは許されません。
 一方、アメリカ政府からも「見直し」を求められていながら、日本政府と稲嶺知事、岸本市長がいまもなおしがみついている「SACO合意」は今や完全に形骸化していることは誰の目から見ても明白です。
 来年は戦後60年を迎えますが、沖縄にはいまも全国の米軍専用施設の75%が集中しています。私たち県民は、もうこれ以上軍事基地の犠牲を受けるわけにはいきません。イラクの人々、世界の人々を殺戮する軍事基地をつくらすわけにはいきません。私たちは命をかけて豊かな辺野古の海を守ります。命をかけて戦争の為の軍事基地建設を阻止します。これが私たちの願いです。私たち県民の使命です。
 本日の座り込み100日目にあたって、私たちは県民の頭越しに基地建設を強行しようとする日米両政府と稲嶺知事、岸本市長に強く抗議するとともに建設を断念させるまで断固として座り込みを行っていくことを改めて表明します。
そして全県民、全国民に対して新基地建設反対に立ち上がるよう心から訴えます。

                             2004年7月27日 
                ヘリ基地反対協議会、基地の県内移設反対県民会議


7月30日(金)

座り込み103日目
←今日は丸くなっていろいろ講座。
花火の話から始まり(あす・明後日は名護の花火大会)
漆塗りの話、部落のなかの習慣、沖縄の仏壇の話、入会権の話、沖縄でも使われている劣化ウラン弾の話....いろんな話が出ました

→琉球新報「落ち穂」に載っている、ともちゃんの連載をみんなに読み上げる鐘ヶ江さん
晋くん日誌
7月28日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

101日目。100日の節目を迎えて、今日は多くの人が座り込みを訪れていました。
一日で100名は超えていたと思います。
防衛施設局が来ることもなく、三線が鳴り、歌が響いていました。
辺野古はキャンプ・シュワブ、基地内から朝8時にアメリカ国家と「君が代」が流されます。その度にこの国とアメリカの傲慢さに煮え湯を飲まされています。その度に私達はまだ日米に勝ってはいないのだと感じています。
座り込みでは「ボーリング調査を止めている」ことを祝して金城師匠の三線がならされ歌が歌われる。生活と闘いの中にある、そういう中で生まれる三線の音色であってほしい。二度と「安里屋ユンタ」のように戦争に利用される歌であってほしくない。
 私達は「ボーリング調査」を止め続けている。しかし、基地建設を止めたわけではない。闘いは始まったばかりなのだと思います。

帰り際、琉球新報社の記者が「子ども新聞記者」という企画で名護の小学生を連れてきました。
辺野古の取材に来たのです。
小さい記者さんがおばぁ達に質問します。
「なぜ基地建設に反対するのですか?」とってもストレート。
92歳ヨシおばぁ、「そんなものが出来たら大変さ!!」おおっとこっちもストレート。
普段は寡黙なおばぁも口を開いて丁寧に子ども新聞記者に答えます。
「わったー達はねあんた達の未来のために座っているのですよ。この海に基地が出来たら、基地や演習場に囲まれたこの村は生活をしていけなくなる。わったー達はいずれいなくなる。でもあんたたちはどうね?残された人達は大変さね。ここでは生きていけなくなる。だから反対するんだよぉ。分かる??」とおばぁ。
豆記者は小さくうなずいていました。
彼らが生きる世界に戦争なんてあってはならない。せめて私の世代で変えたい。そう強く思います。

以下は「100日集会」で配られた決議文です。

               ボーリング調査中止、普天間基地の辺野古移設計画の撤回を求める決議

  那覇防衛施設局によるボーリング調査を阻止してから本日で100日を迎えました。この100日間、ボーリング調査の中止と機知建設計画の撤回を求めて、地元のおじぃやおばぁたちを先頭にして来る日も来る日も座り込みを続けてきました。
  しかし、那覇防衛施設局は地元住民の願いをまったく聞き入れず、ボーリング調査の強行実施を押し付けることに終止しました。そして、日本政府はアメリカ政府からも辺野古移設計画の全面見直しが打診されてたいるのにもかかわらず、「米国からの打診はない」と知らぬ存ぜぬを決め込み、ただただ「SACO合意の着実な実施」を繰り返すのみであります。
  他方、沖縄県当局は「辺野古移設を進めるのが県の立場だ」と強弁し、名護市当局に至っては辺野古区民の苦悩を顧みず現状を放置しているのみです。県民の生命と財産を守る立場にあるべき県、市当局が、ここに至ってもなお国の意に沿って基地建設を推進する役目を果たしていることは、国策の名の下に地元住民を見殺しにすることに等しいといわなければなりません。
  県民の頭越しに基地建設を押し付ける政府、県・市当局になんらの正当性もありません。子や孫のために命がけで座り込み基地建設反対を訴える地元住民にこそ正義がある事は明白です。
  私達は、座り込み100日にあたり新基地建設を断固として反対し、ボーリング調査の中止まで座り込みを継続していくことを改めて表明します。そして日米両政府による県民への基地押し付けに対して強く抗議すると共に、ボーリング調査を直ちに中止し「SACO合意」を見直し普天間基地の辺野古伊勢地計画を撤回するよう求めます。又、稲嶺知事と岸本市長に対し名護市民投票で示された「基地建設反対」の民意に基づいて辺野古移設受け入れを撤回するよう強く求めます。
  別紙「基地建設座り込み100日集会アピール」を添付し以下の諸点について申し入れ致します。

  (1)ボーリング調査を直ちに中止すること。
  (2)「SACO合意」を見直し普天間基地の辺野古移設計画を撤回すること。

  以上を決議します。
                                   2004年7月27日
                             基地建設阻止座り込み100日集会

      宛先
      米国大統領    ジョージ・W・ブッシュ  殿
      内閣総理大臣   小泉 純一郎     殿
      防衛庁長官    石波 茂        殿
      沖縄県知事    稲嶺 惠一       殿
      名護市長      岸本 建男       殿

7月29日(木)

座り込み102日目
カメラを忘れていったうららちゃん。鐘ヶ江さんがデジカメで撮った写真を送ってくれました
座り込みに参加している方が、辺野古の海とおばあたちの絵を贈呈してくれました。辺野古の豊かな珊瑚礁、美しい海の色。左隅には海でとれるサザエやシャコ貝が。

そのなかに、おばあたちが「人柱」になり杭に体を縛りつけて立っています。一番左のおじいの顔は伊江島の阿波根昌鴻さんの顔をモデルに描かれています。

右の端には埋め立てが始まった土地に兵士の靴と銃先が見えます。
「この海を埋め立てようとすれば人柱はもっと増えるだろう」という思いでおばあたちの絵を描いたそうです。繊細だけど、とても心に訴えかけてくる絵です。
絵を描いたNさん。
贈呈された絵は座り込みテントに飾られています。
座り込みは今日で102日目。 都市型訓練施設建設阻止運動を展開している金武町伊芸区の女性お二人と小学生3人が、連帯の挨拶に来てくださいました。
辺野古の浜で遊ぶ伊芸の子どもたち。 中部工業高校の生徒たちが座り込みに参加しに来ました。 今週はじめて、那覇防衛施設局の人たちが来ました。新しい局長が着任してはじめてです。

ジュゴンの家日誌
去年お手伝いに行った菊農家の方が、
ナーベラーとナスをたくさん、
そしてなんと・・・・!!!
マンゴーを差し入れしてくれました!!!
一緒にお手伝いに行った篠原さんに分けたいと思います。
ありがとうございました!!!

7月28日(水)

晋くん日誌
7月26日(月)
・防衛施設局はきませんでした。

100日集会を警戒してか、はたまた人事移動があったので調整中なのか防衛施設局は来ませんでした。少し、不気味な空気を感じます。
ついに明日で100日間の座り込み。長いようで短い100日間です。短く、濃密な100日間だったというべきでしょうか。

今日も県内外からたくさんの人達が座り込みをして、続けられています。
しかし、やはり、ぐち1つ言わず座り続けている命を守る会のおばぁ達の体調はとても気になっています。
守る会に来ると安心していられるということはあると思いますが、人の出入りが多いところです。自分の好きなときに休める場所ではないと思います。
「体と相談してからここに来て下さい」と言っていますが、19歳の私には分からない70代、80代、90代のおばぁ、おじぃの苦労があると感じています。
何よりも早く基地建設を止めなければなりません。あせらず、されど必死に。皆様のお力をお貸し下さい。

韓国から来られた方は「国連司令部の解体」を訴えて韓国中を回り、そして沖縄の辺野古を原点として日本全国をこれから訴えるために歩くと話してくれました。
平良夏芽さんと事務所のほうで色々とレクチャーをしながらお互いの知らなかったことを情報交換しました。

「辺野古弾薬庫にはいまだに核があると言われています。根拠となったのは外務省の"地位協定の考え方"という極秘文書の暴露からです。その文書は"日本は米軍に対して地位協定という法律を持っているが、基地内は悪魔で治外法権である"という考え方に基ずいて作られています。日本には"非核三原則"という法律が存在し、それは沖
縄の復帰と共に適用されたはずです。しかし、この文書から読み取れることは"それを無視してもいい"ということ。つまり核の持込みに関しては米軍に規定は存在しない、という日本政府の考え方なのです。」と私が説明。

「現在、日本の港湾施設で"通告なしに米の原子力潜水艦が乗り入れて良し"とされているのはこの沖縄だけです。米軍の軍事戦略において原子力潜水艦の位置づけはかなり重要です。原子力潜水艦には核爆弾を搭載する"トマホーク"が積まれています。その潜水艦が沖縄に寄航するときだけどこかでトマホークを降ろすなどは考えられない
ことです。」と夏芽さんが話す。
韓国の方は驚くこともなくたんたんと話す。韓国に「非核三原則」などという法律は存在しないので当たり前のことでもあります。

「韓国では1994年に米軍がチェアン(?地名ははっきりと覚えられませんでした)に核を持ち込んだことが確認されています。そのことを私は記事にして暴露しました。このことは韓国政府でさえ確認をしていなかったことです。私達の場合、沖縄のように米軍への監視体制をとり第一次的にその状況を知ることを勝ち取ることが出来ていません。ですから、そういうことというのは第二次的、つまり、米軍から降ろされた情報や漏洩した情報などからしか分からないでいます。95年、96年、97年に核の持ち込みが確認されているのですが、94年にすでに米軍が韓国に核を配備していたことは誰もが知らなかったことでした。」と韓国の方。

「米軍の生物化学兵器でもっとも危険なものは赤い樽のような入れ物に入っています。次が黄色でその次に危険なのが白色。韓国に在韓米軍が"黄色"の表示をされた化学兵器を持ってきたということを確認したのも私でした。米軍が基地内で物資の積み出しの時にそれを扱っていたということですが。」と韓国の方が続けます。

「国連軍と初めて米軍が名乗ったのは朝鮮戦争でした。米軍は自分たちの戦争を正当化するために"国連軍"という枠組みを作ったのです。そして、国連の規定した国際法に違反して今でも韓国には"国連司令部"が存在しています。現在の韓国では米軍に対する反対をすることも重要ですが、"国連"という存在の矛盾を突きつけていくことは
私はさらに重要だと考えています。」自分が国連を否定する意義について朝鮮半島が今まで受けてきた"国際的な米軍"による差別を歴史からの観点で話してくださいました。

私は最後に「私も国連を否定しています。米軍を全面にバックアップし、イラクの人々を殺し、イラクの占領を共に行い、その上で"正義"を振りかざす。今まで歴史の中で国連軍が何をしてきたのか、その残虐性は見るよりも明らかな事実です。どういう思いで国連軍の解体を訴えているのかお聞かせ願いませんか。」と質問をしました。
「私は米軍と国連という二面性の"かつら"を剥ぎ取ってやりたいのです。その矛盾を人々に訴えたい。」と聞かせていただきました。

私達は「国連なら世界の総意」「国連は人道的なことをしている」といったような作られた概念を疑わなければなりません。国連軍によって助けられた国よりさらに多くの血が流されているという事実を知らなければなりません。
日本と言う国は米軍を否定するよりもさらに国連軍を否定することが困難な国です。
真実がどこにあるのか見極めなければなりません。
国連というものがあれば「何か変わる」「基地がなくなる」ということはありません。第2次世界大戦終了と共に生まれた"国連"は今どこにあるのか。一部の人々の利権を手に入れるために大国の軍隊を使い国際化(グローバル化)した企業が生命を貪っているように見えます。国連軍は侵略を正当化するために作られた枠組みともとれます。
人々の「平和を願う心」から生まれたはずの「国連」をもう一度、自給40円(スポーツメーカーナイキがサウジアラビアの子ども達を自給40円で雇い、ボールを作らせていました。)で働かされているような人々に、イラクで理不尽に殺されている人達の手に取り返さなければいけないと感じます。

世界中で「グローバル化」に反対する人々が何十万人と立ち上がって声を上げています。その人々がなぜ死人を出しながら(オリンピックの際に反グローバル化のデモをしていた良心ある人達に鎮圧に来た警察が暴行し、一人が死亡しています)それでも訴えつづけているのかを私達もう一度考えなければなりません。

明日は座り込み「100日目」です。多くの人達が集い、基地は絶対造らせない思いを分かち合えたらと思います。ぜひ参加してください。

7月27日(火)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日で座り込みはついに100日目を迎えました。
今までの大変な苦労、消耗を考えると「なぜ100日も・・」と思います。また、多くの人々との歴史的な出会いの中で一人一人が可能性を見出し、成長し、基地建設を100日間も止め続けている誇りはとても強いものがあります。
いつものように午前7時より、座り込みは50名以上で行われました。そこに朝から座っている人ほど100日間座り続けてきた仲間たちだと感じています。
「基地建設を止める」という1つの目的を貫き通すこと、決して一人では出来なかったことです。ただ、平穏な生活を取り戻したい。私達はそれだけです。
静かな、海、星空、太陽の中で魚を獲り、畑を耕し生活する。
「何者にも脅かされず、脅かさず。その土地にあった野菜を作り、労働をする。そういう中で平和を創造する、平和のために行動する人を育てていく。そういう生活こそが平和ではないか。」
1フィート運動の代表である仲村文子さんがそんなことを話しておられました。

防衛施設局がいつくるか分からない。機動隊がいつくるかわからない。そういう緊張感の中で今日もそして明日も座り続ける。

午後7時、座り込み現場で「100日集会」が行われ、500人もの人達が集まりました。多くの人達が集いました。島の人達の強い思いはやはり状況を変え始めてると感じています。
集会では、糸数慶子さんや東門美津子さん、嘉陽宗義さんなどの議員の紹介と発言がありました。歌では、前半に瀬嵩の金城繁師匠が三線で盛り上げ、海瀬頭豊さんが「キセンバル」を歌いました。
沖縄の抵抗の音楽が波の音共に聞こえてきます。生活の歌である三線。抵抗の歌「キセンバル」。
女性の代表では村山友子さんが発言しました。「私達は毎日座り込みの炊き出しをして"団結弁当"を作って支援してきましたーー!」と元気に。本当に苦労をかけてきました。ありがたく、ありがたく団結弁当をいただいています。
「生活から出発している基地建設を止める闘い」なんだと毎日認識させてくれるお弁当でした。
一番印象に残ったのは「命を守る会」の代表・金城祐冶さんの話でした。
「若者たちに言いたい!!今やらなくていつやるんだ!と。今やらなくて皆さん!!いつやるんですか!!!今こそ立ち上がる時です。」と祐治さん。
心に奥の方に強く強く響きました。「今やらなくて、いつやるのか!!!」その通りだーー!!!そして、もう祐治さんにそんなことを言わせたくはない。もう私達が引き受ける時が来ている。

100日目を迎えて自分が辺野古へ関わった原点を改めて思います。
命を守る会で共に生きようと思ったおばぁの言葉があります。
「あんたぁー"森"って何か知っているか!?」と聞かれました。
「森??木があって、緑で、ヤンバルクイナが住んでいますよね。」と私。
「うんー。それもそうなんだけどね。わったーにとって森と言うのは、木というのは人間の手本みたいなものだと思っている。でもねぇ、見てごらん、裏の山を。"国立高専"を作るだとか言って山がアカンチャ(木がなくなって赤土がむきだしになっている)になっている。あれは基地建設の見返りよぉ。なんて人間は愚かしいのかや。」
とおばぁ。
「そうですね。」と私。
「だけれどね、森っていうのは諦めないんだ。種1つになっても木一本になっても絶対に諦めない。常に蘇る可能性を持って、そうやって闘っている生き物なんだ。わったーたーもおんなじさぁ。この辺野古にガジュマルの木のように根をはっている。ここに種1つでも木一本でも残せたらこの基地建設問題はわったー達の勝ちさ!!!」おばぁはそう誇り高々に語ってくれていました。
何も出来ない人間ですが、共に生きることは出来ると思いました。
「基地建設が始まって、もし、埋め立てが始まったら、わったーは海に座るさ!!そういう覚悟で今日もここに座っている。」と92歳のヨシおばぁに言われました。
そういう言葉を聞く度に葛藤してきました。

沖縄戦を押し付けられ、米軍の占領と基地を押し付けられ、そしてまた基地建設を押し付けられた。私は東京の出身です。沖縄にそれを押し付けた人間です。
ここで闘う、意味とは自分らしさがここにあるというだけではなく、琉球の人と大和の人が本当の意味で連帯するためなのだと感じます。そして今までの歴史において犯してきた私達の罪に対する謝罪の意味があります。
絶対に基地は造らせない、沖縄に対する日本政府による差別的な構造を変えなければならない。基地は自衛隊基地も米軍基地も全て撤去させなければいけません。それが私なりの責任の取り方であり、それが出来れば世界中の状況を変えることさえも出来ます。

いつか、日本とアメリカの手によって、現在二分されてしまっている辺野古の浜のフェンスを引っこ抜き、フェンスのなくなった浜辺でイラクの人とも、パレスチナの人とも、イスラエルの人とも、アフガニスタンの人とも、朝鮮半島、中国、フィリピンの人達とも、部落民、在日の人々、アイヌ、琉球、大和、障害のある人もない人も、世界中の人達とともに差別なく、月明かりの下、一緒に三線を弾きながら泡盛を飲めたらどんなにすばらしいことだろうと思います。
途方もない夢なのかも知れません。しかし、私達の次を生きる人達のために、その夢のために犠牲になったとしても私は構いません。それがおばぁ達から教えられた生き方です。

これからも生命を賭けてこの海を守ります。生きることの全てを賭けて。


7月27日(火)

ジュゴンの家日誌
小山さん達が初来店!!
伊江島からジュゴンの家へ。
今日は辺野古の座り込み&100日目集会に参加します!!

基地建設阻止・辺野古座り込み100日目集会
始まりは金城 繁師匠の歌と三線で!! 座り込み開始から100日目の今日。約500人が集まりました 師匠の歌に合わせ踊るヒサ坊さん
各団体の代表・議員の方から挨拶。
会場前の席には辺野古のおばあたちが座っています
県民会議・山内徳信さん。
「私たちは勝ちます!!辺野古に杭を打たせない事が、基地撤去に繋がるのです。勝つまで座り込み続けましょう!!」
ヘリ基地反対協代表・安次富さん 「命を守る会」代表・金城祐治さん。
「沖縄の地盤は動いてきている。今やらなければいつやるんだ!!という気持ちでいます!!」
座り込むみんなの昼ごはん・団結弁当を作ってきたともちゃん。
海勢頭 豊さん達のステージ。曲は「喜瀬武原」・「ザンの海」。 衆議院議員・東門美津子さん。
「2度のアメリカ訪問で確かな成果を感じています。」
衆議院議員・
照屋寛徳さん。
参院選で見事当選した糸数慶子さん。
「参議院議員の糸数慶子です!!」
会場から拍手が!!!
最後にヘリ基地反対協の仲村善幸さんが今日の集会アピールを読みあげ、
会場の拍手で採択
ガンバロー三唱で〆
集会終了後、インタビューを受ける辺野古のおばあ・小禄さん 集会後、「命を守る会」にて・・・・
なんと今日は、いつも施設局の動きを見張り、第一関門で職員と対峙して、辺野古の海を守り続けている平良夏芽さんの誕生日!!!
全然予想していなかった夏芽さん、
突然のプレゼントにビックリ!!
でもとっても嬉しそうでした!!
誕生日おめでとう、夏芽さん!!
新基地建設阻止座り込み100日集会アピール
 去る4月19日早朝に那覇防衛施設局によるボーリング調査を阻止し、座り込みを行ってから本日で100日目を数えました。
 この100日間、私たちは基地建設は絶対に許さないとの思いを込めて、猛暑の日も雨の日も、台風襲来の日も1日とも欠かさず座り込みを続けて来ました。この先頭に立って頑張ったのが辺野古のおじーおばーたちでした。
 おじーおばーたちは、工事を強行しようとする那覇防衛施設局職員に対しときには「どうしても工事をするというなら私を殺してから行きなさい」と立ちはだかり、ある時は「戦前戦後、何もないときも海のものを食べ子や孫を育ててきた。この豊かな海に基地は絶対につくらせません」と詰め寄り、辺野古の海に一歩たりとも踏み込ませませんでした。
 おりしも、座り込みの最中に行われた参議院選挙では、新基地建設反対と普天間基地の無条件返還を掲げた糸数慶子さんが基地建設推進の候補者に大差をつけて圧勝しました。その直後に、宜野湾市の伊波市長が訪米し普天間基地の早期返還と辺野古移設反対を訴えアメリカ政府をゆり動かしました。又、世界中から1500人が参加して開かれた「第10回国際サンゴ礁シンポジューム」でも、サンゴ礁を破壊に追い込む新基地建設問題が大きくクローズアップされました。
 いま、おじーおばーを先頭にした私たちの行動は、全県民、全国民、いや全世界の人々に大きな共感の輪として広がり続けています。
 先日のマスコミによる世論調査でも普天間基地の県内移設反対が6割を超え、辺野古移設賛成はわずか7%に過ぎない結果が判明しました。1997年の名護市民投票で示した「名護移設反対」の民意は沖縄県民の確固たる民意として輝き続けているのです。もはやいかなる理由を持ってしても県民の意志を無視したり抑えつけたりすることは許されません。
 一方、アメリカ政府からも「見直し」を求められていながら、日本政府と稲嶺知事、岸本市長がいまもなおしがみついている「SACO合意」は今や完全に形骸化していることは誰の目から見ても明白です。
 来年は戦後60年を迎えますが、沖縄にはいまも全国の米軍専用施設の75%が集中しています。私たち県民は、もうこれ以上軍事基地の犠牲を受けるわけにはいきません。イラクの人々、世界の人々を殺戮する軍事基地をつくらすわけにはいきません。私たちは命をかけて豊かな辺野古の海を守ります。命をかけて戦争の為の軍事基地建設を阻止します。これが私たちの願いです。私たち県民の使命です。
 本日の座り込み100日目にあたって、私たちは県民の頭越しに基地建設を強行しようとする日米両政府と稲嶺知事、岸本市長に強く抗議するとともに建設を断念させるまで断固として座り込みを行っていくことを改めて表明します。
そして全県民、全国民に対して新基地建設反対に立ち上がるよう心から訴えます。

                                  2004年7月27日 
                                 ヘリ基地反対協議会、基地の県内移設反対県民会議


7月26日(月)

基地建設阻止 座り込み100日集会
「命を守る会」結成から2639日(約8年)+100日目
みんな集まろう

 四月十九日の早朝に強行されようとしたボーリング調査が、基地建設を許さない人たちの抵抗によって押し返されました。その日から始まった座り込みは、100日目を迎えます。
日米両政府が莫大な資金を垂れ流して着手した基地建設計画を普通の市民たちが座り込みによって止めているのです。参院選では、10万票近くの大差をつけて平和を求める心が勝利し、糸数慶子さんが選出されました。
示された民意を追い風に訪米した伊波洋一宜野湾市長によって、動かぬ山が動き始めました。
 みなさんが行動することによって、基地建設計画を白紙撤回させることは可能です。
ぜひ、集まって下さい。

日時 7月27日(火)午後7時〜
場所 辺野古座り込み現場


主催:基地県内移設反対県民会議&             名護ヘリ基地反対協

写真:座り込むオバーたち


座り込み99日目
山口洋子さんが久々に座り込みに来ました。紅芋を分けてくれました!鮮やかな紫色!! すごく大きい扇子を持ってきた修さん。 これで扇ぐとなんだか偉くなった気分になれます(笑)
ジュゴンの家日誌
久々にオオシッタイから下山してきたあるふぁさんが
座り込みに行く途中で寄ってくれた。
ユキさんと一緒に記念写真→
晋くん日誌
7月24日(土)
・防衛施設局は来ませんでした。

韓国での米軍再編で竜山(ヨンサン)基地から平澤(ピョンテク)への移設が正式に米政府、韓国政府の間で合意し、ニュースでも大大的に報道されました。
韓国のピョンテクでは8年前からこの計画に対して声を上げ続けてきています。

沖縄の沖韓民衆連帯という市民団体は韓国との連帯をずっと続けてきました。

「ピョンテクは畑が広がっている地域で農村地帯、その農村の一軒一軒の家に"基地建設反対"を示す黄色い旗が翻っている。
畑にも米軍をイメージしたモニュメントと共に"基地建設反対"の旗が掲げられている。」
写真を見せてもらいながら色々と説明をしてくれました。

「韓国の梅香里(メヒャンニ、米軍射爆場が目の前の海で行われている)に初めていったのは、米軍機が故障を起こし、それを理由に機体を軽くするため積んでいた爆弾を民家へ投下した。そこで何十軒という民家が被害にあった時だった。私達はそれを聞いて共にその状況を変える、闘う存在として訪れた。メヒャンニの人々は突然来訪した私達(沖縄人)の存在に驚いていた。そのとき、まだメヒャンニはその存在を余りにも知られていなかったからだ。」とTさんは話してくれました。
前日の日誌で劣化ウラン弾の射爆演習を韓国に移したと話しましたが、移された先はメヒャンニだといわれています。
メヒャンニの人々は孤立という中にあって声を上げ続け、血を流しながらその状況を変えました。そして現在、メヒャンニ射爆場は閉鎖されるに至っています。

現在、竜山(ヨンサン)米軍基地を移転されるとしているピョンテクに住む人達は移設先の土地を買い上げ一坪反戦地主として抵抗をしています。一坪反戦地主は米軍と日本政府の不法な土地接収に対して沖縄の人達が始めた抵抗運動です。「軍用地を生産と生活の場に!」という言葉を掲げ、ずっと続けられています。
畑を耕しながら米軍基地の新設に反対し、訴えを広げようとするピョンテクの人達を見て、初めてその地を訪れたHさんは、「辺野古と同じだった。まるで祐治さん(辺野古、命を守る会代表)を見るようでした。」と話してくれていました。
畑をやって生きていこうとする人達の生活を奪い、その人達は訴えを広げるために多くの土地を歩き訴える。畑に集中できるような状態ではまったくない。

心が痛む。

人間関係と同じように、厳しいときにこそ、その人としっかりとした姿勢で謙虚に向き合うということ。本当の連帯とはどこにあるのか、沖韓民衆連帯の人達の言葉に問いかけられ、突き動かされています。

韓国では、民主労総という党を中心に米軍装甲車女子中学生轢殺事件の2周年の16万人での抗議集会や韓国政府のイラク派兵に反対する集会を初めとして大規模な抗議やストライキが行われています。
前回、民主労総の人が辺野古に訪れた際、テレビのニュースで「韓国では過激な一部の労組がイラク派兵で抗議集会を開いた」と報道がありました。
民主労総の人は
「私達が過激だというが、私達は80万人もの人達が一緒にやっているところだ。それを支持している人達は無数といる。それを"過激"と表現するならば、韓国の国民を全て"過激"ということとなる。」と誇らしげに語っていました。

7月25日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

午前中は休みをもらい、名護市街地に帰っていました。
名護市街地の私がよく行くお店に立ち寄るとそこの店主がとても元気のでる話をしてくれました。
「私ね、この間来た青年にいったやったのよ!!余りにフラフラとしていたものだから、そんなに余裕と時間があるのなら少しは辺野古に行って座り込みなさい!!って。
あれからあまり来ないわね。でもね、私に出来ることと言ったらそんな所。ごめんね」と。

「謝ることではまったくありません。私達が座り込みを続けられるのもそういう人達が名護にいてくれるからですよ。」と答えました。

多くの人達がこの座り込みがなされている間で葛藤し、訴えを広げてくれていることを実感するところです。うれしい限りでした。

午後、辺野古へ帰ると本部のP3C自衛隊基地に反対しているおじぃ達が来ていました。
私に「知っているか!?本部は今でも採掘のために山を削っているのだが、宇部鉱産という所がやっている。大和の企業だ。わったーは20年も前にそこで"ここの採掘は辺野古の埋め立てのためにある"と聞かされていた。20年も前の話だ。昔っから米軍と日本政府は辺野古の基地建設計画を進めていたのさ。だからわったー達も本部でがんばる人間としてがんばらななぁ。でも君、大和の人よ、この問題は島ぐるみの段階ではなくなった。全国ぐるみで立ち上がらなければならないんだ。皆で、皆でがんばろうなぁ。」と語ってくださいました。
85歳の小禄おばぁは「うん、うん」とうなずいていました。
辺野古基地建設計画の青写真が出来たのは1966年だということは証拠も上がり、明白な事実です。その頃からすでに宇部鉱産ら大和の大企業とそういう契約をしていたとしたら大変なことです。
なおさらに腹が立ってきた!

そして、「全国ぐるみで取り組まなければならない」というおじぃの言葉はとても重いものがありました。92歳のおばぁが言っていた「本当に勝つ」には、今、それ以上に世界ぐるみで取り組まなければいけないということを改めて思います。
勝って、もうこんな状況は終わりにしましょう。助け合って生きていくという当たり前の生活を取り戻すために。


7月25日(日)

ジュゴンの家日誌
←夏芽さん達が、出掛ける途中で店に寄ってくれました

→昨日の夕方。暮れていく空がとても綺麗だったので写真を撮りました
晋くん日誌
7月23日(金)
・防衛施設局は来ませんでした。

座り込み96日目。
この間、全国紙においても辺野古基地建設について小さいながらも触れられています。
・「普天間基地の名護移設・米が見直し打診(遅れに不満、具体名あげ)」04・7・23日経新聞

・「普天間飛行場の名護移設・着工9年半で完成(米側に説明)」04・7・21信濃毎日新聞

日経新聞の記事で米側は「移設計画を加速したいと考えているが、米国は名護市にこだわっていない。」「移転に伴う期間を短縮するため、あらゆる可能性を考えていきたい」としている。そして、沖縄の「下地島」「伊江島」、九州の航空自衛隊基地、新田原の岡基地と具体的な"候補地"を例示したとのこと。
かなりの信憑性を持って米側の幹部の間で意見が分かれていることが分かります。
前回にもラムズフェルド国防長官は「代替施設なしでもいい(普天間基地移設は)」と発言している。
これに対し、日本政府は「9年半での完成を目指す」ことを打診した。が、米政府は「朝鮮半島で有時があった場合どうするのか」と改めて辺野古移設にこだわらない姿勢を見せています。

命を守る会、名護市民の8年間、2639日間とこの100日に渡る阻止行動は確実に状況を変え始めました。しかし、場所を変えればいいなどと言う問題ではまったくありません。たとえ、韓国や国外に移転ということであっても止めなくてはならないと感じています。
1995年〜6年の間に行われ、ものすごい問題になった沖縄、鳥島への「劣化ウラン弾」の射撃事件。沖縄中が燃え、止めさせることとなりました。その後の調査などは一切行われておらず、その危険性も闇の中へ葬られているように感じています。しかし、葬られたなのではなく韓国に移転され継続していたのは知っているでしょうか。韓国の人達は沖縄から移転された劣化ウラン弾の実験場を血みどろになりながら阻止しました。
鳥島では今でも米軍の射爆演習はつづけられています。つい、この間からF15などの戦闘機にクラスター爆弾をくっつけて飛んでいます。ウラン弾の影響について当時の県と国は「異常はなかった」としているそうです。何を言っているのかやー。あきさみよぉ。

韓国で米軍再編(トランスフォーメーション)により、在韓米軍の一部が沖縄、日本に移転されることが決まっています。韓国の人達は米軍の再編により行われようとしている竜山(ヨンサン)基地の平澤(ピョンテク)への移転に猛反対すると共に、分散強化、つまり沖縄、日本への米軍移転にも猛反発しています。
私達に問われているのは私達がその当事者であった時にそれでも反対が出来るかどうかなのかもしれません。

米側の見直し、イコール辺野古移設断念ということではなく、さらに分散強化することも狙っているように感じます。日本政府はあくまで辺野古にこだわっており予断は許しません。
石油のために血を流すような戦争への行動の全てに反対しましょう。私達の生き方が今、問われています。


7月24日(土)

「沖縄タイムス」に載った篠原さんの投稿記事!!
座り込み続け移設の撤回を
沖縄タイムス 7月21日朝刊5面 「わたしの意見 あなたの主張」

 先日の参院選で糸数慶子さんが圧勝したのは、普天間飛行場の辺野古沖移設に反対する世論の高まりの結果でもあります。そして良いタイミングで宜野湾の伊波洋一市長も普天間飛行場早期返還と現状を訴えるために訪米しました。その市長が、真の解決策を引き出すためには、県民世論の一致が重要だと言っています。あと一押しの行動が求められています。
 十七日で辺野古の座り込みも九十日を迎えました。何の才能もないわたしも座り込みなら、と仕事と両立させながら続けています。そしてそれが確かに力になっていることを実感しています。たとえ一時間でも一週間に一度でも、と自身の都合に合わせて参加している人たちが老若男女問わずたくさんいらっしゃいます。
 この座り込みの人数を一人でも多く増やしていくことが世論の一致にもつながります。辺野古の海を見て、埋め立てられようとしている大きさを確認し、一緒に座り込みに参加してください。この移設計画を絶対白紙撤回させましょう。

                                                篠原孝子(名護市)

7月23日(金)

晋くん日誌
7月22日(木)
・防衛施設局が午後3時30分にきました。

防衛施設局は午後3時30分に施設局員7名、業者が2名、運転手が2名、レンタカー2台で来ました。
「ボーリング調査は護岸工事のためで本体(基地)工事とは違う」と施設局側は言い続けています。子供だましみたいな話です。「護岸と基地建設とは違うからボーリングはしても構わない」なんて通らない話です。
護岸とは海上基地建設においてはまずやらなければならない重要なポイントです。
台風がまともに当たる沖縄では普通の家の維持をするためにも対策をします。当たり前のことです。基地にも必要以上の護岸が必要だということです。
その護岸とはどんなものなのか。ただの護岸ではありません。
ケーソンといって台形の形状をしたブロックを海に配置とます。これが台風対策、護岸の本体です。これは高さだけでも海上から30メートル以上になるといわれています。さらにそのケーソンを支えるために海底に100メートル以上の埋め立てをすると言われています。ケーソンは幅が40メートル以上もあると言われ、ヘリパッドや弾薬の積み出しも行われるものになるのではと思われています。
こんな巨大なものを「基地建設とは関係ない」だとか「ボーリングはやっていい」とかいえません。むしろ、それこそが「基地」です。

今日、防衛施設局の対応をしたこちらの代表者はその論議を防衛施設局側にしたということですが、「護岸工事と本体工事は違う」という防衛施設局。とんちんかんやな。
午後4時30分に引き上げていきました。

座り込みが終了後、午後6時よりNHK沖縄で「離任する、岡崎那覇防衛施設局長が初めて座り込みに関連して発言」というニュースが流れました。

・ボーリング調査が反対派住民の座り込みによって止められていることに関して。
岡崎防衛施設局長「県、市と共に諸課題、手続きを踏んだ上での調査であるが、反対している住民によって座り込みが行われ、調査が止められているということです。座り込み参加者に対する話し合いはこれからも持ち続けたい」

・県民会議、反対協が求めている「公開質問状」に対しては。
岡崎防衛施設局長「県民会議等から求められている公開質問状に対する文書回答は進めている」

無責任に離任する人の言葉を信じろという方が無理があると感じています。
「話し合いをする」?話し合いをしにきたことがあるのか。一方的に「基地建設は進める」と言っている人達の言葉とはとうてい思えません。ただ、防衛施設局の方針として"長期戦"に持ち込もうとしているのは確かです。
県民会議とヘリ基地反対協が出している公開質問状は「住民説明会をするのか否か」についてです。
2ヶ月前から口答でこれまで回答しようとしてきた防衛施設局が文書回答せざるを得ないのは県民会議と反対協の継続した要求があったからだと感じます。

今日、防衛施設局が座り込みに来たのはこの離任する施設局長の会見にともなう施設局のポーズなのでしょう。
4月19日から毎日のように来ていた和泉課長も現在の役職を離任します。防衛施設局長には「西」という人物がなるとのこと。
沖縄を汚し、潰そうとする人ほど「出世」する。こんなこの国のあり方は間違っている。本当に腹が立ちます。

7月22日(木)

晋くんからのメール
命を守る会 富田 晋より。

反対協より連絡がありました。
今日のNHK沖縄の午後6時のニュースで「県民会議と反対協の公開質問に対し施設局長が文書回答すると明言」の趣旨で流れます。
取材者からの情報なので本当だと思います。
新しい防衛施設局長がどういうことを言うのか皆で聞きましょう。
文書回答は県民会議、反対協が2ヶ月前から求めていたものです。注目しましょう。
辺野古午後4時30分現在。
防衛施設局は帰りました。

詳しいことは後ほど。
現場より、辺野古 午後3時30分。
防衛施設局がきました。レンタカー車2台、施設局員7名、応用地質業者2名、運転手が2名。

施設局員はいつもの和泉課長は来ていないようです。稲嶺施設局員もいません。
こちらは大西照雄さん、具志堅徹さん、大城敬人名護市議の3名の代表者が対応しています。
座り込み参加者は50名以上います。

詳しい事は後ほど。辺野古シン。

新基地建設阻止・座り込み95日
←名護市議・大城ヨシタミさんが
子供の頃の思い出を語る。
貧しいけれど生きる力に満ちている
さまざまな出来事が
きのうのことのように蘇る。
次々溢れてくるヨシタミさんの昔話にみんな聞き入ってしまった。
「(貧しかったけれど)あの頃はみんな、こんな風だった。何も特別じゃないんですよ・・・」とヨシタミさん。
でも・・・、貴重なお話です。
高校生達が来ました 嘉陽のおじいが話をする 当山さんが辺野古のことを説明
←いす&机セット。
本を読んだりするのに便利です
晋くん日誌
7月20日(火)
・防衛施設局は来ませんでした。

連休明けに来ると思っていた防衛施設局は来ませんでした。人事移動の時期なのでしょうか。
7月27日は座り込みを始めた4月19日からちょうど「100日」を迎えます。始めの頃「3桁に行かずに終わればいいね」なんてことを話していたことを思い出します。
「基地建設阻止座り込み、2639日間(命を守る会の8年間)+〜日目」の看板が少しボロッとして痛々しいが、それに3桁目を付け加えなければならなくなった。
100日を勝ち取ってきたことが誇り高くもあり、100日も続けなければならないということで悲しくもあり。がんばりが足らないということだろうか。
まだ勝っていないのだから。
とにかく、7月27日は「100日集会」が座り込み現場で行われます。午後7時からです。参加される方々はくれぐれも漁港内に駐車をしない、部落内は徐行といった基本的なルール、マナーを守りましょう。私達の行動を世界中の人達が見守っています。

戦場となった辺野古で、戦時下の日本で叫ぶ「基地建設はいらねぇーーー!!!」。

・海の日
「海の日」反対行動に参加していたかんきちさんから報告を聞きました。
「だいたい人数は40名くらいかな。場所は浦添の埋め立てられた漁港の先だった。
まよなかしんやさんが歌い、ヤマジンが歌いなかなか良かったよ。
僕もいきなり、那覇でやっている行動について発言を求められてびっくりした。
印象に残っているのは浦添の海があんなにもきれいだったことを知らなかったこと。
本当にきれいだった。忘れられないな。」
私も何度か、浦添の海をしんやさんに案内されいきました。昼に行くとさんご礁がぶあーーと広がっている。夕方になると水平線に夕日が沈む。しかし、そこはこの30年間以上浜辺に入れない、海で遊べない海なのです。「キャンプ・キンザー」米海兵隊基地があるために。
まよなかしんやさんは「海の見えない街」という歌を歌っています。「海の見えない街、誰かがそういったこの街のことを。いつまで見えない、いつになったらみえるのか。」と。
海の日を取り戻すということはこの沖縄の基地をなくしこの海を取り戻すことにあります。そういう願いを込めて私も海の日に反対します。天皇をあがめるために出来た公休日なんてごめんだ!!

7月21日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

海上保安庁の偵察があったり、公安警察が視察に来たり、座り込み現場のすぐ近くにある小高い山の上から人が覗いていたりと緊迫した場面は何度かありましたが、施設局は来ませんでした。
この間、きていないのは最終的な調整に入っているのか、座り込みに人がたくさん来ているのでこれないのか。
とにかく、何もない日ほどいい日はないのだと自分に言い聞かしています。

今日のお昼には石川市から来られた方がスパゲッティとミートソースを差し入れしてくれました。ということで今日のお昼は「ミートソーススパゲッティ」。ちょっと辛くするためチリペッパーを入れました。
なんだか差し入れの多い日で「カツオ」を釣った方が持ってきてくださいました。夜はカツオをさばいて刺身と味噌汁。おいしかったぁ。うーん生のカツオだしとはこんなにすごいものなのか。

午後、ボランティアで内科の病院の先生方がきてくださって、おばぁ達の診察をしてくださいました。
92歳のヨシおばぁは座り込みをしていた20台の兄ちゃんよりも血行、血圧ともものすごく快調。「わったぁは病院に行ったことがない」と鼻高々に語っていました。
しかし、やはり血圧の高いおばぁもいてちょっと心配です。
座り込みが始まることで生活のリズムを破壊されていることは確かです。十分にきをっかっていなければならないと心がけています。

ジュゴンの家日誌
←愛知のOさんからジュゴンの家に寄付が届きましたー!!
夏物衣類のご寄付、どうもありがとうございます・・・・!!!
うれしいです!!!


7月20日(火)

新基地建設阻止・座り込み93日目
←漁港入り口にとても立派なゲートができた。
→朝のミーティング

座り込み現場の前の防風林に
咲いているピンクのアカバナー
監視するコーナー 座り込みを始めてからヒゲを伸ばし続けているかんきちさん 来週の火曜日で、4月からの座り込みは100日目を迎える
アキちゃん日誌 
・座り込みに2ヶ月間参加していたあきちゃんが大阪に帰って、その後をどう感じているのか書いてくれています。
あきちゃん日誌より皆様に配信いたします。
(辺野古シン)

「大阪」

無事、大阪に帰ってきました。
本物の親父には抱きしめんばかりに迎えられ、ちょっとほっとしました。
おかんには、「あんた何も変わってないやん。まったく化粧っけないし。
もうちょっとあかぬけて帰ってくると思ってたのに。」
って・・・辺野古にいてあかぬけるわけないやん、おかん・・・。
いきなりけちょんけちょんに言われて、ちょっとショック。
あ〜やっぱおかんやなって思いました。

大阪に降り立って、鉛色の空と相変わらずの町並みにちょっとどんより。
でも、何か希望もわいている。
あせらずに、ひとつずつ種をまいていこうと思う。
昨日はそっこーおかんにしゃべりまくってしまった。
いきなり堰を切ったように、溢れんばかりの気持ちを話し出す娘にきっと驚きながらも
ひとつずつ冷静に受け止めようとしてくれた。
将来のことも決めずに、沖縄へ行き、その間、陰ながら援助を続けてくれた。
私にとって大事な時間なのだと信じて。
ほんとに感謝しています。
ありがとう。
でも、「あんた、車の免許が取れたらまた戻るの?」
って、ずっこけるわ。ちょっとうれしいけど。
でも、やっぱり私が考えてきた核の部分は伝わりきらない。
また戻るの?とかそんな簡単なことじゃないんだ。
おかん、ほんとはあなたにも辺野古を見てほしい。
辺野古の人々と出逢ってほしい。
私の中の言葉では言い尽くせないほどの感謝の気持ちと幸せな気持ち。
私が言っていることを頭ではなく、心でわかってほしい。
今、頑張って生きているというなら、それが沖縄と繋がらなければならないと思う。
そのために、これからもゆっくり話し合っていきたい。
そして、いつか一緒に辺野古を訪れさせてもらえる日がきたらいいなと思う。


この三日間、日記を書けていなかった。
でも、すごく濃密な時間を過ごさせてもらった。
9日のデモでは、歩きながら、辺野古での2ヶ月間を思いかえし、
どうしようもない感動と、うれしさと、悲しさでいっぱいだった。
「大阪で頑張ってね。でもまた来てね。」
という言葉が重くて、うれしくて、幸せでほんとに涙が出た。
そのことがずっとずっと心の中にある。
私はここにいるんだと初めて思えた。

これからの私の生き方を、誰でもなく、私が一番見ている。
地に足をつけて、前を向いて歩いていきたい。
だって辺野古にはたくさんの尊敬すべき人たちと仲間がいるのだ。


「大正の居酒屋」

昨日は、これまで一緒に沖縄を訪れてきた友達と大正の居酒屋で飲んでいました。
沖縄から帰った次の日に、沖縄の料理を食べて、泡盛を飲んでいる私をお許しください。

私が辺野古にいた2ヶ月間、彼女は誰よりも私に連絡をくれ、
自分が辺野古に行けないことを悔いていた。
そんな彼女に、私は一番に辺野古で感じてきたことを伝えたかったし、
これからのことを一緒に考えたかった。
彼女は、私の2ヶ月間の話を聞いて、その間、自分が何もしていないことが
とても恥ずかしくて、悔しいと言った。
毎日の生活に追われる日々、そこで何か行動を起こしたり、
ふと立ち止まって考えることさえでき得ていない。
でも本当は何か苦しい。本当は何かしたい。でもできない。
そういう気持ちって、ほんとによくわかる。
だから私は、辺野古の2ヶ月間に飛び込んだのだろうし、
それを絶対無駄にしてはいけないという気持ちが湧いたのだ。

辺野古は、予断を許さない状況であり、今後さらに緊迫してくるだろう。
もうあんまり甘いことは言ってられない。
その中で、小さな行動でも、何か意識をもって取り組んでいくことって大事だと思う。
彼女のその正直な気持ちと、私の小さいけど熱い思いを重ね合わせて、
何ができるか考えていきたい。
今日は、辺野古で出会った大阪の女性からもうれしいメールが届いた。

しかも!!
その居酒屋で、女性の店員さんから、
「アキさんですよね??ジュゴンの家のHPを見ていて、
帰られるんだ〜って思ってたら大阪だって知って、
ぜひ連絡をとりたいと思って、今日メールしたところなんです〜。」
って声をかけられてビックリ。
恐るべし大阪!いや、大正!
「帰って早々に沖縄の料理食べててスイマセン・・・。」
って謝っておきました。
とりあえず、気づかなかったけど、やっぱり大阪っておもろい所だ。
これからは、大正にも頻繁に通わせていただきたい。
晋くん日誌
7月18日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

座り込みが明日で3ヶ月に達する。この3ヶ月とはなんだったのか、そしてこれからはどうなっていくのか。4月19日、歴史の動いた日、なんにしろそこに立ち返り基地建設が完全になくなるまで座り込もうと決意を新たなにしています。
人から聞いた言葉で私が大切に思っている言葉があります。
「意気消沈せず、幻想を持たず、極めて困難な課題に立ち向かい、何度も何度も"始めに立ち返る"力を持つ人は負けない」という言葉。
基地建設を止めようと誓った原点、人として生きていこうと思った原点、人を愛そうと思った原点、そこに立ち返ることが出来れば負けない、ゆるぎなく立ち向かっていきたい。希望を持つことを忘れないでいたい。人を信じることが私にとっての希望です。

午後から沖縄の高校生達が辺野古の座り込みに来ていました。
おばぁ達と交流の場を持ち、少しの時間を共有しました。
祐冶さんがあいさつをしました。
「私達が築いてきた平和をあなたたちは風や空気のようなものと思ってはいけない。
それは作っていくものだから。もう私達じゃなく、あなた達が担っていかなければ。」少し強い口調で訴えていました。
小禄さんも話をしました。これまでの90日間、色々なことがありました。色々な苦労がありました。目に見えない部分での現実をおばぁ達は必死に受止めてきているのを私は目の当たりにしてきました。そのこみ上げる思いからか、小禄さんは涙を流しながら高校生達に訴えました。
「私達がたどってきたような、青春をあなた達に送ってほしくはないんです。自分たちの青春を送ってほしい。」と。
その後、しゃべった私も感極まってしまっていました。
「僕達が引き受けるときがきたんだ。もう、もうおばぁ達に背負わせるのはやめよう。全ては小禄さんの言葉に集約されてる。戦争のない、差別のない青春を僕ら自身の力で作り上げなくちゃならない。」
小禄さんがここのおばぁ達がどれだけの苦労の中でここまで来たのか、たったの2年の付き合いの私でも感じることが出来る。多くの人達にそのことを感じてほしい。
生きるとは壮絶で厳しい、本当のやさしさや幸せ、厳しさ、楽しさは自分で勝ち取っていくからこそ感じられるのだとおばぁ達の生き方は物語っている。一人ひとりのおばぁが様々な生き方を生きてこられた、最終的に出した結論は「基地建設は止める」でした。そのことのすごさを毎日、身近で感じています。

話が終わった後のおばぁ達が泣きながら誇り高く、笑顔でした。この3ヶ月が本当に報われたと感じています。

7月19日(月)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日で3ヶ月を迎えました。これまで座り込み参加者は総勢で7254名。す、すごい数だ。しかも団体で来た場合や集会は含まれていないので実数は8000名はいっているはずです。
訪れてくださった皆様、支えてくださった皆様、本当にありがとうございます。皆様の行動がこの国の世論を動かしたことは確かです。そしてこれからの辺野古では、正念場となる闘いが開始されようとしています。今まで以上に皆様の力を貸してください。
生活があり、動けなくなったり、色々なことのなかで葛藤されている方がたくさんいらっしゃると思っています。しかし、思いをはせてくれていることが私達にとって大きな支えにもなっていることを忘れないでほしいです。そして状況がくればともに行動してくださることを願っています。

今日は「海の日」です。浦添では浦添軍港建設に反対する人達が中心となり、「海の日を取り戻す」という趣旨で集会が開かれています。
「海の日」はなぜ制定されたのか。以下、「海の日」行動の呼びかけ文です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

友ぐぁの皆さん!
 米英軍によるイラクファルージャ住民虐殺の主力部隊は、なんと沖縄のキャンプシュワーブやハンセン所属の海兵隊である。
 我ったぁ沖縄人は、このような、沖縄が戦後60年近くも世界の人々の殺りく侵略する基地となっている現実を容認することができない。
 従って我ったぁ沖縄人は、ブッシュ政権に追従し有事立法・改憲へと突進しつつ、沖縄へ新たな基地を押しつけようとする小泉内閣や稲嶺県政の暴挙を断固阻止し、基地も戦争もない21世紀の平和な共生世界をめざして今年も「海の日」反対行動を展開する。
友ぐぁの皆さん!
 かつてヤマト(明治)政府は「明治丸」で琉球国を侵略併合(1879年)し、沖縄県を押しつけた。その明治丸に乗った明治天皇がアイヌモシリ(北海道)・東北から巡航(1876年)し、横浜に帰着した日が7月20日だったことを記念して8年前にヤマト(橋本内閣)政府は「海の日(今年は7月19日)」を制定したのである。
 浦添市民行動実行委員会は世界をつなぐ海を「天皇賛美」や侵略のためでなく、世界の国々を共生平和で結ぶ海として「海の日」を取り戻すために、 7・19「海の日」反対・浜あしびのへの参加を、平和を願う多くの市民の皆さんへよびかける。 
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どんなだったのかは後日、報告を聞いて、日誌に書きます。


7月19日(月)

晋くん日誌
7月17日(土)
・防衛施設局は来ませんでした。

今朝の新聞で「在日米軍の再編をめぐる外務・防衛当局による日米審議官級協議」において米側の意向が伝えられたと報じた。
@在沖海兵隊の一部を「キャンプ富士」(静岡県)「キャンプ座間」(神奈川県)に分散移転。
A米海軍厚木基地を岩国基地などへ移転。
B第13空軍司令部(グアム)を横田基地(東京)の第五空軍司令部へ統合。
C米陸軍第一軍団司令部(ワシントン)を「キャンプ座間」(神奈川県)に移転。

・辺野古基地建設について、「普天間飛行場移設問題の打開策として、現行の移設計画の一部見直し、工期を短縮する案が有力。」としている。

さらに辺野古の基地建設について日本政府は「本当に受け入れられるところがあるのか、米側も徐々に分かってきた」などと取材者に述べている。どういう意味なのかは聞いての通り、「新基地建設は沖縄以外では受け入れない」ということです。
なんなんだ!!沖縄を今まで以上に差別して、犠牲にしてまた侵略をするための島とするというのか。大和がしてきた多くの許されない罪をなぜまた繰り返す。この国はおかしすぎる。絶対に許されない!!
この報道でわかることは「日米の結論が出た。」ということです。辺野古の基地建設は強行するということです。実質のGOサインを出したといわざるを得ない。緊張が高まります。
それがどの時期になるのかは分かりません。
「工事の一部の見直し」は、計画においての"民間"(辺野古基地建設は知事の要請で軍民共用としている)の部分を削除することになるでしょう。そのことではさほど時間はかからないはずです。「基地建設工事期間の短縮のための見直し」いかに米政府があせっているかが伺えます。
ものすごい怒りを感じます。
しかし、今の危機的な状況はイコール基地建設を、戦争へ行こうとする世界を止めるチャンスなのだと思います。

座り込みは、午前中が定例の「土曜集会」。
この記事のことなどについて話が出ていました。しかし、座り込み参加者はまったくもって意気消沈することもなく、幻想を持つこともなく、「私達は基地建設がなくなるまで座っているだけだ」とゆるぎなく座っています。ある人は「ここが、座ることが私の生活。ここにいるからこそ、本当の幸せ、厳しさを感じることが出来る。ここが私の生活。」と言う。本当にすばらしい言葉だ。
昨日の一日の集会についての報告もありました。

・防衛施設局の申し入れでは。
先の参院選で当選した糸数慶子さん衆議院議員の赤嶺政賢さんが県民会議、ヘリ基地反対協の申し入れに同行しました。
いつもは事務局の田那さんが対応するのにこの時は局長の次にえらい「部長」が出てきました。国会議員が出てきたということでいつもの対応とは違うのだと思うと、どこか腹が立ちます。しかし、局長はやはり対応に出ない。
前回から求めている県民会議の「公開質問状」の文書回答に対して「そんな前例は今までにない」と施設局側。
県民会議は「住民説明会を開くか否か」について2ヶ月前から質問を求めている。しかし、施設局側は「口答」での回答という失礼極まりない対応をしています。そのために何度も県民会議は施設局を訪れ毎回「文書での回答」を求めています。
国会議員が来ているのにもかかわらず「前例がない」と文書回答を拒否した。「前例は作るものだ」と反論したが、またも互いの了解の上で7月30日の回答となった。

・県知事への申し入れ。
先ほどと同じく、国会議員の同行のもとで県知事への申し入れのため面会むを求めた。が、県知事は出てこず。「基地建設の白紙撤回を求める」趣旨で文書を渡しましたが、「上、県知事に伝える」としただけである。

・午後6時30分より県庁前で全体集会。
参加者は全体で200名ほど。集会が進むにつれ徐々に増えたとのことですが、正確な情報は得られず。
国際どおりでデモ。マキシウガンまで。150名で始まったデモで、とても驚いたのが沿道で「カメラつき携帯」をいじっているニセーターや年配のおばぁ、中年の男性などとにかくたくさんの人達が途中から加わったとのこと。イラク反戦デモで国際どおりを歩いたときに沿道の人達が次々と入った来ましたが、まさにそういう状況なのでしょう。


7月17日(土)

今日のお昼のバスで、アキちゃんは那覇空港へ向かいました。

お互いにがんばろう!!
そしてまた会おう・・・・!!
元気でね!!
晋くん日誌
7月16日(金)
・防衛施設局が午後3時30分に来ました。

午前中に座り込み最後の日となったあきちゃんにちょっとした座り込み参加者での送別会。
ジュゴンの家のうららちゃんが名護で買ってきてくれたきれいな花束を金城祐冶さんと私で手渡ししました。
祐治さんがあきちゃんに一言。「彼女は辺野古に自分の意思で駆けつけてくれた。
たった一人で。私はとても感動した。座り込みを通して成長し、またそれを持ち帰って自分の地元で人々を引っ張っていってくれるだろうと思っています。本当に2ヶ月間お疲れ様。本当にありがとう。」すこし、声を震わしながら祐冶さんが話していました。
私も少し涙腺が緩んでいた。
私も祐冶さんと同じ思いです。来た当時の彼女とは比べ物にならない成長を彼女はしたのだと思う。元々、気を使う人ではあるけれど、気を廻し、防衛施設局がきた時に率先して仕事を担い、優先順位を考え、人を動かしていた。
座り込みにはたくさんの人達が来ます。その中には自分が成長する要素がたくさんある。そのチャンスを生かすかどうかは本当にその人次第なのだと思います。
とにかく、あきちゃん、本当にありがとう。この2ヶ月間はあなたなしでは語れない所がたくさんある。命を守る会のおばぁ達のかげながら心の杖になっていてくれたことを心より感謝しています。本当にありがとう。

午後3時30分、防衛施設局が施設局員8人と応用地質の業者が2名、運転手が2名の合計12名。車2台。
こちらは大西照雄さん、金城祐冶さん、平良夏芽さんの3人で対応しました。
大西さん「アメリカでも大きな論議になっているじゃないの。ここであなた達があーだこーだという問題ではないのではないか。今回の選挙でも私達は勝利した。あなた達はそれをどう、受止めている。沖縄の有権者の声にこたえるとしたら今すぐここでの作業を諦めるべきだと思う。」
和泉課長「選挙の結果というのは真摯に受止めていくつもりです。・・・」
平良夏芽さん「和泉さん。基地建設がなくなったら一緒に飲めるのになぁ。基地をなくしていくという方向性をウチナーンチュが持ち始めている。全ての戦争に繋がるものをなくしたい。なくしませんか?」
和泉課長「・・・・」
金城祐冶さん「あなたたちは今日で座り込みが何日目か知っていますか??今日で89日目ですよ。明日で90日目だ・・・。血圧が高い、体が弱いお年寄りはどうなる!!あなた達は私達を殺しに来たのか!!!」
施設局員「・・・・」

日米の協議で基地建設をする側の答えが出る。強行か、再検討か。どちらも闘いが終わる状況を生まない、けれども再検討ということであればとても喜ばしいことです。
もう終わらせましょう。こんなことは。

この日、那覇のほうでは平和市民連絡会、ヘリ基地反対協が那覇防衛施設局と県知事に対して一日行動を行っています。
報告は次の日誌で。

7月16日(金)

晋くんからのメール
辺野古、現在。
午後3時30分に防衛施設局が来ていました。
施設局員が8名。応用地質業者が2名。運転手が2名。車2台。
金城祐治さん、大西照雄さん、平良夏芽さんが対応しました。
午後4時に帰っていきました。
詳しい事は後ほど。

新基地建設阻止・座り込み89日目
明日大阪に帰るアキちゃん。
座り込みに来るのは今日で最後です。アキちゃんを皆で見送ります
思いをかみしめるアキちゃん 金城祐治さんからあいさつ。
「彼女は辺野古に駆けつけ、ずっとここで頑張ってくれました。再び帰ってきた時も、暖かく迎えたい。」
花束の贈呈。
祐治さん・晋くんと握手!!
「ウン、ウン」とうなづきながらアキちゃんの事を聞いていた嘉陽のおじい、「おじいに拝ませてくれ!!」
祐治さんから、祐治さんが育てたマンゴーが渡される。 今まで一緒に座り込んだみんなが見守る ↑↓記念写真!!
宮古島の議員の方。
「これから度々ここに来たいと思います!!」
社大党の方。
座り込みにカンパもありました
帰り際。
篠原さんとアキちゃん、握手でお別れする。「お疲れ様でした!!」
晋くん日誌
7月15日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

伊波宜野湾市長が訪米したことで、状況は一気に動き出しました。
米政府が日米の協議の際に「SACO見直し」(実質、基地建設見直し)を含めた論議を持つとのこと。しかし、1966年から計画された米政府の基地建設でありながら「日本政府が建設し、米軍に提供するもの。見直しかどうかは日本次第だ」としている。
これをどうみるのか。

命を守る会の8年にわたる闘いと現在の座り込みは日米の世論への影響を大きく持ちました。
沖縄参議院選での「基地建設反対」を掲げた糸数慶子さんの勝利。圧倒的、保守地盤である名護、金武町で「基地建設反対票」が上回るという快挙。
4年前基地建設賛成は「47%」だったのが現在では「7%」となった。反対する意思を持った人は沖縄で「84%」となっている。
伊波市長の訪米によって明らかになった、アメリカ世論による今回の状況。全米で3位の信徒を持つ教会組織(信徒900万人)による「在沖米軍基地の撤去、決議」。この教会にはブッシュ大統領やチェイニー副大統領も信徒となっている。在沖米軍への関心の高さを伺わせました。

そういうことを背景にアメリカ政府が「SACO合意見直し」を言わざるを得なくなったことは必然的といえます。そしてこの「SACO合意見直し」という言葉はこの8年間の間に幾度かの報道があったということも認識しておきたいものです。
しかしながら、この「SACO合意見直し」論議が今回の世論を背景に信憑性を持っていると同時にこれが米政府の「外交カード」となっていることも確かです。
簡単に言うと「辺野古で基地建設をしねぇっつんだったら、日本全国の港湾施設、飛行場を米軍が使えるようにしろ」というもの。有事法制の成立でそれは可能なものとなりました。
しかし、米政府はとっても欲張りです。そして日本政府にはこの日米同盟の矛盾を沖縄だけに押し付けておきたいという思いがあります。
日本政府が「SACO合意の見直しはさせない」ということに執着している理由は沖縄に日米同盟の矛盾を押し付けることによって自国防衛の、自衛隊軍隊化の具体化をするためだと感じています。
戦争とは自国資本の利益だけを追求していくものです。それを行うために、日本はどうしてもアメリカに好き勝手させたくはない。
そして、沖縄で、沖縄を完全な要塞に仕立て上げるためには辺野古米軍基地建設を利用して平和を思う人々の行動を、気持ちを殺さなければならない。アメリカは沖縄を自国の軍隊の要塞にしたいという意味では沖縄の平和を思う、行動する人々を潰すことに、日本と利害が一致しています。

結論を言うと、今回の伊波市長の訪米によって辺野古基地建設はなくなるか、推進すると決定し、機動隊の導入があるのか日米の結論が出るということです。
辺野古基地建設がなくなることを心から願います。
今の私達の行動に全てがかかっていると言っても過言ではありません。希望を持って立ち向かいましょう。


座り込みが無事に終了し、夜。この2ヶ月間ずっと裏方として手伝ってくれていたあきちゃんの送別会を那覇でしました。
辺野古が緊迫し、座り込みが開始され、色々な苦痛を、色々な苦労を共に共有してきたあきちゃんがこの場から離れるということに少しさびしさを感じています。
自分の地元に帰り、辺野古で基地建設を止めるために生きた意味を、辺野古で学んだことを生かして生きてほしい。
この辺野古から人が育ち、基地建設を止めるために帰っていくこと。そこにとても希望を感じます。

ジュゴンの家日誌
←昨日、名護の労福センターで行われた
ヘリ基地反対協主催の辺野古座り込み報告集会に行くため
名護市街地まで来たSさんが、
「ジュゴンの家」にズボンを買いに来てくれました。
大きめのジーパンをお買い上げ!!

ありがとうございました!!!


7月15日(木)

きのうの夜
修さんが「ずっと辺野古で頑張ったアキちゃんのお別れ会をしよう」と、
A&Wでハンバーガーなどをご馳走してくれました!!
「ここならいくら頼んでもそんなに高くはならないというのをわかっているの。だからいくらでも好きなだけ食べたいものを頼んでね」と修さん。アキちゃん・篠原さん・晋くん・うららちゃんはウキウキ!!
たくさん頼んでお腹いっぱいになりました!!(晋くんは写真を撮ってくれているので映っていませんが、ちゃんといます)
2ヶ月間滞在し、ほんとに誠実に、辺野古の問題と向き合ってきたアキちゃん。また辺野古で会おうね!!!
→修さんからの贈り物、
修さんの直筆サイン入り!!
新基地建設阻止・座り込み88日目
朝のミーティング 「宜野湾・伊波市長がアメリカを訪問中。今日から行われる在日米軍再編協議で、SACO合意見直しが議題にあがることになった。押せ押せムードで良い方向に持って行きたい」 差し入れの大量のパッションフルーツ!!!&マンゴー!!!
切って、切って、 食べ放題だぁ〜〜!!!ぎっしりと実(種?)が詰まったパッションフルーツ!!今まで食べたのより甘くておいしかった〜!!ビタミンたっぷりという感じ。これを食べたら美人になるでしょーー!!
「Peace Choice−平和のための選択」ピースチョイス情報(34)
   ピースチョイスは、戦争中毒のブッシュ政権を支持する大企業の  製品を選ばない、買わないことにより、アメリカの暴走に  歯止めをかけ、平和で公正な地球と社会を目指す活動です。

【内容目次】
1.「ピースチョイス」新装ウェブサイト
   《 公開 》ブッシュへの献金リスト − トップ100
    ◆◆ 発表  2004年 ボイコット対象企業 ◆◆
2.米カーライルとPHS(その2)
3.世界のボイコットニュース
  ★ ベルギーより: ボイコット路上アクション(2004年5月28日)
  ★ エジプトより: コカコーラに対抗、アラブコーラがヒット(2004年5月)
4.米国大統領選挙ニュース(1)「米国大統領選挙も金次第」
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●1.「ピースチョイス」新装ウェブサイト
     《 公開 》ブッシュへの献金リスト − トップ100
      ◆◆ 発表  2004年 ボイコット対象企業 ◆◆

新装されたピースチョイスのサイト上で、「ブッシュへの献金リスト」(トップ100)の公開を始めました。
詳しくは http://www.3chan.net/~peacechoice/document1.htm をご覧下さい。

PDFファイルで公開中の「ブッシュへの献金リスト」は、ブッシュが大統領選に出馬した2000年度と再選を目指している2004年度に分かれています。また、ブッシュへの個人献金の合計額と政治活動委員会(PAC)の献金額を合わせた
献金総額が、企業/団体ごとにまとめ示してあります。(注: 個人献金の最高限度は、2004年連邦選挙から一口2000ドルとなっています。)

これらのリストは、ピースチョイスが2004年6月に、米国の「センター・フォー・レスポンシブ・ポリティックス」(Center for Responsive Politics)から入手した特注データです。同センターは、選挙活動における金銭関連の情報、および選挙や政策への影響に関する情報をリサーチして公開・提供する独立非営利団体です。

これらのリストから、ブッシュへの献金企業の上位を証券会社、監査・会計、投資銀行など、金融関連の大手企業が占めており、さらに法律事務所や保険会社、軍需、自動車、航空などの企業も多く含まれていることが分かります。
是非ご覧ください。

◆◆ 発表  2004年 ボイコット対象企業 ◆◆
http://www.3chan.net/~peacechoice/target.htm


2.米カーライルとPHS(その2)

米投資ファンド大手「カーライル・グループ」がPHS事業の「DDIポケット」を買収したことについては、既に「ピースチョイス情報(32)」でお伝えしましたが、ここではその買収の背景についての分析をまとめてみることにします。

第一に、日本でPHS(Personal Handy-Phone System)は携帯に押されて少数派になりつつありますが、その一方で、
1) PHSは中国・アジアでの普及が注目されている。
2) PHSはデータ通信(インターネット接続)でも携帯を凌ぐ可能性が高い。
ということで、このような成長性に注目して、カーライルが買ったというのが一般的な解釈です。

次に、買収の背景についてさらに深く考察している例を上げてみると、園田義明氏(講談社現代新書「アメリカの政治地図」筆者)は、自身のメルマガで以下のようにコメントしています。「カーライル・グループはPHSが海外でさらに成長すると考えているのだろうか? おそらく戦場こそがその威力を発揮できると目論んでいるに違いない」。

なるほど。たとえば米国防総省は、イラク・バグダッド市内において治安部隊のための無線通信システムを構築する契約を、米モトローラ社と結んでいます。
PHSは次の戦争で採用したいということでしょうか。何とも怖い話です。

さらに深読みその2ですが、みなさん「リンドウズ」というソフト会社があるのをご存知ですか? リンドウズ(Lindows)というのは、リナックス(Linux)上で動くソフトを開発して果敢にもマイクロソフトに挑戦している会社です。今回、DDIポケットが発売する電話機にはこのリンドウズが搭載されて、インターネットが支障なく見られるということです。

実は、マイクロソフトは、ヨーロッパで発売したウィンドウズを搭載した携帯電話で失敗した経緯があり(フリーズの回数が多く、青い画面が多発したそうです)、このエッヂの新製品をよく思っていないはずです。そこで、買収の背景に次のような会話があったと想像してみました。

DDIポケット「今回のエッヂ電話機にはリンドウズを採用しました。メールもオペラです」。
マイクロソフト「なに、ウィンドウズを使わないだと?気に食わない」。
マイクロソフト→カーライルにこっそり相談「DDIの件困っているんですよ」。
カーライル「共和党仲間のビル・ゲイツのためだ、エッヂを買収しておこう」。

潰すというよりは、マイクロソフトが今までやってきたようにライバルを会社ごと買ってしまい、敵ですら儲けの種にしてしまった。これが私の推測です。

実は私もDDIポケット(PHS)を使っています。携帯より低料金、低電磁波という理由です。なので、今回買収される先がせめて戦争の陰謀渦巻くカーライルじゃなけりゃよかったのに、と悲しい思いです。

さあ、問題は私がエッヂを変えた方がいいのか、いや携帯なんて持たない方がいいのか、です。イギリス系ボーダフォンも何となくいやだし、ドコモは高そうだし、どうしたらよいものやら。

参考1: ビッグ・リンカー達の宴2−最新日本政財界地図(2)2004年06月07日 

参考2: PHSが誇る機能、@屋内コードレスホン、A公衆アンテナによる移動電話サービス、Bトランシーバー機能、C高速データー通信、D位置情報提供サービス

●2.【世界のボイコットニュース】

★ベルギーより: ボイコット路上アクション(2004年5月28日)

ベルギーのへントでは、早くから国際ボイコットの呼びかけを行ってきた非営利市民団体の「フォー・マザー・アース」(FME: For Mother Earth)が路上アピールを行い、電車の駅に降りた一般大衆の目を惹いた。

駅前の椅子に座る新婚の花嫁と花婿 − しかしよく見ると、彼らの額からは赤い血が流れている。そしてその周りには、ブランケットに巻かれた白い仮面の死体が30体転がっている…。

この光景は、ヘント駅に降りた乗客らに、去る5月19日、結婚式の最中に米軍に爆撃されて亡くなったイラク市民のことを思い出させた。

この死体の中で、マシンガンを片手にブッシュ大統領が訴えかける。

「テロとの闘いを続けるためにも、今度の選挙に勝たせてくれ。そしてコカ・コーラ、ペプシを毎日2リットル飲んで、マクドナルドで1日3食とり、エッソ石油やテキサコで石油を買って、マルボロを吸うのを忘れないでくれ!これらの企業はみなたくさんお金をくれて、テロとの闘いを支援してくれるんだ」。

FMEは「エクソン・モービル」、「シェブロン・テキサコ」、「ペプシコ」、「コカ・コーラ」、「アルトリア」(フィリップモリス/クラフト)、「マクドナルド」を対象にボイコットを呼びかけている。FMEは今後もこのような一般へのはたらきかけを定期的に行っていく予定だ。

マクドナルドの前で「オーガニック・ピースバーガー」を配ったり、イラク戦死者の数を記した棺桶をかついでデモに参加したり、「まずは自分たちが楽しむ」ことを忘れないFME。次回アクション、今度はどのようなアイデアで勝負に出るのか、楽しみだ。

★エジプトより: コカ・コーラに対抗したアラブ・コーラがヒット(2004年5月)

エジプト市場向けの新製品「アラブ・コーラ」が、エジプトの大都市アレキサンドリアで大ヒットしている旨が報告されている。この背景として、米国とイスラエル商品のボイコットが広がっているエジプトで、「コカ・コーラ」の代替商品として、ローカル商品の「アラブ・コーラ」へ注目が集まっていることが考えられる。

「アラブ・コーラ」が支持されているアレキサンドリアでは、2004年4月16日に「第三回ボイコット会議」が開催された。その会議に参加した人々はボイコットを「イラクを占領しているアメリカ人やパレスチナを占領しているイスラエル人に対する抵抗と同じような抗議行動」と見ており、特にイスラム聖職者たちは、ボイコットを「全てのイスラム教信者に課せられた宗教的な義務」と考えている。

その会議では、エジプトのボイコットキャンペーンによって、イスラエルからの輸入が800万ドル減少したことが発表された。また別の報道ソースによると、エジプトでは近年のマクドナルトへのボイコット運動によって、2003年には55%で
あったマクドナルド店への利用率が2004年には38%に低下した調査結果も報告されている。また同様調査によると、ドイツではマクドナルトの利用率が43%から34%に、カナダでは62%から52%に低下していることも明らかにされている。

4.米国大統領選挙ニュース(1) 「米国大統領選挙も金次第」

ブッシュ大統領は米国の選挙史上で最強の資金収集力を誇っている。前回2000年の大統領選挙では、過去最高レベルとなる1億ドルを集めた実績があるが、再選を目指す2004年は、2000年を越える総額1億7,000万ドルの集金を目標としていた。
しかし、2004年5月末までにブッシュは、既に目標を大幅に上回る2億1,500万ドルの資金を集めており、その資金収集力には驚くべきものがある。

それに対して、民主党のケリー候補は、2004年2月末の時点(実質的候補者になる前の段階)で、手持ち資金(銀行預金や現金資金など)では、ブッシュ対ケリーの差が55対1であった。しかし、民主党の候補指名を実質的に確実にした時点から急激に資金収集力を発揮して来ており、5月末までに当初の目標額(8,000万ドル)を越える1億4,900万ドルを集めて、ブッシュ対ケリーの「資金格差」は10対7に縮小している。

ケリー候補の資金収集の特徴は、その献金総額の55%をインターネットで集めたことにある。6月末までのオンライン集金総額は1億ドルで、これらは全て中間市民層に当たる民主党支持者やブッシュ嫌いの個人からの小口献金(一口100ドル以下)と考えられる。それに対して、ブッシュは富裕者からの大口献金に頼っており、インターネットで集めた資金は、2003年6月の集金活動開始以来580万ドルでしかない。

ブッシュの「マネーマシン」は、ブッシュ父子との付き合いが長い、高額所得者のビジネス経営者などが中核である。ブッシュ陣営は選挙献金を20万ドル以上集めた人を「レンジャー」(Ranger)、10万ドル以上を「パイオニア」(Pioneer)
と呼んでおり、2004年6月末現在で「レンジャー」が211人、「パイオニア」が314人となっている。

米国にも「公的選挙資金」の制度はあるが、大統領選挙では候補者がその公的資金を必ずしもうけなくても良いことになっている。公的選挙資金制度の下では、その使途の金額レベルに制限が課せられ、かつ連邦選挙管理委員会(FEC)への厳しい報告義務があることにより、それを受けない方を選択する候補者が出てくる。ブッシュ、ケリーはともに予備選挙の段階では、この「公的選挙資金」援助を受けずにやって来ており、無制限に資金を集めて使っているわけである。

つまり、ブッシュ、ケリー両陣営とも莫大な選挙資金を収集するのは、、米国大統領選挙の勝敗の一つが「自己陣営の資金量」に左右されると言われているからで、結局、選挙という民主主義の根本も「金次第」だからである。

特に米国大統領選挙では、全米と各州向けの選挙キャンペーンTV広告(全て民間TV放送局がコマーシャルとして商業的に候補者に売って放映されている)に多額の費用が使われており、激戦が予想される大都市圏などは、コマーシャル
放送料も高いという実情もある。選挙キャンペーンTV広告の効果が絶大であると見られているだけに、「アメリカン・デモクラシー」でさえ、「アメリカン市場キャピタリズム」が強く影響支配しているわけだ。

7月14日(水)

晋くん日誌
7月13日(火)
・防衛施設局が午後3時30分に来ました。

今日の午前中には「基地建設反対」を掲げて参議院に当選した糸数慶子さんが座り込みに来られていました。
急遽、おばぁ達に集まってもらいました。おばぁ達が着くと手厚い握手を交わし、手を握り合ったまま話をしていました。
議員になってすぐに座り込みに来てくれたのは糸数慶子さんぐらいでしょうか。とてもうれしく感じました。
また、おばぁ達の顔も晴れやかでした。

選挙によって民意を示したにもかかわらず午後3時30分、防衛施設局は来ました。
内容は「選挙があろうがなかろうが、私達は基地建設を進めていく」というもの。国策だからなのか!国策、国益のためだったら人を犠牲にしていいなんてルールを一体誰が作ったんだ!!怒りだけがこみ上げてきます。
92歳のヨシおばぁが言っていた。「わったーたーは本質的にはまだ勝っていない!」と。まだ闘いは続く。つなげあい、つながりあい今まで以上に強い関係としてこの国に対して向き合わなければなりません。

大和の街頭でビラを配ってらっしゃる方たちのビラを見たという方からメールが2,3件ありました。うれしいことです。本当にその苦労が実っていることを祝福したいと思います。確実な広がりを見せています。
そういう繋がった人達に「辺野古の人達、頑張ってください」ではなくて、「自分たちががんばる」というつなげかたが出来たらと思います。地道な関係作りが必要になっていることをとても感じます。

宜野湾の伊波市長は「普天間基地の早期返還」を求めてアメリカに行っています。今日、一回目の交渉があったとテレビ報道がされています。
普天間基地は5年〜7年の間に返還する、と橋本元首相とモンデール駐日大使が決めたはずです。
すでに8年がたっています。怒りがこみ上げるばかりです。
「普天間返還は辺野古移設が成功しないとされない」と言うようなことを言っている人がいましたが、そうではありません。普天間基地が本当に返還されるということは辺野古の基地建設がなくなっているということなのです。
「基地がなくなれば雇用がなくなる」という話がよくあります。ちょっと北谷は企業色が強いということがあり、沖縄らしくなく、好きではありませんが、しかし例としてあげるなら、北谷町は基地返還が行われた結果10000人の雇用が生まれました。
今の嘉手納基地は成田空港の4倍の大きさがあって従業員はたったの2500名。嘉手納弾薬庫はさらにその4倍の面積を持っていながら弾薬庫である限り従業員は軍事秘密のため雇えない。
街頭で「基地がなくなったら雇用もなくなる」なんていわれたらこのことを言わなければなりません。同時に基地をなくしていく意義も言っていけたらと思います。
そんな基地です。「基地があって栄えた街はない」伊波市長と共に座り込みを頑張っていきたいと考えます。

※注意情報
この間に「ボーリングに使われる資材」が置かれている中城湾港に動きがあるようです。
「やぐらの組み立ての練習をしていた」という情報がありました。緊張が走っています。集まりが悪く感じます。
防衛施設局は人が少なければやるという姿勢は変えていません。来られる方は辺野古へ!!!

那覇・一人で看板を持って基地建設中止を訴えているかんきちさんは。
21回目
「今日は辺野古か名護に行き選挙結果をみんなと聞きたかった…が結局いつも通り夕方那覇でビラまきした。
東京からの観光客からビラをくださいといわれいろいろ話をした。
友達から辺野古に行けと言われたが行けなかったが那覇で辺野古の看板を見たから声をかけてみたそうです。
東京で頑張っている人がいれば沖縄に来る観光客の意識も変わるはず。みんなで新基地中止!」

22回目
「今日のへのこは本当に楽しかった。
那覇に帰っていつも通りビラまきした。現実は厳しいもんだ。他のビラまきと重なり誰も取りゃしない。
自分の土地での運動は厳しいもんだ…」

7月14日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

普天間基地を抱える宜野湾市の伊波市長が訪米し、「普天間基地の早期返還」を訴えています。
沖縄タイムスと琉球新報が夕刊に「米政府、米議会において普天間代替基地建設を再検討」と大きく報じました。
シタイヒャー(万歳)!!
長期にわたる命を守る会の行動はついに米政府をも動かし始めています。
辺野古だけでなく、宜野湾市民の行動、浦添軍港を反対する行動、金武町都市型訓練施設建設阻止の行動、全島、全離島における沖縄の力強い抵抗が米政府を「再検討」せざるを得ない所まで追い込んでいます。
おばぁ達にこの一報を伝えると「真実の勝利!!」と拍手が起こりました。
ただ、「代替施設の縮小で早期着工」ということも論議として出ているということもあり、油断はならないと感じます。

「今、行動することは世界を変える、変えられる。」ということを辺野古の人々は体言しています。世界を変えましょう。今がそのときです。
ふいー。とにかく良いニュースが続きますね。今はとりあえず喜びたいと思います。
そして皆様の心ある行動を心から祝福したいと思います。
アキちゃん日誌
7月13日(火) 「沖韓民衆連帯の話」 

今日も施設局は辺野古を訪れ、これまでの方針に変更がないことを告げた。
座り込み代表者の主張は一点、
“「普天間基地の県内移設は認めない、辺野古に基地は作らせない」という
政策を掲げた糸数慶子さんの勝利をどう受け止めるのか。
今こそ、方針を見直さなければならないのではないか”というものだ。
当然の主張である。
予想通りおそまつな言葉を繰り返しただけの施設局には、もうため息さえ出ないが、
はっきりしていることと言えば、安次富さんの言葉の通り
“政策・政治を動かすのは世論”なのだ。

施設局とは対照的に、午前中には糸数慶子さんが大歓迎の中
座り込みのテントに迎え入れられた。
おばぁ、おじぃ、金城祐治さんを始め、みんなの心からうれしそうな表情に
心の中が暖かくなった。
一人ひとりと握手をし、言葉を交わす糸数さんとみなさんの様子を見て、
改めて政治とは人々の生活と共にあるのものだと感じた。
そして、政治を動かし、社会をつくっていくのは、
為政者一人なのではなく、それと共にある民衆のパワーなのだと実感した。
本来はそうであるべきなのに、そうではないひどく悪い社会が大きな壁なのだ。
しかし、そこにはこの現状を打ち砕いていこうとする
尊厳に満ちた人間の姿がある。
“座り込みが86日目に入った。最初の頃はね、座り込みのために生活が奪われて、
損害賠償を請求しようかとみんなで話をしていたの。
でもね、生活を犠牲にしているのではない。生活をしているのよ。
ここにいることで、一番人間らしい生活をしているの。”
糸数さんに語りかけるEさんの言葉にはいつも原点に立ち戻らされる。


そして、今日はまた1つ心に留めておきたいと思う貴重な話、
「沖韓民衆連帯」の話をTさんから聞かせていただいた。
自分のルーツを朝鮮半島にもつ韓国の人や在日韓国・朝鮮人の方々と
つながっていく上で、私がいつもぶつかるのは、
過去、日本が多くの国や地域を侵略したという事実の中で、
朝鮮半島の人々に対しても多大な苦しみを与え、
民族の誇りや命さえも奪ってきたという事実をどうしていくのか、
どう謝罪し、責任というものを引き受けていくのかということである。
その議論なしには、どんな繋がりも話も真に前には進まないのではないかと思う。
沖縄からはその問題をどう発信しているのか、私は知りたかった。
Tさんは、“被差別者であるウチナンチュがフィリピンなどでは
すごく残虐なことをしたという歴史がある。
それは、立派な日本人として認められたいということだったのだが、
沖縄にもそういう責任があることをきちんと話し、
その上でどう連帯していけるのか考えている”と話してくれた。

ひとつの差別がさらなる差別を生み、構造的に重なり合った差別が
より悲惨な状況や歴史を生んできたのだ。

そのことを話し、何度も行動を共にしていく中で、
信頼関係が生まれていくのですね、との私の言葉に
“こちらはそう感じているが、やっぱり韓国の人が一番見ているのは、
今は、日本でも韓国でもなく、アメリカという第3の国に対しての
反対運動で連帯しているけど、その敵がいざ日本政府になったとき
お前らはちゃんと闘えるのかということだと思う。
それが闘えなければ本当の連帯はありえないし、
それが過去のことについて、責任をとっていくことにもつながる。
いや、彼らにとっては、ぜんぜん過去のことになどなってないのだけど。”
とTさんが話してくれた。
重い話だ。それは、自分の足元でどう抵抗し、頑張るかという
自分自身につきつけられている課題につながる。

韓国と日本、沖縄に対するアメリカの差別的な対応は非常によく似ている。
そして、国境やそれぞれの国の国内法を飛び越えて、米軍は機能しているのだ。
ということは、運動によって、何かひとつ崩れれば、
どこかに歪みが生じ、韓日の米軍基地の状況を打破する大きな流れになる。
それがまた、アジアの平和にもダイレクトに繋がるのだ。

これらの話を聞いて、沖縄と韓国が連帯していくことは
とても大きな意味があることなのだと感じた。

何重にも差別を強いてきた者として、私はこの問題をどう捉え、
連帯していくことができるのだろうか。 

7月14日(水) 大きなニュース

今日は大きなニュースが飛び込んできた。

サンフランシスコで明日から開かれる日米協議で普天間基地の返還問題が議題として
取り上げられることが決まったというものだ。
夏芽さんが号外!号外!とテントの中に走りこんできたときには何事かと思って
ギョッとしたが、号外以上にびっくりで、うれしいニュースだった。
これまでうんともすんとも動かなかったSACO合意が見直されるということは、
素晴らしい前進だと思う。
このニュースを一人かみしめる祐治さんの姿がたまらなかった。でも油断はできない!
すぐ後の祐治さんの厳しい表情。その通りだ。これまで何度同じようなことで騙され、
翻弄されてきた沖縄の歴史があるだろうか。
普天間の全面返還が実は条件つき返還だったというのは、その最たるものだ。
決して安心はできない。しかし、この流れをぐっと引き寄せて、
大きなパワーを生み出すことは可能だ。

今こそ、沖縄、大和、世界中の連帯を呼び起こし、辺野古に基地は作らせない!
大きなうねりを作り出していきたい。
そのためにはまず、明日、明後日と名護と那覇で開かれる集会に
ぜひとも多くの人々の参加を呼びかけたい。

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