ジュゴンの家・日誌
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沖縄タイムス http//www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報  http//www.ryukyushimpo.co.jp/

同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

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8月C

!!緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための泊り込みの監視が行なわれています。この行動に必要となるお金(食事代等)のカンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!
カンパを振り込まれる際は、必ず「座り込みカンパ」と明記し、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子


石川真生さん写真展・「沖縄ソウル」
   @会期:  2004年7月17日(土)〜9月20日(月) ※木曜日休館
        会場:  横浜美術館 企画展示室4、5、6
              (みなとみらい駅から徒歩3分)
               神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
               電話:045-221-0370
       主催:   横浜美術館、神奈川新聞社、テレビ神奈川
       後援:   横浜市、NHK横浜放送局
       協賛:   資生堂、アサヒビール
       企画展名:ノンセクト・ラディカル  現代の写真V
       参加作家:石川真生の「沖縄ソウル」展の他に以下の
              写真家や映像作家が参加する。
              高嶺格、米田知子、奈良美智、アンリ・サラ、
              スティーブ・マックィーン、ジャネット・カーディフ、
              アハラム・シブリ
       関連事業:アーティスト・トーク
              9月19日(日)
              14:00〜15:30  石川真生
       
      A会期:   2004年8月11日(水)〜30日(月) ※火曜日休館
        会場:   佐喜眞美術館
                沖縄県宜野湾市上原358
                電話:098-893-5737
        主催:   沖縄レジデンス実行委員会
        共催:    佐喜眞美術館
        参加作家:石川真生の「沖縄ソウル」展と、映像作家の
               本田孝義さんが撮影した「石川真生」のビデオ
               を同時上映する二人のジョイント展

       「沖縄レジデンス実行委員会」ホームページ
               http://okrp.at.infoseek.co.jp/


    ヘリ墜落事故抗議北部集会
とき・9月1日(水)午後6時30分
ところ・名護市役所中庭

主催:ヘリ基地反対協
пE0980−53−6992
     アメリカジュゴン裁判・報告会
とき・8月25日(水)午後6時30分
ところ・名護市労働福祉センター
報告者;
新垣 勉さん(弁護士)
土田 武信さん(民法学者)
東恩納 琢磨さん(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団・団長)

主催:ヘリ基地反対協
пE0980−53−6992

8月23日(月)

8月22日(日)「街」日誌より転載
新宿西口駅前米軍ヘリ墜落事故抗議&辺野古の基地計画撤回をアピール
到着したら、エイサー隊が踊っていました! 沢山の人をひきつけました
ヨッシーとジュゴンの家も、「基地はい
らない」と「命の海」を歌う
上原成信さんの話 観光客の方にカンパをいただきました!
太田武二さんの話 太田さんとヨッシーとジュゴンの家
場所を移動して、また歌う! 観光客の方が写真を撮る
通りかかりの人に沖縄の基地を説明 カンパも募集中!
沖縄の新聞より
「高レベルの命令」飛行再開で在沖米軍幹部が明言

 【宜野湾】米軍ヘリ沖国大墜落事故で、事故機と同型のCH53D型ヘリが飛行再開したことについて、伊波洋一宜野湾市長は23日午前、北中城村のキャンプ・フォスターにハーマン・クラーディ外交政策部長を訪ね、抗議した。

 県民が飛行停止を求める中での強行飛行について、クラーディ部長は「(強襲揚陸艦)エセックスに向かえと上から命令があった。県民感情を逆なですることも含め、かなり高いレベルで検討した上での決定だった。安全性を確認し、ヘリを飛び立たせた」とし、在沖海兵隊の判断を超えた高度な命令だったと説明したという。

 普天間飛行場がヘリ基地としてふさわしくないとの市長の抗議に対し、クラーディ部長は「基地の運用に問題があるとは思わない。日米安保条約で提供された施設であり、西太平洋の基地として必要だ」と普天間の重要性を主張。ただ、米軍から市に事前連絡がなかったことについては、クラーディ部長も「われわれも残念だ。だが命令だった」と述べ、苦渋の表情を見せたという。

<2004年8月23日 夕刊 7面>

衝撃再現 怒り再燃/ヘリ墜落へ抗議の写真展
役所に直後の50点余

 「米軍は市民をばかにしている」―。沖縄国際大学に墜落したヘリと同型機が飛行を再開したことに、宜野湾市民や県民からは怒りと恐怖の声が上がっている。23日午前、宜野湾市役所1階ロビーでは墜落事故の写真展が開かれ、炎上する機体や被害を受けた民家など、突然襲った惨劇を生々しく再現。また墜落現場には県民が次々と足を運び、事故の恐怖を再認識している。

 沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故に抗議する写真展が二十三日午前、宜野湾市役所一階ロビーで始まった。九月上旬まで。市消防本部や市広報交流課の職員、市議らが墜落直後の現場で撮影した五十点余りをA4サイズで展示。炎上する機体やキャンパスを覆う黒煙、米兵による大学周辺の封鎖、住宅が被害を受けた様子などの生々しい写真に、訪れた市民らは恐怖を新たにしていた。

 九月五日の市民大会に向け、事故直後の現場の様子を市民に知ってもらおうと、市が企画。今後、市民から寄せられた写真なども追加展示していく予定だという。

 同市真栄原に住む井手口睦美さん(11)=嘉数小五年=は「写真を見て、とっても怖くなった。いつも家の屋上ギリギリを飛んでいて落ちそうで嫌だな、と思っていた。これから飛んでいるのを見たら、もっと怖いと思う。もう訓練はやめてほしい」と訴えた。

 同市普天間の男性(74)は「実際の現場は見ていないが、写真で見るとめちゃくちゃだ。道路を封鎖したり、米国のおごりがはっきり出ている。同型機が飛行を再開したのも市民をばかにしている」と憤った。

 会場で、伊波洋一市長は「写真展で事故の悲惨さが伝えられれば、と思う。住宅に被害を受けた市民の心の傷も深い。二度と起こらないようヘリ基地としての運用をやめさせ、一日も早く閉鎖するよう行動していきたい」とあいさつした。

宜野湾市職労沖国大労抗議/市民団体からも

 米軍のヘリ飛行再開に沖国大関係者や市民団体から強い批判の声が上がっている。

 宜野湾市職労の大城紀夫委員長は「米軍の調査結果は飛行を再開させるためだけの理由づけでしかない。尾翼の部品が飛行中になくなったことは欠陥機である証明。同じ事故が起きる可能性が大いにあり得る。飛行再開は絶対に許せない」と抗議した。

 沖国大教員労働組合の漆谷克秀委員長は「飛行中止要請を無視して飛び立ったヘリは二度と戻ってくるな。事故後も辺野古移設の考えを進める知事は基地返還について本気で考えているのか疑問だ。大学を挙げて基地閉鎖に向けて抗議していく」と語気を強めた。

 平和市民連絡会の島田正博共同代表は「沖縄に対する差別政策。絶対に許せない」と県、日米両政府を批判。イラク戦争の作戦参加のため飛行再開したことに「明らかに日米安保条約の枠を逸脱している。在日米軍の存在そのものが間違った方向でおかれ、これでは日本は主権を放棄しているといわれても仕方ない」と強調した。

(写真説明)米軍ヘリ墜落事故に抗議し開催された事故の様子を伝える写真展=23日午前10時20分、宜野湾市役所ロビー

     ◇     ◇     ◇     

つめ跡に息のむ/沖国大に県民続々

 米軍ヘリが墜落した宜野湾市の沖縄国際大学の現場を訪れる県民が増えている。

 日曜日の22日には100人以上が訪れ、ヘリが1号館に刻んだ事故のつめ跡を、息をのんで見つめた。

 現場前の市道は16日米軍や県警による封鎖が解かれ、1号館は大学のフェンスの外から見ることができる。ヘリの炎上で黒ずみ、回転翼で削られた外壁や、崩れた外部階段が事故の衝撃を物語る。

 燃料の異臭がいまだに残る現場で、那覇市から来た主婦(34)は「観光イメージの青い空に、事故で焼けた木が伸びているのが悲しい」と目を潤ませた。「実際に来てみないと分からないことがたくさんある」

 那覇市の会社員、伊佐真人さん(27)は同大の卒業生。1週間前に訪れた際には道路封鎖に阻まれたが、どうしても気になって再び来た。後輩に当たる在校生には「頑張って、とは言えない。気を付けて、と言っても気を付けようもない」と途方に暮れた様子で話した。

 同大は「現場を見て事故について考えてもらえれば」と話し、安全のためフェンス内には入らないよう呼び掛けている。

都市型訓練施設建設現場など視察 社民党福島党首ら


都市型戦闘訓練施設現場を視察する福島党首ら社民党調査団=金武町伊芸区の監視台

 【金武・名護】福島瑞穂党首ら社民党調査団は23日午前、金武町の都市型戦闘訓練施設建設現場、名護市辺野古漁港の普天間代替施設移設反対の座り込み現場を視察した。社民党は24日以降、政府、在日米大使館に抗議し、普天間飛行場の閉鎖、訓練施設建設中止を要請する。

 福島党首、照屋寛徳、東門美津子両衆院議員らは伊芸区の監視台から都市型訓練施設の建設現場を視察した後、区公民館で住民と懇談。福島党首は「住宅地区への近さに驚いた。訓練施設から近い沖縄自動車道路側の送電線にヘリが接触すると自動車道を巻き込む大惨事につながりかねない」と危ぐした。

 金武町役場で儀武剛町長と会談した福島党首は「党を挙げて建設中止に取り組む」との姿勢を示し、儀武町長は「沖縄だけでなく全国民的な問題として世論を喚起してほしい」と訴えた

<2004年8月23日 夕刊 6面>

「普天間」の閉鎖要求/勝連町議会
中部13議会で抗議決議

 米軍ヘリの沖国大墜落事故を受けて、勝連町議会(崎原弘議長)は二十三日臨時会を開き、住宅地上空での米軍機の飛行、訓練の即時停止などを求める抗議決議、意見書を賛成多数で可決した。これで本島中部十三市町村議会すべてが抗議決議した。

 開会前に全員協議会が開かれ、基地対策特別委員会でつくった原案について協議。SACO(日米特別行動委員会)合意と名護市辺野古への普天間飛行場移設の見直しを新たに盛り込むべきだとの意見が出たが、移設作業がすでに進んでいるなどとして、原案のまま採決した。

 抗議決議、意見書は事故が普天間飛行場の危険性をあらためて浮き彫りにしたとして「これまで撤去せずに放置してきた責任は日米両政府にある」と批判。飛行場の閉鎖と早期返還、日米地位協定の抜本的改定などを日米政府、県に求めた。

糸満市議会が抗議で意見書

 糸満市議会(大城正行議長)は二十三日午前、臨時会を開き、米軍ヘリが沖国大に墜落した事故に対して抗議する意見書と決議を全会一致で可決した。

 意見書では(1)事故原因の徹底究明と県民への公表(2)被害者への謝罪と補償(3)民間住宅地上空での米軍機飛行の即時中止―などを求めている。

平良市議会も飛行抗議決議

 米軍ヘリ墜落事故で、平良市議会(池間青昌議長)は二十三日午前、臨時議会を開き、普天間飛行場の米軍機の住宅地上空での全面飛行停止、同飛行場を閉鎖し早期返還、日米地位協定の抜本的改定などを求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。

<2004年8月23日 夕刊 7面>

航空ショー中止要請/新嘉手納原告団三連協に
来月のフェスト

 新嘉手納爆音訴訟原告団(仲村清勇会長)のメンバーらは二十三日午前、嘉手納基地周辺の三市町で組織する三者連絡協議会の沖縄市と北谷町を訪れ、九月十五日に嘉手納基地で予定されている「アメリカンフェスト」でのF16戦闘機による曲芸飛行の中止を申し入れた。午後には嘉手納町のほか、石川市、具志川市、読谷村の首長と議会議長に要請を行う。

 三連協は同日午後五時から役員会を開き、今後の対応を検討する。

 要請は、原告団と県議、市町村議員で構成する原告議員団、中部地区労が合同で行った。原告団の仲村会長は「曲芸飛行を行えば危険な上に騒音を一層まき散らす。米軍ヘリの墜落事故が社会問題となっている現在、絶対に認められない」と主張。曲芸飛行の中止を米軍に申し入れることなどを強く求めた。

 辺土名朝一北谷町長は「ヘリ墜落事故で状況が一段と変わった。三連協の原点に戻りあらためて協議する」と強調した。

 三連協会長の宮城篤実嘉手納町長は「墜落で県民が不安を抱える中、航空ショーどころではない。中止の申し入れを念頭に置きたい」と話した。






8月22日(日)そのA

毎日新聞より

米軍ヘリ墜落:
事故同型機の飛行再開 反発強める沖縄

 在沖米海兵隊は22日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大に墜落炎上した事故機(CH53D型)と同型の大型輸送ヘリ6機の飛行を再開した。隣接する普天間飛行場からイラクの作戦参加のため相次いで離陸した。稲嶺恵一知事は「飛行停止要請と県民感情を無視するもの」と抗議声明を発表するなど、作戦行動を優先させる米軍に、沖縄はさらに反発を強めている。

 外務省によると、22日正午ごろ「CH53D型機6機をイラクの作戦に向かわせるため飛行させたい」と連絡があり、その後全機が沖縄を離れた。帰還予定は未定。宜野湾市によると、午後0時34分から12分間に6機が次々と離陸した。沖縄近海にいる強襲揚陸艦に艦載されたとみられる。

 在沖米海兵隊司令部は、事故機の調査結果を発表した。墜落原因について、テールローター(後部回転翼)装置の小部品が欠損していたため、これを含む機体後部が飛行中脱落し、機体の制御ができなくなったと指摘。事故機固有の不具合で、他の同型機の安全に支障はないとして、飛行再開に踏み切った。

 事故後わずか9日目で、日本側の現場検証を拒否して機体を持ち帰った当事者による一方的な調査結果だけに、原因解明と安全が確保されるまで全機種の飛行停止を求めている国、県、宜野湾市は強く反発。稲嶺知事は「この調査結果では徹底した原因究明に当たらない。一方的だ」と切り捨てた。宜野湾市の伊波洋一市長も会見し「市民の思いと怒りを無視した行為」と同飛行場のヘリ基地運用停止などを求める抗議声明を出した。

 ロバート・ブラックマン在沖米4軍調整官は「運用再開はイラクの作戦との関係でやむを得ないもので、飛行の安全に万全を期した」とのコメントを出した。【松藤幸之輔、安達一成】

晋くん日誌
8月21日(土)
・防衛施設局は来ませんでした。

防衛施設局はこの1週間の間、一度も座り込みに訪れていません。今、施設局が来ないのは墜落事故以後に変わった状況の中で沖縄の人々の全てからものすごい批難を浴びるからだと思っています。

今日は座り込みに行くと「宮守小学校の戦闘機墜落事故」のことが話しが出ていました。
1959年6月30日。事件当時沖縄は米軍の占領下にありました。そして、しかし、今も。
事件が起こった直後多くの人達が真実を明かすべく必死になって写真などに記録しました。しかし、すぐに米軍にフィルムを引き抜かれほとんどの記録が闇へと葬られました。
しかし、人々の記憶の中にそして沖縄の人々の魂の中に深く深く傷跡と怒りが残されています。その事件の当時に宮森小学校にいた方達、そして遺族の方達の胸の中で今回の「沖国大米軍ヘリ墜落事件」は事件の再来だということです。それを思うとただ、ただ怒りと謝罪の気持ちです。
県外の報道を見ていると「負傷者が出なくて幸い」と今回の事件もまた闇へと葬ろうという動きがあります。
ネットで宮森小学校ジェット機墜落事件のことを検索していると当時宮森小学校で教師をしていた新里律子さんの講演録を公開したページがありました。
公開した方は「この文章を敢えて公開いたします」としています。
私達は余りに安易に沖縄の人々から「平和学習」という形で話を聞いてしまっています。その怒りや絶望や苦しみを受止めずに。
しかし、私は今回の事件への怒りとそしてそれを勇気に変え、この現実と向き合い、闘うために新里律子さんの講演録を敢えて日誌に載せます。
この事件において「恐怖の中」に貶められた人々がたくさんいること。恐怖の中で怒りという勇気を見出し、立ち上がった人達と共に私は辺野古にあります。
私もまた一人の人間としてこの闘いに声を上げます。私達の世代の子供達にこんなことを背負わせないために。

新里律子:

 あのスライドございませんので、明かりをお願いいたします。

 わたくしは恩納村の恩納に住んでおります。もと小学校教員をしておりました。
名前は新里律子でございます。
 まず、本題に入ります前に、宮森小学校戦闘機事故で亡くなられた遺族の方々に、お断りをしてから、演題に入りたいと思います。と、申しますの は、わたくしは昨日まで、今日のためのお話の原稿を書いておりました。その中には、この
部分はちょっと話せない、削除しなくてはいけない、という 部分が多々ございました。ところが、今日この会場に入りましたとたんに、その考えは変わりました。わたくしは苦しい中で、あの当時の様子を詳しく述べることが、遺族への償いかと思います。つきまして、当時の模様を赤裸々にお話申し上げることをお許しいただきたいと思います。

 では、本題に入ります。1959年6月30日、私は宮森小学校で4年1組の担任をしておりました。いつものように、平和なのどかな朝が始まり、平和な学園生活で、みんなも嬉々として一日を迎えていました。当時わたくしは29才。結婚したてで、お腹の中には6カ月の赤ちゃんを身ごもっておりました。ちょうど10時20分頃だったんです。いつもは、子どもたちを教室から早めに出すものを、その日は、ミルクの時間に雑務が食い込みまして、不幸中の幸いとでもいうんでしょうか、外に出す時間が食い込んでおりました。さて、雑務を終えて、ミルクの時間に入りました時に、当番の子供が、「ミルクいただきます」といって、一杯飲みかけた時に、どっかーん。すごい音が教室中を揺らせました。

 なんだろう。子どもたちは、席を蹴って、ミルクをこぼして私の教壇の前に集まりました。ひょっと、西側の入り口の屋根の上を見ますと、真っ黒い物体が屋根の一角にぶら下がっております。私はとっさに、これは、不発弾だなと思いま
した。あれが落ちたら教室はこっぱ微塵だ。子供を避難させなくてはいけない。
とっさに思いました。子どもたちは、「先生、カバンどうしますか。」こういう事態になっても、子どもたちは自分のカバンというのを、カバンの心配をしました。「カバンはいいから、後で取りにくるから、みんな安全な避難場所に避難し
ましょう。」といって、先頭の子供たちは、順序良く出口から出ていきました。
わたくしは最後に教室の全体を見回して、1人の子供も残っていないかなと思って、最後に教室から出ていきました。

 するとどうでしょう、わたくしの前の、2年生の教室の前から、4、5名の子供が火だるまになって飛び出してきました。髪はぼうぼうと燃えて、洋服がぱちぱちと燃えております。最後にパンツのヒモが……。私はこの状態を見ても消すこ
とができませんでした。パンツのヒモが燃えて、最後に、水道のところでパタッと倒れました。じゅうという煙に混ざった水の音にわたしはびっくりしました。
子どもたちは欠けたガラスの上を、火の上を、踏みながら安全な場所へと歩いていきました。

 職員室の前に来ました。まるたんぼうのように、真っ赤に焼けただれた男の子か女の子かわからないような子が、手足だけが丸くなって煙をはいております。
2階の方から、当時の教頭先生が、女の子を抱いて降りてらっしゃいます。6年生の女の子、頭のほうが大怪我をしています。到底助からないと素人の目にも映りました。教頭先生が真っ白いワイシャツを真っ赤な血で染めながら、この子を抱いて泣きながら降りてらっしゃいました。

 それでも私は自分のクラスの子供が36名、無事に一箇所に集まってくれましたので、そちらへ行きますと、1人の男の子が、「先生足が痛い。」ミルク当番で、ミルク受けを持った子供が、足が痛いと。見ましたら、運動ズボンの足の下の皮が全部剥げているんです。生皮が剥げて、真っ赤に、血はでてない。「あなたは重油をかぶったんだね。お母さんはお家にいるから、お家に帰ってお母さんと病院に行って頂戴。」

 もう1人の女の子は頭から血がざあざあと流れてきました。この子は、窓側の窓ガラスで頭に怪我を負っていました。髪をあげるとたいした怪我ではありませんでしたので、もっていたハンカチで押さえてあげて、「あなたも怪我はたいし
たことはないね、お家にかえりなさいよ。」やっとのことで、それだけを言って、家に帰えしました。

 そして、残りの生徒は全部無事だということが、わたくしは分かりましたので、お腹の子供がちょっと下がり気味でしたので、運動場の一画で座っていました。
しばらくしますと、いろんな親たちが子供の名前を呼んで、子どもたちは親の名前を呼んで、地獄絵さながらでした。

 ヘリコプターは空中から飛んできます。後で分かったんですけれども、わたしの教室も、屋根の、煉瓦の屋根がめくり取られておりました。そして、教室をこすって、2階の教室に、機体の一部が、6年の教室に入り込んだのです。担任の先生が、肩を、機体の一部で、肩を打たれて、その瞬間は痛みもなにも気づきませんでした。自分のクラスの子が、機体の下になって、あの、プレハブ教室の、セメントの中に、血だらけになって亡くなりました。

 児童11名、一般の方が6名、17名が亡くなりました。さらに、210名という重軽傷者がいました。

 わたくしたちは職員としての務めをはたすべく、一生懸命頑張りました。1人の女の先生が流産しました。当時の校長先生は、ショックのあまり、病気に倒れました。それから、一番多くの犠牲者を出された女の先生は、教室にいて、自分は助かって、大勢の子供が亡くなったり、怪我をしたり、苦しい気持ちをこらえながら、各遺族の家を回りました。そして、この先生は、戦争の体験で、満州引き揚げ者でいらっしゃいました。主人と2人の息子を満州でなくしました。自分は満人に犯されないように、顔に炭をぬり、縁の下にもぐっては難を逃れてきた。
そんなふうな苦しみを越えてきたのに、またこのような悲しみにあうとは。先生は毎日このことで、苦しんでおられました。先生はこの苦しみを胸のなかに秘めながら、去年亡くなりました。自分の体は琉球大学の医学部に献体をなさったと聞いております。

 さて、当時の事故は、思い出すのも悲しいことでございます。遺族の方々は38年を過ぎても、まだ苦しみをこらえております。去年いった、あの、2年生の女の
子の、亡くなった女の子の家庭でびっくりしたことがありました。「先生、これ見て下さい。」といって見せてくれたのは、なんと、その子供の1年生の時の皆出席証だったんです。1年の時に病気もせずに、このように健康で1日も欠席しないで学校出てきた子が、2年の6月に帰らぬ人となったのです。家族にとって、年が重なる毎に、悲しみは深まるとおっしゃいます。その間中あちらこちらで、線香の匂いがしました。今日は病院から連れて帰るんだ、この子は助からないんだ、といってあちらこちらで線香の匂いがいたしました。

 直った子供で記憶喪失の子もいます。4年生になっても3年生の時の怪我が、かけ算も全部忘れてしまいました。五十音もわすれました。その前のことは、あなたの受け持ちは誰だったでしょう、といったって思い出せません。記憶は全然ないそうです。それから、その当時は助かったけれども、何年後に体のケロイドのために皮膚ガンで亡くなった方もいます。

 いくら賠償の金を積まれても、いくらお詫びを言われても遺族の気持ちは、変わらないと思います。今沖縄に基地ある限り、絶対の安全と言うことはありません。私たちはそういう悲しみを二度と味わないために、平和な島にして欲しいと思います。どうも有り難うございます。(拍手)


この文章の中で「満州」という言葉が出てきますが、これは日本の中で使われた、中国東北部を当時の日本軍が侵略した際に使った差別用語です。)

8月22日(日)

・防衛施設局は来ませんでした。

台風17号が近づいています。台風のため、午前中にテントをたたみ事務所前で座り込み。
今日は普天間第一ゲイト前でも今回の事件に対しての座り込みが行われていて辺野古座り込みの人はいつもよりも少なく感じます。金武町、辺野古、普天間。沖縄では座り込み、抗議が各地で続けられています。

午後、平良夏芽さんから「普天間基地より、CH53−D6機が離陸した」と情報が入りました。CH53−Dは知っての通り沖国大に墜落した機体です。
米軍は演習を再開したそして、「事故を起こした種類の機体はしばらく飛行を停止する」と言っていたにもかかわらず離陸させました。
溢れる怒りを抑えることができません。
イラクに出撃したのです!!こんなことが、こんなことがなぜだ!!
私達を虫けらと思っているのか!!
目の前をイラクの人達を殺戮するヘリが飛んでいく。こんなことが、こんなことが!
沖縄では許されている!
この日本政府を米政府を潰さない限り、悲しみや怒りや絶望は繰り返される。
経済に行き詰った日本政府、米国政府は中国をイラクを手に入れるために動き出しています。私達一人一人が今やらなくていつやるのか!!
怒りだけが私を突き動かしています。

辺野古にも深夜になってもヘリが飛びまわっています。
許せない!!!!この世界を変えよう。それが真実です!!


8月22日(日)

夏芽さんからのメール
とんでもないです。墜落事故を起こしたヘリと同型機が普天間基地より六機離陸。宜野湾市長が抗議。平和市民連絡会が沖国大の現場の放射能測定を実施しました。数値は大学の許可なしに公表できませんが、要再検査とだけ発表しておきます。
かんきちさんから連絡
普天間の座り込みは9月5日まで13時〜20時です。場所は第一ゲート(58号線側)
普天間の爆音訴訟団主催です。
東京・ I さんからのメールより
辺野古のみなさんこんにちは。
本日、東京の実行委員会が新宿駅西口で宣伝活動を行いました。
参加者は60数名、エイサーや歌をまじえて訴えました。
用意したチラシを全てまききり、4万円近くの座り込み支援カンパが寄せられました。
大阪・反戦福祉議員ネット後藤さんからのメールより

                 米軍大型ヘリ墜落弾劾!緊急米領抗議行動の呼びかけ

・日時:8月23日(月)12:00 大阪駅前集合

・宣伝:12:00〜13:00 大阪駅前で宣伝
                 通行人に抗議行動を呼びかける。

・抗議:13:10〜      アメリカ総領事館(大阪・梅田)に抗議行動
                 抗議文を準備できる団体、個人は持ってきてください。

ホームページ http://cgi.f46.aaacafe.ne.jp/~hfgnet/

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http://mail.ganbare-nippon.yahoo.co.jp/
沖縄の新聞より
<2004年8月22日 朝刊 1・2・23面>

「普天間」即時閉鎖訴え/米軍ヘリ墜落
平和団体など抗議集会

 米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した事故で、沖縄平和運動センターなどは二十一日夕、普天間飛行場の即時閉鎖と無条件全面返還を求める県民集会を同飛行場第二ゲートで開いた。米陸軍の都市型訓練施設に反対する金武町伊芸区民百人など県内各地から二千二百人(主催者発表)が参加した。住宅密集地にある大学構内へのヘリ墜落に怒りの声を上げ、飛行の全面停止と早期返還を訴えた。墜落事故後、千人を上回る抗議集会は初めて。

 平和センターの崎山嗣幸議長は「米国に追随し、県民が受けた惨劇を深刻に受け止めない日本政府に憤りを感じる」と指弾。「日米特別行動委員会(SACO)合意が破たんしているのに辺野古移設にこだわり、兵力削減を言うのはまやかしだ。『普天間』を全面返還させ、辺野古移設の断念につなげたい」と呼び掛けた。

 中部地区労の松田寛議長は、辺野古移設を進める稲嶺恵一知事に対し「世論は即時閉鎖にある。県民の命と暮らしを守る立場の人とは思えない」と批判した。

 伊波洋一宜野湾市長は「事故を経験した市民は、ヘリを恐怖なしに見ることができない。二度と頭上をヘリが飛び交うことがあってはならぬ」と強調。「九月五日の市民大会を成功させ、日米両政府に訴えたい。さらに、沖縄の声を一つにした県民大会の実現をお願いしたい」と支援を求めた。

 集会には照屋寛徳、東門美津子両衆院議員と糸数慶子参院議員が参加。二十六日に県選出の野党議員全員が呼び掛け人となり、国会内で集会を開くことを明らかにした。

 集会終了後、参加者は墜落現場の沖国大前までデモ行進。「普天間基地を返還しろ」「県内移設反対」のシュプレヒコールが響き渡った。

(写真説明)普天間飛行場の即時閉鎖実現を訴え、ガンバロー三唱する参加者=同飛行場第2ゲート前

     ◇     ◇     ◇     

「反基地」へ団結訴え/米軍ヘリ墜落事故の抗議集会で市民団体代表ら

 二十一日、米軍普天間飛行場第二ゲート前で行われた米軍ヘリ墜落事故に抗議する県民集会。市民団体の代表らは事故に抗議し、同飛行場の即時閉鎖を訴えた。

命守るため怒り叫ぶ時だ

 山内徳信県民会議共同代表 私たちの世代が若かったころ、米軍によるさまざまな事故に怒り、大声で叫んでいた。県民の命と財産を守るため、今また叫ぶ時が来ている。墜落事故の元凶は米国にあるが、稲嶺恵一知事は現状を認めている。基地を容認し、危険を排除すると言いながら名護市辺野古への移設は堅持するという姿勢では、米軍の事故が再発しかねない。こうした状況を変えるべく、民衆の力を合わせ、戦いを一歩一歩勝利に導こう。

被害の補償、なぜ日本が

 安次富浩ヘリ基地反対協代表委員 これまでの米軍、日本政府、県の動きを見て、腹立たしい。被害を受けた住民への補償を日本政府がするというのはおかしい。米軍が起こした事故の補償のために、どうして私たち日本国民の税金が使われなければならないのか。普天間飛行場の無条件返還という県民の思いははっきりしているのに、知事は辺野古移設堅持と基地機能の分散化を表明している。それができるのであれば、事故が起こる前に実行すべきだった。

観光への悪いイメージに

 池原政文伊芸区都市型訓練施設建設に反対する実行委員会委員長 事故は起こるべくして起こった。都市型戦闘訓練施設の問題とも大きな関連がある。米軍は私たちの建設中止を求めた行動を無視し、やりたい放題だ。伊芸区から三百メートルの距離に建設されているヘリパットでは、ヘリの回転翼が鉄塔の電線にひっかかって沖縄自動車道や付近の集落に落下する恐れがある。「沖縄は危険」というイメージが観光産業に与える影響にも配慮すべきだ。

差別に対し、もの言う民に

 島田善次普天間基地爆音訴訟団共同代表 「だから言ったじゃないか」という気持ちだ。何かことが起こるたびに小泉首相だけでなく、ルーキング基地司令官にも訴えている。沖縄に外務省の大使が派遣されていることからも分かるように、沖縄は差別を受けている。「もの言わぬ民は滅びる」。ただ飯を食っているだけではだめ。県民はもの言う民にならなければならない。二十二日午後三時から、普天間飛行場の大山ゲート前で座り込み、抗議する。

県民は基地拡大を望まぬ

 桃原功宜野湾市議 大事故を受けて宜野湾市議会は日米特別行動委員会(SACO)合意の見直しと辺野古移設の再考を全会一致で決議した。これは大変重い意味を持っている。しかし防衛庁の返答はあいまいだった。もっと強く思いを受けとめてほしい。稲嶺知事は「ベターな選択」ばかりを繰り返すだけでなく、県外移設というベストな選択を日米両政府に訴えてほしい。県民はわずかな面積の基地拡大も望んでいない。休むことなく怒りを突きつけていく。

事故の矮小化は許せない

 漆谷克秀沖国大教育労働組合委員長 普天間飛行場がわれわれの生活を危険にさらしていることがはっきり分かった。日本政府は補償を突き付けるだけで、今現在も謝罪は一切ない。「不幸中の幸い」「夏休み中でよかった」などと事故を矮小化するのは断固許せない。民間人に被害はなかったが、墜落事故がまぎれもなく大惨事であったことを心にとめてほしい。今日本一危険といわれている本学が、日本一安全な大学に生まれ変われるよう、県民の後押しをお願いしたい。

「人ごとではない」/「知事もっと強い態度を」

 「普天間基地は即刻閉鎖せよ」。二十一日夕、米軍ヘリ墜落に抗議し、宜野湾市の普天間飛行場第二ゲート前で開かれた県民集会。早々と飛行を再開した米軍、強く抗議しない国や県に対し、約二千二百人が怒りの声を上げた。移設予定地の名護市辺野古、米軍都市型訓練施設予定地に隣接する金武町伊芸などからも「人ごとではない」と多くの住民が駆け付けた。(1面参照)

 「事故の後、上空でヘリコプターが止まっていたら遠くに逃げるよう言い聞かせた。こんなことを教えないといけないのは悲しい」。三人の子を連れて参加した宜野湾市長田の崎原裕子さん(37)。五歳の子は、当日の新聞の号外を繰り返し広げては「落ちてくるの? 死ぬの?」と問い掛けてくるという。「知事は県民の代弁者として、もっと強い態度で国や米軍に抗議してほしい。自分の家族が泣いているつもりで」

 北中城村の公務員、比嘉盛博さん(41)は「一歩間違えば住宅地に突っ込んでいた。基地周辺の住民は、人ごとではいられないはずだ」と強調。名護市辺野古にある国立沖縄高専に通う長女の千里さん(16)は「危険なのはどこも同じ。絶対、辺野古に移してほしくない」と話した。

 普天間飛行場の移設予定地、名護市辺野古から参加した渡嘉敷ヨシさん(65)は「米軍の対応を見て、復帰前と何も変わっていないのだと恐ろしくなった。絶対、辺野古に基地は造らせない」と語気を強めた。

 米軍都市型訓練施設の建設が進む金武町伊芸区からは住民約百人が駆け付けた。山城和徳さん(46)は「金武町で起こってもおかしくない事故。新たな基地建設を許さない気持ちは、われわれも一緒だ」と力を込めた。

<2004年8月22日 朝刊 23面>

次は誰かの上に―事故は最後警告/地元中学の久場さん訴え
みんなが声上げれば、基地なくせる

 「事故は最後の警告なんだと思う。沖縄戦で死んだ人たちが『基地があると危ない』と教えてくれたような気がする」

 市内の女性グループ「かまどぅー小の会」を代表し、登壇した宜野湾市立嘉数中三年の久場あるいさん(14)。「みんなが声を上げれば基地はなくせる。私は基地のない沖縄を想像することができます」と呼び掛けた。

 事故当時、現場近くの習字教室で書道の練習中だった。「ガシャン、という大型トラックがぶつかったような音」の後、「沖国大に米軍ヘリが墜落したので近づかないでください」とアナウンスが聞こえた。

 米兵や警察官が歩き回り騒然とする中、機体の一部や破片が飛び散った住宅地で、窓ガラスが散乱する民家や約八メートルの回転翼が落下した様子を必死に見て回った。「信じられない気持ちでいっぱいだった」

 現場を離れ、人がいない場所まで歩いた時、こらえていた涙があふれ、声を上げて泣いた。「怖い思いやショックをずっと我慢していた。一度泣いたら止まらなくなってしまった」

 基地ゲート前を埋め尽くした大人たちの前で、堂々と自分の言葉で語り掛けた。

 「犠牲者が出なくてよかった、で済ませたら、次は誰かの上に落ちるかもしれない。私が大人になったとき、子どもに『ここに基地があってね…』と昔話をしてあげたい」

(写真説明)基地の撤去を訴える久場あるいさん(左)と母たつのさん

<2004年8月22日 朝刊 23・2面>

米軍トップ認識に落差/ヘリ墜落
県警との連携「素晴らしかった」

 普天間飛行場のヘリ飛行禁止を求める知事。聞く耳を持たず「安全」と言い張る四軍調整官。県と米軍のトップの面会は、かみ合わないまま。県民の不安を無視してヘリ飛行を再開し、県警の捜査をシャットアウトしておきながら、「連携は素晴らしかった」と言い放った調整官に、事故の当事者らは怒りをあらわにした。

 「県民は強く憤っている」。稲嶺恵一知事は二十一日、ヘリ墜落事故を引き起こした在沖米軍トップのロバート・ブラックマン四軍調整官に強い調子で抗議した。しかし四軍調整官は現場の県警との連携を「素晴らしかった」と表現。三十分の面会は、県民とかけ離れた米軍の認識を浮き彫りにするだけに終わった。

 「飛行停止を何度でも要請する」「必要不可欠な飛行だ」。土曜日で、人けが少ない県庁。知事応接室で、稲嶺知事と四軍調整官は互いの立場を譲らず、押し問答を繰り広げた。

 四軍調整官は「安全な飛行ができると保証する」などと、事故の当事者ながら「保証」を連発。稲嶺知事はこわばった表情のまま「いったい事故原因がどうなっているのか、まったく分からない」と不信感をあらわにした。

 県警の現場検証ができなかった事態を受け、稲嶺知事が「協力態勢の見直し」を求めたのに対しても、四軍調整官は「墜落現場での地元機関との協力は素晴らしかった」。溝は深まるばかりだった。

 稲嶺知事は最後に「要求を全面的に受け入れるよう強く望む」と求め、席を立った。知事応接室を出た四軍調整官は記者団に取り囲まれ、事故機の訓練内容を聞かれたが、「今は質問の時間ではない」とだけ言い残し、県庁を去った。

「飛行断固認めぬ」/宜野湾市長
米軍の「安全」発言に反論

 ブラックマン四軍調整官の発言に対し、伊波洋一宜野湾市長は「安全対策を徹底しても事故は起こり得る。その時に普天間飛行場は大惨事になることが今回の事故で証明された。これ以上の米軍機飛行は断固認められない」と反論した。

 また、四軍調整官が県警との連携を「素晴らしかった」と評価したことには「日米地位協定が米軍にとって好都合といいたいのだろう」と不快感をあらわにした。

 県警の捜査員の一人は「高飛車な感じはする。しかし、それが米軍側の認識なのだろう。米軍は、検証同意への回答より機体の撤去の方が早かった。米軍との溝の深まりというより、日米地位協定の壁の高さを感じる」と話した。

(写真説明)ブラックマン四軍調整官(左)と会見後、握手も交わさず、退席する稲嶺恵一知事(右)=午後1時30分ごろ、知事応接室

     ◇     ◇     ◇     

知事、飛行停止強く要求
四軍調整官、一機ずつ徹底点検

 稲嶺恵一知事とブラックマン四軍調整官の会談要旨は次の通り。

 調整官 事故の調査チームに、米国の海軍司令部などから物質の専門家らが加わっている。

 知事 沖国大で現地の状況を見た。学校側は、立ち入り禁止など大学の自治が脅かされたことは許しがたいと大変強い口調だ。飛行停止を申し入れたにもかかわらず、飛行したのは県民感情を逆なでする。ヘリコプターも固定翼機も含めて飛行停止を強く求める。併せてキャンプ・ハンセンでの陸軍複合射撃訓練場(都市型戦闘訓練施設)の工事を中止してほしい。

 調整官 ヘリコプターは一機ずつ徹底的にチェックした。安全な飛行ができると保証する。墜落現場での地元機関との協力は素晴らしかった。完全な調査をするため、協力して現場を保全した。将来の再発を防ぐため、ともに前進している。

 知事 できるだけ早い時期に横田基地の司令官とベーカー大使にも飛行停止を申し入れたい。停止されるまで強く、何度でも要望する。

 調整官 ヘリコプターだけでなくすべての運用で、県民の安全を守るためできる限りの手段を取ることを保証する。

 知事 今回の問題が県民に与えたインパクトは計り知れない。要求を全面的に受け入れることを強く望む。

8月21日(土)

晋くん日誌
8月19日(金)
・防衛施設局は来ませんでした。

連日の報道だけを見ても沖縄のゴロゴロと変わる状況の変化が読み取れるようです。
稲嶺県知事が今回の事件に対する記者会見で「普天間の早期返還」を訴える一方で辺野古のことには触れようとせず、記者の追及にもしどろもどろになる一場面があった。
知事の言う、15年問題(基地を15年後に返還するというもの。)はすでに崩壊し、「15年もこの危険な状況を続けさせるのか」という県民の怒りの追及にまったく答えられない。
政府の求める辺野古移設に同調しなければ知事、名護市長は政治家としての政治生命を奪われると思っている。その愚かさに腹が立っています。
今、「基地建設を白紙撤回」し、私達と共に座り込みを行えば人として英雄となる。
そのことが知事や市長には分からない。よっぽど人が嫌いなのたろうか。人が信じられない政府の弱さが垣間見える。

8年間命を守る会が全国の心ある人々と共に築いた関係が政府を追い込んでいると感じています。
「全機種の飛行停止」や「普天間の変わりに辺野古が現実的」などという偽りの知事、稲嶺県政の言葉にもう沖縄の人々は騙されない。沖縄の米軍基地、自衛隊基地の全てをなくす以外に答えはないのですから。

今、アジアに戦争が迫っているということ。
昨日の日誌に書いた韓国の人からの文書でそのことがはっきりしている。「日本の首都圏をアジア、太平洋、中東と世界中に向けた米軍軍事態勢の司令部に変える」という米軍の構想をもっと広く伝えなければなりません。
有事法制下、つまり今は戦時下だという現実を。
沖縄だけに矛盾を押し付けていた問題が米軍のトランスフォーメーショ(米軍再編)によって覆りました。韓国、沖縄、日本の人々がお互いにこのことに気づき、助け合わなければ解決はないのです。

宮森小学校に戦闘機が墜落し、あまりに多く沖縄の子ども達の命が奪われました。今でも宮森小学校では毎年その日に冥福の祈りを捧げています。奪われた命の悲しみを本当の意味でなくすために私達に何が出来るでしょう。
イラクで毎日のように殺されていく人達に私達が何を出来るでしょう。
そう、今ならその現実を変えられるのです。
人々の意識が変わり始めた。私達は未来に手が届き始めているのです。

米軍が事故現場の土まで掘り返しています。新聞報道の中で危険物関連の専門家が「こういうことをするということは確実に危険物質がばら撒かれたことは間違いないでしょう」という。
もし、へりに「劣化ウラン弾」が搭載されていたとしたら。「化学兵器」が搭載されていたとしたら。これは現実です。
黄色い防護服、ガスマスクで顔を覆う米兵。黄色い包みに”何か”を包んで持って帰っていった。学校と言う人が集まる場所に危険物質をばら撒いたという現実。怒りは止めどとなく出てきます。
今回、人の負傷者が出いない、死者が出ていないというのは本当でしょうか??これから何が起こるのかまだそれはわかっていないのです。

座り込みには人の出入りが増えてきています。
テントには人が埋まり、南部、北部問わず生活を賭けて人が座り込んでいます。
これだけ基地反対が追い風になっている。労働組合の人たちの現場もそれに対する圧力が厳しくあるはずです。それでも座り込みに来てくれています。しかし、今、この辺野古の問題と向き合うということこそが本当の意味で自分たちの生活を助けることに気づき始めているはずです。
人との助け合いがあれば生きていけます。そういう場所が座り込みで築かれています。

事務所では、おばぁ達が台風のようにゆんたくしています。
沖縄戦の頃に「朝鮮の人と出会った」という話ははじめて聞きました。
「あの頃、朝鮮の人達は強制的に沖縄に連れてこられ、”マルタ”と呼ばれていたよ。ひどい話さね。人をマルタ扱いするというのは。わったーはね、その頃に15歳の朝鮮の女の子と出会った。”私、15歳”と言ってい。なんで来たのか聞くと”ちかうよ。私、畑していた。日本兵か連れてきた。”といっていた。今はどこに住んでいるの?って聞くとね、”日本兵の宿営地”と言っていた。慰安婦ってことさね。嫌な思い出。」と話してくれました。
つらい思い出。しぼりだすような声でした。
「この辺野古にも朝鮮の女性はいたよ。一人で子どもを育てていたさ。子どもの抱っこ紐がなくてロープみたいのだった。何か食べている?って聞いたら、”草を食へてる”って答えたさ。とてもかわいそうだったけどね、家も食べ物がなかったから。あの人はどうしたかねぇ。」と話す。
「今の日本は”拉致、拉致”と騒いでいるけれど、もっと大変なことをしたんだ。それに対する怒りを日本人は持っていないのかねぇ。」と付け加えていました。
今でも苦しみ続けている元慰安婦のハルモ二達に対する謝罪さえしない中で戦争を煽っている日本政府を私は到底許すことはできません。

8月20日(土)
・防衛施設局は来ませんでした。

「SACO見直し93%」朝刊の見出しにはでかでかと一面にでています。辺野古の指示はたったの6%となっています。その動きに合わせるかのように米国政府が日本政府に対し「普天間、8年で移設を」と要求しています。
今回の事件に「無視」を決め込んでいる小泉首相を初めとする政府、そして米国政府がいかに今の状況を脅威に感じているかが分かります。
新聞報道での世論調査(琉球新報)
「日米合意の一部見直し」49.7パーセント
「普天間返還合意の抜本的見直し」43.3パーセント
合わせて93%
「辺野古移設計画の堅持」4.3パーセント
「分からない、そのほか」2.7パーセント

県内移設反対は81パーセントとなっています。
地位協定の見直しは95パーセントに昇っています。
宜野湾市の「SACO見直し要求」に対して、政府は具体的な回答を避けている。そして、北中城村が「辺野古基地建設中止」を決議ました。これは、初めてのことです。西原町議も「辺野古移設の再考」を求める抗議決議・意見書を全会一致で決議しました。

米政府は「今年中の移設を決められなければ、同県内で別の移設先も探る」としている。新聞報道では「辺野古変更の可能性」としているが、「辺野古の年内の強行の可能性」も強く出てきているということとして認識をしていかなければならない、と感じます。
県内移設反対が81パーセントとなっているにもかかわらず、このような返答と行動をしている。米政府の意向は日本政府の意向ととっていい現在では、辺野古の緊迫感が増すことは間違いがないと考えます。

座り込みには県内からたくさんの人が駆けつけ、100名余りが参加していました。
午後1時30分頃には沖合いに海兵隊のドック型揚陸艦「ハーバーズフェリー」があらわれました。これだけ県内で米軍による演習に対しての怒りが強まっている中で行うということ。どれだけ私達はこけにされているのだろうか。
その「ハーバーズフェリー」は午後2時ごろに後部から「LCAC−1」という上陸作戦用に作られたゴムボートの大きなやつと言ったらいいでしょうか。を出し、円周を開始しました。
普天間でも普天間基地所属のヘリが演習を再開したという連絡が入り、さらに監視を強めました。
午後2時30分には「ハーバーズフェリー」からヘリが飛び立つの見え、沖国大に落ちた「CH53−D」なのか見ていましたが、確認は取れず。
普天間飛行場の滑走路近くに待機していた「CH53−D」が2機いなくなったという情報もあり、座り込み現場は一時緊張。いなくなったヘリは格納されたのか飛び立ったのか確認されていません。

こんなことが許される沖縄は一体なんなんだ!!この国に人を思いやる気持ちなど、みじんも感じない。こんな国は私達の手で倒されなければならないと強く思います。
イラクに自衛隊を派兵し、沖縄の人達を犠牲にしてそれを続けている。
もう、いいかげんにしろ!!
辺野古に手を出してみろ、私達は命を賭けてこの海を守ってみせる!!

今日は午後6時30分から「カマドゥ小たちの集い」の人達が沖国大墜落事件に対しての抗議行動を行っています。
午後3時には平和市民連絡会が沖国大現場にてガイガーカウンターを用いて「放射能調査」をするとの連絡がありました。
来月5日に宜野湾市が普天間基地全面返還を求めて沖国大で「市民集会」を開催することを決定しました。まだ、具体的な日時などは連絡がありません。

ジュゴンの家
http://www47.tok2.com/home/dugong/index.html 
沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団
http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/  


ヘリポート建設阻止協議会 (命を守る会) / 〒905−2171 沖縄県 名護市字辺野古 243
пEFAX 0980−55−3131 / E-mail henoko@f5.dion.ne.jp
郵便振替口座 01710-8-53407  / 加入者名 命を守る会
辺野古より、富田晋。

8月13日のへり墜落事故より、8月21日現在までに沖縄県内で抗議決議を可決した市町村議会の全てです。

書き方の説明。上記の日にちは新聞報道が何月の何日だったかということ。文章中で、議会で可決された内容ははしょって書いている。

基本的に各議会が可決した抗議決議・意見書で求めている内容は
「普天間早期返還」「地位協定改定」「被害者への完全補償」「墜落原因の徹底究明」である。
「ヘリ飛行訓練の停止」「辺野古移設の見直し」を求めている議会もある。


8月16日

・「浦添市議会」16日の午後臨時議会で普天間飛行場周辺での即時飛行中止や同飛行場の閉鎖・早期返還を求める抗議決議・意見書を全会一致で可決。

@米軍に対して「同飛行場周辺での即時飛行中止」「墜落現場での管理権を直ちに日本側に渡す」「早期(事故)の原因究明と公表」

A日米政府に対して「同飛行場の閉鎖と早期返還」「日米地位協定の前面改定」「被災者への完全補償」

8月17日

・「宜野湾市議会」では17日午前に「SACO合意の見直しと、普天間飛行場の辺野古移設案の再考」などを求める抗議決議と意見書案を全会一致で採択しました。辺野古沖移設が再検討を促す決議は県内で初めてです。

・「沖縄市議会」17日午後、抗議決議・意見書を全会一致で可決。
「普天間飛行場の移設前返還」などを求めた内容。

・「具志川市議会」17日午後、抗議決議・意見書を全会一致で可決。同飛行場の閉鎖と早期返還

・「北谷町議会」17日午後臨時義会。抗議決議・意見書を全会一致で可決。
「普天間早期返還」「SACO合意の見直し」

・「嘉手納町議会」17日午後臨時議会。抗議決議・意見書を全会一致で可決。

@「普天間」から「嘉手納」へのすべてのヘリの飛行中止。
A「普天間」の早期全面返還と同飛行場の機能を「嘉手納」に統合しないこと。
B「嘉手納」で9月に予定されている曲芸飛行の中止。

・「豊見城市議会」も同日午前に抗議決議・意見書の採択を全会一致で可決。
被害者への謝罪と補償、普天間基地早期返還、早期の日米地位協定の見直しなど、かなり具体的な内容を求めている。

・「名護市議会」
17日午前「辺野古移設の見直し」を含めるかどうか対立。審議が延長し、市議会の開会のめどは立っていない。

17日午後の臨時議会で未定になっていた名護市議会の抗議決議・意見書の採択では「SACO見直し」はもりこまれず、抗議決議の賛否が分かれ、その中で可決されました。

・「県議会」17日午後、「辺野古移設見直し」を含めるかどうかで対立。結局、「普天間基地早期返還」だけで「辺野古移設見直し」はもり込まれなかった。

8月19日

・「北中城村」19日午後、抗議決議・意見書を全会一致で可決。「辺野古基地建設中止」を決議しました。これは、初めてのことです。

・「西原町議」19日午後、抗議決議・意見書を全会一致いで可決。「辺野古移設の再考」を求める抗議決議・意見書を全会一致で決議しました。

8月20日

・「恩納村議会」20日午前、抗議決議・意見書を全会一致で可決。普天間基地の閉鎖と早期返還などを求めた抗議決議・意見書を全会一致で可決

8月21日

・「与那城町議会」20日の午後、抗議決議案を全会一致で可決。普天間基地を直ちに閉鎖し、早期に返還することを要求。さらに、SACO合意見直しを求めて
いる。

・「本部町議会」20日の午後、抗議決議を全会一致で可決。普天間基地の早期返還を求めている。

・「中城村議会」20日の午後、抗議決議・意見書を全会一致で可決。普天間基地の早期全面返還、SACO合意見直し、辺野古移設を再考することも求めている。





「辺野古移設の見直しまたは中止を求めた市町村

宜野湾市議会「見直し」。北谷町議会「見直し」。西原町議会「見直し」。
北中城村議会「中止」。与那城町議会「見直し」。中城村「見直し、建設の再考」



新聞報道での世論調査(琉球新報)
「日米合意の一部見直し」49.7パーセント
「普天間返還合意の抜本的見直し」43.3パーセント
合わせて93%
「辺野古移設計画の堅持」4.3パーセント
「分からない、そのほか」2.7パーセント

「県内移設反対」は81パーセントとなっています。
「地位協定の見直し」は95パーセントに昇っています。
宜野湾市の「SACO見直し要求」に対して、政府は具体的な回答を避けている。
沖縄の新聞より
<2004年8月21日 朝刊 1・2・29面>

普天間ヘリ40機不在/イラクへ
宜野湾市長「運用停止状態に」

 二十日午後、米軍普天間飛行場のヘリ計十九機が次々と同飛行場を離陸した。うち十三機はイラク派兵のため、ホワイトビーチ沖合に停泊する米海軍佐世保基地所属の強襲揚陸艦エセックス(四〇、五三二トン)の甲板に着陸したことが確認された。同飛行場所属のヘリ五十六機のうち約四十機が“不在”となる。伊波洋一宜野湾市長は「イラクへの派兵部隊が二度と『普天間』に戻らないよう、市民とともに取り組み、事実上の運用停止状態に持ち込みたい」としている。防衛庁は引き続き、全機種の飛行停止を米側へ要請する方針だ。在沖米海兵隊は同市に対し、「必要最小限の飛行」と説明した。

 米軍ヘリは午後一時半すぎ、CH46の離陸を皮切りに五時十五分までの間、計十九機が飛び立った。多くがエセックスに向かったが、CH46二機は午後三時すぎ、嘉手納基地に着陸。CH53五機は滑走路上で整備を受けたが、飛行しなかった。

 エセックスは同日午前、勝連町ホワイトビーチの桟橋を離れ、沖合数キロに停泊。午後二時前から米軍ヘリが着艦するのが確認された。上空を旋回しながら甲板で離着陸を繰り返す機もあった。午後四時には北東向けに出航し、姿を消した。

 同飛行場では墜落事故後、米軍がヘリの飛行を自粛していたが、米側は十九日夜、外務省に「ヘリを洋上の艦船に乗せるため、運用せざるを得ない」と伝えていた。

 稲嶺恵一知事は小泉純一郎首相に普天間飛行場の基地機能の県外、海外への分散を訴える方針。県も今回の米軍の部隊派遣が機能分散につながるかどうか注視している。

 海兵隊外交政策部(G5)のリカルド・スチュワート副部長は、ヘリ飛行再開に抗議した宜野湾市の當山盛保収入役と比嘉博基地政策部長に対し、「必要不可欠な最小限度の飛行だ。墜落事故を起こしたCH53Dについては飛行を停止している」と説明。「次々と飛び立つヘリの行き先はイラクか」と問うと、「軍事情報なので答えられない」と回答しなかった。

 同市によると、すでに二十機以上のヘリがイラク派兵されており、今回の派遣を合わせると約四十機が同飛行場から一時的に姿を消すことになる。

 ヘリの飛行再開に対して抗議声明を出した伊波市長は「派遣部隊を米本国に帰還させる取り組みと、残った十数機の本国撤収を日米両政府に求めていく。実現すれば事実上の運用停止状態となる」と強調。「そのためにも、九月予定の市民大会を成功させたい」と力を込めた。

(写真説明)出港準備をする米軍の強襲揚陸艦エセックスに着艦する普天間飛行場所属とみられるヘリコプター=勝連町の米海軍ホワイトビーチ

     ◇     ◇     ◇     

海兵隊、進む空洞化/兵力削減へ期待感

 沖縄の第三一海兵遠征部隊(31MEU)約二千人が二十日午後、勝連町ホワイトビーチから揚陸艦に乗り込み「イラクの自由作戦」に参加するため出港した。これに伴いヘリコプター約二十機も派遣されたとみられる。沖縄からは二月に海兵隊約三千人と約二十機のヘリがイラクへ派遣されており一時的にせよ、大幅な“兵力削減”となる。専門家からは「在沖海兵隊の大規模な削減は可能」とする指摘が出る一方、県や宜野湾市からは海兵隊削減への期待感が広がっている。

事故で変更

 沖縄からイラクへ派兵されるのは、米本国(八百人)とハワイ(千人)から部隊配備計画(UDP)で、沖縄に配備されていた約千八百人。

 沖国大で、墜落事故を起こしたCH53D大型輸送ヘリを含む同型機六機(航空隊員七十人)も、ハワイのカネオヘベイ基地から31MEUに編成されていた。ハワイの「ホノルル・スター・ブウレティン」紙によると、当初CH53D六機もイラクへ派遣される予定だったが、墜落事故で訓練が行えなくなったため、キャンセルされた。

 米海兵隊が本国以外に遠征隊司令部(金武町、キャンプ・ハンセン)を置いているのは31MEUだけ。

 北朝鮮をはじめフィリピンや、インドネシアのイスラム過激派などへの「抑止力」として前方展開している。

大半欠ける

 一九九〇―九一年の湾岸戦争では在沖海兵隊二千人が、米カリフォルニア州の第一海兵遠征軍として派遣される形で地上戦に参加。湾岸戦争中、「軍事的空白」を補うため、約二千人の予備役が沖縄に配備された。

 だが、今回は既に三千人の兵力がイラクへ投入されているにもかかわらず「遠征部隊、普天間への補充は当面はない」(外務省)とされる。

 イラクの治安情勢悪化による米軍全体の兵員不足という条件があるにせよ在沖海兵隊約一万六千人のうち実戦部隊の大半に当たる五千人が欠ける異例の事態となっている。

 また、普天間飛行場所属ヘリ五十六機中、約四十機がイラクへ派遣された可能性がある。

 外務省幹部は「基本的には部隊の移動」としながらも、「再三、県の意向を伝えており、米軍上層部にはそういう判断が加わっているのかもしれない。普天間のヘリは減らす方向で進めているのではないか」とみる。

 米軍再編問題に詳しい梅林宏道氏は「海兵隊の沖縄駐留は基本的に訓練のため。北朝鮮の抑止力は在韓米陸軍やグアムなどの空軍の増強で対応できている。海兵隊を大幅に減らすことは可能だ」と指摘している。

海外移転も

 「今回の飛行が兵力の分散、訓練の移転であるなら、県の要求と合致したものであり、今後の動向を見極めたい」

 稲嶺恵一知事のコメントは普天間問題に何らかの変化を予期しているかのようにも聞こえた。

 野党県議団の抗議・要請に対応した比嘉茂政副知事は「県が要請している兵力の海外移転の話もあるかもしれない」と含みを持たせた。

 府本禮司知事公室長は「本当に兵力が削減されるか、予断を許さないが、『次の事故は許されない』という危機感は、米側も共有しているはずだ」と話す。

 (東京支社・浜元克年、政経部、知念清張)

普天間ヘリ嘉手納飛来/抗議決議採択直後
町「県民の総意無視」

 二十日午後三時ごろ、普天間飛行場から飛び立ったCH46型ヘリコプター二機が米軍嘉手納基地に飛来したことが確認された。イラク派遣のために同飛行場を離陸したヘリで、米海軍ホワイトビーチ(勝連町)を離れた強襲揚陸艦に向かう途中、一時的に立ち寄ったとみられる。

 CH53D型ヘリの墜落事故を受け、嘉手納町議会は「普天間」から「嘉手納」へのすべてのヘリの飛来中止を求めた抗議決議を採択したばかり。同町基地対策特別委の中川京貴委員長は「町民、県民の総意を無視した米軍の無神経な行動に強い憤りを感じる。週明けにもあらためて対応を考えたい」と話した。

嘉手納基地でサイレン訓練/きょうから

 米軍嘉手納基地で二十一日から、爆発音やサイレン、アナウンスなどを鳴らすGBS(グラウンド・バースト・シミュレーター)訓練が始まる。二十日、同基地渉外部が嘉手納町に事前通告した。

 通告によると、訓練は二十八日までに終了する予定。周辺への騒音軽減策として(1)拡声器は基地内に向け、町域に近いものは音量を絞る(2)午後十時から翌朝午前六時までの間はサイレンは使用しない―などの措置を取るとしている。

<2004年8月21日 夕刊 7面>

知事、現場惨状に絶句/沖国大ヘリ墜落
「視察遅すぎる」学生らから批判も

 「一日も早く大学機能を回復できるよう、日本政府に働きかけてほしい」。米軍ヘリ墜落から九日目の二十一日午前。初めて沖国大を訪れた稲嶺恵一知事に、渡久地朝明学長は訴えた。県警の現場検証もなく、米軍や日本政府の謝罪もないまま、時間だけが過ぎていく状況に焦りの色すら浮かぶ。緊張した面持ちの稲嶺知事。焼けこげ、傷ついた大学の建物に絶句。「想像以上の被害。皆さんと連携して政府と交渉したい」と約束した。周辺住民や学生からは「知事は来るのが遅すぎる」と批判の声も上がった。

 会談は、役員室が仮設された図書館内で行われた。終始硬い表情の稲嶺知事が「これからも連携しながら努力していきたい」と約束すると、渡久地学長は「教育環境の回復は、知事の肩にかかっている」と県の支援を重ねて求めた。

 視察が遅いとの批判を意識してか、知事は南米出張中に一報を聞き、東京に戻って政府に抗議行動を行ったことを説明。渡久地学長から抗議声明文を受けた後、同大卒業生が提供した事故直後のビデオ映像を見た。

 「噴煙の高さを近隣のビルと比べてください」と渡久地学長。知事は「ショックな映像ですね」。両手を握りしめ、焼けこげた機体、建物への衝突跡の画面を凝視した。

 続いて、渡久地学長らの案内で約二十分間、事故現場を視察。木が焼け、腐ったようなオイルのにおいが漂う。大学側の説明に、「はい」「そうですか」と返答していたが、機体が接触し、鉄筋がむき出しになった屋上部分を見上げた瞬間、「カーッ」と絶句。その後は黙って説明を受け、崩落の危険性がある非常階段口では、うつろな表情で立ち尽くした。

 取り囲んだ記者団に対し「大学や周辺住民への補償など、問題解決に努力したい」と述べ、現場を後にした。

精神的ケアを・しっかり見て

 稲嶺恵一知事が二十一日午前、事件後初めて沖国大を視察したことについて、学生や大学関係者、地元住民からは「来るのが遅い」「現場をしっかり見てほしい」などの声が相次いだ。

 「来るのが遅すぎる」と憤ったのは徳吉貞雄さん(69)=宜野湾市宜野湾。「南米訪問の日程を消化せず、すぐに帰国すべきだった。県民の立場で政府に解決を主張しないと、事故はまた起こる」と強調した。

 事故発生時に大学構内にいて、爆発炎上するヘリを目撃した商経学部経済学科四年生の池間慶明さん(21)=豊見城市=も「日程が詰まっていたのも分かるが、自分の身内が事故に巻き込まれていたら、日程を変更して駆けつけたのではないか」と対応に疑問を投げた。

 特別講義を受けに大学に来た総合文化学部人間福祉学科二年生の嘉手納泉也さん(19)=那覇市=は「普段気にしていなかったが、事故後、基地被害が現実的に起こる可能性があると分かった」と険しい表情。「知事は現場をしっかり見てほしい」と要望した。

 ゼミに出席するため大学に来た人間福祉学科四年の平良美典さんは「事故の瞬間を目撃して、精神的ダメージを受けた友人もいる。建物だけでなく、そのあたりも配慮してほしい」と注文した。

 自宅の庭や畑の水タンクが破損する被害を受けた島袋安英さん(62)=宜野湾市宜野湾=は、多忙な知事の日程に理解を示しながら、「普天間が危険な基地ということを現場を見て確認し、県民代表として小泉純一郎首相にも視察するよう訴えてほしい」と話した。

乗員一人が退院

 米海兵隊CH53D大型輸送ヘリの沖国大墜落事故で、負傷して北谷町の海軍病院に収容された乗員三人のうち一人が退院していることが二十一日までに分かった。同海兵隊のヘリ部隊が所属するハワイの「ホノルル・スター・ブウレティン」紙が報じた。

 同紙によると、残る二人は入院を続けないといけないが、比較的良好な状態という。米海兵隊は負傷者の氏名や、入院後の経過について明らかにしていない。

沖縄高退教も即時撤去求める

 高教組OB約四百七十人でつくる沖縄県高等学校障害児学校退職教職員会(沖縄高退教)の崎浜秀俊会長らは二十日、県庁に府本禮司知事公室長を訪ね、米軍ヘリ墜落事故に抗議し、普天間飛行場の即時撤去を求めた。「米軍の傍若無人ぶりはイラク占領軍や復帰前の米軍による植民地的支配と同じだ」と批判した。

(写真説明)墜落事故当時の映像を険しい表情で見入る稲嶺恵一知事=21日午前10時20分ごろ、沖国大図書館4階

<2004年8月21日 朝刊 29面>

知事・首相に批判の声/米軍ヘリ墜落
真っ先に現場来るべき、東京なら対応違うはず

 「なぜ真っ先に駆けつけないのか」。沖国大への米軍ヘリ墜落から八日目の二十日、前夜に出張から帰ってきた稲嶺恵一知事が現場を訪れなかったことに、周辺住民から疑問の声が上がっている。稲嶺知事の現場視察は二十一日午前の予定。県は「二十日は三役会議が午後にずれ込んだ。沖国大との調整も必要だった」と説明するが、付近住民は「切実さがない」と批判する。

 沖国大正門前で喫茶店を営む田中健二さん(53)は「知事は動きが鈍すぎる。二十日、現場に来るべきだった。大惨事になったかもしれないのに切実さがない。勝手に大学や道路を封鎖した米軍に、もっと強い姿勢で抗議すべきだ」と批判する。

 宜野湾市宜野湾の主婦村吉ルリ子さん(38)は「ヘリ墜落より優先すべき仕事が知事にあるとは思えない。早く現場を見て、住民の不安を実感してほしい」と訴えた。

 大学近くに住む建設業、山城範和さん(54)は「知事は大した事故だと思っていないのか」とあきれ顔。夏休み中でコメントすらない小泉純一郎首相に対しても「沖縄でなく、東京や首相の地元横須賀だったら、どう対応したか聞いてみたい」と憤る。

 首相に対しては、同市宜野湾の宮里政三さん(70)も「沖縄を外国だと勘違いしているのでは。メダリストに祝福電話をかけるより、米国に抗議し、恐怖にさらされた住民を見舞うのが先ではないか」と怒った。

 稲嶺知事は十八日、南米出張を切り上げて帰国。東京での要請活動を終え、十九日夜に帰沖した。二十一日午前、沖国大で渡久地朝明学長と面談後、事故現場で被害状況などを確認するという。

<2004年8月21日 朝刊 28面>

「墜落の瞬間 今も夢に」/県民の怒りやまず
切実な訴え相次ぐ

 沖国大への米軍ヘリ墜落事故は、発生から一週間余が経過した。宜野湾市や県、沖縄タイムス社などには、事故に対する県民の怒り、再発防止策を求める声が今でも多数寄せられている。特に、事故に直面した宜野湾市民からは「不安で眠れない」「墜落の瞬間を夢見る」など切実な声も。電話やファクス、電子メールで寄せられた訴えは、市民・県民の心に植え付けられた恐怖心の大きさを物語る。

 宜野湾市役所基地政策部に届いた市民からのメールやファクスは十六日以降、七十通以上になった。

 ある男性は「空中を舞って落ちるのを見た。落ちた瞬間は目に焼き付き、今も夢に出てくる」。別の市民は「私の父母は事故以来、顔つきが変わってしまった」「ヘリは家の上でいつも旋回している。心から安心できる生活がしたい」と、事故が市民の心に残したつめ跡の深さをにじませた。

 ある女性は「一人でも多くの市民が直接現場を見て怒るべきだ」と呼び掛けた。「集会をやってほしい。絶対に行く」と市民大会の開催を望む声も多い

 普天間飛行場の早期返還を訴える伊波洋一市長に対し、「市長、日米や県にガツンと言ってくれ」という激励も多く寄せられている。

     ◇     ◇     ◇     

基地撤去へ強い願い/本社「県民の声」50通余

 沖縄タイムス社が募集した「県民の声」に寄せられたファクスや電子メールが、二十日午後五時現在で五十二通に上った。宜野湾市の小学三年女児から名護市の七十一歳男性まで、墜落事故の再発を恐れる声、米軍・政府・県の対応に対する怒り、基地早期撤去への切実な願いが寄せられている。

 五十二通の年齢別の内訳は、十歳代と二十歳代がそれぞれ七人いて、全体の三割強を二十九歳以下が占めている。県警が現場検証できなかったことなど、日米地位協定の在り方に強い疑問を投げ掛ける意見が目立つ。

 投稿者は那覇市を筆頭に事故のあった宜野湾市、ヘリの航路下にある浦添市、米軍基地がある名護市、沖縄市、北谷町、宜野座村が多い。しかし、米軍基地のない島尻郡や平良市からも意見が届いており、県民への衝撃の大きさを裏付けた。

 職業も沖国大生から中学生、フリーター、主婦、会社員、自営業と多様だった。

 主な声としては「即刻、抗議の県民大会を開くべきだ」「植民地扱いをしているとしか思えない。早く米軍基地がなくなることを願う」「稲嶺恵一知事が普天間基地閉鎖や移設方針見直しを求めない、と会見したことに驚いた」など、事故やその後の対応を非難したものが多かった。

 一方、「十五年の使用期限を取り下げ、辺野古への基地建設を急げ」「沖縄でヘリが墜落して民間人を死傷させようが、大国アメリカには痛くもかゆくもない話。基地撤去なんてあり得ない」との意見もあった。

対応に追われる/県基地対策室

 県基地対策室には、これまでにファクス一件、メール五件が届いた。そのほか、電話で抗議や不安を訴える人が多く、同室は「対応にずっと追われている状態で、件数は分からない」。事故が再発することへの不安や、事故による環境汚染などを心配する意見が寄せられているという。

 那覇防衛施設局にも、普天間飛行場の撤去などを求める電話やファクスが数件寄せられている。

<2004年8月21日 朝刊 29面>

学問の府 怒り心頭/米軍ヘリ墜落
学長が首相に抗議を・環境汚染の調査必要

 米軍ヘリが墜落した沖国大では二十日、同大米軍ヘリ墜落事件対策本部(本部長・渡久地朝明学長)による教員と職員への事故経過説明会が開かれた。事故後、学内向けの初めての説明会。本部側が「日本政府から正式に謝罪がない」ことを明らかにすると、参加者から「教員、職員の総意として抗議意思を示すべきだ」「学長が直接、首相に抗議してはどうか」など意見が出た。放射能や化学薬品による環境汚染不安について、参加者から「大学独自の調査が必要」との要望もあった。

 説明会は、事故後の混乱の中で学内の情報が共有されていないことから開催された。約百八十人が事故直後の現場を撮影した映像を確認し、説明に耳を傾けた。

 渡久地学長は冒頭、「大混乱の中で、本部メンバーや職員は懸命に最善を尽くした」と事故後の対応に理解を求めた。

 学長が首相に直接抗議すべきだとの意見については、本部側が「最高責任者が不在だと運営に支障を来す。現場職員で東京行きに反対した」と説明。事故翌日も授業を継続したことには「本館以外に被害がなく、資格試験の受験に悪影響が懸念された」と釈明した。

 大学の危険性がクローズアップされ、入学者が減少する恐れがあることについて、本部側は「ありとあらゆる補償を認めさせる」と強調した。

 説明会後、有志による集会があり、「補償問題で終息させてはいけない」「大学の存在意義をかけて基地撤去まで頑張ろう」との声が相次いだ。経済学部と産業情報学部も臨時教授会を開き「基地の即時飛行停止、返還」を求める抗議文を決議。これで四学部すべてが抗議決議した。

 臨時理事会も招集され、本館の建て替えなどを話し合った。

 対策本部は、学生や父母らに対して現状報告の文書を郵送する。

(写真説明)ヘリ墜落事故の説明会で、経過報告する渡久地朝明対策本部長ら=宜野湾市・沖国大

政府、「辺野古進める」 飛行再開には遺憾


防衛施設庁の佐藤勉施設調査官(左)に意見書を手渡す宜野湾市議会の伊佐敏男議長=20日午後、防衛施設庁

【東京】米軍ヘリ沖国大墜落事故を受け、宜野湾市議会の伊佐敏男議長ら11人が20日午後、防衛施設庁を訪れ、事故に抗議し、SACO合意の見直しや辺野古沖への移設の再考、住宅地上空での全機種の飛行・訓練の中止など7項目を要請した。同庁の佐藤勉施設調査官は「政府としては辺野古移設を進める方針に変わりがない」と答えた。ヘリの飛行が再開されたことについては遺憾である―と述べた。

 防衛施設庁は16日の庁議で「再発防止措置が講じられるまでの普天間飛行場所属の全機種飛行停止」の方針を決め、米側に申し入れた経緯がある。

 20日の飛行再開について同庁は「米側には最大限慎重な対応を、という趣旨で求めてきた。今回の飛行再開にどのようなミッション(使命)があるのか、現在、米側に確認中だ。ミッションによっては一概に全面否定することはできない」との見解を示している。現段階で米側にあらためて飛行停止を申し入れることは検討していないという。

 要請後、桃原功議員は「SACO見直しや辺野古移設再考を求めたのに辺野古を進めると即答した。日米で検討、協議するといった話もなかった。市民の代表として怒りの声をぶつけた。来月には市民大会も予定されており、怒りを行動にかえていきたい」と話した。

<2004年8月21日 朝刊 29面>

普天間基地の即時撤去訴え/統一連那覇でデモ

 沖縄県統一連は二十日夕、米軍ヘリ墜落事故を糾弾する緊急抗議集会を那覇市泉崎の県民広場で開いた。約三百人(主催者発表)が参加、普天間基地の即時無条件撤去などを求める決議を採択、国際通りをデモ行進した。

 新垣繁信代表幹事は「政府は普天間基地返還交渉を米国とすぐ行え、というのが県民の総意。全面閉鎖、返還を勝ち取るまで、県民世論をつくっていこう」と訴えた。赤嶺政賢衆院議員は事故後、住民や学校関係者から聞き取りした話を紹介。「あの恐怖は、まだ宜野湾市民を支配している」と述べ、二十日の米軍ヘリ飛行再開を厳しく批判した。

 「命どぅ宝どぅー」と書かれたプラカードを手に、浦添市から参加した宮城サチコさん(83)は「普天間の基地はこのままでは絶対だめ。すぐに撤去してほしい」と話した。

 参加者らは「命おびやかす基地をなくせ」などとシュプレヒコールを上げながら、国際通りをデモ行進した。

     ◇     ◇     ◇     

住民地域での飛行停止要求/11JCが共同声明

 米軍ヘリ墜落事故で、県内にある全十一の青年会議所(JC)が二十日、住民地域上空での飛行・訓練停止などを求めた共同声明を発表した。

 声明は「日米地位協定を盾に米軍が事故現場を封鎖、日本側は検証さえできず、これから先、国民の生活に不安を感じる」と米軍に強く抗議。(1)事故原因の究明・公表(2)普天間基地の早期返還(3)日米地位協定の抜本的改正―を要求している。

 県庁で会見した伊沢忠憲宮古JC理事長らは「危険な基地の存在は観光にもマイナスイメージ。一致団結して声を上げていきたい」と話した。

 声明は内閣総理大臣ほか関係閣僚、駐日米国大使ら日米九者に郵送する。

きょう県民集会 平和運動センターが普天間ゲート前で

 沖縄平和運動センター(崎山嗣幸議長)は21日午後6時から、宜野湾市の普天間基地第二ゲート前で、米軍ヘリ沖国大墜落事故に抗議する県民集会を開く。

 市内外に参加を呼び掛けて、2000人規模の集会を目指し、「普天間基地の即時閉鎖と、無条件全面返還を求める」としている。


8月20日(金)

晋くんからのメール
辺野古より、富田晋。

午後1時30分ごろより、辺野古沖合いにドック型揚陸艦「ハーバァーズフェリー」(ホイットビー・アイランド級)が来ています。
午後2時ごろには、エアクッション型揚陸艇「LCAC−1」を後部から出し、演習を始めました。
そして2時30分ごろにはヘリも飛び回り始め、沖国大に墜落した「CH−53D」がいるかどうか見ていましたが、確認はとれずにいます。

普天間のほうではすでに米軍がへりでの演習を開始しており、住民は恐怖の中にいます。
伊波市長を初めとする多くの人達の抗議の声を無視し、演習を開始したことを見ても米軍が占領軍であるということははっきりしています。

辺野古は現在も「ハーバァーズフェリー」がおり、私達も監視を続けています。

「ハーバァーズフェリー」
満載排水量 15,726トン
全長 185.8m
幅   25.6m
主機 ディーゼル4基、2軸
出力 37,440馬力
速力 22ノット
兵装 RAM近接防御SAM21連発発射機1〜2基、20mmCIWS2基、25mm単装機銃8基
乗員 340名、揚陸部隊450名

ジュゴンの家日誌
きのうの写真

←辺野古の座り込みに来ていた、
ハワイの大学に留学しているリンダさん。
明日ハワイに帰るそうです。


また会おうね・・・・!!
沖縄の新聞より

SACO見直し93% 米軍ヘリ墜落で緊急県民アンケート


SACO合意に関して沖縄県は今後どう対応すべきだと思いますか

 今月13日に起きた米軍ヘリ沖国大墜落事故を受け、琉球新報社は18、19の両日、緊急県民アンケート調査を実施した。焦点の普天間飛行場の返還の在り方を問うと、「このまま辺野古沖移設を進める」は6・0%にとどまり、無条件返還と国内外への移設を求める人が計81・0%を占めた。大惨事になりかねなかった民間地域への墜落事故の衝撃から、県内移設への反対世論が急速に高まっていることが明らかになった。また、日米特別行動委員会(SACO)合意見直しを求める人が93%に上った。

 「辺野古移設」の数値は、6月の県議選時の調査では7・0%、7月の参院選時には10・7%。今回で過去最低に落ちた。県内移設反対の中では、「無条件返還」が35・7%と最も多く、国外移設が30・0%、国内移設が15・3%で続いた。県内移設反対は6割余で安定していたが、今回は8割を超えた。

 日米特別行動委員会(SACO)合意に関する県の対応については、「日米合意の一部見直し」が49・7%で最多。「普天間返還合意の抜本的な見直し」が43・3%で、「辺野古移設計画を堅持」は4・3%しかなかった。県政の最重要懸案をめぐる支持率としては極めて厳しい数字となり、事故後も稲嶺県政と政府が推進の姿勢を崩していない「辺野古移設」に強い逆風が吹いていることが鮮明になった。

 事故の再発防止策の設問では、「普天間基地の機能を県外や国外へ分散移転」が最多の42・0%、「全機種の飛行禁止による基地閉鎖」が24・0%で続いた。

 事故後、米軍が県警が求めた合同現場検証を拒否したことをめぐり、86・3%が「大いに問題がある」、11・0%が「どちらかと言えば問題がある」と回答。県民の大多数が反発している。

 日米地位協定については、「抜本改定」が71%で、「運用改善」の24・7%を大幅に上回った。基地被害解消に向け、抜本的な改定を求める世論が顕在化している。

 支持政党を聞くと、民主党が参院選時の10・6%からほぼ倍増の20・3%を獲得し、自民の17・3%を上回った。

◇調査の方法

 18、19の両日、県内11市の20歳以上の男女を対象に実施した。

 各市の人口構成比に応じて、電話帳からサンプルを無作為に抽出。性別、年代別のサンプル数を均等化し、回答が300件に達するまで調査を行った。

放射能汚染を懸念 県が土壌調査実施 米軍ヘリ沖国大墜落


現場をフェンスで囲い込む基地従業員ら=19日午後7時20分ごろ、沖国大

 米軍ヘリ沖国大墜落事故で、米軍は19日午後2時までに、同大構内での機体回収を終え、13日の事故発生から6日ぶりに墜落現場封鎖を解除した。その後、県警が初めて墜落現場を検証。県も立ち入り、放射能を含めた環境調査を行った。沖国大側は「安全性が確認されるまでの措置」として那覇防衛施設局に現場の囲い込みを要請、現場にフェンスが設置された。これまで現場における危険物質の有無など情報を公開しない米軍に対し、住民や大学関係者から不安やいらだちを訴える声が上がっている。

 沖国大の現場では19日午後4時半、県警による現場検証のあと、県文化環境部環境保全課(嵩原安洋課長)などが土壌調査した。

 米軍が墜落事故現場で放射能測定をしていたことが疑われ、宜野湾市の要望もあったため、放射能汚染の可能性も否定できないとして実施した。放射能測定とともに、水銀、ヒ素、カドミウム、鉛などの有害物質についても国の環境基準を超えていないか調べる。

 調査は同課のほか、県衛生環境研究所、基地対策室の職員ら10人近くが現場に入り、実施した。

 嵩原課長の説明によると、墜落機の本体があった場所の5ポイントの地表5―10センチメートルの土壌計5キロをビニール袋に採取。比較するため、一帯から約50メートル離れた場所でも同様に土壌を採取した。作業時間は約1時間。

 分析は大里村の県衛生環境研究所で行う。有害物質の土壌汚染結果が分かるのは2―3週間要するが、放射能測定はそれ以上を要するという。

 嵩原課長は「汚染が確認されれば基地対策室を通じ米軍に申し入れる」と話した。

<2004年8月20日 朝刊 34・35面>

怒り冷めず1週間/米軍ヘリ沖国大墜落

 米海兵隊CH53D大型輸送ヘリコプターが宜野湾市の沖縄国際大学に墜落してから一週間。県警は十九日、ようやく機体が持ち去られた現場を検証した。大学側は各学部で抗議文を決議、学びやを冒された怒りを新たにしている。米軍は事故原因を明らかにしないまま、訓練再開を予定。今も恐怖や不安がさめやらない周辺住民、学生らの間には、現状を変えようとしない県や日本政府への不信感が広がっている。

(写真説明)黒いつめ跡・機体の残骸が撤去された後の墜落現場を検証する県警捜査員=19日午後3時、沖国大

     ◇     ◇     ◇     

住民・子の震え、いまだ

 沖国大の斜め向かいにある市立宜野湾保育所(松本美恵子園長)では、事故直後から園児数人に情緒不安定な様子が見られる。大きな音に過敏になった一歳の男児は、オートバイなどの音を聞くと、反射的に空を指さすようになった。「戦争が起こるの?」とおびえていた五歳の男児は、今でも恐怖で震えていることがあるという。

 松本園長は「訓練が再開されれば、預かっている百三十一人の子どもたちをどうやって守ればいいのか」と不安を隠せない。

 事故現場の向かいで中古車販売店を営む男性(35)は「生活ががらりと変わった。早く元の生活に戻りたい」と訴える。事故のショックや精神的な疲れで、妻と四歳の娘、生後六カ月の息子は、妻の実家で生活を余儀なくされている。

 事故後、多くの報道関係者や見物人が自宅の敷地内に詰め掛けた。中には、笑顔で記念写真を撮る見物人やマナーを守らないカメラマンも。仕方なく敷地への立ち入りを規制した。「メディアには大々的に報じてほしいとの思いはあるが…」と複雑だ。

 「これまでなんとなく米軍基地の存在を認めていた」という同大三年の田場綾乃さん(22)=糸満市。今回の事故で恐怖を実感し、基地に対する考え方が変わった。

 市内に住む同大四年の大城麻希子さん(22)は「これからも米軍機の騒音がするたび、墜落の恐怖におびえながら生活しなければならないのか」と不安げ。「米政府に何も言えない日本政府にも腹が立つ」と怒りが込み上げている。

 図書館で勉強中に事故を目撃した同大卒業生の女性(23)=那覇市=は「本土メディアでは、小さな扱いしかされていない」と不満をあらわにする。「いつも癒やしの島だともてはやしているのに、いざとなったら目を背けている。本土が沖縄に目を向けようとしないから、米軍が大きな顔をしているのではないか」と憤った。

県警・現場検証、2時間

 県警は十九日、米軍が細かい残骸物の回収などの撤去作業を終えた後、午後二時半から初めて墜落現場を検証した。焼け焦げた外壁など被害状況を確認したほか、土壌汚染がないか現場の土を採取し、約二時間で終了した。

 今後、県警は米軍に対し、乗員三人への事情聴取や機体の調査結果などの資料提供を引き続き要請。目撃者らの証言も踏まえ、事故原因の特定など立件に向けて捜査を進める。

 検証後、墜落現場の周囲に敷かれていた県警の規制線は解かれたが、沖国大は同日夜、「外階段が崩れる危険性や土壌などの安全性が確認されていない」とし、現場の立ち入りを禁止する金網を設置した。県警のまとめでは、事故の周辺被害は、建物十七カ所、車両三十三台(ミニバイク一台含む)、光ケーブル切断一カ所、防風ネットの破損一カ所に上るという。

 県衛生環境研究所は、土壌汚染の有無を確認するため現場周辺の土などを採取した。米軍関係者が防護服を着て作業をしたことから宜野湾市の要望を受け、放射能測定作業も行った。

 すべての調査結果が出るまでには三週間以上かかる見通しだ。

市側・政府対応許せない

 米軍ヘリ墜落後、宜野湾市の基地政策部は、米軍や日本政府、県への折衝、市民の問い合わせに追われる日々が続き、職員の疲労の色が濃くなっている。

 同部の山内繁雄次長と比嘉博部長が、ヘリが接触した一号館の内部を初めて視察できたのは事故から五日たった十八日。「職員の席と現場はガラス一枚。出張でいなかったから助かったようなもの」と、墜落のすさまじさを実感したという。

 比嘉部長は「市民が不安と恐怖を抱える中、すぐに飛行再開したのは占領意識の表れだ」と憤る。また「国も、十六年かかる辺野古移設ではない解決方法を早く示すべきだ」と訴えた。

 事故後の対応を内閣府と交渉した別の市幹部は「夏休みを理由に首相や官房長官との面談を拒否され『事務方でしか対応できない』の一点張りだった。大惨事が起きているのに、政府はこの程度の対応か。許せない」と国側の対応を憤る。

 さらに「市民は首相が映画や五輪に喜んでいる姿を見ている。本当にこれでいいのか」と、国のトップに怒りの矛先を向けている。

 市は今後、九月に予定されている市民大会の準備に全力を注ぐ構えだ。

学生・ストレス症状顕著

 ヘリ墜落事故の影響で不眠や緊張感など、精神的なストレスを訴える沖国大の学生や職員が、十九日までに十人に上っている。

 大学の臨床心理士は「事故を思い出して不安になったり、不眠などの症状が出るのは正常な反応。普段と異なることがあったら、ためらうことなく相談に来てほしい」と呼び掛けている。

 関係者によると「特に本土出身学生は、基地の事故は本土の生活では全く予想できず、ショックが大きい。宮古や八重山など離島の学生にも同じ傾向がある」という。

 また、同大法学部は十九日、臨時教授会を開き、普天間基地の早期返還を求める決議をした。

 一方、使用不能となった本館内の会計課などを図書館や体育館に仮移設する作業も進み、一部の業務は正常に戻りつつある。

<2004年8月20日 朝刊 3面>

「市民の要求と違う」/8年以内移設

 米軍普天間飛行場の移設問題で、米政府が「八年以内」に名護市辺野古沖への移設完了を求め、できない場合には別の移転先を検討するよう日本政府に求めていたことについて、宜野湾市の伊波洋一市長は「市民の要求と違う」と反論し、名護市の末松文信助役も「信じがたい話」とはねつけた。県は「報道が事実で移設が早まるなら望ましい」と歓迎。辺野古移設を推進する方針を強調し、別の県内移設については想定外であることをにじませた。

 伊波市長は「報道によると、米政府が打診したのは事故前の話。実際に重大な事故が起きた今、一日も早く返還する方法を日米で真剣に協議すべきだ」と述べ、「普天間」の即時閉鎖と早期返還実現のための日米協議実現を訴えた。

 市は九月に市民大会を開き、即時閉鎖などを日米両政府に要求する。

 末松助役は「事実確認をしなければコメントのしようがない」ときっぱり。「八年以内に移設できないなら別の場所を探すというが、すぐには信じがたい話。県内でほかに移設先があるのか」と疑問を呈した。

 県の儀間朝昭知事公室次長は「事実確認ができない。これまでもさまざまな報道があり、一喜一憂しない」とコメント。その上で「事実なら、県は一日も早い返還を求めている。移設作業短縮が可能だとすれば、望ましいことだ」と述べた。

 さらに「辺野古沖移設を進めていくという方針に変わりはない」と述べ、八年以内に移転が完了しない場合でも、県内で別の移設先の検討には否定的な見解を示した。

<2004年8月20日 朝刊 1面>

「移設作業を加速」/細田長官

 米軍ヘリ墜落事故を受け、稲嶺恵一知事は十九日午後、首相官邸に細田博之官房長官を訪ね、普天間飛行場の早期返還と具体的な再発防止策が講じられるまでの間、全面的な飛行停止を要請した。要請後、細田長官は普天間移設問題について「これまで以上に加速しながら、実行していく」と述べ、日米特別行動委員会(SACO)最終合意に基づく名護市辺野古沖への移設を促進していく姿勢を示した。

 細田長官は事故について「住宅地が迫っていて早く移設を含めて対応しなくてはならないと切実に感じている。県民の思いをよく理解できる」と述べた。知事の小泉純一郎首相への要請については「積極的に対応していく」としている。

 普天間早期返還や全面的な飛行停止については「政府として、誠実な対応をしたい。必要な米側との話し合いを進めていきたい」と述べるにとどまった。事故原因の調査についても、早急に日米合同委員会の事故分科委員会で取り上げていく方針を示した。

 また、今月下旬にも予定されている在日米軍再編に関する日米協議で今回の事故が取り上げられるかについて細田長官は「決まっていない。むしろ事故問題ということではなく、幅広い在日米軍のあり方などの話し合いが行われる」と述べた。

 稲嶺知事は細田長官への要請後、「普天間飛行場の危険度を減らすことが最も重要だ。小泉首相やベーカー駐日米大使、関係大臣らそれぞれのトップに会って、強く申し入れたい」と話した。

<2004年8月20日 朝刊 3面>

矛盾はらむ「早期返還」/辺野古移設に固執

 米軍ヘリ墜落事故を受け、普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設を進める県の方針に、あらためて焦点が当たっている。県は事故当日こそ「あらゆる可能性を検討する」と強い姿勢を打ち出したが、一週間で「進めるものは進める」に後退。高まる県民世論と政府の板挟みの中で掲げた「危険性の排除」「早期返還」論も矛盾をはらみ、県は難しいかじ取りを迫られている。

     ◇     ◇     ◇     

削られた文

 十三日の事故当日、牧野浩隆副知事が臨んだ記者会見。手元の想定問答には当初、「早期返還の方法を検討する」との一文があった。

 「方法」に触れるのは、辺野古移設の見直しを求めるのに等しい。結局「方法」は削られたものの、牧野副知事は会見で「あらゆることを検討する」と踏み込んだ。

 しかし、ボリビア出張中の稲嶺恵一知事は「代替案がないものを要求するわけにはいかない」と、日米特別行動委員会(SACO)合意に基づく辺野古移設の方針をあらためて示す。

 県幹部は、「県が求めているのは『普天間』の危険性の対応。辺野古移設とごちゃまぜにしては困る」と軌道修正。県のぶれは、重大事故に対してとにかく強い姿勢を示しておく必要から生まれた。

微妙な言葉

 「事故が起きた以上、今まで通り普天間周辺住民に辺野古の施設ができるまで待ってほしいとは言えない」(比嘉良彦政策参与)

 住民と政府双方への配慮を両立させるため、県が選んだのは、辺野古移設見直しを明確に否定した上で、普天間飛行場の「危険性の排除」「早期返還」論で乗り切る道だ。

 「危険性の排除」では、緊急避難として兵力や訓練を県外に一時分散する。だが「早期返還」が何を意味するかについては、県自身が「微妙な言葉」(幹部)と言うようにあいまいなままだ。

 例えば分散が進み、辺野古の代替施設が完成する前に「普天間」の機能がゼロになった場合。県幹部は「その時点で普天間を返還すると、県内に代替施設はいらないということになる」と迷いを見せる。辺野古移設にこだわるゆえの矛盾が横たわる。

 一方で、県民の反基地感情は噴出している。「政府が県の反応を見誤れば県政がひっくり返り、元も子もなくなる」「本当に辺野古移設でいいのか」。県幹部の間に、強気と弱気が交錯する。

次の一手

 政府の姿勢には、辺野古移設を前提としながらも変化の兆しが見え始めた。十九日、那覇防衛施設局の西正典局長は個人的見解としつつ、「SACOは非常によくできたプロセス。関係者が納得すれば動く柔軟なシステムだ」と指摘。

 県が求める訓練などの県外分散について、「SACOの中で今までなかった項目。提示されれば、中央に『配慮が必要になる』と意見を具申したい」と話した。背景には、「次の一手を打たないと大変なことになる」との危機感がある。

 稲嶺知事は二十日、事故発生後初めて登庁し、三役会議で県の方針をあらためて討議する。県の「次の一手」に、県民の視線が注がれる。(政経部・阿部岳、知念清張)

<2004年8月20日 朝刊 2面>

SACO見直し要請/宜野湾市議団

 米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリコプター墜落事故を受け、米軍普天間飛行場を抱える宜野湾市議会の伊佐敏男議長らは十九日午後、内閣府と外務省を訪れ、抗議するとともに、普天間飛行場の移設条件付き返還を盛り込んだ日米特別行動委員会(SACO)合意の見直しと、名護市辺野古沖移設の再考などを求めた。

 伊佐議長らは「辺野古移設までの十数年間も、異常な状況下で市民は我慢しないといけないのか。再び墜落事故が起きたら、国はどう責任を取るのか」と迫ったが、内閣府の武田宗高政策統括官は要望事項とともに「上司に伝える」と答えるにとどまった。

 外務省の四方敬之日米地位協定室長は「全機種飛行停止については米軍に要請しているが、米軍側からの具体的なコメントはない」と語った。事故現場に県警が立ち入りできなかった点について「爆発の恐れがあったため、大学構内は米軍、大学の外を県警が分担して警備することになったと米側から説明があった」と話した。

 抗議行動後、伊佐議長は「現場を見ているわれわれと違い、政府の対応は弱い。もっと米国に対し強く求めてほしい」と、国の姿勢に強い不満を示した。二十日は防衛施設庁を訪れる。

 市議会臨時会で可決した意見書では、「八万八千人余の市民、県民の生命と財産を守る立場から」として(1)同飛行場の早期返還(2)SACO合意の見直しと辺野古沖への移設再考(3)日米地位協定の抜本的改定(4)全機種の飛行および訓練の中止―など七項目を求めている。







8月19日(木)

晋くん日誌
8月16日(月)
・防衛施設局は来ませんでした。

台風のためだんだんと風も強くなってきています。なんとか、テントを立ち上げて今日も漁港入り口で座り込み。
座り込みは一日で80人ほどが訪れていました。

昨日の報道で「辺野古移設検討も考えたあらゆることを検討する」とした牧野副知事は今日になって一変。「辺野古基地建設に関して県のこれまでの方針に変わりはない。普天間基地返還は分散移転も含めて求めていく。」とした。ペテン師というのはこういう人を言うのでしょうか。「政治家とはこんなもんだ」とみな口々に言っています。
普天間分散移転なんていうが、そんなもののどこに現実的な部分があるというのだろうか。飛行場は分散してしまったらその機能を失う。詐欺師の塊だ。
「辺野古移設が現実的」という与党の政治家は何を見ているのだろうか。私達は現実的に辺野古基地建設を止めている。そして今回の事件で沖縄の人達の思いは爆発している。事件の少し前の世論調査で7%(タイムス)〜10%(新報)しか辺野古移設を賛成していないと出ている。この現実をどう受止めているのか。
おばぁ達の苦しみを、怒りを、思いを、何を見ているんだ!!少しも伝わっていないというのか!人々を殺して何を得るんだ!人々の思いをないがしろにして何が政治家だ!!強行するというのなら、その上で止めてみせる。

先週来た関西の人達に私からレクチャーをさせていただいたのですが、一人一人から反応がありました。
「明日は戦跡めぐりなどの予定があるのですが、ここに来たいと思います。それを関西で繋げて行きたい。」50代の女性「私は教育者です。生徒たちに訴え、伝えていくのもだんだんと厳しくなっている現状があります。しかし、やはりここのことを伝え”今を生きることが希望を持てる一歩”なんだと教えたい。私の生徒の親は大半が自衛官です。”今やらなければいつやるのか”その言葉を重く受止めたいと思います。」40代の男性「関西を現場に変えます!!これからは私達が頑張る番です。」20代の女性「私は親戚がみな、沖縄人です。私も沖縄人と大和人とのハーフです。とても思いがあります。帰って早速講演会などでここで聞いた思いを含めてうったえさせていただきたいです。」
70代の女性大阪で頑張っている亜季ちゃんや私達と一緒に生きようとしている若い世代の人達の行動を話したことが大きかったように思います。「一人が引き受けることが状況を変える」そのことが多くの人達に伝わり、そして実践する人が増えれば時代は動き出します。

沖縄国際大学の米軍へり墜落事件の抗議のために平良夏芽さんを含む沖縄教区の代表者4人が沖縄米総領事館に抗議、要請行動を行いました。
いつもよりも県警の警備も厳重だったとのことです。要請行動の際には米総領事は会おうとせず、担当者の沖縄人が出てきて対応。大統領の謝罪を求めたということです。

東京でも墜落事件への抗議で一日行動がありました。
朝の国会前座り込みから始まり、12時からは国会前抗議集会。この時点では30人ほどが集まっていたようです。4時30分まで国会前でヨッシーとジュゴンの家のライブや色々なことをしながら訴え、午後4時30分ら大使館前まで抗議のデモ。大使館前には50名〜60名ほどが集まり、抗議集会。その後、防衛庁前に移動して100名ほどで抗議集会を開いたようです。
詳しくは下記(オープンスペース街)のホームページにアクセス。
http://www52.tok2.com/home2/shiencenteryui/2004.8.6.html

以下、1フィート運動の会の抗議、要請文。

沖縄国際大学への米軍へり墜落事故に抗議し、
       普天間基地の即時無条件返還に関する要請


8月13日午後2時過ぎ、米海兵隊の大型輸送ヘリコプターCH53Dが普天間基地に隣接する沖縄国際大学敷地内に墜落し、沖縄国際大学のみならず周辺の住宅地域30数箇所に機体の破片を発散させました。事故現場を訪れたが、事件状況からすれば大惨事になりかねない事故状況であり、あらためて事故の恐ろしさに、沖縄県民は大きな衝撃を受けていとます。
 私達はこれまで米軍基地の無条件返還を要求してきました。
 米軍はこの事故を受けて現場の封鎖を続け警察の現場検証を拒み続けただけで無く住民に大きな不安を与え生活に大きな不便を生じさせている。
 それにもかかわらず、米軍はなんらの反省も無く飛行訓練を再開しており、私達は米軍の対応に心の底からの怒りを禁じえません。
 普天間基地は米軍占領下で不法に民間地域に基地を建設したものであり、住民地域にある最大の欠陥基地であることは言を持ちません。
 私達は日米両政府に対してこのような事件が起きた以上速やかに普天間基地を撤去するよう強く要求するものです。日米両政府は基地の危険性を認める一方、名護市辺野古沖への代替施設建設を進めていますが、それは、基地の危険性をたらい回しにするものにほかならないことは今度の事件でも明らかです。
 私達はこのような計画をただちに撤回し、普天間基地の即時無条件返還に取り組むべきと考えます。
 アメリカは今度海外基地の再編を行い軍隊を引き上げを予定しているとのことであります。
 私達は今度こそ、この機会に、決意を新たに沖縄米軍基地の見直しをすべきであると考えます。
 そのために、普天間基飛行場の即時無条件返還を求めます。

2004年8月16日

那覇防衛施設と局長 殿
外務省沖縄事務所長 殿
米国総領事館    殿           沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
                         副代表   福地 ?昭
                         事務局長  中村 文子
                         運営委員会  一同

8月17日(火)
・防衛施設局は来ませんでした。

沖縄の状況は一気に動き出しています。
・「宜野湾市議会」では17日午前に「SACO合意の見直しと、普天間飛行場の辺野古移設案の再考」などを求める抗議決議と意見書案を全会一致で採択しました。辺野古沖移設が再検討を促す決議は県内で初めてです。
その他にも同日午前「沖縄市、具志川市」の両市議会で抗議決議・意見書の採択を全会一致で可決。
沖縄市・「普天間飛行場の移設前返還」
具志川・「同飛行場の閉鎖と早期返還」
・「北谷町、嘉手納町」でも抗議決議・意見書の両案を可決する見通し。
・「豊見城市議会」も同日午前に抗議決議・意見書の採択を全会一致で可決。被害者への謝罪と補償、普天間基地早期返還、早期の日米地位協定の見直しなど、かなり具体的な内容を求めている。
・「名護」は。
「辺野古移設の見直し」を含めるかどうか対立。審議が延長し、市議会の開会のめどは立っていない。
・「県議会」も「辺野古移設見直し」を含めるかどうかで対立。結局、「普天間基地早期返還」だけで「辺野古移設見直し」はもり込まれなかった。
しかし、「抗議の声は県民の総意になりつつある。」県議会議員はそれを紳士に受止めるべきだ。

宜野湾市議会の抗議と意見書は「基地が存在する限り宜野湾市民は常に生命と財産が危機にさらされ、不安と恐怖による怒りは限界を超えている。これまでも事故の度に抗議してきたが、日米両政府は”遺憾””再発防止”と繰り返すばかりで実効性がなく、事故が後を絶たない。」と怒りを込めて読み上げている。
これだけ差別されてきて、これまで日常茶飯事にこのような事件が起こり、今回ここまでの事件を引き起こされのにも関わらず、ないがしろにされた。怒りは爆発している。

以下、「宜野湾市・米軍へり墜落事故抗議決議全文」

[米軍ヘリコプターの民間地への墜落爆発炎上事故に対する抗議決議]
 平成16年8月13日、午後2時15分ごろ、米海兵隊所属のCH53D型ヘリコプターが、民間地域の沖縄国際大学本館に接触して墜落、爆発炎上した。絶対にあってはならない最悪の事故が発生し、一歩誤れば市民多数の命さえ奪いかねない大惨事になるところであり、激しい憤りを覚えるものである。
 米軍所属の航空機事故は、復帰後だけでも70数回を超え、昨年の6月20日にも同型のヘリ事故が発生したため、本市議会も即刻強く抗議し、住民じをょ憂くうでの飛行訓練の中止や原因究明を求めてきたばかりである。これまでこの種の事件、事故が発生するたびに何度となく抗議してきたが、その度に日米両政府は「遺憾」や「再発防止」等の発言を繰り返すばかりで実効性のが全くなく事故は後を絶たない現状である。
 米軍口普天間飛行場は、市のど真ん中に存在し大事故の危険性が指摘、予見される中で「起こるべきして起きた、当然の事件」であり、決して偶然ではない。今回の事件により米軍乗員3人が負傷し、民間人に負傷者は見られないものの、現場では広範囲にわたって期待の一部や破片が飛び散り、民家の鉄製のドアを貫通したり、乳児の寝室の窓ガラスが割れるなど、基地の存在そのものが住宅の中で安全でないことが証明された。
 さらに、日米両政府を盾に、米軍により事故現場への立ち入りが制限され、沖縄県警をはじめ、日本側の関係者が事故の検証さえ出来ないなど、異常な事態が続いている。
 米軍基地が存在する限り、市民、県民の死の恐怖に陥れるこうした事件、事故は絶対になくなるものではない。われわれ宜野湾市民は、常に生命と財産が危機にさらされ、 その不安と恐怖による怒りは限界を通り越している。
 よって8000人余の市民、沖縄県民の貴い生命と財産を守る立場から今回の最悪の米軍ヘリコプター墜落事故に対し、激しい怒りを込めて抗議すると共に下期の事項が速やかに実現されるよう強く要求する。

1、危険この上ない普天間飛行場を早期返還すること。
1、SACO合意を見直し、辺野古沖への移設の再考を求める。
1、日米地位協定の抜本的改定を求める。
1、被害の徹底調査と誠意ある完全補償を行うこと。
1、事故原因を徹底究明し、速やかに県民に明らかにすること。
1、住民地域上空での全機種の飛行及び訓練を直ちに中止すること。
1、すべての米軍航空機の一斉点検、整備を行うこと。

異常を決議する。平成16年8月17日 宜野湾市議会。


今、立ち上がることは戦争に向かう全ての状況を変えられるということ。
私達大和、そして、大和に住む人々に求められているのは自分たちの生きている場を現場として、沖縄を孤立させないこと。基地を作らせない状況、そして未来を作るために私達は問われている。
今回の状況を踏まえて、辺野古のこれからの状況を考えると県はとことんこの事件を利用し、辺野古基地建設への着工を進めるだろうと思っています。今彼らがそれをしなければならないのは、彼らが恐れていたマグマに火がついてしまったからです。
小泉首相はもう一度「沖縄戦」を沖縄に押し付けようとしています。それを本気で小泉首相が考えているならば沖縄の人々の全てを敵に廻してでもこの辺野古基地建設を強行しなければならないはずです。平和を願う人達を潰すために。
95年の8万5千人集会を彷彿とさせる状況が到来した。私達の側が世界を変える状況が出来た。だからこそ、小泉首相、ブッシュ大統領はなおさらにあせっています。
彼らが生き残る道はさほどもう残されていないのですから。
世界戦争が始まるか、私達が世界を変えるのか。イラクの戦争を止める、辺野古の基地建設を止める、その状況は今、確実にこの沖縄から作り出されようとしています。
今、私達の闘いは始まったばかりだ。
これから生きる道は勝ち取っていかなければ何も生まれない。

8月18日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

台風の中でテントは立てられず、命を守る会の事務所内での座り込みとなりました。
台風にもかかわらず、南部、北部関係なく、30名ほどが座り込みに集まりました。
台風の直撃を避けていたので大丈夫だろうと考えていたら、昨日の夜は波が高く、というか津波の状態で押し寄せてきて漁港を飲み込んでいました。アキサビヨイ!事務所は台風の影響で入り口のドアが風に煽られ、少し曲がりましたが、大したことはありません。
座り込みには沖国大米軍へり墜落事故の関係で取材も多くありました。

新聞紙面では連日沖国大米軍へり墜落事故のことが載せられています。
昨日の日誌で未定になっていた名護市議会の抗議決議・意見書の採択では「SACO見直し」はもりこまれず、抗議決議の賛否が分かれ、その中で可決されました。
名護市長は「見直しはしない。」と墜落事故の直後に断言しています。
こんなことが許されていいのだろうか。許されるはずがない。
名護市長のコメントには今回の事件に対する怒りも感じられず、本当にあきれています。少なくとも、これまでの名護市長は基地建設に引け目を感じている程度のことはありました。しかし、今度という今度は許せない限りです。
名護市議会、市長共に県、国の圧力に負け、誰のための政治なのかということ自体が問われている。今の名護に民主主義などというものは存在しないと感じます。
そして、米軍が県警の現場検証を拒否しました。沖縄が占領下に置かれていることははっきりしています。

今日、沖縄のメーリングリストに「 '在韓-在日米軍基地一体化'を'韓日民衆の一体化'で叩きつぶそう」という題名で在韓、在日の米軍が一体化する状況を韓国の人からみた視点で論じられた文章が流れました。
韓国、日本、沖縄と共にお互いの米軍の再配置について認識が共通になっていないことを訴え、共通にした上で共にこのことに反対していかなければならないと訴えています。
現在の米軍が目指しているもの、そして韓国、日本、米国の政府間で目指されている軍事同盟は韓国軍と米軍の一体化、自衛隊と米軍の一体化したものであり、韓国の一体化した軍隊を日本の一体化した軍隊が指揮していくもの。そして、北朝鮮、中国を包囲し、世界大戦へと突入していくもの。というかなり具体的に書かれていました。

この恐ろしい発想が現実とは信じたくない限りですが、今の日本の動向は確実にそこに動き出しているものです。
今、心ある人達がこのことに気づけなければアジア、世界は大変な方向へと動き出してしまいます。
沖縄の基地問題、辺野古新基地建設はアジア、世界に繋がっています。現在無関心でいられても、向き合わざるを得ない状況がやがて来ることを感じます。
今、意識を持って多くの人達に伝えましょう。それが状況を変えると考えます。
世界中の人達と共に戦争の問題を解決していかなければいけません。

以下は亜季ちゃんが送ってくれた文章です。とても良い詩なのでのっけておきます。

盆休みの間に知人から薦められ読んだ本で
岩井國臣の著書で「劇場国家にっぽん」(新公論社)
その文中で、感動した一節があったのでご紹介します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1854年、第14代大統領ピアスは、インディアンの土地を買収し、
居留地を与えると申し出た。翌年、インディアンの酋長シアトルは
この条約に署名する。
その時シアトル酋長がピアス大統領に宛てた手紙が下記の一文です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ワシントンの大酋長へ。そして、未来に生きる、すべての兄弟たちへ。」
どうしたら、空が買えるというのだろう?そして大地を。
私には、わからない。風の匂いや、水のきらめきを。
あなたは一体、どうやって買おうというのだろう?
あらゆるものが、つながっている。
私たちが、この命の織物を織ったのではない。
私たちは、そのなかの一本の糸にすぎないのだ。
すべて、この地上にあるものは、私たちにとって、神聖なもの。
松の葉の一本一本、岸辺の砂の一粒一粒、深い森を満たす霧や
草原になびく草の葉、葉かげで羽音をたてる虫の一匹一匹にいたるまで、
すべては、私たちの遠い記憶のなかで、神聖に輝くもの。
私の体に、血が巡るように、木々のなかを樹液が流れている。
私はこの大地の一部であり、大地は私自身なのだ。
川を流れる、まぶしい水ではない。
それは、祖父のそのまた祖父たちの血。
小川のせせらぎは、祖母のそのまた祖母たちの声。
湖の水面にゆれるほのかな影は、私たちの遠い思いを語る。
川は、私たちの兄弟。
渇きを癒し、カヌーを運び、子供たちに、惜しげもなく食べ物を与える。
だから、白い人よ。
どうか、あなたたちの兄弟にするように、川に優しくしてほしい。
生まれたばかりの赤ん坊が、母親の胸の鼓動を慕うように、
私たちはこの大地を慕っている。
もし、私たちがどうしても、ここを立ち去らなければならないのだとしたら、
どうか、白い人よ。
私たちが大切にしたように、この大地を大切にしてほしい。
美しい大地の思い出を、受け取ったままの姿で、
心に刻みつけておいてほしい。
そして、あなたの子供の、そのまた子供たちのために、
この大地を守りつづけ、私たちが愛したように、愛してほしい。
いつまでも、どうかいつまでも」

きよこさんからのメールより
韓国から日本語に訳されて届いたメールを転送します。
ちょっと長文です。

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 '在韓-在日米軍基地一体化'を'韓日民衆の一体化'で叩きつぶそう

金承國

*在韓・在日米軍基地の一体化の兆し

 先日、日本の活動家と話をする機会があった。彼は在日米軍の再配置計画について詳しく知っていたが、在韓米軍の再配置についてはほとんど知らなかった。
韓国の活動家もやはり在韓米軍の再配置に対する反対運動に熱心ではあるが、在日米軍の再配置については無関心だ。

 米国はすでに「一国中心(在韓米軍が駐屯している韓国と在日米軍が駐屯している日本という個別国家中心)の軍事戦略」を破棄し、「軍事のグローバル化」という視点から「全世界の米軍再配置GPR(Global Defense Posture
Review)」 を推進している。それにもかかわらず、韓国・日本の民衆は自国に駐屯している米軍基地の再配置だけと闘っているのはもどかしい限りだ。

 このようなもどかしい状況を突破するにはどうしたらいいのか。まず、「在韓・在日米軍基地の一体化」の動きを、韓国・日本の民衆の共通認識にしなければならない。そして、このような共通認識にもとづいた「韓日民衆の一体化」、
つまり「韓日民衆間の米国反対・米軍基地反対のための闘争の一体化」を実現してこそ、「理論(認識)と実践の一体化」を成し遂げられる。これが韓日民衆連帯のもっとも急がれ、かつ重要な任務である。

*日米同盟と韓米同盟の軍事一体化へ

 それでは、在韓米軍基地と在日米軍基地がいかに一体化しているかを見てみよう。
 多国籍企業が縦横無尽な新自由主義的グローバル化を果した一方で、そのボディーガードである米軍もまた変貌してきた。その端的な例がGPRである。GPRは、「最先端科学(IT産業など)で武装した米国資本主義の軍事化」の第
2段階(1段階は「軍事革新」と称されるRMA)だ。クリントン政権当時に推進されたRMA(Revolution of Military Affairs)段階の韓日軍事共同体は、在韓米軍と在日米軍が独立的に機能することに満足していた。せいぜい日米同盟と韓米同盟をそれぞれ機能別に統合する構造にとどまっていた。

 ところが、戦争屋ブッシュが率いる政権は、中国をより強力に包囲し、いざとなったら北朝鮮を崩壊させるための「戦争の日常化体系」を作るため、「日米同盟と韓米同盟の軍事的一体化」を図ろうとしている。韓日間の歴史的な傷跡のために両国間の軍事同盟が不可能な状況において、ペンタゴンが「日米同盟と韓米同盟を総体的に指揮する方法」を模索しているのである。

 この恐るべき発想は、ラムズフェルドの頭の中にあり、まだ公の文献に出たことはない。しかし、米第一軍団がカナダと座間に移動するなど、「米軍・自衛隊の陸、海、空軍の総指揮(一体化)センター」が日本の首都圏に形成されるだろ
う。このセンターを中心に北朝鮮・中国に対する牽制はもちろんのこと、中東など全世界の紛争に介入する戦争装置が準備されるだろう。

 在韓・在日米軍基地の一体化がまだ公に進められているわけではないが、その潜在性は十分にある。これまで公開されたGPRのなかに「在韓・在日米軍基地の一体化の潜在性」が内在している。

 GPR構想によると、米軍は、海外の基地を「戦力投射中枢基地」(PPH…1級基地)、「主要作戦基地」(MOB…2級基地)、小規模常駐部隊の「前進作戦拠点」(FOS…3級基地)、小規模連絡要員常駐地の「安保強力対象地域」(SCL…4級基地)の4等級に再編する。ここで在日米軍基地は第1級基地(PPH)、在韓米軍基地は1級と2級の間の1.5級基地として再編される。

*運動の方法論は「韓日民衆の一体化」

 最近韓国では、連合土地管理計画(LPP)、在韓米軍の再配置(平澤に在韓米軍基地を総集結)、在韓米軍1万2千500人の撤収計画が同時進行している。これを見ると、在韓米軍の量(数字)は減るものの、戦力(能力)は倍加することによって、北朝鮮崩壊・中国包囲用の機動力を最大限発揮する「1.5基地構想」が実現中であることが見て取れる。

 韓国における1.5基地への転換は、「2+3体制」へと作り上げられるだろう。前述の「2」は平澤基地を中心とした「首都圏基地のライン」と「大邱・釜山の輸送圏」を合わせたものであり、「3」は「2」を支える龍山基地(龍山に在韓米軍の核心施設が残留)、漢江より北の連合訓練センター(トスリ射撃場など)、群山空軍基地を合わせたものだ。ここで「引渡し鉄線(tripwire)」である米2師団が平澤へ移転する計画は、朝鮮半島における戦争計画と直結する。つまり、北朝鮮の長射砲の人質となっている米2師団がGPRによって人質状態から解放された後に、北朝鮮との戦争を自由にできるという「戦争の意志」が横たわっている。

 それでは、平澤基地を中心にして北朝鮮との戦争を自由に実行するかもしれない1.5基地「在韓米軍基地」をアジア・太平洋のレベルで総括する上部ラインは、どこであり、誰なのか。言い換えれば、「1.5基地へ再編された韓国版GPRは誰がどこから総括するのか」ということだ。

 この解答は、在日米軍基地の再編(日本版GPR)にある。日本版GPRもやはり「2+3体制」になるようだ。前述の「2」は(在日米軍基地・自衛隊基地が総集結する)日本首都圏と沖縄の米軍基地を合わせたものであり、「3」は「2」を支える三沢基地、岩国基地、佐世保基地を合わせたものだ。GPRの1級基地である在日米軍基地は、自衛隊と一体化されるなかで「2+3体制」として運営され、アジア・太平洋と中東の司令塔の役割を果たすだろう。この司令塔は米第一軍団(神奈川県の座間市に所在)に任され、米陸軍四星将軍(大将)が司令官に就任するだろう。座間の在日米軍基地に含まれる米第一軍団(1級基地の指揮部)は、アジア・太平洋と中東地域の司令塔として、当然にも在韓米軍(韓米連合司令部…1.5基地)を総括するだろう。

 まだ日米安保条約や韓米相互防衛条約に「米第一軍団が在韓米軍を統括する」という規定はないが、安保条約を改定しなくても、合意覚書や軍事体系などを通じて「1級基地が1.5級基地を総括すること」が決定されるだろう。つまり、日本版GPR(2+3体制)が韓国版(2+3体制)の上位にあることを認めつつ、両者のGPRが軍事戦略上一体化する自動ドアを作れるのである。

 GPR1級基地の司令官である米第一軍団司令官(四星将軍)が、GPRの1.5基地の司令官である韓米連合司令官から作戦指示(朝鮮半島における戦争に関する指示も含む)をする「一体化」の潜在性が憂慮される。このような憂慮は、韓日間のMD(ミサイル防衛網)の連携、韓日の同時海外派兵、韓国軍の地域同盟軍化と日本の「有事七法体制」の連携の可能性に表れている。

 このように米軍の戦争体制を強化するための「在韓・在日米軍基地一体化」の可能性は、朝鮮半島にのみ当てはまるものではない。台湾と中国が戦争または戦争に準じた事態に突入した場合。「在韓・在日米軍基地一体化」の機能が作動するだろう。GPRの一級基地である在日米軍基地は、自衛隊と一体化され、台湾を支援するだろうし、中国と主敵関係が形成されるだろう。この時、GPRの1.5基地である在韓米軍は、地域同盟化した韓国軍を率いて、やはり台湾を支援しつつ1級基地と1.5基地の一体化を図るだろう。これは東北アジアにおいて予想される最悪の戦争シナリオだが、「在韓・在日米軍基地の一体化」の可能性を今から遮断しなければ、その根絶は難しい。

 それでは、「在韓・在日米軍基地の一体化」の可能性を源泉封鎖するために韓日民衆は何をしなければならないのか。紙面の制約上運動の方法論を提示できないが、「韓日民衆の一体化」によって「在韓・在日米軍基地の一体化」を叩きつぶすしかない。
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★ 筆者紹介…哲学博士、平和運動家、「平和作り」(http://www.peacemaking/.
co.kr)発行人、崇実大講師・ハンギョレ新聞記者・月刊『マル』編集局長を歴任。


8月18日(水)

東京「街」日誌より 国会前座り込み17日目!!
今日も、ミニギャラリーを開催! そこに公安警察が登場。
急に「写真をはがせ」と言ってきた。
いままで何も言われなかったのになんで??
さっきの公安が沢山の警察を呼んできた。
「写真を貼るな」と言い続けてくるが、一歩も譲らず、ギャラリー継続。 たまたま通りかかった環境団体の方も座り込みに参加!!
そこに、いっぱいの小学生登場!!
8月18日(水)
かんかん照りの中、5人で座り込み。
立ち止まってパネルを見ている人がいるので、声をかけてみると、環境保護活動をしている方だった。
一緒にすわりこんで話をする。(これで本日6人となる)
小学生の団体が千葉から国会見学に来ていた。
きれいな海の写真を見て、「このサンゴをうめたてるのはひどい。」と言っていた。
ジュゴンにも興味深々。しばし暑さを忘れる。
今日から「街」は15時〜17時ごろに座り込みます。
一緒に座り込みましょう!!

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