ジュゴンの家・日誌
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沖縄タイムス http//www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報  http//www.ryukyushimpo.co.jp/

同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

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9月B

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、必ず「阻止行動船カンパ」と明記し、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子
毎日の座り込み・沖国大墜落事故に抗議する緊急国会集会(8/26)・
普天間基地の即時撤去 名護への新基地建設反対!!アメリカ大使館へデモ(8/27)
などの報告が載ってます!!
国会前座り込みホームページヘ!!

9月13日(月)そのA

座り込み148日目 午前・午後
漁民の方に、調査に船を出さないように要請する山内徳信さん。
出発する漁船。 その先から、カヌー隊が姿を現す。 漁港の先から叫ぶ声も聞こえてくる
後に続いて、抗議船も出航。
←その後も、抗議船・カヌー隊と作業船の攻防が続く




夏芽さんが一旦戻って、状況を説明。
               →→
15時ころ、作業船が続々帰ってきた。 抗議船も帰港。 カヌー隊も、2時間以上海上で闘って
帰ってきた。
夏芽さんが一日の動きを報告した。


            カヌー隊も報告。→
晋くん日誌
9月13日(月)
・12日宜野湾市民集会の後にも係らず防衛施設局は調査船を出してきました。全てではありませんが、大半を阻止したと言って良い状況が今日巻き起こりました。これこそが「阻止行動」です!!

まず、午前中に防衛施設局が船を出したとの情報があり、私は船の整備に追われていました。
防衛施設局は辺野古の陸上には沖縄の怒りに恐れおののき手が出せない。そして言い訳にも似た形で辺野古の漁船をチャーターしている。さらに、主体となる「作業船」は那覇や佐敷といった南部からしか出せていない。宜野湾から先は(表現が適切か分かりませんが)「解放区」と化している。そのことも踏まえなければなりません。

今日は海に出ました。その時の報告をメールで流しました。そのまま乗っけます。
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13時29分報告。

抗議船の阻止行動によって、具体的な作業はまだ着手されていません。

マナヌ岩左20M 、沖合い50Mの地点に作業船「ゆいまーる」、警戒船2隻、監視船1隻
が待機しています。こちらの抗議船4隻は、作業船に対して阻止行動を展開。作業船1
隻は船体にダイバー1人、タンク1つ、ブイ3つを積んでいました。
作業船「ゆいまーる」から南に1キロ行った地点に作業船「みらい」が停泊し、ほか
に、警戒船2隻、監視船1隻が停泊。抗議船が作業船「みらい」に向かって直進したと
ころ、「みらい」は沖合いに逃走。すぐに「みらい」がダミーだと気づいたが、船体
に載っている物資の確認のため追いかけました。船体には、ブイが3つ載っているだ
けでした。
その後、マナヌ岩近くに戻りましたが、他の抗議船が作業船本体を阻止しているた
め、作業している様子はありません。
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その後の状況を書きます。
さきほどの作業船本体への阻止線は突破されたと情報が入る。
マナヌ岩近くにいた作業船「ゆいまーる」も調査をしている様子がなく、「ダミー」だと気づき、リーフ内に入り作業をしている「本体」を追った。
すると長島、平島の近くに海上保安庁のゴムボートが2艇警戒をしていた。
私達はすぐに「ここだ」と感じ取る。あたりを見回すと、抗議船2艇がそこに集結している。私達はさらに走行し、「作業ヤード(基地建設のための作業現場)建設」が計画されている大浦湾まで行く。するとそこに6艇もの漁船が集まり、なにやらの作業を開始している。

私達は覚悟してその中に突っ込む。
6艇の間に入りマイクをにぎり「帰れー!!」と叫ぶ。私達の相手は決して漁民ではない。悪魔で防衛施設局(国)なのである。この叫びは国に対しての沖縄の怒りの象徴。
6艇の内の3艇は私達が来るのを見ると慌ててその場を離れ沖合いへと航行した。
残りの3艇を追い込む。「あなた達は人殺しへの加担をしている。そのことを人としてどう感じている。昨日の3万人の怒りを受止めているのか!!」叫びはいっそう力強さを増す。絶対に許さない。「これは沖縄に対しての挑戦である(宜野湾市民集会決議文)」人の生命がかかっている。私達が止められなければ何万人もの人達の生命が奪われる。力がこもる。
私達は譲らず叫び続けた。防衛施設局はしきりに電話をしていて、ビデオを廻している。20分が経ち動き始めた。
防衛施設局が乗る漁船はすぐ近くにある「キャンプ・シュワブ」の簡易桟橋へと逃げ込む。私達は追い詰め、さらに怒りの声を上げた。
桟橋には防衛施設局員、警察、ガードマン、米兵(遠巻き)がいる。資材を降ろしそそくさと帰っていった。
今日は完全に勝った。3万人の怒りは確実に国を追い込んでいる。
帰ってきた私達に誰もが勝利したという満面の笑みで迎えてくれました。おばぁ達も「ごくろうさん。がんばってきたねぇ。」と声をかけてくれました。

今日は勝ちました。明日も勝とう。陸上でかんばる人達、海上でがんばる人達が必要です。たくさんの人達が辺野古に集まってくれるようにお願いいたします。
琉球新報
辺野古調査続開 県民会議が漁協に船の提供自粛を要請
調査に船を出さないよう、名護漁協辺野古支部の豊島貞仁支部長(右)に協力要請文を手渡す山内徳信共同代表=13日午前、名護市の辺野古漁港

 【名護】普天間飛行場代替施設建設に向けて那覇防衛施設局は13日午前、名護市辺野古沖の予定海域で調査を続開した。正午現在、辺野古漁港から出た漁船9隻を含む十数隻が海上の複数個所で作業に当たっている。建設に反対する住民らは漁港前で座り込みを続けているほか、抗議船4隻を出して中止を訴えている。漁港では出港しようとする名護漁業協同組合辺野古支部の豊島貞仁支部長に、基地の県内移設に反対する県民会議(山内徳信ら共同代表)とヘリ基地反対協議会(安次富浩ら代表委員)が調査に船を出さないよう協力を要請して、文書を手渡した。

 調査チャーター漁船は午前10時ごろに続々と出港。うち3隻がキャンプ・シュワブの海岸10メートルほどまで近づき、「調査船」の看板を掲げた1隻が灰色の作業服にヘルメット、ライフジャケットをつけた作業員を乗せて調査現場に向かった。残り2隻は監視船とみられる。

 反対する住民らはこの日も約80人が集まって座り込みやシュワブ前での監視を続けたほか、出港する漁船に「船を出さないでください」と口々に大声で訴えた。午後1時前にはカヌー隊も海上への阻止行動に出発した。

 座り込みテントでの集会でヘリ基地反対協の大西照雄代表委員は、12日の宜野湾市民大会で海上での阻止行動に63万円近くの募金が集まったことや、各地の漁協組合員から協力の申し出があったことを報告。支援の広がりを確認しながら「調査に協力する漁民にも心では葛藤している人もいる。相手の心を踏みつけるようなことはしないで」と完全非暴力の方針を強調した。

◇辺野古ボーリング調査 中城から台船出港

 【沖縄】普天間飛行場代替施設建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング地質調査で、中城湾港新港地区に保管されていた作業用台船が13日までに船舶で運び出された。

 台船はえい航されて、平安座沖に向かったとみられる。

 同港の荷さばき地には、海底を掘削する「ボーリング用資材」と、海上作業の作業場となる「スパット台船用資材」を2業者が保管しており、このうち組み立てを終えたスパット台船が12日午後にえい航されて運び出された。

 ボーリング用資材はまだ保管されており、資材を積み出すための船舶の接岸申請が出ている16日までには運び出されると見られる。

 スパット台船は9日に資材が荷さばき地内に持ち込まれ、翌10日に同所で5メートル四方の足場の組み立て作業が行われていた。

沖縄タイムス

施設局、調査を再開/辺野古沖ボーリング

 那覇防衛施設局は十三日、週末で中断していた普天間飛行場代替施設建設に伴う名護市辺野古沖のボーリング調査を再開した。九日の着手以来、三日目の調査。一方、基地の県内移設に反対する県民会議とヘリ基地反対協議会は同日午前、同調査に作業船や警戒船として漁船を貸している名護市漁協辺野古支部に調査に協力しないよう要請。「基地建設に漁船が利用されることは遺憾。見過ごすことはできない。チャーター船としての提供を自粛してほしい」と求めた。

 同日午前、辺野古漁港から漁船数隻が出発。辺野古南方海域から現れた調査船などが合流し、調査する光景が見られた。

 建設予定海域の北側付近では作業員がリーフ上に上がり、赤と白が交互に塗られた棒状のものを立て、測量する状況も確認された。

 また、辺野古から出港した漁船三隻がキャンプ・シュワブ沿岸の大浦湾側の砂浜に着岸、作業員や調査器材などを搬入して沖に出ようとしたが、反対派の抗議船二隻が近づき、調査をやめるよう求める場面もあった。

 漁港近くのテントは、同日朝から数十人の反対派が集まり、カヌー七艇を繰り出して、出港する漁船に「調査に協力しないで」と呼びかけた。

(写真説明)キャンプ・シュワブから出ようとする調査船に近寄り、出港を阻止する反対派の抗議船=午前11時30分ごろ、キャンプ・シュワブ沖

名護市東海岸にジュゴン?ふん/研究者ら発見

 日本自然保護協会理事の吉田正人さん(47)らが十二日、名護市の東海岸でジュゴンのふんを発見した。同海域でふんが発見されたのは二〇〇二年以来。

 今回の発見場所は、海岸から約四百メートル沖のリーフ内。干潮時の水深は約一メートルの砂地の上。ふんは直径約二センチ、長さ約六センチの円柱形。全体的に緑褐色で海草の繊維が見え、二、三日以内の比較的新しいものという。

 吉田さんが助教授を務める大学ゼミ生ら十人と、海草ウオッチで見つけた。

 また、ふんが見つかった海域で、一週間以内とみられるジュゴンの食み跡も発見された。食み跡は幅十五―二十センチで三カ所あり、長いものは約八メートルあった。

アキちゃん日誌
9月9日(木)  ボーリング調査着手に抗議する緊急行動 in 大坂

9日、防衛施設局がついに卑劣なやり方でボーリング調査に着手しました。
そして、その日、大阪では怒りの緊急行動が行われました。
以下に、そこに参加した浅田さんからの報告を載せます。

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昨日、防衛施設局が本当に卑劣なやり方で海上ボーリング調査の強行という基地建設のための暴挙にでました。大阪では、いてもたってもいられないという人々がその日の夕方、JR大阪駅前にわらわらと集結しました。

 沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会の呼びかける緊急行動に、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」が接着剤となって、あらゆる個人・団体が大集合していました。

その数・・・30人以上はいてたと思うのですが、興奮状態になっていたためなのか、何度数えても「あ〜もう分からんわいっ」となってしまい、正確にはおろか、おおよそでも数えきれなかったのでした。。

その前夜、辺野古に起ったアキさんから届く、緊迫したメーリングリスト(ML)の内容に、

『ヤマトからも行動をおこしましょう』と、真っ先に声を発したのは毎週土曜の大阪行動に登場するOくんのママさんでした。『親子で駆けつけます』という力強い宣言に肩を押されるように、日付がかわって、さらに夜が明けてもMLでのやりとりが続く状態。

 土日ではなく、一日の労働を終えた後というハードな条件の中、たくさんの方が、強行に対する怒り、辺野古に駆けつけられなかったこと、自分の足下・大阪で行動に起つ決意・・・本当にたくさんの思いを胸に集まっておられたのだと思います。

 約1時間半の街頭行動で、それぞれの団体の横断幕とともに、大阪行動の辺野古現地写真の展示、カンパの呼びかけ、ビラまき、防衛施設局へ抗議のはがき作戦、マイクアピールなどなどをおこないました。

帰宅ラッシュで、JR大阪駅周辺はものすごい喧噪です。そんな中、足を止めて沖縄で辺野古で何が起こっているのか知ってほしいと呼びかけていたわけですが、歩くスピードがいつも以上に早い上、夕闇とJR大阪の工事屋根のために、いつもの写真はすっかり見えにくくなっていました。

それでも立ち止まって下さった方が何人かおられました。印象的だったのは、40代くらいのサラリーマン風の男性。『知らなかった・・』と言いながら、こちらの拙い説明を一つ一つうなずきながら聞いてくれる。心の中でゆっくりゆっくりと言い聞かせるのとはうらはらに、私は早口で支離滅裂な説明をしていたに違いありません。

 その方は、全国一般という連合系の労働組合に所属しているとのこと。いつも組合から動員がかかれば、反戦集会にも参加する。が、沖縄のことは知らなかったとのこと。その方が、もっとも反応されたのは、座り込みをおばぁ達が先頭で担っているということで、数年前、組合で沖縄からおばぁさんを呼んで沖縄戦の体験を語ってもらったことがあるそうです。

辺野古ではもう何日座り込みを続けていると思いますか?と私が訊ねると『2・3日?』と。もう140日以上になるんですよ、地元のたたかい自体は8年にも及びます。と返すと本当に驚いた様子でした。

『連合で労働組合はだめになったんです』と言うので、あなたが自分の組合に伝えてください。とお願いすると、『う〜ん、署名とかカンパならするんだけど。。自分も積極的に組合活動しているわけじゃないのでそれ以上は・・・』と言葉を濁されました。

この壁が突破できれば、ヤマトでも状況は変わっていくに違いないのに。

今、むしろヤマトでこそ、「辺野古への基地建設を阻止しよう」「沖縄にこれ以上の基地を押しつけまい」「安保がどないしてん!すべての基地を撤去させよう」といううねりが求められているのに。。本来、そのうねりの核になる(歴史上なってきた)はずの労働組合を揺さぶるのは、やはりそこにいる労働者自身なのだと思う。同時にその労働者を揺さぶるのに、自分に何かが足りなかったということだと思う。まだまだやれるし、やらなきゃならない。これは私が本当に思うところです。

私としては焦りと緊張と怒りがミックスされた興奮状態の中で、何が何か分からないうちに終わってしまった・・という感じでした。

みなさんは、どないだったでしょうか?

  『私たちは本当に当たり前のことをしているだけということを伝えたい』(ニュアンスが違っていましたら、スミマセン。。)憲法9条がなし崩し的にかえられようとしていることを黙って見過ごせない、と憲法9条を拡大プリントして持参し街ゆく人々に問いかけておられ『仕事の後なのに元気をもらった』たいうOSさん

『もっと長く街宣やるのか、防衛施設局の前に抗議の座り込みでもするのかと思っていたのですが、2時間近くの街宣で終わってしまい、なんだかちょっと拍子抜けしてしまいました』というYさんは、辺野古に行けない分、大阪でたたかおうと闘志まんまんにしておられたのでした。 

これから辺野古に向かうという方もおられました。

また、京都でも学生を中心に約10名で緊急行動が行われたとのことです。

 8年(2639日)と144日、ここからさらに具体的に建設工事をそのものを止めるたたかいがはじまりました。このたたかいと辺野古の座り込みが続く限り、基地建設はできません。このたたかいを大阪・ヤマト中に広めて、白紙撤回に追い込むことは、戦時下に入った沖縄と日本と世界の歴史をかえるたたかいになると思います。

辺野古のたたかいを自分のたたかいとして大阪に集うみなさんと、この先どう大阪行動をすすめていくか一緒に考えていきたいと思います。


9月13日(月) 第6回大阪行動+京都行動始動!

9月11日に行われた第6回大阪行動も多くの人達が参加する
活気にあふれた行動になったようだ。
私は、辺野古現地でその報告を受け取り、本当に心強い気持ちでいる。
今後もこの状況を共有しあい、一日も早く辺野古の状況を打破し、
辺野古の基地建設を白紙撤回させたい。

今日も息のつまるような緊張の中、カヌー隊、そして抗議船が海に出ている。
そして、海上では声のかぎり叫び、必死になって作業を阻止している。
それは陸上でも同じ。
必死になって連絡を取り合い、何としてでも止めるんだという気迫で、
海上と陸上が一体になって闘っている。
このそばにいて、何とも伝えようのない気持でいっぱいだ。
みんな必死に、必死に闘っている。

大阪行動を始め、国会前行動、京都行動、
そのほか辺野古の基地建設を阻止するために
共に立っているみなさんが、この現場に思いをはせ、
なんとも引き裂かれそうな思いで、
共に闘っていることを心に留めています。
私も一緒に立っています。
改めて、一緒に頑張りましょう!


以下は、第6回大阪行動に参加した仲間からの報告です。

金さんからの報告:
今日の第6回大阪行動は途中は多分40人を越える人が集まって、20人が最後まで行動してくれました。大阪の人の反応としては、ビラを受け取った後パネルを見て説明を聞いてくれる人が増えてるように思った。

こういうのを見てると辺野古には行きたいけど行けない事が初めは自分の中で悔しくて、もどかしかったけど今はここで出来る事を全力でする事で辺野古との連携をとれたらいいと気持ちを切り替えれた。

ほんで、今日は念願の横断幕が遂に完成しました。この事で、改めて気持ちを引き締めてこれからも皆で力を合わせて頑張りたいとホンマに心から思った。


塚本さんからの報告:
パネルの前で何人かの方々とお話させていただきました。
印象的だった会話を報告しますね。

◇30代くらいの男女の方
・普天間基地が辺野古に移設されることについて
 (女性)「それなら何も変わらない(相変わらず危険は存在する)」

・ヘリ墜落事件についての日本政府の態度
 (男性)「自分が一番おかしいと思うのがこれです。」
 (女性)「黙っているということは(米軍の行為を)認めたということですよね」
男性が「新しい署名書が欲しい」とおっしゃって、持って帰ってくださいました。

◇5,60代くらいの男性
 ・基地問題と失業問題の絡みなどについて
 「沖縄はかわいそうやな・・・」と静かにおっしゃていました。

以下は、先週の話ですが・・・
◇小学生の女の子
 沖縄に学校で行くので、基地がなくなったらいいなあ、
 とみんなで話し合っているそうです。
 「基地があったら怖い。何か撃たれそう。」
 「漢字多いけど、ビラがんばって読んでみんなで考えてな!」
 「読みます!」と言ってくれました。

「何かいやや」という感性は、私も大事にしたいと思いました。
お話させていただくと、ハッとさせられる事が多いです。
私の方が多くメッセージをもらった気がします。

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そして、京都での行動も始動しています。
京都行動のHP 
http://monkey-no-base.hp.infoseek.co.jp/

以下は、9月11日に行われた京都行動の報告です。

萩原さんの報告:
今日、非戦ライブ→ピースウォークのあと、
三条河原町で街頭行動をしたので報告します。

今日は20人ほどが集まり5時半から1時間行ないました。
パネル展示と署名、カンパもあわせて行なったのですが
通りを歩いている人たちの反応も良く、
用意していたビラ600枚が1時間を持たず捌けてしまって、
お開きとなりました。
その間に集めた署名108筆、カンパ1万800円という数になりました。

先週土曜、今週木曜にも活動をしたのですが、
今日は何故かそれらと比べものにならない反応で、
やっているこっちが驚いてばかりの状態でした。

例えば、
20代前半の男の子たちのグループに声をかけると、
沖縄旅行から帰ってきたばかりだと言い、
沖縄でジュゴンの看板を見たが、意味が解らず帰ってきた、
だけど今日話を聞いて初めて基地が造られようとしているのだとしって、
驚いている。基地はダメ、と言って署名してくれました。

また、ハンドマイクを持ったことのない人まで、
「喋らせて」と話し始めたり、今日は本当に楽しかったです。


自分たちの思いと行動が
きっと辺野古の人たちにも届くはずだと、
みんなそれぞれ頑張ってくれました。
現実はシビアな状況が続いていますが、
一人ひとりが、京都で、大阪で、
行動を起こしてくれている姿を見て、
確信を持って、未来をひらきつつあるのだと考え始めています。

京都の次回行動予定は来週19日(日)です。
昼12時から1時間ほど三条河原町で街頭アピールのあと、
14時から京大会館1階にて、
「辺野古・情勢報告会」を企画しています。
座り込みに参加した仲間を囲んでの報告と、
ビデオ「辺野古の闘いの記録 その1」の上映会を企画しています。

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第7回大阪行動
日程:9月18日(土)
時間:16時半〜18時半
場所:JR大阪駅御堂筋口前、市バスロータリーの阪急側(歩道橋の下)
連絡先:osaka_henoko@hotmail.com

※この日は午後18時半よりミーティングを持ちます。
場所:大阪市梅田東学習ルーム「F」会議室
ぜひ、参加してください。

第6回大阪行動の様子↓


9月13日(月)

緊急メール
G辺野古より、松本亜季です。
こちらの抗議船が施設局の作業船をキャンプシュワブに追い返しました。他の漁船も辺野古漁港に帰ってくるようです。
抗議船も辺野古に戻るようです。
F辺野古より、松本亜季です。
現在、海上では、こちらの抗議船2隻が作業船「ゆいまーる」と「みらい」の作業を阻止しているもようです。リーフ内でも抗議船2隻が阻止行動を行っています。
E辺野古より、富田晋です。

抗議船の阻止行動によって、具体的な作業はまだ着手されていません。

マナヌ岩左20M 、沖合い50Mの地点に作業船「ゆいまーる」、警戒船2隻、監視船1隻が待機しています。こちらの抗議船4隻は、作業船に対して阻止行動を展開。作業船1隻は船体にダイバー1人、タンク1つ、ブイ3つを積んでいました。
作業船「ゆいまーる」から南に1キロ行った地点に作業船「みらい」が停泊し、ほかに、警戒船2隻、監視船1隻が停泊。抗議船が作業船「みらい」に向かって直進したところ、「みらい」は沖合いに逃走。すぐに「みらい」がダミーだと気づいたが、船体に載っている物資の確認のため追いかけました。船体には、ブイが3つ載っているだけでした。
その後、マナヌ岩近くに戻りましたが、他の抗議船が作業船本体を阻止しているため、作業している様子はありません。
D辺野古より、松本亜季です。
今、キャンプシュワブ前にいる抗議船から連絡が入りました。現在、キャンプシュワブ前にいる抗議船は、作業船1隻をシュワブの砂浜に追い込んだまま抗議を続けているようです。米軍の憲兵1名がこちらを監視しているとのこと。また、施設局員数名が「立ち入り禁止」の札を持って立っているということです。
長島周辺には、ダイバーが乗った船2隻がいる模様です。
C辺野古より、松本亜季です。
汀間では、今のところ何もない様子なので、汀間に向かった座り込み参加者は辺野古に帰ってきます。
B辺野古より、松本亜季です。
現在、キャンプシュワブの前で、作業船2隻と警戒船3隻が、こちらの抗議船と向き合っている模様。そのうちの作業船1隻と警戒船1隻は、長島の沖に向かっていったということです。
その後、キャンプシュワブ前のこちらの抗議船が相手側の船に取り囲まれているという情報が入りました。
汀間漁港では、作業員らしき人がいるということで、座り込み参加者20名が向かいました。そこでは、1隻の船を食い止めているという情報が入りました。しかし、ダイバーが乗った船が出て行ったとのことです。
A辺野古より、松本亜季です。
今、辺野古漁港から漁民の大型漁船3隻が出ました。護岸では、座り込み参加者たちが一斉に抗議の声をあげ、カヌー隊は漁港周辺で抗議行動を行っています。こちらの抗議船も出港しました。
@辺野古より、松本亜季です。
防衛施設局の作業船が港を出たとの情報が入り、現場は緊迫しています。抗議船及び、カヌー隊は海上での調査阻止行動にそなえて、待機しています。辺野古に集まってください。

ボーリング調査をとめる・・・!!!座り込み148日目  午前7時から11時までの動き
大阪行動をしている女性に、憲法9条が書かれたタオルをみせてもらった 国会前の座り込みで出会った方と再会して、喜ぶサオリちゃん
大西さんの船が、動きがないか見回りに出る


待機する夏芽さんたち
帰ってきた大西さんから、「シュワブに作業員らしき者が5、6人いる」と報告を受ける。しばらくして漁民の船も動き出した。待機していた人たちが行動を開始 夏芽さんが運転する船に、報道の人たちも一緒に乗り込み海に出て行く
カヌー隊も準備 カヌー隊に飴と飲み物をもたせるアキちゃん 仲間うちから借りた船
カヌー隊が海へこぎだす 琢磨さんも船を出す。漁港の出入り口で漁船をとめるために待機
漁船が出ていく・・・・・ 漁港の先まできた座り込み参加者たちが声を上げ調査に協力しないよう訴える。「船を戻してくださーい!!調査に行かないでくださーい!!!」 篠原さん・悦美さんの声も聞こえてくる。カヌーを漕ぎながら、声の限りに叫んでいる。
「海を壊さないで・・・!!!戻ってきてくださーい!!」叫んで、漁船を止めようとするが、船は次々漁港を出て行ってしまう・・・・
新たに借りた船を晋くんが運転して海に出て行く。 気をつけてね・・・・!! 東門みつこ議員が来ていた
テント前の浜辺では
座り込み参加者たちが、カヌー隊と船を見つめる



汀間漁港から船が出るかもしれないという情報が入る。何名かがそちらに向かう


9月12日(日)
宜野湾市民大会に行ってきました!!
予定していた1万人をはるかに超える3万人(主催者発表)が集まりました!!!
お店でお昼ご飯を食べていると、
テレビで「まもなく宜野湾市民集会が始まります」というニュースが流れる。

サオリちゃんとうららちゃんは、名護から出るバスで集会に向かうため、店をあとにし出かけていった。
大学近くで車を降り、歩いてグラウンドまで向かう 大学の外側から見える事故現場の痛々しい傷。 コンクリートがはぎとられている。
近くの木は焼けて黒焦げになっていた
沖国大に到着。周辺の道路には集会に向かう人たちの列が。 大学のフェンスには横断幕、ヘリ墜落に抗議する張り紙がいっぱい
構内に入ると、辺野古の座り込み参加者達が「辺野古にも座り込みに来てください!!」と訴えている 篠原さんも駆けつけた 背中に書いた「NO BASE」の文字
集まってくる参加者に向かい声をしぼって訴える。
会場のグラウンドにはすでに人がいっぱい!!! ヘリ墜落の写真を展示している 夏芽さん・きよこさんもきています
辺野古のおばあたち 宜野湾の国政さん
墜落事故がおきてから、事故の証言を集めたりして行動している沖国大生のグループ Tシャツなどを売っていました
テレビ朝日のインタビューを受ける島田善次さん あちこちで写真を展示している。こちらは宜野湾の市議の人たちが撮った写真。 ヘリの部品が堕ちてきて壊れたバイク
嘉数小学校の子供たち
たくさんの人が集まっています・・・・・・!!!! 大学の建物からも見守る人々が。
宜野湾の小中高生・大学生がそれぞれ発言をする
志真志小学校6年生の発言 中部商業高校の生徒。
「普天間の辺野古移設には反対です。移設でなく、沖縄からの基地の完全撤去・返還を!!!」
沖国大生の毅然とした発言。
「米軍ヘリが墜落して、日常がいとも簡単に踏みにじられることを体験した。抑えられない怒りと恐怖を感じます。
辺野古移設では解決しない。今まで続いてきた現実を私達の世代でとめる!!今日をその始まりの日にしよう!!」
発言に聞き入る参加者たち。 写真一番右が宜野湾の伊波市長です!!! 琉球新報・沖縄タイムスから速報が出ました!!集会の最中で配られました
「米軍ヘリの墜落に抗議し普天間の早期返還を求める市民決議」を読み上げ、採択のあと、最後にシュプレヒコーール!!!! 手をつないで帰っていく親子。
                    米軍ヘリ沖縄国際大学への墜落事故に抗議し、
                     普天間飛行場の早期返還を求める市民決議
2004年8月13日、午後2時15分頃、沖縄国際大学本館に米海兵隊所属CH-53D型ヘリコプターが接触し、墜落炎上するという大惨事か起こった。

 墜落ヘリは、沖縄国際大学本館の機能を麻痺させ、本館を削り取ったブロック片や部品が地域住民を襲い、その結果、多くの市民が被害を被った。

 墜落ヘリの乗組員3人の負傷だけですみ、民間人には犠牲者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。今回の事故は過去に起きたヘリ事故の中でも、最悪の事故であり、日米両政府及び米軍に対し、強い怒りを持って抗議する。

 さらに、米軍は日米地位協定を盾にして、拡大解釈により事件現場の立ち入りを制限し、所有者である沖縄国際大学関係者はじめ、宜野湾市及び県の関係機関を含め日本側の捜査、調査を排除した。そのために、大学運営の回復や地域住民の不安を取り除くための事故原因の究明や被害実態の把握に支障をきたした。提供施設外において米軍が優先され、法治国家である日本の主権が侵害された実態は、異常な事態と言わざるを得ない。

 また、市民、県民が、連日この事故に対して抗議し、米軍機の飛行停止を求めている最中、「原因究明まで事故機は飛ばさない」と在沖米第四軍調整官が自ら発表したにもかかわらず、8月22日の静かな日曜日に次々とCH-53Dヘリを飛行させたことは、私たち宜野湾市民はもとより、沖縄県民に対す悔辱であり、挑戦と受止めざるを得ない。

 1966年のSACO最終報告によると普天間飛行場の返還合意の原点は、危険きわまりない欠陥飛行場を取り除き、県民の基地負担の軽減を図ることであったはずである。返還期限の7年がすでに経過し、今回のヘリ墜落事故は、その原点が極めて問われるものであり、日米両政府には今こそヘリ基地としての運用を直ちに中止させ、普天間飛行場の早期返還を実現するよう求める。

 すでに普天間飛行場所属機50機のうち40数機が同基地を離れていることが発表されており、残る10数機を早急にハワイ等に撤退するように併せて強く求める。



                                 記

1.被害の徹底調査と事故原因を明らかにし、すべての被害に対する謝罪と完全補償を早急に実施すること

1.すべての米軍機の民間地上空での飛行を直ちに中止すること

1.ヘリ基地としての運用を中止すること

1.危険極まりない普天間飛行場を早期返還すること

1.SACO合意を見直し、辺野古沖への移設を再考すること

1.日米地位協定を抜本的に見直しすること

  以上決議する。

     2004年9月5日 

                  沖縄国際大学への米軍ヘリ基地墜落事故に抗議し、
                  普天間飛行場早期返還を求める宜野湾市民大会



あて先

米国大統領/在日米国大使/在日米軍司令官/在沖米四軍司令官/在沖米国総領事館
内閣総理大臣/外務省/防衛庁長官/防衛施設庁長官/外務省特命全権大使
那覇防衛施設局長/沖縄県知事
沖縄の新聞より

【速報】「普天間早期返還を」 米軍ヘリ墜落、沖国大で宜野湾市民大会


米軍ヘリ沖国大墜落事故に抗議する宜野湾市民大会に集まった大勢の人たち=12日午後2時10分ごろ、宜野湾市の沖縄国際大学グラウンド

 【宜野湾】沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落に抗議し、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民大会(主催・同実行委員会)が十二日午後二時すぎ、同市の沖縄国際大学グラウンドで始まった。普天間飛行場の早期返還を訴えようと、大勢の一般市民や各種団体などが詰め掛けた。実行委員長の伊波洋一市長は「二度と私たちの住宅上空を米軍機の訓練場としてはならない。市民の声を一つにし、事故が再び起こらない宜野湾市をつくっていこう」と宣言。児童・生徒やPTA、老人クラブなど各世代の代表が意見表明し、大惨事につながりかねないヘリ墜落への怒りをぶつけた。市民決議と大会スローガンを採択する。

晋くんからのメール
(転送歓迎)
辺野古より、富田晋。
平和市民連絡会から連絡がありました。
明日、宜野湾伊波市長は宜野湾市民大会の決議文を持って県知事に会いに行くとのこと。平和市民連絡会は有志で宜野湾市長の支援をするため、明日午後2時に県庁ロビーに集まって行動する。
多くの人達が集まってくれることを呼びかけています。
「決議文」は後ほど送ります。

明日は辺野古も緊迫することが予想されます。調査船が出ることが確実だと思われます。多くの人達に集まっていただけるように呼びかけます。辺野古は決戦です。
うららちゃんへ。
辺野古晋。
バケツの中の生き物は「ひょうもんだこ」かまれたら猛毒で死ぬらしい。
うんこは「ジュゴンのうんこ」。場所は言えないのだそうです。荒らされたら困るので。日本自然保護教会の人達が持ってきました。
昨日の晋くん日誌
9月11日(土)
・ボーリング調査の作業はありませんでした。

沖縄は熱帯低気圧が近くにあるため風が強く、時々大雨が降ります。辺野古海上は波が大荒れでとてもじゃないが、ダイバーが沈んで調査をすることは出来ない。
今日も座り込みには200人以上が集まり、緊張した面持ちで座っていました。
新聞報道では「土日は調査しない方針・防衛施設局」と載っていたが、今まで「約束」など彼らは紙切れ同然に破り捨てて来た。信じられるものではありません。

座り込みには今日も200人以上が集まっていました。
明日が宜野湾の市民集会ということもあり、辺野古と宜野湾が繋がっていく思いが一人一人を繋いでいるようです。
那覇市長候補になった高里鈴代さんが座り込みに来ていました。沖縄中の人が集まり、辺野古、金武町、宜野湾の強い怒りが沖縄中に広がっていることが分かります。

今ならば基地をなくせる。今やれば。
沖縄から基地がなくなる、変わるということは現実的に米軍の米政府の日本政府の世界的な戦略を変えるということ。つまり、世界が変わるということだと思います。
そのために全国で訴えることが必要です。今までのやり方だけではなく、地域に入って街角で住宅街で辺野古のことを話してまわること。署名をしてくれたらその人のところまで行き話しをすること。
出来うるなら、話が出来る場所作り。地域の人がこの問題を共有出来る場所を作ることなのだと切に思います。
そのしつこさこそが、粘り強さこそが辺野古の現実を世界の現実を変えるのだと考えます。
とても難しいことかもしれません。しかし、それを実践し始めているのが辺野古でもあります。

9・11から3年になります。いまだ辺野古から沖縄から飛び立った米兵達がイラクの人々を虐殺しています。自衛隊はイラクに駐留しています。それを変える現実がこの沖縄から始まろうとしています。長く厳しい闘いですが、そして一日も早く終わらせたい戦いですが、継続して最後まで立ち、勝てばこの世界の現実は変わります。希望捨てず生きましょう。絶対に勝てます。そして、イラクの人達に爆弾を落とす現実を変えましょう。

今日は防衛施設局による調査も警察による見回りもありませんでした。三線も鳴り、少しゆっくりとした一日でした。月曜日は決戦です。多くの人が来ていただけるように呼びかけます。そして、明日は宜野湾市民集会です。
厳しい現実の中で少し希望というワクワクしたものを心に感じます。

9月11日(土) 
8:30 朝ミーティング テントを修理する祐治さん
昼ごはんは名護の「八重そば」に
行きました!!
おいしいおいしい
ユキさんとハネやんと則子さん カヌー隊の話や、海での防衛施設局との必死の攻防の話をしたら、金城さんと、篠原さんのお友達の2人から船を買うためのカンパをいただきました!やったーー!! おやつの時間
アンパンマンの音楽に合わせて、
移動パン屋登場!
チョコパンを買いました
大阪行動を一緒にやっているアキちゃん
の友達がジュゴンの家に来ました
  夕ご飯はうららちゃんが作ったナーベラーチャンプルーとサラダ!! いただきまーす!
琉球新報

「辺野古移設やめて」 琉大付属中がヘリ事故で総合学習


ヘリ墜落事故の総合的学習を通し、「基地を早く撤去してほしい」などと訴えた生徒ら=10日午後、西原町の琉大付属中

 沖国大ヘリ墜落現場の近くで暮らす生徒も多く在籍する琉球大学付属中学校(西原町)では、1年生の総合的学習で、半数のグループが同事故を地域学習のテーマにしている。10日午後、沖国大や宜野湾市役所基地政策部の取材、同市立長田小学校への「事故への感想アンケート調査」(中間集計)などを基にした意見発表が行われた。生徒らは米軍普天間飛行場の危険性を訴える声とともに、「危険性の除去にはならない」「結局県民が苦しむだけ」「基地は沖縄からなくなってほしい」と辺野古移設への不満の声が上がった。

 この日発表したのは3つのグループで、「東京ディズニーランドの3個分の面積がある」などと、市街地の中心にある普天間飛行場の規模の大きさや危険性を地図や新聞、資料などを使い説明。「基地から汚れた排水が地域に流れ出ることもあると聞いた」と地域住民の苦悩ぶりも報告した。

 生徒からは「事故時に大学を米軍が占領していた。沖縄じゃないと思った」「またヘリが飛ぶことを考えると、つらくてたまらない」「基地の危険性や騒音被害に慣れすぎていた。事故で怖さを再認識した」など、次々と意見が述べられた。

 9日に着手された辺野古移設へ向けたボーリング調査にも触れ、「基地の危険性を知らない人、知っていても知らないふりをしている人たちがいる。それは辺野古移設を進めている人たちだ」と批判する場面もあった。

 1年生の屋比久由衣さんや同授業の指導に当たる玉城智美教諭は実際に事故を目の当たりにしていて、「怖さで身が震えた」と振り返った。


9月10日(金) 
シンさんの辺野古日記 より
新しいあり方が生まれる座り込み。海上ではボーリング調査を阻止!! 2004,9,10
9月10日(金)
・海上での阻止行動が続いています。

今日も防衛施設局は「ボーリング調査に着手した」という既成事実作りのためだけに調査を行った。以下、メールで流した文章です。

海上調査阻止行動。陸上阻止行動。
現場報告。9月10日(金)昼までのまとめ。

・午前9時28分。
抗議船からの連絡で作業船「みらい」が沖に到着と入る。辺野古漁港からは4隻の船が出港した。2隻はマスコミの船。2隻は「監視船」「警戒船」だと思われるが、出航するときには何のマークも付けていない。

・午前10時35分。
長島とマナヌ岩の間、抗議船1隻がリーフ内から沖合い500mの地点で作業船5隻を見つける。それに対して抗議及び監視行動を行う、沖合いには全部で7隻。1隻は作業船「みらい」、2隻は海上保安庁、残り4隻は漁船で2隻はマスコミの船。2隻は警戒船のようです。
キャンプ・シュワブに停泊している漁船3隻に「警戒船」「調査船」とくくりつけられていた。抗議船はその看板を見てキャンプシュワブ近くの現場に向かった。しかし、まったく調査をしている様子がない。しばらくして「ダミー」だと気づく。
マナヌ岩近くに漁船が3隻来ていた。その漁船にも「警戒船」「調査船」と書いた看板がくくりつけられている。その方に向かい、そちらが調査を開始したと気づく。今日の調査はリーフ内である。
抗議船2隻が阻止行動を開始。調査船3隻は「ポイントブイ」をマナヌ岩近くに1本、長島近くに1本投げ入れただけで作業を中断させ、調査船はキャンプシュワブへと敗走した。
抗議船2隻はさらに追い詰めるため、敗走した調査船3隻をキャンプ・シュワブ沖にある長島まで追いかけた。
その間に抗議船乗組員達がキャンプ・シュワブの浜辺ほうに目をやると青いテントが数個建っており25名ほどの人間が見える。25名の半数が防衛施設局員だったとのこと。中に「立ち入り禁止」のプラカードを持った防衛施設局員数名がいた。そしてこちらを監視しているようだった。
その報告を受けた座り込み参加者は海岸沿いで抗議行動を開始。声をあげ続けた。

・午前12時00分。
昼食のために防衛施設局は調査を中断し、キャンプシュワブ内に逃げ込んだ。私達の抗議船も一時戻った。

午前の攻防は完全に勝利。午後も攻防が続く。気は抜けない。

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この後の状況を書くと、天侯の悪化のために作業船は午後は一切出ませんでした。
防衛施設局は昨日から今日にかけてたった「5本のポイントブイ」を海に投げただけで終わりました。
命を守る会が繋げてきた関係がこの状況を生み出しています。
今、防衛施設局は遠くの漁港から船を出す以外に手立てがない。辺野古400名の座り込みにも沖縄ー東京の怒りに触れ、恐れ、手が出せない。
現場では、陸上と海上との連携によって見事に調査が阻止されている。
いまだかつてなかった闘いが始まった。いずれ、防衛施設局は辺野古漁港の確保(占拠)のために乗り込んでこなければならない。「だからなんだ!!」と言いたいのです。
沖縄の怒りはそんなものじゃない。

今、座り込みには今まで沖縄ー日本の底辺で抵抗をし歴史を作ってきた人々が集い、一緒に座ってこれからの世界を論じている。それに触れた私の世代の人達がゴロゴロ変わっていく。
「新しいあり方」を持った人がどんどん生み出されていると言って良いと思います。
その人達を生み出していることが防衛施設局(国)の負けなのです。
そんな尊い人達と戦時下の沖縄で生き抜いてみせる。

海上でも陸上でも基地建設は阻止してみせる。
明日もがんばろう!!
朝のミーティング
東恩納琢磨さん  金城祐治・命を守る会  島田善次さん
 海上調査 阻止行動船が出発
メロンを食べるカヌー隊
 島田善次さんを囲んでお話
 フルーツの差し入れです  作家の真鍋和子さん。
「ジュゴンはなぜ死ななければならなかったのか・ノンフィクション知られざる世界」「沖縄反戦地主・こころの源流―フォト・ドキュメント阿波根昌鴻」
 次の船が出発。調査船を追いかける。陸上にも「調査をやめろ」の声が聞こえてくる。
二隻の阻止行動船に追い詰められた調査船はなんと「キャンプシュワブ」に逃げ込んでいった。
陸上からシュプレヒコール
 さくら丸が戻ってきた
 さくら丸に乗った桑江テル子さんからの報告
強風と荒い波の中、懸命に練習をするカヌー隊。
ゆいまーる沖縄の社長と記念撮影  「街」の顔署名を撮影する西山監督
 145日目、終了の集会
「ジュゴンハウス」に戻り、「縁」で打ち上げ
「ジュゴンハウス」で、ヨッシーとジュゴンの家のライブ
琉球新報 2004年9月10日 金 14:21

ボーリング調査続行 波荒く、午前中で終了

ボーリング地質調査の資材が保管される荷さばき地内で進む組み立て作業=10日午前9時すぎ、中城湾港新港地区

 普天間飛行場の移設に伴う代替施設建設に向け、那覇防衛施設局は10日午前、前日に続き名護市辺野古沖でのボーリング地質調査の事前調査を実施した。

 この日は午前8時半ごろ、辺野古沖に調査作業船1隻が到着し、続いて辺野古漁港を出港した警戒船(漁船)4隻が現場海域に到着。これに対し、同漁港で座り込みを続ける反対派市民らが抗議船を出して阻止行動を展開した。一方、中城湾港新港地区では10日午前、同調査に使用する資材の組み立て作業が行われているのが確認され、本格調査に向けた準備が進んでいる。

 施設局によると、現場海域の波が高いため、潜水調査などは見送り、10日の調査は午前11時すぎに終了した。代替施設建設予定海域の中央部から漁港寄りの北側に、浮標2基が新たに設置されたのを、反対派抗議船が確認した。

 10日は調査船1隻、警戒船4隻が出て、午前9時半から調査に着手。午前10時ごろには米軍キャンプ・シュワブから、調査作業員らを乗せた船舶5隻とゴムボート2隻が出たもようだ。

 一方、中城湾港新港地区を管理する県中城湾港建設事務所には、9日から資材積み出しのためとみられる船舶の岸壁使用の届け出がなされており、本格調査に向けた準備作業が着々と進んでいる。新港地区荷さばき地内には、今年2月から海上での作業場となる手すりがついたやぐら状の部分や金属製パイプといった「ボーリング用資材」が保管されている。

◇調査強行に怒りの拳 辺野古で抗議集会

 【名護】「普天間で危険な基地は名護でも危険」「基地の県内たらい回しは許さない」。那覇防衛施設局が着手した名護市辺野古沖でのボーリング調査に対し、辺野古漁港の座り込み現場では10日午前も抗議集会を開くなど、調査強行に対する怒りの声が渦巻いた。普天間飛行場のある宜野湾市の市民も大勢が座り込みに参加し、「辺野古移設では何も解決しない」と訴えた。辺野古漁港には午前10時現在で約180人が集結。午前11時前、沖合に調査船を発見した住民らは、堤防の先端に移動して調査阻止を訴えてシュプレヒコールを上げた。

 米軍ヘリが墜落した沖国大のすぐ近くに住む兼城淳子さん(63)は、「現場に駆けつけ黒煙の中で、イラクの人々の恐怖を実感した」と振り返る。「ヘリ墜落の危険を日々、感じながら暮らしている。辺野古に移設しても危険性は同じ」と移設反対の思いを語った。

 兼城さんは辺野古の座り込みの初日から参加。「ヘリ事故が起きたから辺野古移設を進めるべきというのは基地の県内たらい回しの論理。人の命を軽んじる政府の考え方は許せない」と批判し、「イラク人の犠牲にも直結する基地を沖縄から無くすしかない」と訴えた。

 1997年の名護市民投票のころから移設問題にかかわってきた南風原町の松井裕子さん(53)は「長い目で見れば基地はできないと思う」と希望を持つ。それでも「実際に海上で阻止するのは予想以上に厳しい。今日も昨日と同じことを繰り返すのだろうか」とやるせない表情を浮かべた。

 名護市から駆けつけた宮城弘俊さん(56)はテントの下にじっと座り、「今朝も現場に来られない人から頑張ってと握手で送り出された」と託された思いをかみしめた。

 施設局の調査に対し、反対派は辺野古漁港から抗議船2隻を出し、海上で抗議行動を繰り広げた。抗議船2隻には13人が乗船。辺野古沖の建設予定海域でブイを設置していた調査船に対し、「調査を中止せよ」とマイクで抗議を繰り返した。

 命を守る会の宮城保事務局長は「建設阻止のため座り込むおばあたちのために、何があっても調査を中止させる」と決意を語った。

<2004年9月10日 夕刊 1面>

ボーリング調査続行/辺野古沖
シュワブから出港

 那覇防衛施設局は十日午前、米軍普天間飛行場代替施設の建設に伴い、名護市辺野古沖でのボーリング地質調査を続行した。辺野古漁港から出た漁船が大浦湾に面したキャンプ・シュワブ沿岸で作業員らを乗せ、調査海域で位置確認した。シュワブ沿岸からの作業船出港は、初めて。海域は波浪注意報が発令中で波が高く、リーフの内外の四カ所にブイを設置して、午前十一時ごろ終了した。辺野古漁港近くで座り込みを続ける反対派住民らは、小型船を繰り出して海上からの抗議行動と、シュワブ第一ゲートでも阻止行動を展開。約二百八十人の住民らが集まり、「建設の白紙撤回まで頑張ろう」と調査続行に反発した。

 辺野古沖では同午前九時ごろ、南方沖合から一隻目の作業船が姿を見せ、海上基地建設予定海域の南西側で位置の確認作業を行った。

 また、辺野古漁港からは作業船と警戒船八隻が出港。関係者によると、そのうち四隻が辺野古地先東の大浦湾側に回り込み、シュワブ沿岸の砂浜で作業員や機器を搭載。リーフ内の調査海域で、赤色の旗が付いたブイを海に投下した。

 付近では、第十一管区海上保安本部の巡視艇やゴムボートが警戒に当たった。海上は荒れもようで、作業、警戒船は午前十一時すぎには辺野古漁港などに引き返した。

 調査に反対する住民らの集会で、基地の県内移設を許さない県民会議の山内徳信共同代表らは、「飛行場を造らせないよう、目的達成まで頑張ろう」「多くの人が阻止行動に参加を」と呼び掛けた。

(写真説明)辺野古沖合の約4キロ付近で海水を採取する調査船=10日午前9時半ごろ、名護市


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